地上最強のブログ

しばいてくぞ

それは本当に「倒置」なのか

この記事この記事やその他の箇所で述べている逆だよバカ問題。

 

例えば旧ひまわり組の公演曲「ロックだよ、人生は…

ロックだよ、人生は・・・

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という文(でもなんでもいい)、無思考人種なら、一目見て脊髄反射で「倒置」表現とぬかすだろう。「人間である、ソクラテスは」。

倒置?では聞くが、何が倒れているのというのか、何が引っくり返っているというのか、お前は答えれるのか。「幽霊は居る」文が「正」順で「居る幽霊は」が「語順」が転「倒」した文だとか何とか喋くってお前は自分が何を言えているのか分かっているのか、お前は言語の実相をよくよく分かってるつもりなのか、お前は何様なのか。何が「正」で何が「逆」かを何様の貴様様が決めてらっしゃいただかせていただかせているつもりなのか。

というか言語の話に限らず何事においても言えることがここでも言える:むしろお前らのほうが逆なのではないのか

なるほど主語が「本来あるべき位置」「でない位置に来る」(←ようするに後ろのほうに来ると言いたい)「文型」が倒置であるのだな。ほう、だったら、「主語」やSVO文型が舶来して来る前の4000年の間日本語では何が「正しい」「語順」で「主語」がどこに居たらよかったんだろうな。

ところで、この記事で見ているように、SVO言語だとされている言語が別にSVO言語なのではない。(以下の2文例、Max Stirner: Der Einzige und sein Eigentumから引用)

Den Kindern dieser Welt, den Menschenkindern, gehört die Welt;

Den Herrn soll jeder, der ihm untertan ist, lieben: diese Liebe zu verleugnen, ist ein todeswürdiger Hochverrat.

といった、斜格が主格より先に来ているパターンを見ると、脊髄人、「しゅごがじゅつごのうしろにきててとうちになtt…」と反射する。お前は、こう言われろ

  1. ドイツ語にあってはいわゆる「定動詞第2位」文が肝要であるというのがコトの核心のぜんぶであって、たとえ疑似的にSV(確かに2番目)O型になることはあっても、それはそういう時もあるというだけのことであって、飽くまで、こいつが「基本の」「正」順だからという事情によってSVO文になるのではない。
  2. そして文の前端の定動詞が文の終端の何かとセットになって文による枠構造を成すというのがドイツ語がしたいことなのであって、(topicalizationによって)その定動詞のさらに前になんかが来るという場合にそいつが何であるのか・主語でなくていいのか・金玉ついてるのかといったことは本質とは関わらないどうでもいいことである。

ということで、ドイツ語に関しては「倒置」がどうのこうのを金輪際ぬかさないようにせよ。

それとドイツ語はSVO型言語でもなくて時にSOV型である。

Ein Schweigen in schwarzen Wipfeln wohnt.
(Georg Trakl, Im Winter)(出典

Und das Kind zum Vater spricht
(Rammstein, Dalai Lama)(出典

ということを何故述べたかというと、この記事で言っておいたようにドイツ語の上級学習と文献攻略には実質

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しか使い物になるレファレンスが無いと言うのに、そんな世界遺産であるのに上記事情には無知でいてくさりよって、SVOがドイツ語の「正」しい語順だとアタマから信じ込んでおりやがりよって、特に543ページからなどからそのことを主題的に論じ出すという始末(なのだが、その誤観点から、ふとどきにも今だに名前が付いていない文法事項に命名することができてしまっており、げに怪我の功名である)だからであり、碩学ですら斯かる惨状なのだから初学者にドイツ語教育が施す洗脳たるやいわんや何をかと憂慮しているからである。

もっと包括的に言うと、「SVO」云々にしてもそれはその言語でその「語順」が傾向的にまあ一般的だなという事を言いたいだけであって(つまり言語の類型を定めるための方便であって)悪魔で何かしら規範的なことを徴表しているのではない(英語がSVO?お前な、英語文献の特に韻文なんか見てみろや)し、記述のための方便に過ぎない「SVO」云々を勝手に規範にしてはならないし、英語ではツィムシアン語では日本語ではサンダウェ語では独語ではジャラワ語ではお風呂場では何が「正」しい「順」で何が逸脱で倒置で非規範的かを勝手に決めれるものではない。

そして上掲過去記事たち(←たのむから読め。本記事だけ読んでもなんもわからんぞ)のどっかで書いているように、ドイツ語でのSVOは疑似的なものに過ぎずここでは主語というのがシンタクス上なんとも非力な端役である。一体、「しゅごーじゅつごーもくてきごー」という思考停止型が言語の原-型を表してなどいるだろうか。少なくとも、ドイツ語は公認の動詞中心言語(もはやソース引拠の必要もなし)であり、動詞がコアになって他の文肢を召喚する。「主」語などそれこそsubjectらしく動詞に臣従するものに過ぎない。

そして日本語ならなおさらそうなのだが、さてこの言語の原-型となるとどんなものなのだろうか。

それは、文の発生段階のもの、分化複雑化する前のプロトタイプであるがゆえに、整理され整型され形の整ってしまっている「通常」の「普通の」文、文章たる文には現れないもの(きっしょい現代思想風にきっしょく言うと、「隠蔽され」たもの)でしかありえないだろう。

そこで「倒置」文だが、こいつの見るべき特徴としてとっさに口をついて出るというものがある。「お前だよ、逆なのは」と発する際には「お前だよ」がマズ言イタイコトで、咄嗟衝動的にそれこそ「突いて」出ている。これに付け足しているだけの「逆なのは」などは追加情報にして付属にすぎない。この原型に於いて(ってかどんな「倒置」でもそうだが)、【「動詞」が末尾でさらに文末表現という日本語の最重要項目が末々尾】という構造が決して崩れない。このマズ言イタイコト、まず発してしまった所の文の初的段階、こそ、的であり型的なものだろう。

倒置を収集して原型を洗い出していけば、どうなるだろうか。その先には、日本語の文の原型、アタマで考えて構文整理する前の始的・的文型が見つかるのではないだろうか。【「動詞」が末尾でさらに文末表現が末々尾】という構造はまず原型中の原型として確保できる。で、これにヨリ密接に・高頻度に・安定的に結合する品詞品語品句が何なのか、統計を取れば明らかになるかも知れない。いやそんな傾向など無いのかも知れない。

こういった議論を、新たな分野として言語原型論と呼ぶとしよう。倒置収集分析など一端にすぎない。いろいろな原型発生現場をおさえてその言語の「文章以前」を発掘解明していく研究である。実りのある分野となるだろう。誰かやれや。

さて以上のごとくであるが故に、「倒置」などと不当に呼ばれてきたがその実「本来」「正」しい形であった(←とは言っていないのだが)ところの文型で今後は喋っていくことにしなければならないことになるだろう:「すべて山の中である木曽路は。」「居ましたおじいさんとおばあさんCIAにむかしむかし。」「見たぞ見たのを俺をお前が俺は。」

 

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