地上最強のブログ

しばいてくぞ

舌が「巻」けることは無い

 

薄緑色の信号が「青」と呼ばれいてることなぞどうでもいい。信号機導入経緯から色名称・色知覚上の面倒等といった背景がいくらでもあって、幾らでも仕方がない軽微な誤称に過ぎない。

その他にも、全くどうでもいい目クジラの必要ない事に関して嬉しそうにえんえんゴタゴタ抜かしていることがある(それを清水義範化・東海林さだお症と呼ぶ)が、今問題なのはそれの真逆正反対、完全な誤名称であって目鯨どころかオプティックブラストものだと言うのに ただの誰1人おかしいのに気付いていない糞事がある。「巻き舌」という重度の名称だ。

人体器官「舌」が、物体形状「巻」を実現することなど、無い。自分の口の中のことも分らんのか。

結論言ったんでもう終わってええかな   左様こういった間違い以外の何でもない表現に関しては、特に誰も何も言わず感じず ぼっっっっけーーーーと受け入れているのである。疑問に感じたとしても、せいぜいこんな白痴か、何ならこんなお花畑が関の山だ。これは、疑問にすべきことをいざ議論してみると何故かすっげ痴呆状態を呈するというこの国民の日常茶飯事ではある。し、たった1秒すら物を反省観察することすらしない・できない無能に、依る。そう、あの音を出してる時に自分のお口の中でベロちゃんがどんな状態になっているかすら分からないのである。
知覚しょっか:

舌は、震えているのであって、「巻」けてはいない。

最大限やっても舌は

れるかかめるぐらい

である。「巻」にごく僅かに入りかけた所でそれ以上は進まない。

はい、自分自身のおベロちゃんがどんなんなってるか、分かったか?実際これは「ふるえ音」と言う。学術では、ブツやコトの何がどないなってるのかを極力正確な言語で記述しようとするから、「歯茎ふるえ音」と一応言う。色んな言語に有る。声帯振動の無いのもあるから、日本語であの音が出る時には正しくは「有声歯茎ふるえ音」である。つまりあの、ソクラテスたちや萬田銀次郎たちが口にしていたはずのあの発声は、「ふるえ舌」と呼ぶことになる。

だが待て、歯茎は震えないぞ。実際「口蓋垂ふるえ音」や「両唇ふるえ音」といった名称に比して「歯茎ふるえ音」は誤名称である。と言って原語の時点で間違っている。さすが劣等言語だ。台風に名前を付けたり、イヌに「バウ」と鳴かせたりするだけある(イヌには唇が無いのに)。

なぜ言葉は間違うのか。「綴り」じゃなくて「字」キリル文字だったら「つづ」るのか?書くのか?ゆうてみろや。アラビア文字はどっちやねん?ハングル書き間違えたら「綴り」が間違えたことなるんか?それとも「字」か?じゃ、デーヴァナーガリーは?チベット文字も「つづり」なんか?しまいに西夏文字の「スペリング」とでも言い出しそうだな!!)。「アルファベット」(あいうえおの事)じゃなくて「ローマ字」

なぜ言葉を間違うのか。

  • 歯は磨くのじゃなくて、こする。
  • 飴玉は舐めるのじゃなくて、ねぶる。
  • 「買って読む」と言い出すバカ、買うのか読むのかどっちかにしろ。お前は事象の数を①買わないで読む②買って読まない③買って読む④買わないで読まないと無駄に増やしてんだよ ばかやろう。
  • 応援は呼ぶのじゃなくて、呼んで来させる。
  • 店は開くのじゃなくて、開ける。
  • CPUは「冷える」のじゃなくて「冷める」。CPUを「冷やし」てくれるじゃなくて「冷まし」てくれる。
  • 「角度」じゃなくて「位置」。
  • 「角度」じゃなくて「方向」。
  • 「角度」じゃなくて「体勢」。
  • 「体勢」じゃなくて「体位」。
  • 「集中力」じゃなくて「注意」。
  • 鉛筆は削るのじゃなくて、こそぐ。
  • 目は「小さい」のじゃなくて細い。「切れ長」。
  • 「身長」は「高い」じゃなくて「長い」。身長・身長。
    「背が高い」じゃなくて骨が長い。背が伸びるのじゃなくて骨が長くなる。
  • 車は乗るのじゃなくて、動かす。
  • コーヒーは淹れるのじゃなくて飲む。
  • ハザードは点けるのじゃなくて、焚く。
  • ちんちんはコスるのじゃなくて、抜く。
  • コスパがいい」じゃなくて「安くてイイ」。
    コスパ」とは「費用対効果」なのだから《高くてスゴくイイ》のも《クソ高くてとんでもなくイイ》も、「コスパいい」のである。
  • 耳がいいじゃなくて有毛細胞がいい。
  • 「お鍋にする」。そう、食べるのは具材じゃなくて鍋や「皿」だ。土食なめんな。
  •  こう考えてきたら「巻き舌」も 

あと「ふるえ」と仮名に開くのも気持ち悪いものである。というのは、平仮名を使いたがる奴がほぼ100割気持ち悪いバカだからだ。つまり、自分が人畜無害だとアピールしたがって(或いはただの池沼で)「やさしい」仮名を使うというカマ臭いきっしょい書字(屋号とか題名とか集団名とか選挙候補名とか)がある。と言っても、大正昭和の(足穂や久作といったバカみたいな)文人が奇抜を演出したがってカタカナを乱発シテタノホドキモクハナイトイウ印象ヲ受ケルダロウ(ただし丸山真男の比較級「ヨリ」はご愛敬)。大体コトバノ乱レッテノハ、昔の奴のほうがキモい。「冷蔵庫のケーキ食べ?」「いや食べないよ」。誰がお前の習慣を聞いた。このことばの乱れに比べたら「よろしかったでしょうか」なんか正しいほうだ、よろしさ締結行為に関しての完了のアスペクトを明示できておる。「よろしかったでしょうか」まで進めないのがお前たちである。しかし昔の日本人というのは本当に日本語が出来ないから、例えば夏目漱石という日本人など、「Archaiomelesidonophrunicherata」という、別にたいして長くもない「語」を「一番長い」だなどと書いたのである。「語」と「字」の区別も出来ず、アリストパネスがギリシで書いていたことも知らないのである。こんな無知蒙昧の字書きが教科書で取り入れられているのである。よかったな!さて脱線が長引いたが、「自分が人畜無害だとアピールしたがって「やさしい」仮名を使う」のでない限り仮名の使用は全然まったくキモくない。どんどんやろ。

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なお注記しておくが、同調バイアスで知覚を歪めないで虚心坦懐に見たら、昭和以前の高名文人たちの作品にはヘタクソで気持ち悪い日本語が充満している(以後はもっとキモいが)。それは、英語とフランス語という印欧語族の成れの果てのダッサい言語、「ユーラシア大陸の西のはずれに発生した産業文明」というだけで日本にも押し寄せて来れたうんこ言語の文学作品に合わせて人造日本語を作り出そうとしていたから、というのが要因の1つである。なお、『金色夜叉』や、冒頭の文が特にキショい山椒魚』に限った話では別になく、教科書級の文豪たちの作品のほぼすべてが何らかの印欧語族作品を下敷きにしている。断言する。それは、この人らが大量に西洋文学を原文で読んでいたからである。決めつける。本邦未公開未邦訳の作品を読みまくっていると、その形式や内容を真似したくなるものである。というか、歴史上のありとあらゆる模倣芸術(ラテン文学然り・色んな擬古主義然り・(マヤ・トルテカ→)アステカ然り)が、本当は、こういう模倣欲求衝動によって生じたのだと推断している。ただ、これらカビの生えた文人たち、時代最先端の文物・流行への反応感度が、その後~現代の小説家群といささか違っている。およそ50~60~70~80年代あたりらへん以後の小説家(自他称「作家」)、いや、というかこのへんの時期以後のほぼあらゆる日本語著作(無数の啓蒙書含めて)の最たる特徴に、異常レトロ病(※本記事最下段が有る。特にポップカルチャーの話になると、こいつらは、実に2000~2010年代でも、戦後焼け野原でアタマが止まっているという有様である。そして文章のクソぶりも加速度的に激キモ化が進行してきていて、90年代以降の小説がすべて、日本語ではない

さて脱線が長引いたが、件の「音声」を客観的正しく表記言表すると、

有声舌端(bzw.前舌)震え音

ということになる。本日より「震え舌」な。ゆうて日本語は1語が5モーラより4モーラのほうが好まれるから「ふるえじた」より「まきじた」のほうが

とはいうものの、人間はまちがった事をし続けるのが大好きで間違った言葉を使い続けるのが大好きなのだから、こんなん書いても何も変えれれれんのだがな。

 


上で書いた異常レトロ病のことだが、いっくらでも例が有る。まず、自分で思いつけ。思い付けるように補助として何か例示しようとしたのだが、本を1冊も持たんからたまたま手元にある図書館借り出しのから例示するが、これは当該病例の非常にマシなほうで、異常レトロ病呼ばわりするのもかわいそうであるほどマシなほうである。

知識の哲学 (哲学教科書シリーズ)

知識の哲学 (哲学教科書シリーズ)

  • 作者: 戸田山和久
  • 出版社/メーカー: 産業図書
  • 発売日: 2002/06/20

2002年の出版物である。こういう啓蒙書では、説明のための喩えのところで当該レトロ病を繰り出してくる。そういうのを見ると:

133頁に「五代」「響子」とあるが、20年前の話だ…。74頁・77頁・82頁だとさらに遡って「終太郎」「あたる」「ラム」「しのぶ」と来とる。あのな、2002年など「らんま」すら終わってるぞ。お前、アタマ大丈夫か?205頁で何やらガンバって「桔梗」「かごめ」と書いているが、本命が80年代なのがすでに露呈してる。

まず冒頭5頁、「ゴールディ・ホーン〔1945~〕」。ふっる…。次の6頁で「Mac OS Xの再インストール」とあるが、これは当時最新とはいえ、アップルがクズである。(しかし、実にPentium 4の頃!!大昔…)

この2002年の時点で著者40台前半なはずだが、40台とはもうレトロ病に老けこむ齢なのか?ただ、随所に軽口俗語を挟んで気を使っている(し、哲学啓蒙書の中ではとびぬけて読みやすく、話が理解しやすい第一級の名文である)ように、ナウぶって「ピカチュー」と書いてみたりもしてる(14頁)。ゆうてもGB初出が90年代後半、古いっちゃ古い。なお、ポケモンとは、54頁で嬉しそうにキャラ名列挙してる「ちびまる子」同様、クソつまらんのにブームがえんえんえんえん一向に終わらない日本の悪質サブカルチャーの1つである。

と言うか飽くまで微妙レトロ病であって、アタマが微妙に古臭いのである。24頁で「田中」「太田」、38頁で「松本」「浜田」と書いてるが、2002年時点ではすでに老舗の人らである。2000年代初ブレイクの人らは、レトロ病者には、思いつかない。

そっちの太田はどうでもいいんで太田奈緒の話しようぜ

しかも冒頭からずーっと通奏低音のように「シュークリーム」。幼時シュークリームが御馳走だったんだろうな。大根かじって進駐軍に菓子ねだってたんだろうな。(ちなみに「通奏低音」のようなクソ比喩を日本語から放逐すべきである。おまえ通奏低音が何なのか知ってんのか?聴いたことあんのか?)

GIVE ME FIVE! (劇場盤)

GIVE ME FIVE! (劇場盤)

95頁で読者が「ビョーク〔1965~〕のCD」を聴かされるのだが、だったらこっちはNENAだ!!

226頁に着くと、ゴレンジャーが待ってる、著者のアタマ、70年代まで巻き戻った!!

231頁できんさんぎんさんが出てきて、何とか90年代までは帰って来れる。