地上最強のブログ

しばいてくぞ

食事の非重要性

世にタンパク質信仰があって、たとえサプリを拒否するという者でも、たんぱく質伝道会所属のタンパク質狂信者たることには、変わりない。いや、蛋白質教義に与しないつもりの者も、教義《食事重要》のほうは肌身離さず堅持している。

体造りに食事がどこまで重要でどこまで重要でもないかに関して専門研究が何を言っているのかどこまで明らかなのかの検討を今ここで繰り広げるつもりもないしそんなことする必要が全くない。本記事では、a) 何も考えんと《食事》教義の伝言ゲームを繰り返す(有象無象のあのブログこのサイト)、または、b) 研究論文のリンク貼ったら何か言えてるとウレシがる、のどっちもやらん。どっちにしろ他人が喋ってるのをコピペしてるだけである。

てめえのオツムで考えようか。まず、そもそもの問題として、専門研究では、その研究観察に必要な限りでの筋肥大を示した《という結果が得られました》、それで終わり、というものだ。しかもその多くが、一般人という、鍛エアガッタ()筋骨隆々()でも何でもないそこらへんの人間の肥大だ。つまり、周囲も本人も「驚きの声を」隠せない・隠したいような変化を得るとか、人生のスケジュールを大幅に決定付ける機転を得るとか、そういった事とは特には無関係なものである。しかも、その「結果」のその後の継続的な発展または展開に関してはなんにもしてくれるものでないし教えてくれるものでない。従って、ブログ・サイト・動画・本を書いてる・作ってる・撮ってる・読んでる者が約束している・期待しているような世界とは、まずもって無関係なのである。これが実験というものなのである。また、健康維持・医療的観点の研究が少なくない。専門界ではステもIGF-1も医療としてどないかゆうもんだ。君らは治療として・実験協力としてトレやってんのか?ちがうだろ。つまり、このように、まずその存在前提からして、学術研究の知見なんてのは、だからどないやねんというものなのである。しかも、そんなことを言わずにまともに付き合っても、大多数の肥大実践者の方法との齟齬が見つかる。いいか、何なら本格的ビルダーを対象にした研究をも含めてでだ、筋肥大を主題とする専門研究、どれでもいいから開いてみろ、食事の話に花開いている文章が、一体どれぐらい見つかる?というかどれぐらい見つからない?(コロラド実験で「タンパク質」の話出てきてるか?)そして、食事と筋肥大を主題にした研究が有るとして、有るのだろうが、そんなもん知らんが、別に知らんかってもよくて、そこで、《食事が筋肥大を作る》と言わんばかりのお前らの言い分が、結論として出てたりしてるか?そんなこと言った専門家おるか?

体重×2倍だか4倍だか255倍だかグラムのタンパク質うんぬんかんぬんが筋肥大に必要なのかどうか(本当はタンパク質重要てのはケトジェニックなり大会目標減量中なりステ使用中高アナボリック状態なりの文脈で意味のある話なんだが、まあそれは言わんことにしとこう)。少なくとも、食事の内容がこのようなものになっている人は、ボディメイクの外でも、多数居る。メディア上に限っても見ても、昭和の大食いテレビ時代から勘定したらフードファイターが何千人居ることか。水泳長距離走その他のびっくり大量カロリー摂取の話もなんぼでもある。いやそもそも周囲に大食漢などいくらでもおるだろ。さらに、肥満体国の人口考えろ。そして、南米に牛肉大量消費国が何個もあるぞ。さあ!!事実を見ろ。この人ら、筋肉スゴいか?たんぱく質はほぼ何の食品にでも含まれてるのだから、この何千万の人らは、体重×一体何倍ものグラムのたんぱく質を摂取してることになることか。ああそうだ毎日ではないだろう。じゃあこの人らがその大食を頻度「毎日」に於いて任意の期間継続したならば、有意差をもって筋肥大を起こすという結果が招来されるのだな?…そんなワケがない。

そりゃトレーニングをしてるワケではないから … とぬかしたお前!!イイこと言った。今、それを考察しとる。

体重何倍グラムのタンパク質でもBCAAでも「ホントは炭水化物」でもカロリー超過でもオメガでもデストロイヤーでも何でもいいから、お前たちがこれが筋肥大メシ()なのれす^p^と妄信し喧伝し実践しブログ収益化しているその食事、そのメニュー、それを、いま、指標SZとする。次に、筋肥大を効率的に促すとされているメニュー内容のトレーニングの実践を、いま、指標TGとする。すると、上記の事は、SZが十二分だがTGが無きに等しい個体が数千万人見出される、という事である。いや「十二分」どころか、上記の人々の食事は、筋肉飯(失笑)など通り越して、いわゆるデカくなるための食事メニューにすらなっている筈だ。タンパク質はたんぱく質だ。さて、これが、すべての議論すべての記事すべての研究すべての現実の何がどないなってるのであろうと、何よりも確実に何よりも頻繁に得られる観察なのである。公理:食うてるだけなら、なんぼ食うても、筋肥大はせん。

で、こっからだ!!!この、SZ軸が十二分だがTG軸がほぼゼロのケースが第2象限に有るなら、ボディメイクともガッツ食いとも無縁の一般のしょぼい人(じん)が第3象限に入る。第1象限には、無論、「食事に気を使ってる()」ジム通いのうんこたちから数々のスゴい人(じん)から選手からが入る。そして断言するが、我々は、この3つしか見てないのである。この3つの観察しか与えられていない。第4象限のケースの観察が、欠落しているか、少なくとも極端に不足しているのである。 

人間この信じやすきもの―迷信・誤信はどうして生まれるか (認知科学選書)

人間この信じやすきもの―迷信・誤信はどうして生まれるか (認知科学選書)

  • 作者: トーマスギロビッチ,Thomas Gilovich,守一雄,守秀子
  • 出版社/メーカー: 新曜社
  • 発売日: 1993/06/01

日本語のページでと言うなら、せいぜい、おにぎりサラダのJBBFトップが見つかる程度である。なお、この人以外にも食事ふっつーのビルダーがいる。誰にも心当たりあるだろう。年中一般人と変わらん食事内容、体重kg×2~4gの蛋白質など含まれていなさそうな食事、しかし立派なビルダー、というケース。だが、こういう人とて、そのバルクになるまでには、大増量期大たんぱく質時代があったはずだ。そうではなくて、バルキーに至るまでにもまた(「増量」に於いてもまた)SZがふっつーレベルでTGが方法論カンペキという第4象限ケースが有るのかどうか、これが、観察されていないのである。報告されていない。誰も見ていないのである。

いたらどうするのか?何かがくつがえるな。

例えば、芸人芸能人俳優タレント級や地方大会60kg級ぐらいなら、斯かる第4象限でやってきてこの域に達したという人も存在するのかも知れない(それでも《食事超大事》論を瓦解させるには十分な証例だが)。しかしその上の階級なら?豊満なフィジーク選手なら?何も分からないだろう。とはいえ、「食事」信仰の教徒には、そんなレベル分からなくていいだろう。こいつらは、そこそこスゴい・ビーチで目を引く・なんとかマッチョ・「引き締まってる()」球技選手、そんなようなレベルに成りたいだけなのだから。しかも、こんなレベルも見てない考えてないでトレに励んでる人口のほうが比較を絶してはるかに大きい。そしてその誰もが日夜「食事」「食事」「食事」である。が、もし、低レベルでいいなら筋肥大にはトレーニング以外の何も要らないなんてことになったとしたら、この大人口、どうなんのか。サプリ産業におどらされてるなんてものでなくもっと根本的にまったく無駄な事をやっているのでないのか。効果を信じて必死に食ってきた何千トンの鶏ムネが・牛ヒレが・焼肉が・ステーキが・サバ缶が・卵白が、お前の程度の体になるには、なんの必要もなかったのである、なんて判定が下ったりなんかしたら?なるほどこういった食事をも必要とするレベルの人々があること、これは当たり前に確かである。しかしそんなんトレーニーの何%だ?ジムに居るほぼ全員が、食事にもまた支えてもらう必要があるほどの高次の体型など求めていないし求めていてもなれないしそんな世界知りもしないしというレベルだろう。お前、本当にそない肉食う必要あんのか?

もっかい言うと第2象限の事例豊富過多により、食事が何だろうとトレーニング無し(またはしょぼい・またはやり方間違ってる)では筋肥大しないことが分かる。ところで、体重計の数字や針を変えたいとかただ痩せ細りたいとか言う意味ではなくて文字通り何らかのイイ体型になりたいというなら、筋肉の太さを変えるというものしか他に方法が無い。そんなことは、てめえのオツム絞ったら分かることである。よって話は体型変えること一般、ボディメイクそのものである。つまり、体造りにはトレーニング不可欠と言える。ところが、第3象限のサンプルが絶無だから、食事までもが不可欠とは、何ら証明されていない。よって、たとえ第1象限の連中であってもコンテストレベルでないなら、その今までに食事に費やしてきた手間時間費用のすべてがムダであり、「食事に気を使ってる」の駄弁バカ弁のすべてがダッサいみっともない無知勘違いだったことになる可能性が、開かれてしまう。こう言うのには、研究論文も豊富な経験も慎重な検討も何も要らない。目の前にある統計的事実から帰結してしまうことなのである。

もちろん専門研究を思い出してもいい。本格運動経験者対象でもない限り、筋肥大の実験研究では被験者に食事の指導までは普通していないだろう。トレーニングの内容を対照しているだけだろう。それで肥大の結果は出ている。つまり、程度を問わない限りでなら、現象【筋肥大を促す】を発生させるには、そもそもトレーニング以外にほかに別に何も必要でないことを、お前たちが大好きな諸研究がその方法によって示してしまっている。もちろん問題はここから進んで(カッコ)イイ体型になるまでの肥大だ。しかしこの意識が有る者なら、すでに「食事」伝言ゲームに加わっている。そこで問う:ボディメイクをやってる喋ってる書いてるお前ら、上記第4象限で、やってみたんか?みたことありますか?実験してみましたか?「食事」が本当に大事なのか、自分程度にならまったくクソどうでもいいのか、答えがでるまで試して確かめてみましたか?そして、試して分かることが、費用対効果がデカいことちゃうんか?そして結果が否定的なのなら、つまりお前が目指す程度の筋肥大には「食事」などクソの関係も無いのだったとしたら、何十万ムダにしてきたことになる?今無駄にしようとしている?(どうせ手間暇かけるならビタミンミネラル確保に手間暇かけてるほうがマシだったかも知れんな。食い物が筋肉つくる保証など無いが食い物が病気つくる保証だったら有るからな!)ましてや、HMBだクレアチンだとか、そんな口カラ入ル物でアタマでっかちになってるのは、お前がトレーニングのキツさに耐えれないから、そっからの逃げ道・言い訳ではないのか?隣の子のオモチャが欲しい子供か?その「食事」が、ただの気散じ、ただの気休め、ただの気慰めでは、ゼッタイないんだろうな?体型を変えるような高負荷から逃げるために、そっちの負担から気を反らすために、食事食事食事食事ゆってるんじゃないだろうな。

 

野菜占い

野菜占い

  • AKB48
  • 発売日: 2013/12/11
  • メディア: MP3 ダウンロード
Sugar Rush

Sugar Rush

  • AKB48
  • 発売日: 2018/12/14
  • メディア: MP3 ダウンロード

アウトプットせんかい

嘘を見抜く云々などクソどうでもいい話だが、とにかく、はびこってる誤情報・妄信・神話と違って、嘘を見抜ける事などあるわけ無いこと、ずっと言われてきたことである。人間こんな話が大好きだから《人が何を考えているか分かる(かどうか)》云々も大好きだが、これも、分かるワケがない。

人の心は読めるか?

人の心は読めるか?

  • 作者: ニコラス・エプリー,波多野理彩子
  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 2015/01/23

自分の中のことは外に出さないと何が何でも金輪際伝わらない。察しも伝心も、存在しない(あると信じたがってる阿呆が存在しているだけ)。自分の中でどれだけ強く熱く思っているつもりでも、どれだけ千々の想いを重ねても、どれだけ黒々と呪いを溜め込んでも、どれだけ眠れない夜を過ごしても、アホの1人相撲にしかならない。言葉にしてしまわないと、言語に乗せてしまわないと、お前のその内面ちゃんは、未来永劫、存在してないに等しいほど、中から外に出ない。し、誰も出してはくれない。しかも反対のケース、自分には分かっていることと、お前と違う自我人格世界にある他人に見えているもの、これらが違うということ、これもまた、大方がワカっていないのである。そうして、自分にはわかってるから自分の中では自明で片付いているから、伝達をサボり説明をハショりして、伝わってないまま、今日も1人よがり。ならまだマシなほうで、自分だけが分かってる自分だけ納得状態でウレシそうに調子乗ってペラペラしゃべって書きこんでしているが周りから見るとアホにしかなってないという奴、おりすぎて困るぐらい居るだろ。自分ランドの中でハシャいでるだけのバカ。1年で1億回は経験する人生喜劇だが、ほぼ誰も自覚しておらず、被害者が加害を、加害者が被害を、相も変わらず生み出し合い塗りたくり合っている。我々の中は中に過ぎず、中から外に自分が、もっかいゆうぞ、自分が出そうとしない限りは、その中のものは、誰にも、見えず感じず知れない。であるがゆえに、ひるがえって、嘘を通すことが常に誰にも完全に可能である。外に出していない限り中は断じて分からないのだから。察してもらうという事態が存在しないのと同様、見抜くという事態も存在しない。その近似値現象がちらほら起きるぐらいだが、それでも、共感力()の高い低いがあるのではなくて、察した・見抜いた者がたまたま有利なコンテクストに居たというだけのこと(または作り話)に過ぎない。

ほっとっても中が外に出るという能力は人間には無い。そんな奇跡もそんな権能も誰にも無い。逐一言葉にせえ。喋れ。

(ただし真相から言えば以上の言い方には問題がある。自分の内面の状態を自分だけが熟知しているワケでもないからだ。内面てのは、他人(+他人としての自分)が何を考え感じているのかということを学習してきたその学習内容から都度都度構成しているフィクションである、というのが、何よりもまず第一の真相だ。ただ、これで言えることは、自分の内部・自分の思想・自分の感性が世界に1つの独特なものではまったくないしそんなやつは居ないということ、孤独などというものは存在しないということ、である(何をカッコつけようが早晩公共知に判定されてしまうし、他に無い内面なんて無いから誰でも公共知に診断されてしまう)。これは飽くまで守秘私秘幻想を壊すための見解なのであって、たしかに他人と結局は相同のものではあったとしても自分の中ってのがアリアリと有るということ、このことには、何の間違いもない。最終的には完全透明なのではあっても心たちの中-外構造が有ること自体、この構造自体は、揺らがない。)

ということが、インプットだのアウトプットだのの問題とつながる。結論から言うと、もうインプットはいいから!!ということである。

世の中には、来る日も来る日も万巻の書を読み、倦まずたゆまず克明丹念にあの論争この理論展開を追い・ノートを付け・付箋を挟み・あの見解この見解を比較考量し、人間辞典な博学を持って聞こえ、打てば出ぬ音色無きが如くよろずの分野に通じ、それでも足りぬとばかり今日もチンチンと時の部屋に籠もる、碩学俊英の人士が有る。… 何とオメデタいのだろう。こいつが確信している勘違いは、まず知識の置き場所問題から見てそのオメデタさが露呈する。記憶や知識がどこにあるか、《今日の朝食》が脳内のどこにも無いのにどうして思い出せるのか、記憶や知識の貯蔵庫が宇宙のどこに有るのかというと、そんなものは貯蔵されるものではないというのが答えである。想起現象が有るだけ。想起能力だけが《記憶力》。それは、溜め込み力(りょく)ではない。知識は、お前の中には溜まらない。ではどうしてるのか、知識とは、冗談抜きで、書いてあることを想起して来ること、これに尽きる。お前の中には悪魔で脂肪やタンパク質しか無い。知識は、ウィキペディアに書いてある。「百科()」に書いてある。新聞に書いてある。石板に書いてある。NANDメモリに書いてある。冗談でない。博学の士よ、お前の知識は、お前の書棚の本の中に書いてある。それをお前がどれだけ思い出して来る(referieren)ことが出来るかというのが、「知識」だ。お前は何も蓄えれない。

また、何よりも、人間は、覚えるシリから忘れてゆく。これは、カロリー確保よりもカロリー排出、摂食よりも排便のほうが大事という話と似てるが、人間の知的能力というのは、入ってきたものをどれだけ捨てられるか、勉強した中のクズをどれだけさっさとクズと検知して排出できるか、どれだけ物の見事に忘れれるか、どれだけ上書き保存できるか

LOVE TRIP

LOVE TRIP

  • AKB48
  • 発売日: 2016/08/31
  • メディア: MP3 ダウンロード

、にあるということである。「記憶」に関する真の能力は忘却力であって記憶力ではない(ただの脳の病気による信ジガタイ記憶力や記憶術訓練法に驚嘆するのは、ものを分かっとらんアホなのである)。つまり、膨大な読書量とは、膨大な大便量である。お前は読んだハシからクソ垂れてってるのである。速読は速糞でしかありえない。わかったか!!!!! 知識がどんだけしょっぼいミジメなものなのかが理解できただろうが、しかし何故こんなようなカンチガイが立派なものと(本人以上に周囲の愚衆が)信じているのか、3000年も8000年も信じてきたのか、と言うと、《自己を完成》するというカルト信仰のゆえだ。完成した・実現した・世と調和した・仁徳を体現した・「聖人」の・礼節知り足るを知り居所に納まれり、そんな「自己」、そういうトロフィーを手にとって愛撫したいというオメデタイ欲情が、有るからだ。そんな風に個人が完成に向かって磨き抜かれていくことは、無い。それがほんまなら、完成元年までのそいつが無価値だってことになる。いや、何歳だろうと何段階だろうとそいつはそいつである(Wir sind allzumal vollkommen! Denn wir sind jeden Augenblick Alles, was Wir sein können, und brauchen niemals mehr zu sein)。その時々の現れが全てである。(というカンチガイ幻想に自慰してるのでもないまた別のタイプの猛烈知識欲者がいるが、これは、気になっていること・明らかにしたいことの文脈鉱脈をほじくり出し切らんと気が済まんという学知フリークスであって、生息数上は希少種も希少種である。知というものに、とことんズンドコまでしゃべらせたる・吐かせたるぞという、知の拷問者である。このタイプの果ては、本を持たん。本を誇りにしない。情報は情報にすぎないと達観してるバカにしてる。)

左様、もうインプットはいいから!!さっさとアウトプットせえ!!!ということである。延々とインプットにいそしんで、読書陛下にぬかづいて畏れおおき知識様を溜め込んで、それで満足するのは、自分だけだ。自分の中が膨れ上がるだけ。(Hier genoß er seines Geistes und seiner Einsamkeit und wurde dessen zehn Jahre nicht müde。)次に、何ひとつとして、自分の中に溜め込むことは、出来ない。読んでも読んでも、お前の内面が磨かれていくという事態は、存在しない。朝食の白米様と同じく知識様もお前の中には入らない。インプットというものは、実際には、されない。

白米様

白米様

  • 乃木坂46
  • 発売日: 2016/07/20
  • メディア: MP3 ダウンロード

次に、どれだけのモノになった(とお前が信じてる)お前であっても、その溜めた(はずの)物を外に出さない限りは、純然無駄である。誰にもお前のスゴさは見えない。だから大体こういう人士はスゴくは見えない。こういう、すべてを痴る者にして認識の境地に達した人物こそ重みのある寸鉄一言を口にし…云々といった光景は、マンガにすぎない。そんなヤツおらんしそんな場面無い。この人士は、うだつのあがらんオッサンというのが関の山である。そう、蓄えた能力も彫琢した内面も、外に出していないと、表出して目に見え手に触われるようにしていないと、表現にもたらしていないと、伝わらない。いつまでも大したものに見えてこない。いつまでも「成果」が出て来ない。宇宙の誰もお前を登録してくれない。(そして、大したものになるつもりも・「ひけらかす」つもりも・スゴい人になるつもりも見えるつもりもないよというお前の自分に対する嘘は聞いていない。)

一方、中から(aus)外(außer)に、外-表へと(äußer)向かって・表の陽のもとに出している(drücken)なら、外表に表-出している(ausgedrückt)なら、表-現(Ausdruck)しているなら、中が外に(ex)出させられている(press)なら、文字通り自分が目に見えるものになる。表現せえ!!!!!! そして自分の中がなんぼのもんであっても、それは、(そもそもまず、知識自体である物体テキストへの参照力であって「なんぼのもん」でもないのだし、)表に出ている限りそうであるに過ぎない。周りからは、お前の外しか見えないし知覚できない。逆に知覚できる外への表出・表現をしていればしているだけスゴさが見えるし、或いはまた、スゴく見える(ペーペルコルンの問題)。誰もがそうであった。宗教開祖が大したもんなのは、ぎょうさん喋ったからだ。こいつらがどんだけ的立派で悟達の境地に達した奴でも、喋らんかったらチンカス鼻糞だったし、しかも、喋っただけで書いてはいない分だけ、明らかに鼻糞である。書いたプラトン、書いた儒者、書いたパウロ、書かれた三蔵、のほうが業績が上である。断定する。一方こんな奴(←1文字も読んでないが)がなんぼおっても、勝手にアタマ膨らまして勝手に埋もれてくオメデタイ阿呆である。いや、自分発表する手段がぜんぜん無かった「昔」(というただただ最悪の時代。21世紀に生きててよかった!!!)と違って、現代では表現方法に事欠かない。アウトプットしたい放題だ。いやインプットにしたって、現代は、「写本()」だの「貸本(爆)」だの「経文(失笑)」だの「写経www」だのやってた穴居原人時代ではなくて、情報の洪水情報食い放題情報バイキングの時代である。例えばアホー知恵袋見ると、よくまあこんだけのこと考えてたな・見抜いてたな・整理できてるな・詳しく知ってるな・頼もしいなという奴がワンサカ居る。想像だけで言うが、こいつらの大多数がじゃあ普段何をしてるのか、その頼もしい知識を伝えるのに精を出しているのかと言うと、まったくそんなことはないだろう。スレ立ったから書いてみたというだけだろう。あのな、はっきり言って、気まぐれ知識人は、閉じ込もり知識人よりタチ悪いぞ。知ってんのなら喋れ。書け。そこの溜め込んできたお前、発表しろ!!!!!

という現代、もちろんSNS的なもの全般にも言及しなあかんが、この手の媒体は、内輪に閉じたがる点では劣等媒体である(そうでないなら別)。内輪で回覧してるだけなら、どんな情報も無価値。何なら、カンチガイ昂じた人類が知識を秘儀にしてた時代、この旧人時代とやってること変わらんとも言える。何故こんな内輪バカが発生するのか。そも人間には、発表本能・書いておきたい欲求・聞かせたい欲が有る。他方で、およそ公表というものが《恥ずかしい》というのが有る。2つを両立させようする。だから身内にだけ公表して満足にしておく。心の奥底の根底では全然満足してないにも関わらず、《恥ずかしい》が勝ってしまう。しかし限定公開情報は値打ちが下がる無価値である。(実際にそうなってるかとかいう問題じゃなくて形として)世界全土全員向けエンコードをしてる発表でない限り、ちょっとでも内輪的になってる限り、表現というものには、価値が無い。それは自分のためだけになってる。かたや、誰も知る通り、表現者とは、恥ずいのを克服してきている。いつの世どこの誰に見られても可、でやってる。表現者ももちろん自分のためだけにやってるのだが、やってるのであって、自分のためだけになってはいない。ましてや、知識の公表など、てめえの顔も公開せんで済んでる安全無難なものである。知識のアウトプットほど閲覧鑑賞上等、肖像権放棄、全世界公開で出来るしそれでやらないと何の意味もないものも、他に無い。21世紀に密儀やっててどうする。さっさとアウトプットしろ。それも、どんどんしろ。その割合となると、

インプット1アウトプット99でいい。

お前が周到入念に準備するまで世界は待ってない。お前が読書沈潜し・沈思黙考し・考究省察なんぼしたかのお前の満足は聞いてない。とっと表に出せ。《練れてない》《中途半端》《推敲の余地がある》《時期尚早》などというのは、クソどうでもいいし、考えなくていい事である。コンナモノデイイノダロウカ・コンナ若輩ノワタクシナドガとぐだぐだやってるバカのほうが迷惑である。どっかでケツ蹴られて来い。とっとと喋れ。書け。述べろ。綴れ。突っ込め。更新しろ。送信しろ。どの段階にいるのだろうと、(永遠に来ない)「完成」マデホド遠イのであろうと、お前が表現表出発表したそのそれは、それはそれでそのそれである。お前以外の人間がそれをどう取るかはお前の知ったことではない。放たれたモノがどこに落ちてどんな波紋作るかはもうお前の手を離れてる事柄だ。それにぐだぐだうじうじビビんな!!!お前が表現表出発表したそのそれは、もう現れてもうとる。現れてるものがすべてだ。「本当は…」云々を一切ぬかすな。それが全体の視座から見て・「発展の段階から」見て・連関の中の意義に関してナニでなにで何なのかは、受容側が判断して社会が作ってく判断だ。勝手にさしとけ。(よう聞け、Xについて言われたことは、言われたことにすぎず、X自体とは永久に関わらんし、何よりも、ただの言葉だ。これが「評価」「評判」の全正体だ。評価コメント採点採用してくさってくる神様気取りのアホどもはそういうアホに過ぎん。ほっとけ。)とりあえずお前は、アウトプットしとけ。わかったらそのクズ本捨ててこい。すぐ書き出せ。世に問え。表現せえ。(ソレナラねっと便所落書キハドウナルとかぬかさんでいいからな。上に「インプット1」と書いてる。インプット無き中身ゼロ発言など、本記事ではハナから相手にしとらん。)

 

 

ボーダー

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  • 乃木坂46
  • 発売日: 2015/03/18
  • メディア: MP3 ダウンロード

全体性と無意味

動画やウェブ記事は飛ばし飛ばし見る。コンテンツ全部を見てるヒマがない。なぜ本にもそうしないのか?なぜ本のコンテンツは早送りしたらあかんのか。いや早送りどころか、本なんてのは、中身は読まなくていい。最初の1文字目から最後の1文字目まで読んでやるモノではない。本は、いかに読まないかで考えろ。

早送りカレンダー

早送りカレンダー

  • HKT48
  • 発売日: 2018/05/02
  • メディア: MP3 ダウンロード

最初の文字から最後の文字まで読んでると、「謝辞」のような読者と無関係のクズまで読まされることになる。まず「謝辞」「献辞」「ささげる」等を破り捨てろ。次に、各章の要約を破り捨てて(ところで、論文の「要旨」「要約」のクソ慣習を廃止しろ)、「はじめに」「まえがき」序文緒言を破り捨てて、訳者あとがきも解説解題も破り捨てて(藤永茂や丹治愛でもない限り、本文から後はゴミだ)、あとはスキャンして、残ったその紙くずは、捨てろ。何なら本文もいらん。目次だけでいい本ばっかだ。本をありがたがるな。こんなものは情報の束にすぎない。ありがたがってると松岡正剛病になる。勲章にしてると立花隆病の患者、本がそもそも好き(?!)などという司馬遼太郎病患者なんてのも有るぞ。

書店・図書館に行けばビビるんだろ。星の数ほど本があるが、ごみの数だけと言ったほうが早い。字と紙言葉・言葉・言葉にすぎない。喋るだけなら誰でも出来る。本なぞ、喋った吐いた・ゲロった記号の堆積に過ぎない。本にビビんな。具体的に言うと、読んでやる・吸収してやるに価する箇所を見つけるのにページ嗅いで回るというのが本の唯一の使い方だ。自分にとって読むに価せん箇所の全部がゴミだ。燃やしとけ。デカルトなんて読まんでええ。シェイクスピアなぞ歴史から消えろ。ドイツ文学なんて一切読まんでええ(特にゲーテ・シラー・ハイネ・ヘルダーリン読まんでいい)。漱石鴎外康成荷風芥川志賀紅葉、その他その他ぜんぶウンコ未満。露文学なぞロシア土人のためのもんだ、国外から出てくるな。万葉古事記細道源平竹取伊勢膝栗毛から何から、その中に描かれてる人間・風景・心情、どっかんも宇宙人たちの話だ。いらん。まして装丁・紙質でボッタくってる現代日本語の単行本なぞ、その何千万冊が、なにもかも全部、ケツを拭く紙にもならん。中身スッカスカ。500倍速で付き合ったれ。聖書?孔孟?老荘コーラン?千一夜?仏典?見聞録?梵語?経典?全部いらん。ちんこ拭いとけ。こいつらは、「亞書」ほど真実のクズではないというだけのもの、「亜書」みたいな金儲け道具以外の何でもないカスという程ではないというだけのものに過ぎない。

ゾフィー大公妃支援のゲーテ全集が143冊になるエピクロス300冊の本かなんかを著わして残っていないが(要らん)、シュタイナー全集が354巻になる。100巻の『自然真営道』も僅かしか残っていない。要らん。ハイッデガー全集が102巻だが毎年増えているそうな。フッサール遺稿が4万「ページ」(?)というのがググればなんぼでも出て来るほど有名。で、こんなものに付き合うわけがない。だいたい、本棚おしゃれ目的以外で全集買うやつおらん。おっても、研究用・典拠用だ。つまり利用用だ。我々としては利用してやるだけ。100も300も残してくさってるが、こいつらは書かんと気い済まんから書いただけ。(シュタイナーなぞほとんど講演だ。1年録音してりゃ誰でも354巻出せる。ジョン・ドゥ日記つけてたら白痴でも4万ページ書ける。)書く喋るのはてめえの為にやってることだ。こんな集成には、付き合ったらんでええ。であるのだから、本1「冊」にも付き合ったらんでええことになる。

問題は自分だ。本様じゃないぞ。例えば悪について気になってる。①なぜ自分は悪いか、②なぜ人は私に悪いか、③なぜ悪があるのか。で、フロイトローレンツ・ライアルワトソンあたりの糞カスよりはマシな

破壊―人間性の解剖

破壊―人間性の解剖

なんか手に取る。どっこーーん!800ページだ!!オラびびったか!!… ゆうてほとんど読まんでいい。数百頁をなんぼ読んで嗅いで回っても、なぜルワンダがあったか、なぜ悪く感じるのか、なぜ他人に「悪意」を構成するのか、なーも分からん。と、マルコムXならまちがいなく言うだろう(別にマルコムXも要らんがな。徹頭徹尾アメ公の問題、我々にはカンケーない)。たしかに悪の最たるものが死体性愛ゆうてるあたりは読ませる。がそれも浅薄だ。人は悪いときにこそ他人を意識あるものとして扱っている、が真理真実だ。フロムになぜそれが分らんかというと、人ヲ物ノヨウニ扱ウノガ悪ダの紋切り型しかアタマに無いから、こいつの確証バイアスでしか悪が見れんからだ。そういう役に立たん本な上に、しかも動物の話ばっか。人間の話するときに動物の話すんな!!!!!よって上記ローレンツは固よりエスノロジー系・霊長類系全部人間理解にはゴミの役にも立たん。焼いとけ。近い話だが、「暴力」を題にした日本語の全書籍を見てるが、1冊残らず全部、暴力の理解にゴキブリのクソほどの役にも立たんぞ。そらそうで、こいつらはてめえの他者論とジェンダー論と教育論と世界平和論のお花畑に水やってるだけで、身近日常に一切触れないような、大気圏外に飛んでってる阿呆だからだ。世にある悪論・憎悪論のすべて、《路上の暴力》の話すら1ページも無いぞ。

さて、なんでお前は読んでしまうのか?形になってるものに弱いからだ(書類の心理学。問題はハンコ社会ではない)。ええか、そのそれが、本でござい!バン!!とになってるから、有難く尊く感じ、紙と言葉をご拝領たてまつり、舐めるように読まさせていただきたい気がするのである。気だけだ。形に仕立ててるだけで、実際はどんな本も、その時々の都合で出来たもの、あっちゃこっちゃで書いたものを寄せ集めて体裁つけてるだけに過ぎない(論集・短編集・エッセイ集のみならず何もかも)。本には物語も有難みもない、情報ゴミの山。こいつをどれほどバカに出来るかが大事。いまここに、情報とはどれだけ捨てるかに意味があるという根本論

ユーザーイリュージョン―意識という幻想

ユーザーイリュージョン―意識という幻想

  • 作者: トールノーレットランダーシュ,Tor Norretranders,柴田裕之
  • 出版社/メーカー: 紀伊國屋書店
  • 発売日: 2002/09/01

もあるが、そこまで振りかぶらんでもいい。バカにせえ、読むな。そもそも、読んだことを忘れる。無情なほど、忘れる。しかも、それしか、情報の吸収の仕方は、無い。「サヴァン」www 病気は病気だ。自閉っとけ。情報が通過して出て行くこと、我々は急流中の石の如しだ。通った水は何千万リットルだが、掬い上げたら、濡れてるというだけに過ぎない。速読()なんてのが有るらしい。1ヵ月何万ページ読んでも、99%流れる。多量多読ってのは、デカいクソを垂れてるだけにすぎない。要するにフードファイターだ。フードファイターは自分の消化便通をよくよく知ってるが、読んだら読んだ分だけ残ると信じてるバカは自分のクソの事も知らんようだ。おい、読んでも残らんぞ。諦めろ。(ちなみに勘違いが多いが食ったものが体になるワケではなくワケがなく、脂肪食ったら脂肪になるワケでなく、タンパク質()食うから筋肉出来るのでは全くないからな。対象筋に高強度の負荷かけるから筋繊維太くなる。それだけ。)

ただの情報の堆積堆肥だから、本を読む体験・本から得るモノてのは、他のものに於ける体験・吸収と同じである。バカ本1億冊より多く教わる・考えさせる映画がなんぼでも有る。そんなウェブ記事だって有るし、そんなつべ動画だって有るし、そんな1曲だって有る。ようはお前が何から何を吸収するかだ。本の中含め、世界が世界というコンテンツなのである。形が何であってもコンテンツはコンテンツだ。役に立たんならクズはクズだ。わかったか !!!!!!!!

で、本の話ではない。やっと本題。ここでも書いたことだしここでも書いたことだが、コンテンツを受容する時、何もかもを受け取ろうとするな。なぜすべてを受け容れないと気が済まないのだ?アホなのか?演技があったらなぜ演者の人間性まで気にする?著作があったらなぜ著者の人品まで要求する?芸術品があったらなぜそれが出来た時の体験を知らなあかん?思想があったらなぜその時代の下部構造を含める?選手がいたらなぜその人の行状をあげつらう?映像があったらなぜ制作者のモラルがお前にカンケーある?〇〇モデルが有ったらなぜメーカーの歴史に詳しくなりたがる?プレーが有ったらなぜ当人の近況や練習スケジュールの話になる?銘品が有ったらなぜ産地・加工過程の話になる?人物があったらなぜそいつの親や家系や出身地の話になる?アホなのか?なぜそこまでアホなのだ?そうすることで、お前ご愛着のその対象にお前はイライラすることになるんだろ?表現が有ったら、その表現を観て聴いてしてるその時のその体験がすべてだ。そこで止めたらええんやろが!!!!!その出所からその生い立ちからその好みからその家族から何から全部が総合的にお前の気に入るものであらそうとするな。全部を愛そうとするから、アンチるんだろ。その人のなにもかもが自分の気に入ったものであって欲しいと相手にもとめるから、お前たちは、中傷し・妨害し・褒貶し・嫉妬するのだろ。相手は相手だ。他人は他者だ。対象は対象だ。それはお前のものではなく、誰のものでもなく、本人のものですらない。我々は断片を受容し合うだけだ。全体丸ごとを飲み込む・愛する・意のままにすることなど、無い。し、しようとするな。しようとするから、お前は、悪意を撒き散らし、表現者たちを殺すことになる。情愛かける相手を憎むことになる。最初の文字から最後の文字まで読もうとする。

「人」の話に入ってきてるが、99%の人類が間違った付き合い方をしている。いちいち相手に全部を求めよるのだ。自分とつながりが有る人には、その人に属するあれもこれもが自分の気に入るようなものでないと気が済まないから、だからお前は、相手に気にくわん点があると、凶暴化し、攻撃する(これの単なる裏返しの奴、いつも期待を「裏切られ」てきてもう傷付くまいと臨時警戒または枯淡サバサバになっているという奴、こいつは幼稚未満の幼稚であって、話にもならん。自分に嘘ついてる奴より、ジタバタしてる阿呆のほうが、8000億倍いい)。他人を除けようとする時にでなくて他人を容れようとする時に暴力性・圧制・専横・支配・抹殺・弾圧・ジェノサイドが最極端の最大規模になる。

機械の中の幽霊 (ちくま学芸文庫)

機械の中の幽霊 (ちくま学芸文庫)

そして今やパーソナリティに関する知見の話になってきてる。ゆうとくがな、人格や性格ってものが存在していると狂信しとるが、そんなものは無いぞ。人ニヨッテ性格カワルではない。人によっても、体調によっても、時刻によっても、年齢によっても、人に対しても、自分に対しても、その時々の現れ・現象が存在しているだけであり、その「人」という、その人「個」人という、その人の「性格」という、一定の核など、存在しない(だから法体系がフィクション体系方便体系なのだが、これは誰でも知ってる通り)。お前が全部・全体・丸ごと・何もかも受け止めようと・自分のモノにしようと・気に入って好きこのもうとしたがっているその「人」など、存在し無い。その時々のその部分部分の現れの体験が有るだけ。だから、かくして、特定断片しか・特定部分しか・特定段落しか付き合えない・出会えない・用が無いというふっっっつーの事実を、とっとと見ろ。断片化せえ。

なぜ全体病になるのかと言うと、それは、確証バイアスの裏返し的発揮である。自分の中で〇〇がxxでなければならないという確信が出来ている。自分がその〇〇に関して知る・見る・聞く・ニュースで知る・雑誌で読む・テレビで一瞥する・噂で聞く・ネットで見る・小耳にはさむ・同僚から聞く・報告受ける所の何であっても、その確信の気に入るものでないと、気が済まない。で、確信の気を済ますために〇〇に関するあれにもこれにも嗅覚を尖らせる。確信と矛盾する点などなんぼでも見つかる。ここで、ソンナ筈ハナイ…とアンチ中傷に走るか、それともアバタもエクボかは、確証バイアスの振る舞いの違いにすぎない。偏狭であろうと慈愛であろうと、生は断片でしかないと理解しない限りは、結局クルシい。が、そんな理解ができて実感さえ出来るのは、宗教だけである(お前が「宗教」という語を正しく理解するならな)。誰も確証バイアスの併合独裁病から自由にはなれないから、今日も、~ナノダと結論する。なぜお前はすぐ「結論」を付けたがるのか。確信を自慰したいからである。… ミジメめったらしいかも知れない。ゆうてこれしか人間にはできん。だからこんなのは知識人でも全く不可避、どころかこいつらのほうが重篤なことが殆どである。こいつらは言語で世界を支配したいのだから、(特に現代だと)全人類が自分にはチカラが無いと基本的には諦念している中、知的連中は世界征服ができると思っていてしようとしているのである(その馬脚を現さないように、自分の研究は研究界に一石を投ずるだけのものであり云々と嘘デタラメを前置きする)。或る対象に関して、時期Aと時期Bとで、また著作Xと著作Yで矛盾やほころびや不一致があると、それらを「発展」の諸段階と勝手に決めて、〇〇の《有機的》で《体系的に整合性の取れた》理解をもたらすことがデキルデアロウとホザいて論文とか本にするのである。それで、自分てめえひとりの気が済んでいるのである。その〇〇のどの著作も仕事も思想もその〇〇自身にさえ実は異質で不可知で新奇で断片で部分であり現象であるのに、それを受容している研究者のほうが自分の中で完全像をこしらえ上げるのである(こいつらは知識人であって知性人ではない)。〇〇亡き後なら言いたい放題だと言うのは、世論のみならず学者の構造でもある。ローカルな話をしていると思うか?違う。これは、社会が偉人をこしらえ上げイデオロギーをこしらえあげるときの手口である。西郷竜馬だろうと紙幣の顔だろうと総書記だろうと大統領だろうと民族の闘士だろうと建国の英雄だろうと、悪質さ+アホらしさは同じである。どれも、ハービーデントに過ぎない。そして学者の《整合的》体系(及び《バランスの取れた》議論という偏向中の偏向)は、愛というこの世の最大の奇形物と同じ構造・同じ意志・同じ欲情・同じメカニズムから生まれるものである。お前は合併吸収しようとしているに過ぎない。お前がもたらしたつもりの「統一」的理解とはお前の確証バイアスが見てる夢、いやシャブ中妄念にすぎない。愛せるという妄念と同様。統合すな。全部取ろうとすんな。世界の中のてめえに合う部分とだけ付き合うとけ。

斯くして、「物語」を求める。すぐ「成長」とホザきたがる。「成長」しているものなど、無い。人間関係や人生や「成功」やキャリアのどの段階どんな場面どんな絵も、その時々の現われにすぎない。それ以上それ以外のことは、何も言えない。その現れている現象しているそのそれがすべてである。だからそこで終わっとけや!!ところが、「成長」だ。すぐ「成長」させたがる。いつ時点で何が起きようが・何をやっていようがそれはそれというだけのモノでしかないのに、そうであるのに、以「前」・「あの」時にしていたこんな事あんな事、以「前」・「あの」時にそうであった自分や〇〇が、時間順序上その「後」に来ている自分や〇〇のためのものであるしそうであったのだ、と考えてしまう。こういうスリ替えをする。それ自体はそれ自体でしかない事柄Aを、時間上・順序の上で後に来る事柄B《につながる》《へと克服される》《へと発展する》《へと「改善」される》《という成長を見せる》ところの踏み台・成長のダシ・ダメだった時の自分等々々々と見てしまう。こうして、事実上バラバラであるしそれ以上は何も言えない所のAとBがつながってしまう、どころか、AからBへの成長というストーリーが出来てしまう。それ自体は「まだ」「未熟」でもないし、そもそも「まだ」と言われなあかんようなものでもないし、「不満もある」ものでもないし、「これから()」というものでもないし、「未来へ向けて」いるものでも何でもないAが、その後に位置しているというだけのBに統合されてしまう。併合されてしまう。従属させられてしまう。Bとの「連関」に「発展」「的に解消」されてしまう。BからAが、「10年後の(失笑)」自分から今の私が、攘夷倒幕から黒船来航が、《成長した》Bから《まだまだ欠点の多かった》Aが、説明されてしまう。説明という暴力によって、それもまた1人のお前であるところの過去のお前が、殺されてしまう。お前は、いや人間が、いや表現者が、いや生命が、「成長ww」していることになり、「進化」させられ、「発展」「深化」「進展」を証明され、「前進()」「改善(失笑)」「進歩(爆)」を認められてしまう。こうしてお前らは、「歴史」を作る。いいだろうか、いかなるものであっても「歴史」とは、そういう名前の創作・お話・フィクション・でっち上げ・辻褄合わせに過ぎない。これが「後知恵バイアス」だ!!!そう考えると学術と物語が企図していることが同じにも見える。同じ下心で動いている。或る「整合」取れた一定の枠組みの中に、世界と事象という純然完全不可解な他者にして他物を押し込めたいのである。対象を手籠めにしたいのである。学術も愛も、手籠めなのである。自分の家に監禁しときたいのである。自分ワールドに、ある説明の体系に、一連のお話に、成長ストーリーに、「成功まで」の「道」に、正当化し統合したいのである。勝手に「道」を造りたいのである。何かがあれば、それを何か「のため」、何かとの関わりで在らしたいのである。何もかもを関わらせるバカが手のひら返した中傷に走ると上に書いたのを思い出せ。文脈と歴史、連関と全体が欲しいのは、「あれもこれも」という幼稚で原始的な下心だ。すべてが思い通りで在ってほしがってる。

さらに言うと、あれもこれも全部支配して自分の気を済ませたいという性根が、ありとあらゆる未来予測行為の根源であると言っていい。経済アナリストからネット書き込みまで将来未来をくっちゃべって当たる例など金輪際無かったし無いのだが、何がなんでも何がどうしても人は未来を《予測》したがる。将来こうなるの駄弁が心から大好きだ。何故かというと、今どれだけ支配できているものでもこの先にはどう変化するのかまでは把握・支配し切れないから、変化というものが有る以上結局支配が全面保証されないから、不安だから、そうだから、必死全力で未来を想像し描き報告するのである。また、させるのである。(たとえそれが、よくあるように、相手が変化してしまうのが本当はイヤだからわざと悲観的不愉快な未来像をしゃべっといて、内心では、悪い想像をしておけばそこまで気持ち的に裏切られる事にはならないだろうと期待している、というだけの、アホの中のアホであったとしても、同じ話。離れていきそうな者のことをわざと悪く言うというただの愛憎裏返し。) 

別れ際、もっと好きになる

別れ際、もっと好きになる

  • 乃木坂46
  • 発売日: 2015/07/22
  • メディア: MP3 ダウンロード

時間軸で人間が行住坐臥最も頻繁最も痛烈に気にしているのが、今日よりも昔日よりも、未来である。過去のことなら、対象のどんな逸脱も・許せなさそうなことも・「首尾一貫しない」ことも・不可解なことも・「説明がつかない」ことも・期待を裏切ることも、正当化の説明シナリオに併合統合させることが出来る。だが未来にだけはチカラが及ばない。お前たちが必至コイて守ってる自分ワールドの王国、もとい全体主義マイホームの外には、未来という侵犯者が虎視眈々と構えてるという訳だ。不安だのー支配者ども。