倒れている自転車を起こす奴、それは 親切があだになっているだけです。おまえの中の思い込み自称親切で行動するな。
自転車が倒れたのは、(強風などの)倒れる原因が有ったからだ。その原因が存続している限りは、起こしてもまた倒れる。自転車は倒れると大幅に傷むか時には破損すらする(1回倒れてブレーキレバー折れるぐらいザラ)のだが、せっかく倒れてもうそれ以上は倒れなくなっている自転車をまた倒れの可能性に曝すのはやめてくれないか。親切のつもりで起こしているお前、お前は、せっかくダウンしてもう打たれなくなっている者を立ち上がらせて殴打者の前に引きずり出してんだよ。
バカは 親切のつもりで不親切 ひいては有害にすらなる。というか親切を理解していない、脊髄反射行動をしているだけ。
また、再度倒れる前に持ち主が無事帰ってきたとしても、話は少しもよくならない。その自転車は一度倒れてダメージを負っているのだから、持ち主がそのことをちゃんと認識しないといけない。が、起きて立ってあるのしか見えず、倒れてダメージ負ったことを知ることが出来ない。自転車のダメージはスゴく見えにくく見えないままに蓄積するものだから、ダメージ不認識は持ち主にとって不利益でしかない。アホの親切は、まさに親切を向けているその相手に対する最悪の不親切になる。(もしかして、倒れたという事実を持ち主が知らないほうがいい、知らぬが幸いとでも思っているのだろうか。それはさすがに犯罪者の思考だぞ。)
「あっ自転車倒れてる 起こしてあげよう♡」と脊髄行動するバカ、ヒト個体なのなら、1秒でいいから反省能力を働かしてくれ。
なお、倒れている自転車による通行の妨げ云々といった話はしていない。それは文脈が異なる別の話題だ。話の区別ぐらいできてくれ。
さて本題、Amazonでチタンの印鑑を出品している(「チタン印鑑 ケース付き ブラストチタン 個人印鑑 ハンコ 判子 実印 銀行印 認印 10.5~18ミリ (18ミリ) 」)のを買ってみた。
丁寧な購入指示書き、安心して買えます♡
今(2021年3月12日)ページを開くと「出荷元・販売元が「幸宝堂」だが、自分が買ったのは「Toner cartridge Shop」から。
買ったときには1500円(ポッキリ。Amazonはクソ税別価格じゃないからそれだけもう好感ある)だったが、現在17日時点では1450円である。こ〇すぞ!!!
こんなものでもブログにするが、記録の意味でである。ちなみに言っておくが、ブログや日記や「忘備録」記録というのは実は自分のためにつけるものではない。自分に向けて記録しているテイで、情報という人類の財に資しているのであり、実は公共というもののためのものである。ライフログとはそういうものだ。それはSNS等で公開してこそ意味がある。自分の記録を本当に自分に向けてつけてたらただのバカだ。
自分なんてしょうもないものがしょうもない自分記録を享受しても仕方ないしすることもない。どうせ死んで宇宙から永久に消える自分なんぞのごときに向けて一生懸命贈り物しても、何の意味もない。自分なんていう塵芥のスペースデブリをよいこよいこかわいいかわいいしてるバカにだけはなるな。人類社会に資する気がないなら、公共に還元する気がないのなら、生きている意味がまったくない。自分個人なんて1個体ごときには大して価値がない。自分の意味とは人間種の一部ということだ。その行動とその行動記録はその属する種の知全体に還元するためのものでしかない。国家や部族などの特定ヒト社会集団を優先して個人にマイナスになるのが現代の犯罪なら、自分を偏愛しすぎてヒト種全体にプラスにならないのは普遍的な犯罪であろう。エゴはやめましょう。
この点で、例えば『ライフログのすすめ』(9784153200104)なんていうのは、せっかくこの世で最も大事な話をしていながら、その前提が 勘違いなものになっている。自分の記録が自分のためのものという大間違いを大間違いと気付いていない。世の中の本のどれもこれも バカも杓子もいちいち懐古厨のアホどもで昔がイイ病の〇狂院脱走者である中で、ゴードン・ベルのように最新技術とその大活用にいささかも気後れせず積極的そのものという 我が国などではただの1人も居なさそうな感心な著者は心底感心するもので、語彙がヤバいとヤバいのだが、感心するほどヤバい著者である。
つまり、理解が逆。通常の理解が、物事を逆に理(誤)解している。この記事やこの記事やこの記事やこの記事やこの記事やこの記事やこの記事で述べている【逆だよバカ】問題。
もちろん逆の問題も、逆に理解されている。習熟して人に見せる行為のようなもの、総じてパフォーマンスというものは、実は他人のためにしていることではない。自分のためにしていることだ。表現者の世界というのは、公共性に開かれているようでいて、そういうテイで、自分一身の向上に努めて自分独自の満足を求める世界である。それが他人に見せられること・見せ=ショー(Schau)というものであっていることは、カタチの上だけのこと、というか、自分一身の向上に努める中でのついでの副産物にすぎない。
何でも、逆に理解すると 正しく理解できる;人類というバカが逆にしてしまったのだから。