地上最強のブログ

しばいてくぞ

「小さい」わけではないぞ

 

前回の記事から

  • 部品を組み合わせて作っている文物には、各部品の損耗にペースの違いがある。壊れやすいイカれやすい部品というのが有る。PCならストレージがまずそれで、特にHDDのような旧時代の遺物ならそうで、こんなんは、不調が出てなくても定期的に交換してもいいようなモノだと言われていた。そしてノートPCならいざ知らず通常のデスクトップものなら簡単に交換できる。次に壊れやすいのは、異論は黙れで、マザボだろう。そのコンデンサとかそのあたりだろう。これは部分的に交換はできない。しかしマザボそのものを交換したらええだけでこれも簡便(そしてやはりノートPCなら困難、いやほぼ不可能、または断じてやりたくない)。つまりPCのどこかが不調でも全体を買い替えることはない。CPUや電源やケースやメモリなどはいつまでも持つ。一部の不調を鑑みて全体買い換えてたらもったいないだけ。しかも全体の買い替えだとなかなか思いきれないことになり購入がしぶられてしまう。そう、モノとは何であってもこうあるべきものだ。ヘタレやすい部分だけは気軽に定期的に交換できないといかん。一部ヘタレのせいで全体を買い替える破目になっていると、購入がしぶられ、そのぶん経済が動きづらくなり、最終的に市場社会全員の損になる。一部イカれやすいものが交換し易いという体制さえ整っていたら、そのぶんカネが落ちやすくなり、経済のタメになる。しかるに、ほぼどんなモノでも、そうなっていない。自転車ではタイヤとチューブが断然ヘタレやすい。ここがイカレたら身動きすら取れなくなるのだから、安心のために定期的にポンポン交換していたいものだし、この事情を知っている人なら実際ポンポン交換したくてたまらんだろう。ところが、周知のごとくのボッタクリ修理代である。ふざけんなという話で、自転車自体の安価と購入後のメンテ代で利益などというよくある詭弁を持ち出しても無駄である。結局、タイヤだけのへたれ(鉄塊のフレームなどヘタれようがない)で自転車交換か~イヤやな~と購入がしぶられるのが現実だ。これが半年に1回3000円で両輪チューブタイヤ全交換の制度でも出来ていたらええことだ。こっちのほうが現在よりもずっとはるかに金が落ちる巡るに決まってる(あとタイヤチューブの損耗についてしっかり啓蒙されてればいいだけだろう)。なんぼでも例があるが、椅子、特にオフィス椅子ゲーミングチェアの座面のクッションなどそうだ。ここが断トツ急速にヘタレるのだからここだけ気軽に簡単に交換できるように椅子が作ってあって部品がばんばん売ってあってという体制が出来ていたらいいものだ。椅子全体買い替えることはないように。そういう体制になっていれば椅子業界に明らかにようさん金落ちるだろう。結構な人数が定期的に交換して定期的に快適さ更新したがっているはずだ。
    会いたかったかもしれない

    会いたかったかもしれない

    • 乃木坂46
    • 発売日: 2014/04/06
    • メディア: MP3 ダウンロード
  • よく、地球上で起こっている大惨事や戦争や難民や、宇宙空間で起こっている極大現象や想像も付かない規模の天体等々々々に想いを馳せて、それに引き換え自分の悩みやツラことなどはちっぽけなものだよと励ましたりゴマカしたりするような絵面があるが(本当にこんな奴おんのかは知らん)、これなども代表的逆だよバカ問題ではないだろうか。想いを馳せるのはそんなマクロ極限方向ではなくてミクロ極限方向のほうがいいのではないだろうか。自分よりずっと小さい動物でもいいし、或いは微生物の生態や半導体集積回路の微細さや細菌の一生や原子の内部構造などを思って、それに引き換え自分は何て宇宙規模の図体巨人なんだと、何と無数のものの命運を背負ったでっかい存在なんだと、何と大きな世界でやっている大きなモノなんだなどなどと考えたほうが、そっちのほうが励みにならんか?

    Wir sind irgendwie in der Mitte — nach der Größe der Welt zu und nach der Kleinheit der unendlichen Welt zu. Oder ist das Atom uns näher als das äußerste Ende der Welt? — Ist für uns die Welt nicht nur ein Zusammenfassen von Relationen unter einem Maaße? Sobald dies willkürliche Maaß fehlt, zerfließt unsere Welt!

    (Nietzsche, 1881,11[36])

     

    (多分人類が居るのは宇宙の中ほどである。宇宙と素粒子の中間。どちらかに寄っているとは考えにくい。巨大なものには巨大な、極小のものには極小の、ヒトにはヒトの、各々自分自身のサイズが有って、それがコトのすべてだ。どれも、数々のサイズ可能性の1つにすぎないものではあるが、そこから外れることも永久にできない。

    ニーチェ

次回の記事に続く