地上最強のブログ

しばいてくぞ

ショーペンハウアーに置いてけぼりくらってんちゃうぞ

 

前回の記事から

aらあかんでという論点に注目するところである。物事を進める上で、キレイゴトが特にまかり通りやすいどこかの界隈では、急がなくてもいいから間違いのないようにだとか、期日までいっぱい使って入念にだとか、ゆっくり着実に♡だとか、とにかく《むりのないように》(の意味を履き違えているが)を公準の合い言葉にしているもので、そういうのは、ここでも書いたような単なる愚鈍どもの言い訳だったりするものだが、とにかく、速さでガンバることを諦めきっている。まあ学術界のことなんだが、甘えが許容されつくした結果スットロいことがどのような弊害になるかも認識されなくなった。遅い分だけ出てくるものがショボいことが無視されるようになった。思考のスタートからゴールまでの本当にた

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どることになる全経路、クリティカルパスっちゅうもんをなめきっとんのである。この間に何日何年かかろうがいつかは実がみのればいいのさと、なめきっとる。しかし着想の新鮮さが持つ時間なんてわずかである。速ければ早いほど出来る仕事が多く・推論や証明が入念さを増し・産物に厚みと幅が着く。しかも速いほうが本当は間違わない。集中はすぐ切れるのだから速いほど集中の中で動いているのであり、遅いなら遅いだけそれだけたくさん集中切れの中・不注意の中・ミス多発帯の中で動いているのである。のろのろしてるほど、出来ること少なく、分かること昏く、失敗多く、見過ごしだらけになる。《速くなくても…》じゃなくて、殊仕事や作業に関しては速いと全部いいのであり、いいものは速いものでしかありえず、遅くても時間かかってもいいものなど無いのである。遅いデバイス・あかん回線・デキナイ奴・覚えようとしない操作・頑迷なバカ・スピードに反感・効率にアレルギー反応、ここには悪いものしかないのであり、アホがてめえのアホ任せにええ加減な想像をしているのと違って、ゆっくりなやり方には着実さも正確さも無いのである。ここに書いたアホ、ここで触れはした問題だ。遅いぶんだけ・時間かけてる分だけ・効率悪いぶんだけお前は世界と自分に迷惑かけているのだ。かような認識が、なっかなか無い。人類のほぼ誰も考えない。《スピードの時代》だか《加速化する現代》だか文句だけはサンザン垂れ、昔はゆっくりだったと出鱈目テキトーぬかす。すべては速いからよかったのでありよくなったのであることを、認めれず・認識できず・知覚できず、(自分のための)甘えワールドに逃避する。普通の世界実務の世界でなら取り残されてとっくに死んでる退行種だが、知性の世界ではデカい顔できている。これを老害というが、もちろん実年齢など一切カンケーない。おそい奴は何歳でも個体として終わってる。

というようなことぐらいだけでも、上掲引用文から考えたいものである。

Daß man jedoch mit diesem letzteren auch in den Wissenschaften, sobald es nicht mehr auf bloße Größen, sondern auf das Verstehn des Wesens der Erscheinungen ankommt, nicht ausreicht, beweist z. B. Neutons Farbenlehre, und später Biot’s Gefasel über Farbenringe, welches jedoch mit der ganzen atomistischen Betrachtungsweise des Lichts bei den Franzosen, mit ihren molécules de lumière und überhaupt mit ihrer fixen Idee, Alles in der Natur auf bloß mechanische Wirkungen zurückführen zu wollen, zusammenhängt. — Endlich zeigt der in Rede stehende große individuelle Unterschied der Intelligenzen sich vorzüglich im Grade der Klarheit des Verständnisses und demnach in der Deutlichkeit des gesammten Denkens. Dem Einen ist schon Das Verstehn, was dem Andern erst einigermaaßen Merken ist; Jener ist schon fertig und am Ziel, wo Dieser erst am Anfang ist; Jenem ist schon Das die Lösung, was diesem erst das Problem. Dies beruht auf der Qualität des Denkensund Wissens, welche bereits oben erwähnt wurde. Wie in Zimmern der Grad der Helle verschieden ist, so in den Köpfen. Diese Qualität des ganzen Denkens spürt man, sobald man nur wenige Seiten eines Schriftstellers gelesen hat. Denn da hat man sogleich mit seinem Verstande und in seinem Sinn zu verstehn gehabt: daher, ehe man noch weiß, was er Alles gedacht hat, man schon sieht, wie er denkt, nämlich welches die formelle Beschaffenheit, die Textur seines Denkens sei, die sich in Allem, worüber er denkt, gleich bleibt, und deren Abdruck der Gedankengang und der Stil ist.

(Schopenhauer, Die Welt als Wille und Vorstellung Bd.2 (1844), S. 143)

 

(ただそんなえっちらおっちらだけやっていて学術が出来るものではない。データを扱っているだけならそういうのでもいいだろうが、自分独自に何かを見出すのなら、話が別だ。そんなことが出来ていないニュートン色彩論などを思い出してみよ。(ジャン=バティスト?)ビオの色彩論など、光をコナッゴナに分解する失策を犯していかにもフランス人である。何が光分子だバカ。お前らはお前らの手前味噌の奈良漬けで万物を機械と見たいだけだろ。といったところでいよいよ知性の知性たる話に入った。ヒト個々体の認知の差異が最も端的に現れるのはどこか。かんたん、オツムがちゃんと目が醒めてるかどうか、自分が何言ってるのかやってるのか何がしたいのかをちゃんと分かってるのか、そこの差異に現れる。意識がはっきりしていて自分を自覚していたら、他の者がこれなんやゆうてる物も自分には何なのかとっくに分かる。頭ぼーっとしてる奴が考えあぐねてるところでもう答えに辿り着いている。これが、知ってること及び考え方のの違いってなもんだ。、わかるか?おまえとあいつじゃオツム内の照明度が違うのである。こういうことは例えばちょっとそこらの本でも読んでみたら分かることだ。書いたものを読めば書いた者のオツムの出来からそいつが普段何を見て感じて生きてきたかが見えてくるからだ。読んでまず分かることというのは、書いた者が見てきたもの考えてきたものではなくて、そいつが物を捉え考えするときにどんな性状を示しているのかどんなスタイルで考えるのかということである。これだけは変えることが出来ないし隠して書くことも出来ない。)

と、上で述べたスピード論よりも調子がさらにキビシくなっている。時間をかけて知的営為をやるのもいいがそれだと限度があり所詮大したものにはならんとまず言い、しかも有名人に限った話から人間一般に対する話に移っているようで、おまえはアタマをはっきりさせてなあかんぞ、デキる者に置いてけぼ

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りくらうボンクラであってたらあかんぞと述べているかのごとくである。そしてそんなアタマの出来不出来を判定するのに自分ならそいつの書いたもんを読んだら分かるとブチ出す。「数ページも読めば」そいつの思考の質が手に取るように分かるのだと言う。確かにこういうことを言って言いたいことは分かるし賛同もしたくなるのだが、しかし冷静に考えて著作を読んだだけで人の認知程度や考え方のクセなどがそんな簡単にわかるだろうか。これは無味無色のクソ文章を量産するだけのボンクラに限った話でなく、それなりに文体が強めの書

次回の記事に続く