地上最強のブログ

しばいてくぞ

愚昧百景の繚乱 (0014)

 

前回の記事から

表現者は表現したいことがある。それが多少コッケイになってしまっても常軌を逸してしまっても、仕方がない。文句があるなら、付き合えないなら、受容しなければいいだけだ。バカは、「嫌なら見るな」と(完全に間違った)念仏をネットに書きこみ、嫌々見ながら「ツッコミ」どころをネットに書きこむ。これが、バカというものだ。

意図のもう1つとして、おかしくて現実離れした絵で作るしかないという都合、総じて《事情》というものがある。例えば社会問題を扱った作品のキャラクターたちの行動やその組織の様相などが どうにもへんちくりんでオカシいものであることが非常に多い。そんなんでクーデターできるかいな(笑)と。いや笑ってんちゃうよバカ。これは、当然のことなのである。逆に、もし、何もツッコミどころがない、リアリティにあふれ返った大いに現実味のある国家転覆モノを作ってしまったとしたら、それは、当局に目を付けられて発禁処分に遭うだけではないか!!!(それにしても「当局」「に」「目」「を付けられ」るっていうのも意味不明な言い方だよな。それ具体的に何のこと言ってんだ?)具体的描写や設定がおろそかで・《詰めが甘》く・現実味に足りないと言うのなら、いやいや、もしそこをちゃんとしてしまったら、創作品でなく 騒擾準備罪証拠品に相当してしまうのである。

そっけない君

そっけない君

柏木由紀

  • 発売日: 2018/12/05
  • メディア: MP3 ダウンロード

これは、国家や政府といった事柄に限ったことではない。表現というのはすぐ「人を傷付ける」ものになりえ、常に〇〇問題に晒されるリスクを負っている。それは時代とともに緩和はしない。はっきり言って バッシングするサルまで 教育勅語のサルから何の進歩もない。リスクは、当然ながら、表現が直截的であればあるほど、何を指しているのかが分かりやすければ分かりやすいほど、現実味を帯びていればいるほど、高くなる。であってみれば、制作された物によくある奇妙な部分というのは、多くが、あって当たり前のものなのかもしれない。それは、リアルに描いてしまってはリスクとなることだから敢えてワザと曖昧に描いているのではないのか。

それにしては数あるツッコミどころにはポリティカルと何の関係もなトンチンカンなものも多いよなとそこで思ったお前、たのむからオツムを使え。そういうのも、敢えて作って、作品から現実味が減少するように・作品が現実から距離を置くようにして、それが「創作」的であるようにそう見えるようにするために作っているものなのかも知れないではないか。本当に、ツッコミや批評を見ていると、制作側はなんでこんな理解に苦しむことをしてしまっているのか、知能を疑ったほうがいいのかとすら思えても来るものだが、もちろんそんなワケがなくて、作ったのも我々と同じ人間、むしろ 文句垂れてるだけの凡人俗人、ボンクラにすぎない我々なんかより知能も創作力も上であっておかしくないクリエイターたちだ。そこで理解に苦しいなら、お前の理解が勝手に苦しんでいるだけだ。ツッコまれるのはお前のアホさと無知だ。

前作と合わないのなら、前作の制作陣と何かあったのかも知れない。キャラクターの性格に疑問が残るのなら、ナントカ団体に顧慮しているのかもしれない。そんな仕方でそんなに早く回復するのがおかしいというのなら、尺の都合かもしれない。そのキャラがそこに居るのがおかしいというのなら、間取りを察してくれという含みかもしれない。そんな風にはならないよと言うのなら、採用しなかった原作の或る叙述を顧慮しているのかも知れない。使ってる道具がおかしいというのなら、忠実に描いてはまずい道具なのかも知れないし、続編への顧慮かも知れないし、小道具担当が腹痛だったのかも知れない。当時を再現できていないよと言うのなら、わざとしていないのかも知れない。一体、裏に何があるのかはわからない。

羽根の記憶

羽根の記憶

乃木坂46

  • 発売日: 2019/10/01
  • メディア: MP3 ダウンロード

表現する者は、数々の事情と都合と顧慮に囲まれている。リスクの包囲網の中で、さらには予算と期間との闘いの中で、なんとかかんとか制作し・著述し・上演し・撮影し・編集し・世に送り出している。舞台裏でどのような顧慮とその錯綜があったのかは、うかがい知るヨシもない。ヨッシー落下。具体的にこの世のどういった事情の機微の何に顧慮してこのような絵にな

次回の記事に続く