地上最強のブログ

しばいてくぞ

今日こそショーペンハウアー

 

前回の記事から

る。つまり特定の言葉を使ってしまっている特定の人々という話ではなく、そう読んでも面白くも何ともなく得るもの何もなく、そうではなく、言葉に使われてしまっているという話である。

言うまでもなく今どんなに無思考語で流通語で空疎語であっても最初使い出したときは中身が充実していたかも知れないし今使っている場合にも中身があることもあるかもしれない。それでも、言葉から加えられる専制や圧力とは甘いもんじゃない。文書をインクの染みとかぬかしてる奴らでもヒトの「声」には霊界的啓示を想いたがりオカルトに走りそれを現代思想とか標榜する(あと、染みというのでイメージするものと文字の形とは全然ちがうのだがな)だろう、知らんが。うむ、言葉にすぎないと言っているどんな奴も、言葉にすぎないと思えてなどいない。人間には色んなことがめんどくさく、認知を正常に保っておくことなどメンドくさくて仕方がないものだが、めんどくさがった瞬間、言葉に逃げる。脊髄反射で口から手から出る言葉に任せてしまい、おんぶしてまい、自分ではなんもせんくなる。そんなものを所有してしまっとんだ、もちょっと気い付けて生きんかい。

ということまで引用文が念頭に置いているとしておいて、次の文章

蜃気楼

蜃気楼

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Dieses eigenthümliche Genügen an Worten trägt mehr als irgend etwas bei zur Perpetuirung der Irrthümer. Denn gestützt auf die von seinen Vorgängern überkommenen Worte und Phrasen geht Jeder getrost an Dunkelheiten oder Problemen vorbei; wodurch diese sich unbeachtet Jahrhunderte hindurch von Buch zu Buch fortpflanzen und der denkende Kopf, zumal in der Jugend, in Zweifel geräth, ob etwan nur er unfähig fei, Das zu verstehn, oder ob hier wirklich nichts Verständliches vorliege; desgleichen, ob für die Andern das Problem, um welches sie mit so komischer Ernsthaftigkeit alle denselben Fußpfad herumschleichen, keines fei, oder ob sie es nur nicht sehn wollen. Viele Wahrheiten bleiben bloß deshalb unentdeckt, weil Keiner Muth hat, das Problem ins Auge zu fassen und darauf los zu gehn.

(Schopenhauer, Die Welt als Wille und Vorstellung Bd.2 (1844), S. 145)

 

(よう分らんのだがとにかく言葉というものが大好きな連中がいて、言葉を愛好してるだけなのなら勝手にしてればいいのだが、それだけでは済まないところがある。なんも考えんと本や人から語彙を受領してきてるのはいいが、そうすることで結局物事を分かってず理解してず考えてないままにほったらかすことになる。無知愚昧を恒久定着させてしまい、やがて何千年間も何の本出してもそのまんまにしてしまう。すると、自分の頭を使おうとする青年なんかに大いに迷惑になる。クソ本を素直に受け止めてしまって、自分のほうに理解力が無いのか文献側が悪いのか真剣に悩んでしまうではないか。こんなマトモな層からしたら、明らかに考えるべきであるモノを誰も見てずその周りばっかを必死にグルグル周ってるだけなのだが、果たしてこいつらは当のモノが本当に見えないのかただ見たくないだけなのかとも悩んでしまう。ボンクラであることによって知性ある層に迷惑かけんなよな。こんなんだから、人類は、解明されていないことを余りにも沢山残りすぎている。どこのどいつも、事態を受け止めて自分が何とかしようとはしないのだ。)

とのことで、やはり、言葉に寄りかかってるとオツムを使わないようになって行くことを述べている。ただそうしてるだけでただ言葉物体を愛で愛でしたり反対に言葉から飼われたりしているだけならまだしも、そうすることで知らない間に自分も他人も幾世代も知性界も人類も蝕んでゆくのである。これが言葉というものの弊害、と言うかむしろ言葉を所有している所有できていず(所有とはいつでも殺せることだ)言葉に支配されてしまっているボンクラたちのもたらす弊害もとい公害もとい大損害もとい花びら大回転である。やれ物神崇拝だのやれ理性の逆説だのやれ思考の停止だの、誰でもホザいてみはする。しかし自分で何をホザいているかを分かっていず、そのほざいていることが誰にこそ向いているのかも分かっていない。

— Im Gegentheil hievon bewirkt die den eminenten Köpfen eigenthümliche Deutlichkeit des Denkens und Klarheit der Begriffe, daß sogar bekannte Wahrheiten, von ihnen vorgetragen, neues Licht, oder wenigstens neuen Reiz gewinnen: hört oder liest man sie; so ist es, als hätte man ein schlechtes Fernrohr gegen ein gutes vertauscht. Man lese z. B. nur in Euler’s Briefen an eine Prinzessin seine Darstellung der Grundwahrheiten der Mechanik und Optik. Hierauf beruht die Bemerkung, daß nur die vollendeten Meister fähig sind, die Elemente einer Wissenschaft eigentlich gut vorzutragen; eben weil nur sie die Sachen wirklich verstehn und niemals ihnen Worte die Stelle der Gedanken vertreten.

(Schopenhauer, Die Welt als Wille und Vorstellung Bd.2 (1844), S. 145)

 

指望遠鏡

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(それに引きかえ聡明な層のしてくれることと言ったらどうだろうか。この人らの冴え渡る知性が物を考えれば、この人らさえコトにかかってくれさえしたら、もう分ってるはずのことがまだ分かってなかったと照らし出されるわ、既知で周知のことが実はまだまだ面白いことが判るわとする。この人らの出番になれば、不良品カメラを正規新品に交換できるようなものだ。例えば『自然科学の諸問題についてのドイツ王女へのオイラーの手紙』を読めば力学と光学の何たるかがわかる。よく、分野に精通熟達してないとその基礎をうまく説

次回の記事に続く