問題は、存命中の人が何年生まれかと言う時に
のどちらも可であるが此れ如何?ということである。(言うまでもなく、今のケースでは、次のような時制にすることが出来ない。
* 小坂菜緒, 伊藤理々杏 und 金村美玖 waren 2002 geboren.
* 佐藤詩織, 堀未央奈 und 佐々木久美 werden 1996 geboren.)
で、今の問題を図式にすると、
- SEIN(Präs.) … geboren
- WERDEN(Prät.) … geboren
の両方が通用してしまっている、ということである。が、上のほうがおかしい。ことに関して説明が色々ある。というのがこのシリーズで見ることなのだが、受動助動詞werdenの第2分詞wordenを省略するという文法がミソである。worden省略の事実を明示しているのが
- 作者: 橋本文夫
- 出版社/メーカー: 三修社
- 発売日: 2002/03/15
の292頁。出版年だけが古いが現在通じる情報満載で、しかも、19世紀以前ドイツ語を読むには
- 作者: 相良守峯
- 出版社/メーカー: 博友社
- 発売日: 1994/02
が不可欠またはこれしか他無いのと同様に不可欠またはこれしか他無いものであり、同じ古いでも桜井『ドイツ広文典』(安物買いの銭失い御用達)とは違う。繰り返すが、この『詳解ドイツ大文法』(何版でも可)は、『木村・相良 独和辞典』と同様、19世紀以前ドイツ語というドイツ語文献の本来の豊穣な世界を読むためには他にこれしか参考書が無いというようなものであり、持っていないという選択肢が無いのである。例えば、
- 今見ているworden省略の事実断定
- 不定形×2以外の時にも起きる「定形中置」
- 2(属)格の前置詞句への解体
- 「nicht ein」しか無理な所で「kein」に「合体」してしまう、強調否定するのに「kein」を「nicht ein」にバラす、という文法(26頁)
- 定冠詞が必要ない所で前置詞定冠詞融合形が用いられる事例(487~488頁)
- 「weil」や「und zwar」の意の「und」などのとんでもない「und」(499~501頁)(この記事も参照)
- „ohne daß“代わりの„daß (…) nicht“が有るという指摘(514頁)
- 「A doch (fast, zugleich, u.ä.) und B」と言うのがあって副詞たちがAとB両方に係っているのだが口調上の理由でこんな位置に来るのであるという説明(520頁)
- 平叙文で„doch“が無くても動詞文頭〔V1-Stellung (Verb-Erst-Stellung)〕になるケース(550頁)
- 「als」が付かない「als」付き同然の1格相関語句(605~606頁)
- 「物質名詞の二格に定冠詞を附けて、若干の量を表わす用法」(des Wassers trinken)の記録(614頁)
- 「性質の2(属)格〔Genitivus Qualitatis〕」が形容詞の単なる「引き伸ば」しであるという洞察(「streng wissenschaftlichen Charakters」とは 「streng wissenschaftlich」)(615頁)〔この記事を参照)
- 「絶対的4格〔absoluter Akkusativ〕」を1格でもやる用法の確認(630頁)
などの知見により、橋本必携の根拠、枚挙にイトマなし(木村相良の情報量に関してはこっちの記事で片鱗だけ垣間見てる)。これらは本書のトリビア的な内容に過ぎない。他にも、例えば分離/非分離動詞(durch-bohren, durch bohren)の見分け方を喝破している(320~334頁)ものなど、本書ぐらいしか存在しないのでないのか。
で、橋本によると、SEIN(Präs.) … geborenだと文末のwordenが省略される。
ということである。しかもこの出生年陳述文ではwordenが必ず落とされるのだと言う。それでこんなことになったのか!また、
- 存命者にSEIN(Präs.) … geboren
- 故人にWERDEN(Prät.) … geboren
- 「事務的な報告調」では存命者にWERDEN(Prät.) … geborenも可
と断定している(295頁)。ここで、1.を見て、worden省略など考えなくても「〇〇年に生まれている」という「状態受動」なんじゃないのか?!などと早とちりする訳に行かない。日本語ド直訳で考えて意味が分かったゆうのはただの偶然一致である。1.を状態受動とすると、「〇〇年時点に於いて既に生まれた状態でいる」という意味になる。つまり
だと、3人が96年以前生まれになってしまうのである。確かに、日本語ド直訳で考えて偶然一致でなくても、ドイツ語として、97年生まれの意味でこの文を言えるような気もするのだが、感覚として「状態受動」がその状態より前の後ということだから、この「より前」がクッキリして「〇〇年未満」(97年を含まない)とならざるを得なくなってしまうのである。(これは、状態受動が完了の類縁で完了がVorzeitigkeit表現だという事と絡んでいるのであろう。)ではあるのだが、SEIN(Präs.) … geborenを状態受動と見る訳にいかないと言えるというだけで、このgeborenを形容詞と見てXX年生マレノ者デアルと取れるという話がこの後の記事で出てくる。
さて橋本の説明がそうとして、現行最強の文法書『Hammer's German Grammar and Usage』の説明が微妙に違っている。
Hammer's German Grammar and Usage
- 作者: Martin Durrell
- 出版社/メーカー: PAPERBACKSHOP UK IMPORT
- 発売日: 2017
334頁の説明に曰く、状況記述無し(または場所記述まで)の時にSEIN(Präs.) … geborenを使う:
他の状況記述または年月記述が有るとWERDEN(Prät.) … geboren:
故人ならWERDEN(Prät.) … geborenとSEIN(Prät.) … geborenどちらも可。
さて、以上のような知見がある訳ではないのであろう一般人なら、このSEIN(Präs.) … geboren / WERDEN(Prät.) … geborenに対してどのような説明をするであろうか。