以上の記事で見て来たように、何かしら言表があれば、それを、何の意味もなく惰-慣性でもって「文」に分けて捉え、さらにそこに個々の「語」を見るという意味不明なことをして、さらにその語を辞典の見出し語意に従って(!)母語に変換(!!)して後に並べ替える(!!!)という、チンパンジータイプライターな、非人間的・非知性的・非知能的な《作業》をするのが、我が皇国のしたきりであるから、当然、原文に書いてある「語()」をすべて余さず日本語に変換しなければナラナイ。
ヘーゲル文庫を訪れてくる人はたくさんいる。しかし、その中のだれ一人たりとも、ヘーゲルの後継者になることもなく、ヘーゲル自身になることこともない。こうしたことは考えられないし、空想であってもそう思い浮かべるのは難しい。いずれの場合も、ヘーゲルの名前が付いた研究を見にくるなど、ヘーゲル自身には思いもつかなかっただろう。いったいヘーゲルはコンピュータを使うことができたのだろうか。ヘーゲルは自分の作品のどこか一箇所を理解するのに数千冊に及ぶ二次文献を見直したのだろうか。ヘーゲルはプラトンの翻訳を理解するのにマルシリオ・フィチーノの翻訳を見て済ませようとしたのだろうか。若いころの作品を重視するのは、ヘーゲルにとっては奇妙な話ではないのだろうか。ヘーゲルは『ヴァート地方についてのカールの親書』を、自分が翻訳したものであると家族や弟子のだれもがわからないように、手放さなかったのだろうか。ヘーゲルがイェーナで書いた作品が体系とみなされて、初期・中期・後期に分けられることで、ヘーゲルは悲しい思いをしたのだろうか。ヘーゲルは講義の中で法哲学にだけ努力を注いだがために『法哲学綱要』ができたとすれば、そのことでヘーゲルは後悔したのだろうか。ヘーゲルが弟子や同僚と『学的批判年報』を創刊したのは、そもそもヘーゲルが自分の試みを超える以上に、弟子たちが仕事を進めるためだったのだろうか。ヘーゲルはシュライアーマッハーやサヴィニーのような有名な同僚たちをあれほど挑発することができたのである。だとすれば、重要なことは差し置いて些細なことばかりに取り組む編集作業に、ヘーゲルは一度たりとも満足することはなかったであろう。たとえそれが個々の点でいわゆる研究と呼ばれるものに長年の論争をもたらしたとしてもそうである。ヘーゲルにとっては、そのような細かなことはニュアンスのようなものであって、たとえばシュライアーマッハーの名前を「シュロイアーマッハー」と発音するように、あっさり片づけるだけで十分であった。
ヘーゲル文庫を訪れてくる人はたくさんいるらしいが、その中のだれか一人に、ヘーゲルの後継者になってもらったり、ヘーゲル自身になってもらったりして欲しいのだろうか。別にして欲しくもないのだろうか。この「翻訳」を見ていてはペゲラーの文意はまったくわからないであろう。寄川にはこうしたことは寄川には考えられないし、寄川には空想であっても寄川にはそう思い浮かべるのは寄川には難しい。いずれの場合にも、寄川の名前は付いた「翻訳」を見にきて、ペゲラー自身の文章のもともとの意味はわかるなど、ペゲラー自身には思いもペゲラー自身にはつかなかっただろうペゲラー自身には。
いったいペゲラーはヘーゲルはコンピューターーーを使うことができたのだろうか、と書いていったい何は言いたいのだろうか。19世紀にコンピューターーーーはあったとペゲラーはほんきでかんがえているのだろうか。
寄川は自分の「翻訳」のどこか一箇所を理解するのに寄川自身は寄川自身はわかるのだろうか。数「千」冊に及ぶ二次文献を見直す人間などいるのだろうか。そもそもヘーゲル自身の二次文献自身ははたして数「千」冊自身あるのだろうか自身。ペゲラー自身は寄川自身はそれをペゲラーはかぞえたのだろうかペゲラー自身。
読者は寄川の翻訳を理解するのに原文は見つからないからどうしようもないことに寄川は寄川は寄川は寄川は思い至った至らなかったのだろうか。
「翻訳を理解するのに」「翻訳」「を見て済ませ」るという意味不明なことを書いていて寄川はペゲラーはペゲラーはおかしいと思わなかった思ったのだろうか。
若いころの作品を重視するのは、ヘーゲルにとっては奇妙な話ではないのだろうか。だからお前はどうしたいのだろうかペゲラー自身は。重視したいのかしたくないのか、お前は何はいいたいのだろうか。
ヘーゲルは『ヴァート地方についてのカールの親書』を、自分は翻訳したものであると家族や弟子のだれもはわからないように、手放さなかったのだろうか。だから何だと言うのだろうか。「手放さなかったのだろうか」と言われて我々はいったいなにを理解したらいいのだろうか。「自分が翻訳したものであると家族や弟子のだれもはわからないように」ヘーゲルは努めていたと言いたいのだろうか。それとも、「手放さなかった」ことにアクセントを置いているのだろうか。書いていて頭は大丈夫なのだろうか。寄川は悪いのだろうか寄川自身。
ヘーゲルはイェーナで書いた作品は体系とみなされて、初期・中期・後期に分けられることで、ヘーゲルは悲しい思いをしたのだろうか。なぜ悲しい思いをしなければならないのだろうか。なぜお前たちはすぐ「悲」しがるのだろうか。本当は怒っているクセに、なぜ「悲」しむのだろうか。〇〇なことはあって、「悲」しかった。嘘をつけ。「腹が立った」と言いたいのだろうが。「コワイ」。嘘を付け、気持ち悪がっているクセに、むしろキモさを責めようとすらしているクセに、なぜ何でもかんでも「コワ」がるのだろうか。カチンと来ていても、「コワい」。嫉妬しているクセに、「怖い」。文句があるクセに、「こわいわ」。許せないといいたいところで、「悲しい思い」をする。
寄川は「翻訳」の中で逐語訳にだけ努力を注いだがために稀に見る糞文ができたとすれば、そのことで寄川は後悔したのだろうか。するわけがないのだろうか。反省も思考力も無いのだから無いのだろうか。
寄川が共同翻訳者たちと「Jahrbücher für wissenschaftliche Kritik」を「学的批判年報」と「翻訳」したのは、そもそも読者が「年報」が批判的なのか「批判」が「学的」なのか「学的」の日本語の意味が不明なのか寄川のオムツはほんとうにだいじょうぶなのだろうか。ここまでの日本語音痴に「翻訳」をさせているのだろうかだろうないだろうか。
ヘーゲルはシュライアーマッハーやサヴィニーのような有名な同僚たちをあれほど挑発することができたのである。なぜ「だとすれば」なのだろうか。なぜ著名人を「挑発」することが、「重要なことは差し置いて些細なことばかりに取り組む編集作業」に満足しないことの理由になるのだろうか。寄川と同じく゜らいかそれを上回るく゜らいペゲラーのアタマがトんでいるのだろうか。そのような細かなことを気にしないヘーゲル、というのは分かったが、そう書いてお前はなぜ「たとえばシュライアーマッハーの名前を「シュロイアーマッハー」と発音するように、あっさり片づけるだけで十分であった」と書くのだろうか?何をどう「あっさり片づける」ているのだろうか。「「シュロイアーマッハー」と発音する」ことがいったいだから何だというのだろうか。「Schleuermacher」に関してはペゲラーと寄川が勝手に言っているだけでヘーゲルはどこにもそんなことを「発音」書いていないが、いずれの場合も(なぜお前はもっと短くアッサリと「どっちゃにせよやな」と書けないのだろうか)、「「シュロイアーマッハー」と発音するように、あっさり片づける」ことがこの「有名な同僚たちをあれほど挑発することができた」こととどのように関係しているのだろうか。シュライエルマハなどテキトーに「発音」(?!) しておけとヘーゲルは思っていた、軽く見ていた、といったようなことをペゲラーは注記したいのだろうか?だったらなぜそう書かないのだろうか? いったいどこまで文章がヘタクソなのだろうか。なんて奴らなんだろう。なんてそうしょうもないんだろう。
次に、同系統のみっともない翻訳の例。赤字部分が余計。
もうひとつの脳 ニューロンを支配する陰の主役「グリア細胞」 (ブルーバックス)
- 作者: R・ダグラス・フィールズ,小西史朗,小松佳代子
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2018/04/18
グリアは電気的インパルスを発火しないので、神経科学者がニューロンの活動をモニターするために使用する微小電極では、グリアのその情報伝達を検知できなかった。グリアは、ニューロンと違い、シナプスを介して回路に接続されているわけではない。ずらりと並んだドミノ牌が倒れるように、情報を順次受け渡していくのではなく、グリアはメッセージを脳全体に向けて広く送信しているのだ。(4頁)
シュワンは広く浸透していた神学の教義を打ち破って、肉体は神秘的な力に命を吹き込まれるのではなく、無生物が物理法則に支配されているのとまったく同じように、人知を超えた自然法則に従って機能しているのだと、シュワンは推論した。彼は敬虔なカトリック教徒だったが、(57頁)
分析室の女流科学者ヴァレリヤ・ペトロホフはオフィスのデスクに向かって、定期的に彼女の承認を求めるために提出される報告書に目を通していた。はじめの二部は高温腐食試験に関するごくありふれた内容のものだった。彼女はざっとページを繰り、添付されたグラフや表をあらためると所定の位置に署名して報告書を<済>と記された書類籠に放り込んだ。彼女は事務的に第三の報告書の第一ページを読みはじめた。と、彼女はふいに当惑げに眉を寄せて視線を止めた。彼女は椅子の中で身を乗り出し、はじめから一行一行注意深く読み直した。さらにもう一度、彼女ははじめに帰って報告書全体の中身をつぶさに検討し、数式に出会うとその都度デスクの片隅のキーボード・ディスプレイを使って計算を確かめた。
「こんな話、聞いたことがないわ!」彼女は声を上げた。(24頁)
こんな日本語聞いたことがないわボケアホカスんだら!!!!!!!!!
ここで、わが埃高き皇国の民が日夜量産しているゲロヘドクソキモ日本語のサンプルを、五郎じよ。黒部御覧。以下は悪魔でサンプルであって、我が皇国民が排出しているゲロヘドクソキモ日本語の8900京分の1にすぎない。
- 作者: ジェニファーアッカーマン,鍛原 多惠子
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2009/10/01
内容は極上無類に面白い。
特にNon-exercise activity thermogenesis (NEAT)の話題など瞠目もの。
(22頁)「今日という愛すべき日」
「日」を愛することはない。また日本語「愛」は意味不明である。
(23頁)「茶目ったっぷりに語る」
気色悪すぎる!!!!!
(23頁)「この有益な事実は」
「この事実は有益であり」に書き直せ。
(23頁)「不幸ないきさつで」
お前ら「不幸」だらけだな。
(23頁)「睡眠中を叩き起こされ」
「叩」いたんだな?ゼッタイだな?
(23頁)「ひかえめに言って」
おなじみクソキモ定型句。
(23頁)「最悪な状態」
それは「悪」なんだな?「悪」しきものなんだな?ゼッタイ「悪」いんだな?
(24頁)「びっくりするような目覚まし時計の音でいきなり起こされた不幸な人は」
別に「音で」起こされなくても「目覚まし時計」で起こされたら十分だが、目覚ましで起きただけで「不幸」になるんか。お前ら「不幸」だらけだな。「びっくり」は幼児語だバカ。
(24頁)「あなたのクロノタイプにもよる。クロノタイプは、あなたの概日性を」
「あなた」「あなた」うるさい!!!!!
(24頁)「いつだったか、作家のジーン・」
そのうろ覚えをやめろ!!(ってかもう「私の捏造記憶によると」でええやろ。)
(24頁)「偉大な遺伝学者の」
いちいち「偉大」じゃなくていい!!
(26頁)「フランクリンの格言に込められた知恵を実証しようと」
もう「知恵」と分かってるなら「実証」する意味がないだろが。と言うか、「格言に込められた知恵」が気持ち悪気色悪すぎる。
(28頁)「そこで天才が現われる」
何でもかんでも「天才」。微生物が「天才」なのなら、もういっそ雑草や石ころや犬フンも「天才」て呼べや。
(28頁)「朝に窓のブラインドを上げると」
そんなもん無いわ。大多数がカーテンだ。
(29頁)「食物、パートナー、捕食者」
「パートナー」がどれだけ気色悪い語か、知覚だけでもできる者おらんかー!
(30頁)「寒中水泳のチャンピオン」
「水泳」は「チャンピオン」ではない。
(32頁)「あまり派手な出血を見たくないなら」「歯医者で顔をしかめるような痛みをこらえるのが嫌なら」
実際本当現実に出血するか顔をしかめるかはお前に見えていることではない。歯科治療中痛かったらゼッタイ何が何でも「顔をしかめ」なければならないと決めてかかってくるのをやめろ。
(32頁)「ちょっと風呂場に入って、鏡の中を覗いてほしい」
風呂の鏡じゃないとあかんのか !!!!!!
(33頁)「全身が見える鏡とちょっとした遺伝子工学の助けがあれば」
「全身」が見えてない鏡だったらあかんのか。「遺伝子工学の助け」は「ちょっと」てゼッタイ決まってるんだな?特に「遺伝子工学」じゃないといかん理由を言ってみろ!!!!!
(33頁)「律儀に時を刻んでいるのだ」
生理機能に「律儀」さは無い。
(34頁)「フクロウのように夜が好きで」
フクロウは夜が「好き」なワケではない。
(36頁)「もっとヒバリのように早起きしたいなら、仕事場に歩いていけばいい」
ヒバリは「早」起きしている訳ではない。起きる時刻の「早」さは人間社会の都合の話だ。また「ヒバリのように」早起きする必要もない。ただ単に早起きしたらええだけだろが。それと、太陽光線に当たる方法として「仕事場に」「歩いて」行くかどうかはお前が決めることではない。あと、日中太陽光線当たる云々は早寝早起きにクソ役に立たんぞ。
(37頁)「一杯の強いコーヒーに含まれる」
弱かったらあかんのか。2杯だったらあかんのか。なぜお前が「一杯」と決める。
(37頁)「救いようのないコーヒー中毒だ」
お前飲料ごときで救済求めるんか。
(37頁)「シュンシュンと音を立てるやかん」
物体「やかん」内部の液体「水」の現象「沸騰」の音声は「シュンシュン」ではない。「湯が沸く」となぜ言えないのだお前は。
(37頁)「バッハはコーヒーを好んだ」
「好んだ」のかどうかはお前に分かることではない。量的に沢山飲んでたとだけ言えばいいのである。
(37頁)「もっとも広く取引される」
意味不明。輸出入関係国が多いと言いたいのか、輸出入量が多いと言いたいのか、何なのかわからん。お前の形容語句中心文章はすべてを意味不明にする。
(38頁)「男たちは飲んだ茶をほとんど吐き出し」
ゼッタイ何が何でも「男」だけなんだな?女だってイレクス・グアユサ飲むんちゃうんか!!!!!!
(38頁)「朝のぼんやりした気分」
頭と朝は「ぼんやり」「すっきり」「しゃきんと」、食事は「たっぷり」「おなかいっぱい」、小鳥は「ちゅんちゅん」、見るのは「じろじろ」、曇りは「どんより」、気分は「「け」だるい」、… お前らは定型語句しか使えんのか?日本語を腐らすのヤメてくれます?
(40頁)「人びとが朝コーヒーを飲めば得られと信じている」
飲料の効用ごときで宗教化するな。何でもかんでも「信」じさすな。
(41頁)「コーヒー、いかが? 私はベッドで寝ている夫にささやきかける。彼を驚かせたくはないけれど、外のまぶしい光や七〇デシベルもある目覚まし時計のアラーム音よりは、」
全身全霊で気持ち悪い!!!!!!日本語がここまで気持ち悪くなった時代は後にも先にもないだろう。「いかが?」といちいち付けてる「?」が気持ち悪い。寝るのがいちいち「ベッド」なのが気持ち悪い。物言うのにいちいち「ささや」くのが気持ち悪い。「ささやきかける」というのが気持ち悪い。「彼を驚かせたくはないけれど」は日本語ではない。外が365日ゼッタイ「まぶしい」んか?!!!! 「七〇デシベルもある」みたいに気取って数字出してくるのが気持ち悪い。71デシベルでも69デシベルでも絶対ないんだな?!!!! ただ「音」でいいのにいちいち「アラーム音」なのが気持ち悪い。
(41頁)「目覚めて数秒のうちに、私たちは星を目にし、朝露の香りを嗅ぎ、シーツの重さやコットンシャツの柔らかな肌触りを感じ」
起床時に「星」を見るのは、おまえのお花畑満開のアタマの中だけに居る「私たち」だからな。誰も朝露など匂わない。「露」に匂いは無い。露が付いてる草が香るんだよ!!シーツは重くない。コットン綿などという原始的で不便なシャツは着ない。ポリエステル100だよ。どっちにしろ、別に「柔らか」くなくていい。
(44頁)「ベーコンの芳香がまさにそれだ。〔略〕夏の朝を思い出す。〔略〕作家のプルーストに幼時を思い出させたというマドレーヌの話はあまりにも有名である。〔略〕〔略〕」
ポピュラーサイエンス 電波による電波の電波のための出来損ない「ぽえむ」。キレイゴトって、気持ち悪いんだぞ。排気ガスの匂いでドンムアン空港思い出したらあかんのか。
(47頁)「甘いものが大好きで困り果てている人もいれば」
「甘いもの」が「大好き」(「大」かどうかをなぜお前が決める)なぐらいで「困り」「果て」る「人」などいない。なぜ「困る」とだけ言えない?困るにはなぜいちいち「果て」ないといかんのだ?お前、考えて書いてるか?
(50頁)「神に祈ることはないし、子守歌を歌うこともなければ」
類人猿に対してであっても、クソ擬人化を断じてやめろ。また、お前らの文化圏の行動をやらせるな。いちいち「神に祈」らせるな。お前は「子守歌を歌」っている人間を見たことがあるのか。そんなやつどこにもおらんし、いたら気持ち悪いだけだ。
(52頁)「答えはおそらくノーだろう」
間投詞をカタカナ語にする意味を説明しろ。
(52頁)「偉大な心理学者だったウィリアム」
いちいち「偉大」じゃなくていい。「偉大」かどうかはこっちが決めることだ。
(52頁)「めかし込んだり、ランチを用意したり」
「ランチ」も日本語ではないが「めかし込」むも当世誰も口にしない。
(56頁)「二〇〇五年、科学者たちが有名な楽曲(ローリング・ストーンズの「サティスファクション」や《ピンク・パンサー》のテーマ曲など)のサウンドトラックを聴いている人の脳をスキャンした」
この21世紀に入って、何がなぜどうして、60年代の化石骨董品を聴かせる!!!!!その、すぐ出土遺物を持ち出してくる異常レトロ病をやめろ!!!!
(60頁)「二トンもある鋼鉄の弾丸が疾走する高速道路」
自動車と弾丸は、形状も・質量も・運動も・目的も・効果も、全然まったく似ていない !!!!! 喩えがヘタクソなのなら、するな!!!!
(62頁)「有名な「ゴリラの着ぐるみを着た人」の実験〔略〕シュートの回数を数えるなど」
あの実験で数えるのは「パス」の回数だ!!!あの映像で「シュート」を決めることは1度もないしゴールも設置していない!!!!!
全文筆人に告ぐ
うろ覚えで書くな
(64頁)「西暦一〇〇年、プブリリウス・シルスは〔略〕この古代ローマの詩人が」
気取った言い換えをするな。真似する奴が湧く。いやもう5兆人ほど湧いてくさってやがるがな。
(65頁)「この体内時計は気が散ると精度がぐんと落ちてしまう」
形容語句でしゃべるな。擬音語でしゃべるな。印象を書くな。数値でものを言え!!
(70頁)「くねくねと曲がる二本の線のあいだに」
形容語句でしゃべ … 数値でものを言え!!!!!!!!!!!!
(73頁)「びっしり文字の詰まった書類を読むあなたの」
お前らは、なにがあってもゼッタイ、関係節を愚直訳するな!!!!!これが気持ち悪い日本語だという感覚もないんか!!!!!!!!!
(74頁)「シェイウィッツ夫妻は、文字を読むことにかかわる脳回路を研究している」
いきなり「シェイウィッツ夫妻「は」」なんて言われても知らん。こんなとこで「は」を使わない!!!!
(77頁)「身体は学校にいるかもしれませんが、脳は家の枕の上なのです」
といったクソキモ比喩を欧米言語が書くと、日本語が欣喜雀躍マネしだす。
(13頁)「体を構成する主要なパーツがリズミカルにテンポを刻んでいる」
これは何語だ?キモ人用のキモ語以外の何だ?
(10頁)「空腹や疲労、運動、知覚、セックス、睡眠、」
その気色の悪い語を使うな!!!
(618頁)「思いめぐらし、いつも愛、セックス、仕事、死と道徳性について懸念を抱く」
気持ちの悪い言葉を使うな!!!
- 作者: ディーンブオノマーノ,柴田裕之
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2012/12/19
夢中でかじりついてしまうおもろい本。
(25頁)私たちがセックスを楽しんだり
(89頁)セックスのときの無上の
キモい!!!
(76頁)司書はセックス、暴力、食べ物に
(90頁)ぼんやりとでもセックスを連想させるもの
(131頁)だから私たちの無意識はセックスと暴力にあんなにも
やめんか!!!!きしょい!!!
(482頁)「セックスをめぐる騒ぎがなんなのかわからない子ども」
そのゲロきもい言葉を使うな!!!!!!