地上最強のブログ

しばいてくぞ

それは「カッコいい」わけではないぞ

Beginner(劇場盤)

Beginner(劇場盤)

  • AKB48
  • 発売日: 1970/01/31
  • メディア: CD

 

前回の記事から

  • この記事なりこの記事なりこの記事なり、それから特にこの記事およびならびにこの記事で書いたたぐいのアホのマヌケ、自分の中では何かをした言った気になり自分の感触となんとなくの感じではそれなりの何かを出せていると思っているが実は一切まったく何も言えていない出来ていない何にもなっていないバカのアホというのがあって、今その一例を申し上げますと、反「論」になっていない中身ゼロ文言をしゃべってしまいそれで事足れりというボケなどがある。例えばの例など何でもいいが、こんな場面などどうか、インスタント麺なんぞ食おうとすると、インスタント麺等の食品は夜とかに食うものと決めつけていてそうしない他人に文句すらつけてくるような人間のクズのアホがええ~朝から食うんかよとホザいてきたのに対して実は夜だったから今は夜だよと答えたとする、こういったような遣り取り(別に全然この遣り取りでなくていい)をどこのどいつのそこのどやつも1人残らず全員が一切まったくおかしいことと思わず1ミリの違和感も感知せずごくフツーに看過するものだが、これは、答えたほうが相手を上回る異常者であるという実にぜんぜんフツーでなく看過もできず勃起もできず交尾もできないトンデモないアホくそ場面である。なんでか、お前にわかるか?考えたこともないか?一体何を考えて暮らしてきたんだ?正解を言うと、この答えるほうは、朝食としてインスタント麺を食って何が悪いねん等の答えをしなければならなかった。この遣り取りで間違っているのは、何かの行為を特にどういう条件下でしないといけないと決めてかかっているアホ、と言うより、その行為はその条件下でするものだ(袋麺等は朝に食べてはいけない等)という世間や他人が勝手に決めホザいてるだけで別に自分がそれに合わせて生きなければならないわけでも何でもない通念やジョーシキを信奉たてまつっている思考力ゼロのアホであって、このアホを正すのが、今やらなあかんことだ(特に摂食関係にかんしては正しいか間違ってるかを自分の身で試しもしないで世間で言われていることをウノミにして一生を過ごしているアホがうじゃうじゃおるものだ)。一方、アホの発言に関してその中に何らかの事実誤認があるといった指摘は、まったくしないくていいことである。そんなんはたまたまあったものにすぎん。じゃあ今実際朝だったならどないすんねん。この異常者は何て答えるつもりだ。朝カラカヨ・イヤ今ハ夜ダヨ、これは、脳味噌の替わりにタケヤ味噌が詰まっているヒト型クソ製造機2台の発してる音声であって、人間のする遣り取りではない。いいだろうか、自分に何か言われたとき自分に「論」をふきかけられたときには、相手の・論・の・誤り・を指摘しないといけないのであって、そういう反論しか反「論」になっていないのであって、相手の論とオツムのおかしさを訂正できていないような意味皆無の発言をしてはならないのである。しかし世間の999999%には、この事が通じない。このことが、何を言っているのかが理解できない。それは、何が本質的で何が非本質的かをほとんどの人類がまったく区別できないからだ。相手の発言と自分の答えとの中の何が今のハナシの本筋で本質で本当なのか何を今は見ないといけないのかを、アホは、皆目理解できないのである。そしてまた、人類というものが特に考えた上で喋ることを滅多にせず脊髄反射で喋るということ、世間から授かった遣り取り辞典が自分の中にあって、ここから特定の文言を脊髄反射でスイッチポンのライン作業で全く無考えで繰り出してくるということ、これも原因になっている。
  • よく仕事は仕事で「プライベート」はプライベート的な割り切りだか竹林だかをカッコいいものと妄念しているアホが、いや別にこのアホに限ったことではなくこのアホの話はしていないのだが、よく、職場の同僚と仕事の外で付き合うのを必死に避けたがり蛇笏のように忌み嫌うことをしてそれで自分は世にも正しい新しい働き方ライフスタイルを確立したすんごい個人なんだと思い込んでいる(かどうかはどうでもいい)おつむハッピーなアホが湧くらしい(知らん)が、いやはやどうにも何かを勘違いしたアホである。職場の仲間と付き合わない・飲みに行かない・「プライベート」を確保することにそこまで必死の一生懸命になって、何かそんな目に見えてメリットが得られるのだろうか。このアホが、退勤時刻に全身全力1秒も早く職場を離れるようにする努力を続けているのは、ちゃんと自分の考えと絶対的理論的裏打ちがあってのことだろうか。それをするのがカッコいいことで新しいライフスタイルだから、世間がそう言っているから、その流行の尻馬に乗っかているだけではないのだろうか。こいつ、こういうスタイルに意固地になっているだけなのではないのだろうか。有り体に言って、仕事先の人間と仕事外で交わりが有ろうと無かろうと、それがどの程度だろうと、それそのこと自体がよかったり悪かったりするものではなく、この事柄だけ自体からは、何も判断することができない。問題は旧弊的な《むりやり飲みに付き合わされる》的な《会社の付き合い》的な接待的な体育会系的ななんかそんなようなもんだろう。それが、もともとは、問題だったはずだ。敵はそれなはずだ。だったら、その「弊」を除けばよくどないかしようとすればいいだけのことである。その旧弊の問題視から職場仲間付き合い断固拒絶!!スタイルまでは発想の飛躍しかない。ここで、欧米式云々のクソどうでもいい話はしない。欧米人に【職場忌避してカッケー自分♡】と思い込んでる低能のアホカスが多いのは確かにそうなのだろうが、こいつらとて、職場仲間と実際の仲間になるとか、家まで仕事を持って帰るだとか、職業を人生価値観の大黒柱に据えるだとかいったことをすることはしよる。そこまでバカじゃないこいつらも。いずれにせよ、サル真似することはない。そして正しく損得を勘定せよ。お前が職場同僚を忌避してめっさ大いにトクをするとそろばん勘定できたのなら、じゃあそうしとけ。しかし普通は、職場という人生の時間のそこそこ大部分を占めてしまうものを生活から排除すると、たいがい色んなものが残らなくなる。あのな、おまえな、はっきり言ってな、そこ以外で友達つくれんのか?なあ?どないや?ゆうてみろや。お前は、職場以外の場所でもなんぼでも交友を作成できて維持できるような交遊に不自由しない聖者様か変質者なんか?気持ち悪いな。それとも、交友が特になくても特に心が困らないという奇人もとい異常者なんか?きっしょく悪いな。