地上最強のブログ

しばいてくぞ

Amazonでチタンの印鑑が売ってるんだが (下)

そして僕は僕じゃなくなる

そして僕は僕じゃなくなる

STU48

  • 発売日: 2021/02/17
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来た … 無謀な夢は覚めることがない以来の
大々々々々々神曲!!!

 

前回の記事から

本題だが、今回も経緯から言っておくと、そもそも判子とハンコ文化などという、この生体認証とQRコードの時代に、証明を物品でするという太古の社会に退行する風習(でしかない。印鑑がアリガタイのは認知エラー)、人類を愚弄するような 進歩に逆流しこれを侮辱するような退行的できわめて原始的な恥ずべき「恥ずかしい」呪物崇拝の一種など一生見向きもする気なく 当然百均のものしか持ってなかったのだが、人はその生きる社会の要求というか強要の下で生き延びていくしかないもので、印鑑をしっかり所有しておくことを脅迫されている以上、ひとつ 一生の間へたれないモノを作っておいてタンス(タンスなんか持っとらんわ)の奥に放り込んどいたらええやろと考えた。

考えたのは、必要とされるまたは所持を強要される〇ンコを失くしてしまわないように多少コマシなもんを持っとこかと考えたから。それは銀行の「届出印」のことだが、ふと付加年金を申請しようと思い立って2月8日に役場で申請、1ヵ月もかかって3月9日に口座振替書が届き、11日に銀行に行ったら届出印を失くしていた。

f:id:kakaist:20210312094121j:plain こいつにも前納があるが、1年前納で100円割引程度。

届出印なんだろうと思って持って行った判子を窓口で渡すと違っており、登録し直しは20分もかからないで全手続き済ましてくれはしたから紛失もそんなにオオゴトではないのではあるが、とはいえ、どうせこんなものがこれから先々いるのなら、失くさないものを持っておこうと思い始める。銀行で用があるのみならず、来年にはマイクロソフトのCEOに就任する予定などがある自分からしたら、他にも非110均はんこの出番もあるだろう。

というか、届出印であろう・届出印だったような気がする110均ハンコなんて、どっかで捨てている。失くしたというより捨てている。ゴミやから紛失してしまうねん。見下す気にもならない高い目のものを調達してみよう。それには、印鑑を作るというクソ文化があるが、こいつを体験してみよう。

と思い立っても 近所のお店に行くなどということはせず(実店舗なんて滅びろ)、まずネット通販をググる(ネット以外の通販は滅びろ)のだが、動物系は論外も論外(動物を材料にする全文化が滅びろ、動物園もペット文化も滅びろ)だから当然鉱物系だが、耐久度や長持ちでググると、いや多分これらでググらなくてもだが、チタンの印鑑が検索ヒットする。その詳細、業者たちやサイト比較や商品個々のなにがし云々や価格についてあれこれあれこれ等々はハンコ大好き判子崇拝者たちとこいつらを釣ってる無数のブログに任しておけばいいこと(つまり、ググれ)であって一切詳述しないが、言いたいことはつまり、クソ高い。近所のお店やテレビ通販ならもっとボッタクられんだろうなと思うが、それにしても、高い。チタン一択だが、一言で言うなら まともなものなら最低1万円台ということになろう。ゴミに1万も出せるか。

安物は偽物かも知れないがそんなことはどうでもよく(そもそもステンレスでもいい、数十年もてばええねん、捨てれんかったらええんねん)、どうせ安いのならAmazonに出品している業者から買おう。通販サイトは最低で2000円台だ(本記事執筆時点前後)が、マーケットプレイスなら1000円台だ!!!(まあ、安いのは大丈夫なんかと心配になってググりながらやがてAmazonのページに突き当たり こんなことを考えるようになったという経緯なのだが)。

そういうのはいくつかあるが、買うものは大きければ大きいほどいいというしみったれ根性により ぼくの〇んち〇とおなじサイズの18cmを出品している上掲画像のページから、前述の業者から買う。中華なんだろう。中華品万歳

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上掲画像に見るように、彫る名前などは「ギフト設定」→「ギフトメッセージ」から指示する。

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ハンコなぞ ネット通販のギフト券で買えばいい。クレジットで払えばいい。機械が彫ればいい。「顔の見える()」お店で紙に書いて注文して職人が手彫りしてくれたアリガタイもの、そんなもん要らん。滅びたらいい旧弊文化だ。

 

注文してから1週間以内には届く。上画像に見るように18日までには到着の予定とのことで、17日の午後に届いた。

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印相体にしたから、現物を見ても正しい名前が彫られているか分かりようがないので、どんな名前を彫ったのか等の商品仕様書きぐらい同封してくれもいいものなのに、梱包物はたったこれだけしかない:

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「Toner cartridge Shop」という業者から買ったのだが、注文や発送に際して一切出てこなかった業者の名義になっている。「ワールド BSK」とは何かとググると、ハンコジャパン ポンパレモール店-株式会社ワールドBSKというのがヒットする。

とにかく、現物はこんなん:

f:id:kakaist:20210317220811j:plain f:id:kakaist:20210317220816j:plain f:id:kakaist:20210317220820j:plain

f:id:kakaist:20210317220824j:plain f:id:kakaist:20210317220828j:plain f:id:kakaist:20210317220833j:plain

f:id:kakaist:20210317220838j:plain f:id:kakaist:20210317220841j:plain こんなものが要らん社会にさっさとなれ

↑ ちなみに彫られた字は印相体なのでさっぱり読めず 自分の名前がちゃんと彫られてあるのかどうかも分からず、どうやって確かめたらいいのか考えあぐねていたのだが、↓ 銀行の人があっさり読んでくれた …。銀行に勤めるならはこんな甲骨文字を読めないといけないんだな。大変…。

 

さてこいつを買った第一の目的が銀行印にするというものだったが、翌18日 たまたま開店9時に銀行に入って、登録していた三文判に替えてこの高級判を登録しようとすると、スマホ格安SIMの激遅低速回線でもたもたWEB通帳を開いていたり 予約者が1人来て順番が1人後になっていたりしたというのに、入店から退店まででたった14分台、登録手続きだけならわずか5分前後で済んだ。銀行印の届出は激速なんやね。

 

Because どっちつかず

Because どっちつかず

SKE48

  • 発売日: 2018/12/11
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Amazonでチタンの印鑑が売ってるんだが (上)

恋愛被害届け/紅組

恋愛被害届け/紅組 

NMB48

  • 発売日: 2017/07/04
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倒れている自転車を起こす奴、それは 親切があだになっているだけです。おまえの中の思い込み自称親切で行動するな。

自転車が倒れたのは、(強風などの)倒れる原因が有ったからだ。その原因が存続している限りは、起こしてもまた倒れる。自転車は倒れると大幅に傷むか時には破損すらする(1回倒れてブレーキレバー折れるぐらいザラ)のだが、せっかく倒れてもうそれ以上は倒れなくなっている自転車をまた倒れの可能性に曝すのはやめてくれないか。親切のつもりで起こしているお前、お前は、せっかくダウンしてもう打たれなくなっている者を立ち上がらせて殴打者の前に引きずり出してんだよ。

バカは 親切のつもりで不親切 ひいては有害にすらなる。というか親切を理解していない、脊髄反射行動をしているだけ

また、再度倒れる前に持ち主が無事帰ってきたとしても、話は少しもよくならない。その自転車は一度倒れてダメージを負っているのだから、持ち主がそのことをちゃんと認識しないといけない。が、起きて立ってあるのしか見えず、倒れてダメージ負ったことを知ることが出来ない。自転車のダメージはスゴく見えにくく見えないままに蓄積するものだから、ダメージ不認識は持ち主にとって不利益でしかない。アホの親切は、まさに親切を向けているその相手に対する最悪の不親切になる。(もしかして、倒れたという事実を持ち主が知らないほうがいい、知らぬが幸いとでも思っているのだろうか。それはさすがに犯罪者の思考だぞ。)

「あっ自転車倒れてる 起こしてあげよう♡」と脊髄行動するバカ、ヒト個体なのなら、1秒でいいから反省能力を働かしてくれ。

なお、倒れている自転車による通行の妨げ云々といった話はしていない。それは文脈が異なる別の話題だ。話の区別ぐらいできてくれ

 

さて本題、Amazonでチタンの印鑑を出品している(「チタン印鑑 ケース付き ブラストチタン 個人印鑑 ハンコ 判子 実印 銀行印 認印 10.5~18ミリ (18ミリ) 」)のを買ってみた。

f:id:kakaist:20210312101246j:plain 丁寧な購入指示書き、安心して買えます♡

今(2021年3月12日)ページを開くと「出荷元・販売元が「幸宝堂」だが、自分が買ったのは「Toner cartridge Shop」から。

買ったときには1500円(ポッキリ。Amazonはクソ税別価格じゃないからそれだけもう好感ある)だったが、現在17日時点では1450円である。こ〇すぞ!!!

こんなものでもブログにするが、記録の意味でである。ちなみに言っておくが、ブログや日記や「忘備録」記録というのは実は自分のためにつけるものではない。自分に向けて記録しているテイで、情報という人類の財に資しているのであり、実は公共というもののためのものであるライフログとはそういうものだ。それはSNS等で公開してこそ意味がある。自分の記録を本当に自分に向けてつけてたらただのバカだ。

自分なんてしょうもないものがしょうもない自分記録を享受しても仕方ないしすることもない。どうせ死んで宇宙から永久に消える自分なんぞのごときに向けて一生懸命贈り物しても、何の意味もない。自分なんていう塵芥のスペースデブリをよいこよいこかわいいかわいいしてるバカにだけはなるな。人類社会に資する気がないなら、公共に還元する気がないのなら、生きている意味がまったくない。自分個人なんて1個体ごときには大して価値がない。自分の意味とは人間種の一部ということだ。その行動とその行動記録はその属する種の知全体に還元するためのものでしかない。国家や部族などの特定ヒト社会集団を優先して個人にマイナスになるのが現代の犯罪なら、自分を偏愛しすぎてヒト種全体にプラスにならないのは普遍的な犯罪であろう。エゴはやめましょう

カトレアの花を見る度に思い出す

カトレアの花を見る度に思い出す

NMB48

  • 発売日: 2017/07/04
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この点で、例えば『ライフログのすすめ』(9784153200104)なんていうのは、せっかくこの世で最も大事な話をしていながら、その前提が 勘違いなものになっている。自分の記録が自分のためのものという大間違いを大間違いと気付いていない。世の中の本のどれもこれも バカも杓子もいちいち懐古厨のアホどもで昔がイイ病の〇狂院脱走者である中で、ゴードン・ベルのように最新技術とその大活用にいささかも気後れせず積極的そのものという 我が国などではただの1人も居なさそうな感心な著者は心底感心するもので、語彙がヤバいとヤバいのだが、感心するほどヤバい著者である。

つまり、理解が逆。通常の理解が、物事を逆に理(誤)解している。この記事この記事この記事この記事この記事この記事この記事で述べている【逆だよバカ】問題。

もちろん逆の問題も、逆に理解されている。習熟して人に見せる行為のようなもの、総じてパフォーマンスというものは、実は他人のためにしていることではない。自分のためにしていることだ。表現者の世界というのは、公共性に開かれているようでいて、そういうテイで、自分一身の向上に努めて自分独自の満足を求める世界である。それが他人に見せられること・見せ=ショー(Schau)というものであっていることは、カタチの上だけのこと、というか、自分一身の向上に努める中でのついでの副産物にすぎない。

何でも、逆に理解すると 正しく理解できる;人類というバカが逆にしてしまったのだから。

次回の記事に続く

 

ゴルゴンゾーラ

ゴルゴンゾーラ

乃木坂46

  • 発売日: 2019/04/17
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DCエクステンデッド・ユニバースは超必要だが マーベル・シネマティック・ユニバースはいらない

この胸のバーコード

 

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  • SKE48(teamKII)
  • 発売日: 2013/03/06
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SKE48には神曲しかないのか?!

 

最近考えていてブログで書いていたことと同じことを述べている文章が

の124頁にある:

人類は直感的に、知性がヒトをふくめた動物の価値を測る尺度にふさわしいと考えがちです。しかし、そう考えてよい科学的根拠などどこにもありません。つまり、ほかの能力や形質に対し、知性を特別視すべき理由はどこにもない、と考えるほうが自然なのです。〔改行〕知性はほかのいかなる形質━━たとえば体の大きさや、耳の垢の湿り具合(乾き具合)━━と同じように、ただ単に個体差があるにすぎないと考えるべきです。たとえば、ある二つのクラスで “耳垢が乾いている人” の割合を比較した結果、一方のクラスはもう一方より有意に大きな割合をもつという事実が判明したとしましょう。この事実に対して、あなたはどう思いますか? たぶん多くの読者は、「ああ、そうなの。で、それがどうかしましたか?」と思うだけでしょう。知能についても、まったく同じように考えるべきなのです。〔改行〕そう考えると、ここまでの議論の前提としてきた、知性がヒトとほかの生き物を隔てる本質的な差であるという立場には、なんの根拠もなく、幻想にすぎないということになります。つまり、知性の程度を個体間で比較することは、生物学的にはなんら意味をなさないのです。

が、この箇所だけではなくて本書は生態というものについて非常に勉強になる全頁熟読ものの良書である。某欧米諸国では、イルカやクジラが「知」能が高いから保護しないといけないというカルト宗教を奉じる連中がおり、シャチとその獲物のペンギンなどが愛くるしいから好ましく取り上げるという野蛮人アニミズムにふける狂人たちが居るもので、良識ある著者が居る国に生まれてよかったよかったというものだ。

ところで、書籍というものを出す人間には、何か例や話題を出すときに いっっっっちいちカビの生えた古クッサい話を持ち出したがるという異常な病癖、人呼んで異常レトロ病がある(し、そこでオツムが停止停滞している)もので、この著者にしたってもちろん 例えば158頁なんかで「レッドツェッペリン」(←誰こいつ?)などと言っているようのではあるのだが、しかしながら、重要な話をするときに例に出すのが、確かに著作でありがちなバカの1つ覚えのクソえもんではある(141頁~)ものの、しかし191頁から、何と、(本書出版時点で)最新の映画である「アベンジャーズ」最新作(『インフィニティ・ウォー』)を引き合いに出しているのである。

これは、日欧米問わず、学術書啓蒙書研究書入門書のたぐいで、絶対不動の栄久公準として、特にポップカルチャーから何か例を引くときには 三畳紀後期の地層から例や話題を引いてくる(ビートルズやジャイケルはジュラ紀の地層に埋まっているし、寅さんやサザンやドカベン室町時代の話)という定言命法が存在しているだけに、非常に極めて人知未踏の絶壁絶後に稀で特殊なことである。

なお、マーベル・シネマティック・ユニバース(の、緊張感やドラマに欠落した滑稽で迫力の無い映像)とその不当な大人気がゲロクソ不愉快だが、そうは言っても、漫画実写系リメイク系では 「X-MEN」シリーズやDCエクステンデッド・ユニバースやモンスターバースやダークナイト・トリロジー(やあと「ウォッチメン」あたり)に比すれば見応えがないというだけのことであって、観ないことはないし、サノスは諸手を挙げて大好物だから、この点から言っても本書は非常に好ましい好感を与える。立場に立脚する。

というのは、この世には 主人公が好ましいと言える作品がほぼ絶無(13歳刃牙は認める)なもので、物語というのは何であれ主人公とその身辺の以外のものが常におもしろく、それもあるのか、主人公や善玉を損壊し害してくる敵役が常に好ましく、アメコミ実写化に於ける圧倒的なヴィランたちというのが殊の外感興をそそるからである。そもそも 世界平和や生態系などにとってはヴィランが好ましいことが多く、マグニートーは言うまでもないとして、核兵器を放逐したエン・サバ・ヌールの感動的なシーンを思い出すまでもない(から思い出せ、観てこい)。(映像では本数がまったく足りていない

f:id:kakaist:20210313110704j:plain 朝日新聞デジタルの「世界の核兵器、これだけある」。リンク切れに備えて画像。

が、映像の都合上仕方のないことなのだろう。弾頭数万本が浮いた宇宙空間を描けるわけがない(こういう所でもツッコミどころ等とホザくバカが湧きそうなものだ。「ツッコミ」「どころ」などをホザいているバカはすべてを勘違いしている))。善玉や主人公というのは種差別エスノセントリズムというエゴのカタマリを振りかざすもので、ヴィランが地球や宇宙を支配していたら とっくに地上は平和になっている。

ちなみに上でマーベル・シネマティック・ユニバース(の特にアベンジャーズのサノス編登場まで)が緊張感やドラマに欠落した滑稽で迫力の無い映像と書いたが、それは、例えば『マン・オブ・スティール』のような涙なしには観れないような怒涛のドラマチック映像と比べるとよく分かるもので、後者の映像のド迫力は映像だけで胸が詰まり肺胞がたけび嗚咽にむせび励むものである(自分は、「ツッコミ」「どころ」などとエラそうに冷静沈着を装って突き放して映画を見るような人間のクズではないんでな)。それは、手持ちカメラで揺れに揺れて心を揺さぶる映像のみならず、随所で多用している急激なズーム、といった心理を揺さぶるカメラワークが効いているところではあるが、言語に関しても言えることがあって、サブい軽口を一切吐かないという点である。

欧米のとくに米、つまり北米の大手の映画に顕著な特徴、なのかそうでもないのか知らないが、そういう特徴として、台詞に、語呂やダジャレ的なもの、特に相手や他の誰かが言ったことや何らかの知られた言い回しや格言などを 気取ってヘンに引用したり改変したり応変したりするというドヤ顔クサいにも程があるクソやりとりがある。とにかくこれは、ゲロクソさぶい。おもしろくも何ともない。衒学臭くて不愉快なだけだ。自分は、あんたや誰がしかの言葉をこんなにうまく操ってみせれるんだよ、あんたの言葉の意味なんて手のひらの上のおちゃのこさいさいだよとひけらかしているのが、いかにも鼻につく。これは、もはや愚弄するようなマネだ。言葉も視聴者も。軽妙と言って済ませれるものではない。誰もかれも黙ってこれを見て聞いてしているが、アホなのか?搾取されるままの消費者そのものだな。

これは、欧米言語、というか北米合州国公用語の日常にも見られる特徴なのだろうか。欧米言語の伝統か何かなのだろうか(少なくとも ドイツ文学の歴史には滅多に出てこない)。押韻というのが確かにあるが、脚韻はそんなに伝統あるものでなく何の由緒もない。頭韻やその他のダジャレなら、欧米言語以外の言語にいくらでもある。

思い返せば、日本語でも確かに、特に10~20台のアホガキの会話には、そしても自分もまさにこいつら同様だったが、相手や誰かの言葉をしょーもなくバカバカしい引用して改変するということが多い。ガキは 言葉尻(も言葉頭も言葉胴も)をとらまえるのが大好きなものだ。それは、今( )の中で例示したものとは種類が違う。ただただ、相手にマウンティングしたがっているだけのガキ根性だ。自分のほうがこんなに言えるんだぞーこんなこと言えるんだぞーすごいだろーエヘン、ドヤーーー。こういう、低劣で低級でしかない言葉遊び(言葉なんていくらでも遊べるもので、言葉で何をしたところでひとかけらも大したものではない)、これが、近年の(だろう)北米のアクション系の映画などに頻繁にみられる。ただただ ウザい。地獄のミサワに使ってもらえ。

こういったクソ軽口ゲロ引用が無い映画ほど当然感動や感銘に直結しやすくなり、多い映画ほど軽薄でうすっぺらで大味で視聴後何も残らない量産品となる。

さて本書のことなのだが、特に論じる気がない。ここまでのところは、この記事この記事この記事この記事で書いたこと、文章や書籍の一部の文言に反応して自分が聞きたいものだけを聞いて自分がしたい話だけをするという邸能ボンクラのすることをしてしまっているわけで、本書をまともに検討していないのだが、別にそれでいい。

というのは、本書だけのことでは全然まったくなくて世の777777万億兆冊の本に関して常々思っていることだが、やたらと議論議論している不毛な印象。論理に論理、理屈を理屈で理屈する、議を論して論するだけの、議論のための議論という内容。それは、本来あるべき言論だとは別に思えない。ただテメエおつむ内の論理の筋が整合して自分が気分よくなるだけのことだろう。読者と著者の論理ストーリーのスジが通って何か気持ちいいだけというものでしかない。

しかし、そんなに議論を整理しても仕方がない。そもそも、著者が仮想敵として料理していく言い分のほうが、まともに考えて言っていることではなくて どっかから拾ってたものにすぎず、言い分や一定の論理のカタチだけはしている音や字のゴミにすぎない。そういう発言は、何か言わないといけないから仕方なく言っているだけ(この記事この記事この記事この記事あたりを参照)か、ただ相手に口喧嘩で勝ちたいからするだけのものでしかなく、したがって、どんだけまともに相手しても不毛なだけである。そういうものにどれだけ論理の穴や話の飛躍や論拠の誤解や議論の混同を丁寧に指摘してあげても仕方がない。また別のボンクラ意見を持ち出してくるだけだ。喋るため喧嘩するためならアホは何でもホザく。こいつらが投げる糞は無尽蔵にある。相手していても仕方がない。

そして、議論をやお話というのをどれだけきれいきれいに整えても それも仕方がない。それが瑕疵なき完璧な珠になることはない。何と言ったところで何とでも言い返せる。もちろんその積もりはないのだろう、対話の空間と一定の秩序がセッティングされるように交通整理しているのだろうが、そういうのも バカバカしい。整理して話したら実りあるものになるわけではない。そもそも議論とは勝ち負けではないのは当たり前だが かといって噛み合っている必要もないし土俵も共通もすべからくどうでもいい。そこからおもしろい話が出てくればそれでいいのである。

現実にはコレしかないと言える筋など無いし論理など無いし、議論がそんなにキチンキチンと片付くことはないし、片付けれてる積りの妄空想しかない。それは別に片付いてなどいない。そもそも片付けよう整えようとするのが間違いだ。そうするのはそうしたほうが議論の風通しがよくなり対話の場が設けられるからだと思っているのなら、大間違いだよバカヤロウ。議論や対話というのは共通の枠組みだか前提だかでバカ丁寧にするものではない。別にそうしたから普遍性があるもなのではない。著者のように議論を整理し尽くしていってハナシだけはキレイキレイに整理整頓して、それでじゃあ現実の目の前の絶滅寸前動物どうなるのかの実践的知見が得られることはない。ハナシが筋が通った気がして気分がよくなるだけ。ただのお話。著者はピーター・シンガーを出してきてその評価は明示しないようにしている(201頁~)が、ピーター・シンガーのような意味ある議論そのものの議論、中身そのものの中身、これぞ人を動かす議論だと言える議論は ただのひとかけらも出来ていない。おもしろい事は言えていないのである(議論は、だ。解説部分の文章はとてもおもしろい)。ただそれは、この本の著者に限ったことではまったくなくて、無数の本がそうである。

 

次のピアス

次のピアス

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  • 発売日: 2014/04/23
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