地上最強のブログ

しばいてくぞ

High-Intensity Training the Mike Mentzer Way (5) 補遺 ~人類の真価~

Deus nudus est sagt Seneca. Ich fürchte, er steckt ganz in Kleidern. Und noch mehr: Kleider machen nicht nur Leute, sondern auch Götter.

(Nietzsche, 1881,11[95])

 

(神は裸体だと権威筋が言っているが、いや服着てるかもしれん。いやそれどころか人間とは衣服であるのみならず神々も衣服であるのかもしれん。

ニーチェ

 

前回の記事から

本シリーズ3回目で動画2点で紹介している人物だが、Lukáš Osladilというチェコの選手で、戦績はウィキペディアの記事に見る通り。観てわかるように、HI   I   Tに近いネガティブを重視したワークアウトが主なようで、2点目のほうの動画(1点目はURLのみ貼ってる)を再生してすぐに言っているのが聞こえるように19歳からこれでやっていて効果大だと言う。このシリーズで通覧したメンツァーの主著に記述しているH I Tの方法、それに共鳴してワークアウトしてつべにうpしている人たちの方法とOsladil氏の方法と、固より別物である。しかし(アマチュア)オリンピアの舞台に立つ程の実力者がこのワークアウトとは、考えさせられる。実際本シリーズ3回目に貼った1個目の動画(URLのみ貼ってる)など初めて見た時には衝撃だった。本シリーズ2回目に貼った「Mike Mentzer's HIT Exercise DVD (Video)」などがあの「Blood and Guts」以上に衝撃だったのとはまた別の感銘であり、何かに開眼させられる。しかしまさにネットの時代だ。こんな人物をネサフで見附けてしまうのである。1個目の動画の通り下半身の筋肉操作が只事でない。無論上半身も合わせて、マッスルコントロールに関しては世界一でないだろうか(この人ぐらいのマッスルコントロール出来る人いたらとっとと報告してほしい、して来い)。

そして本番舞台ではこの境地である

こちらも非常に印象深い

さてこのパフォーマンスの故に、本来はこの(ような)人こそ「ミスターボディビル(ディング)」と呼んで然るべきである。何故なら、ボディビル(以下BB)とは魅せることの技芸(ārs)に他ならず、これが全てであり魅せでの卓越がBBの卓越であるからだ。

さらにこれこそが人間の徳義-特技(ἀρετή)であると言えるだろう。人間のアレテーが運動パフォーマンスだと言うと奇異かも知れないが、実際は観照的な高度な知性ではない。知覚-行動現象学が解明してきたように、人間の高度な知性というのは、環境に調律しながら身体を全生物中ズバ抜けて器用に操作するためのものなのである。

野性の知能: 裸の脳から、身体・環境とのつながりへ

野性の知能: 裸の脳から、身体・環境とのつながりへ

  • 作者: ルイーズ・バレット,小松淳子
  • 出版社/メーカー: インターシフト
  • 発売日: 2013/07/01
肉中の哲学―肉体を具有したマインドが西洋の思考に挑戦する

肉中の哲学―肉体を具有したマインドが西洋の思考に挑戦する

  • 作者: ジョージレイコフ,マークジョンソン,George Lakoff,Mark Johnson,計見一雄
  • 出版社/メーカー: 哲学書
  • 発売日: 2004/10/01

その人体のパフォーマンスが数ある中で、勝負性のあるものが全て対-人限定のものであることに気付く。オリンピック・アスリート・スポーツの何がどれだけの記録を出して進歩しても、ヒトは永久に中型のワンちゃんより足が遅いし大型のネコちゃんより腕力が無い。何千何万人の格闘家武術家が一政党のサジ加減で生死を左右され得る。さらに、生体とは、物体に対してはどこまでも無力である(何ならスプーンで刺殺できる、映画「告発」のヘンリー・ヤング)。ところがしかしながら、人間が何と勝負しても勝てる・勝ってると言えるもの、ヒトが宇宙に対して主張できるもの、全生物いや全物質に勝てる強み(ἀρετή)があって、それがである。手刀が刃物の切れ味に敵わなくても、人体は如何な銘刀よりもに輝ける。自転車より遅くてもスポーツカーよりしく魅せれる。水生生物の速度と自由度で泳ぐことが出来なくても、人体曲線は流線形()より無限にしい。人体にしか出来ないこととはの演出なのであって、一部バカが嬉しがっているように投擲や炎天下マラソンなのではない。むしろ人体の真技(ἀρετή)とはの演出にしか本来は無い。演奏やダンス、芸術やマジック、武道やスポーツ、パフォーマンスや演出、その他のありとあらゆる「People Are Awesome」に(対-人等と限定相対化されてない)絶対的な価値を見るなら、それは、そこから迸るを措いて他に無い。そしてボディビルというのは、このというものそのものに端的直截に取り組んでいるパフォーマンス分野の1つであり、よって人体のἀρετήを特段明示的に追求していると言える。(勘違いが多いが、ヒトの卓越(ἀρετή)は身体で表現する美なのであって、火を使うか道具を使うか無翼二足歩行か仁徳の完成か遊戯存在かといったことは重要な定義ではないし、さらに勘違いが多いが、宇宙で何よりも美しいのは人体表現なのであって、天体の調和だとか・恒星の輝きだとか・深海の生物だとか・アルプスの威容だとか・巨大な自然現象だとか・昆虫の協働だとか・素数の神秘だとか・解を導く計算式だとか・流通のシステムだとか・造り込まれたポリフォニーだとか・「倍音」()だの「歌唱力」(失笑)だのとか・遠近法の巨匠だとか・無線七宝の肌理だとか・生成文法が酔狂している「構造」だとか・チェスの手さばきだとか・ウン千Kだとか8ピクセルだとか・淀みない論理演算だとか………いったものが宇宙で何よりも美しいのではない。こういった中で、数学や論理学や句構造理論にラリっている学者など勘違いも甚だしい。自分自身が全く美しくなくて、自分ではない外的対象物の美にもっぱら酔っぱらっているこいつらは、学問の世界のまさしくキモオタである。

数学の認知科学

数学の認知科学

  • 作者: G.レイコフ,R.E.ヌーニェス,George Lakoff,Rafael E. N´u〓nez,植野義明,重光由加
  • 出版社/メーカー: 丸善出版
  • 発売日: 2012/12/01

 )

しかも判断が主観的という問題もある。ボディビルは競技もあるがそこで勝っても負けても究極判断的には勝っているとも負けてもいるとも言えない。他のジャンルでも無名や勝てない選手の魅力という話があるがボディビルではそっちがむしろ当たり前である。し、競技に関わらなくても別にいい。を魅せれる体になってさえいれば既にボディビルダーであり、特に他人と優劣を付ける必然性が無く、審査ポイント上で優劣(それも主観になる)が決まるのではない。競技に関わっていないすっげデフィニションの人など幾らでも無数に居る。他のジャンルで「点数」とジャッジがそのジャンルの成立絶対必須要件になってしまうのと如何に異なっていることか。

で、が第一義となる身体表現分野が他に有るとはいえ、ボディビルには特別な点があって、それは、上記のような極めて独特なポージング芸術が人類史上初の身体表現分野である点、さらにまた人類史上まったく存在したことの無い人体が実現している点である。

これが未曽有の人体だと今書いているのに誤りは無い。ただ単に体重が記録的な例、ただ肉付きぎょうさんなだけ、「恵体()」、伝説上の巨漢、豪傑英雄、等々々なら、歴史上吐いて捨てる程有る。そんなこと言ってんじゃない。デフィニションがここまでに達した例が20世紀まで存在してた訳がない、デフィニションがあった上で90~130kgという人々というのが人体史の未曾有で空前絶後だと言っているのである。

このようなBig Ramy(Mamdouh Elssbiay)が事実上最大に達しているところのディフィニションというのは、人類が現在まで400万億年間 輩出できなかった身体の究極なのである。こんな世界が世界中に開けているのが現代である。

ここまで極致と精華精髄を極めた人体芸術が有るのに対して大多数が背を向け否定してくるのは、①ただの無知、②ひたすら嫉妬、③人間が世界の中のイイモノに対してこそ忘恩の動物であるという認知欠陥、という原因によるところであろう。

ここで美の定義談義に付き合う気などない。そもそもこういった次元だと、とも言い難い、むしろ崇高(das Erhabene)という水準である。これは美麗ではなく威容である。20世紀後半から人類はこのような領域に入った。人体がやっているべきこと(ἀρετή)の前人未踏の領域を、ボディビルが、開拓し始めている。

神々の領域

神々の領域

  • SKE48
  • 発売日: 2012/9/19
  • メディア: MP3 ダウンロード

 

(なお薬物非難には一分の理も無い。①「不自然」が言い分なら、全トレーニング・全食事が不自然である。荒野で裸で暮らせ。②薬物さえやれば誰でも…と言うなら、お前がやれ。もといお前が何でやってないのかをお前の中で一から考えてみろ、全て分かる。③自分はあんな体まで目指さん、あんなものはだな、…と言うのなら、お前も既にそうだろ。④ついていけないと言うなら、美は理解してもらうものではない表現者って何か知ってる?考えたこともないか。また美の非感受は、感受できないほうの無感性にしか責任が無い。黙ってモニター切れ。)