地上最強のブログ

しばいてくぞ

キモいからやめろ(おこだお)

文学作品あたりから一節を引用してきて冒頭に置くアホ、キモいからやめろ。

これは欧米の著作での慣行で、ヒドいものだと各章ごとにこれをやるのだが、ただ気取ってるだけのものでしかなく、書き手がウレしがってるだけの猥褻ぶつ陳列罪でしかない。

ここここここここなどで言ってきたように、日本語のあらゆる文章において、「 」に入っている部分は、列島にヒトが居住して以来の4000万年の間どこの誰も一度たりとも喋ったことのないような不自然・異常・奇形・畸形でしかない《話し方》(だとして)であり、日本語ではないとしか言えない外見だけ「日本語」なのであるが、これに輪をかけてドくそキモいのがあって、それはつまり、このゲロくそキモ台詞、「 」に入れる意味の全くない台詞モドキの直後でその台詞の内容を地の文で注釈するという書き方だ。もうこれは猫も杓子も引ったくりもありとあらゆる「作家」と便所虫がやる「文体」だから、特にどの何て本のどこでとは言えない。まず「 」内というおびただしく臭いところ、この、トリメチルアミンと吉草酸とインドールが充満しているところに、硫化水素スカトールとメタンチオールを添加して臭くしたのが、このクソ注釈文である。ただでさえ間違っているところにさらに間違いを足すのが、アホとアホ文体とアホ物書きのすることだ。なお、《正しい》「 」台詞を書けている著作者が本当にまったく居ないのかと言うと、居るにはいて、例えばさくら剛である。

「日本語」(だとして)には、やれ「スペック」だとか「放置」だとか「ツッコミどころ」だとか「晒す」だとか「ぬるぬる」だとか「まったり」(死語)だとか「どうしてこうなった」だとか「量産(型)」だとか「ショートカット」だとか「みんな大好き」だとか「やらかした」だとか「どう見ても〇〇ですあry 」だとか「誰か来たようだ」だとか「ゲフンゲフン」だとか「には非対応」だとか「こわい」だとか「放置」だとか「大丈夫です」だとか「ツッコミどころ」だとか「晒す」だとか「放置」だとか「単体」だとか「奇声」だとか「段取り」だとか「本体」だとか「闇」「が深い」だとか、果ては「フェチ」だとか「マゾ」(キモ!!!!)だとか「素股」だとか「アッシー君」だとか「拝啓」だとかピタパだとかイコカだとかいったバカのひとつおぼえ語彙、これを使うバカは日本語話者であることをやめてくれと言いたくなるようなヒトモドキ恍惚狂喜するクソ語彙が山ほど海ほど恥垢ほどあって他にまだ9兆個も10億垓個もあるのだが、とはいえ、こんな、馬鹿の一つ覚えと片付ければ済みはするようなこわっぱどもは相手にしていられないものであって、というのも、こんないずれは消えるアホ丸出しのアホ語彙と違って非卑俗語と認識されている上に尊敬さえ集めているがその実到底「大丈夫です」ないところの糞日本語、低俗語彙と違って言語に根強く根深く根汚く根を下ろしパンツを下ろすクソ表現、これこそが、「口のきき方」も知らないアホどもに口のきき方を教えてやる本ブログが主要標敵とする宿的であり最終的な防衛システムであるからである。

そういった、非卑俗語でも非狒狒語でもないどころかひ猥語にも値しない低能表現として、何にでもかんにでも屁にでもさんづけするという世にもいじ汚なみっともない催反吐性の土人風習が有る。たけしさん・松本さん・鬼さん・奴さん・藝人さん・彼女さん・彼さん・君さん天皇さん・ぼくさん・朴さん・パクさん・キムさん・カッファン・ヒョードルさん・ピョートルさん・ナポレオンさんドンペリさん・聖徳さん・太子さん義経さん律令さん・国家さん・体制権力さん・警察さん憲兵さんNSAさんアメリさん・同志さん共産主義者さん・米国資本さん・銀行さんUFJさん・CIAさんガザ地区さん・ジハードさん・日本さん・韓国さん・ブラジル産・シナさん・ナシさん・アリさん・お水さん・お水・お金さん・銀さん・お寺さん・御米さん・米国さん・中国さん・四国さん・書店さん・大手さん・ヤリ手さん・店子さん・給仕さん・給料さん・市場さん・金融さんサイモンウ〇ー〇ン〇ール  強請り団体・パチンコさん・やーさん・生活安全課さん・ウイルスさん・細菌兵器さん・産業廃棄物さん成長の限界さん・お日さん・お太陽さん・お神さん

太陽に口説かれて

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不器用太陽 劇場盤

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ゼロサム太陽

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さん・キリンさん三毛別さん・日本人さんブッシュマンさん・サンさん・アシタカ・シェルパさん・地球さん・どついたろかさん・どついたろか。

この伝で、どんなハンドルネームにもさんを付けることになるから、文面が滑稽きわまりないことになる。例えばこんなような文章:「本スレで「獏羅天」氏や「極悪蝶」さんが主張したように、当時「麓沙亜鵺」氏と「烈怒乱舞羅亜」氏が「魔覇裸邪」さんと共同で……」

こんなことになっても、誰も、おかしいと言わない。

これと関係して日本語男話者には「ぼく」だか撲だか僕殺ものにキモい1人称があるが、日常会話でこれを使わされるのはまだ無理もないこととしても、これを文章で使うという銃刹ものにクソい池沼がおる。げ僕奴隷根性と謙譲卑下根性をこねてこねてこねてこねて出来たキングオブカマ臭根性と言うしかないが、とにかく、おる。本ブログの主な使命として例えばこのシリーズでやっているように糞キモ日本語をおちょくりコロすというのがあるが、すべてが一つの例外もなく日本語ではないところの文章ダイオキシンを撒き散らしている翻訳本の洪水(その意味はこのシリーズ参照)の中での例外的なマシな翻訳として

といったものもあるが、クソ「ぼく」の所為で読む気を削ぐ。

 

さて準備体操が終わったところで本題もとい本ゲロだが(ちなみにラジオ体操とはこの世で最も役に立たない《運動》(?)であり、全体主義国民養成に最も役に立つ)、大学生のレジメやその他のプレゼン用紙などがやたらめたら「→」を使うというウルトラ下痢ゲロ、もうキモい気持ち悪いをずっとはるかに通り越して、本気で犯人1人1人にスクリュードライバーからパイルドライバー、カシスオレンジからファイナルアトミックバスターを加えねばならないような国賊犯罪が有る。たしかに、論があってそれがれていて、《或る定立から次の帰結至る》というスジを表したいのだから、方向流れを「」で表すのだ、というその気持ちは悪いが分かる。が、レジョメを「→」だらけにしてリジュメの各行ごとが「〇〇XX」という表記になっていると、そのリジャメがそもそものそもそもとして気持ちが悪いということが、いいか、キモいということが!!!!! お前らには、ついぞ分からない感じない知覚できないのである。

ちなみにこの記事この記事このシリーズこのシリーズ、などでさんざん書いてきたことだが、バカは物事をすぐに逆にする問題がここにもあって、リジメだかシジミだか貝合わせだか、プレゼン用配布資料というのは至極カンちがいされていて、それは、簡潔に要点が記されてあると、むしろかえって読みにくい。いや、どついたろかと言うほどクソ読みにくい。事柄というのは一定量の起承結結ある説明文言で説明されることで頭に入ってくるのであって、事のボイントだけが看板よろしくぽんぽんと記されてあるだけだと、その内容や中身をこっちが考えたらなあかんことによって、シンドい。頭を絞らされる。お前らがよかれと思って何も考えずに作ってるそのリジェネ用紙わな、ほとんど《解読》させられるんだよバカ。さよう、こういう配布物こそ、むしろ、それなりの量の文章にしていないといけない。実際聴衆を引き込む配布紙は、解読させられる簡潔不親切文言とアホでマヌケな「→」しか無いものではなく、要所要所にそこそこのボリュームの説明文が配してあるという物である。

基本的に箇条書きとはアホがアホにするものである。まとめるというのは殆どの場合分かりにくくすることであり要解読文を作ることである。なぜこれらが非常に求められるかというと、アホは考えないことを求めるから、考えているフリ・仕事してるフリをしたいだけだからだ。おしゃれインテリ、ポーズとしての知性、ファッションでしかない知的、考えている気にだけはなっている知識人。

 

キモいとい言えば「甘え」にまつわる全ての発言が言語道断に糞キモく、甘えをウレシそうにぺろぺろぺろぺろ甘やかす人類学もキモければ、それは甘えだ!と目じくらを立ててイキり勃って興奮鼻息で茶を沸かしてるキーボード前の義憤バカどもなど輪をかけてド糞キモい。「甘え」に怒るアホというのは、自分も甘えたいのである。お前らが、甘やかされてる世代だと必死に火病ってる世代、非難してる社会保障受給者、暴きたがる利権、責め立ててる特権、許さない天下り、罰したい汚職、というのに、お前らは羨ましがっているだけである。

王様が裸だと言ってやろう:学術が好意的に信用構造だとか社会性だとか解釈しているような類の人間行動人間発言の99万%が、そんなイイものなのではなくて、そうではなくて、成功している人ら・うまい汁にありついている部分・上にいる層をまさしく末人よろしく羨ましがって羨望し妬んでいるところから出てくるものである。

お前らは嫉妬しているだけだ

。お前らは、社会の厳しさ^q^とか本気で考えてたり、《大人として》ウンヌンカンヌンと思ってたり、公正を望んでたり、等々々しているのではない。お前らの正体は嫉妬の塊なのである。

あのな、嫉妬の射程範囲と普遍ぶりをカンちがいするなよ。というかな、嫉妬という語の意味をすらどいつもこいつも解していない。それは、「やきもち」だとか「ねたみ」だとか「やっかみ」だとか「そねみ」だとか「ジェラシー」だとかいう、人生に何の用もないクソどうでもいい話題とはまったく別のものである。少数者間の愛着関係のようなせんまいちいさっこいクソ領域に限ったものでは全くない。ちがう。大は国事から小は日常会話まで中は全ウェブ上書き込みまで、人間が物を考え(ているとして)言葉を発するその原動がことごとく、嫉妬なのである。羨望なのである。嫉妬しちゃうわといった(「ヤキモチ」の誤用に過ぎない)クソせんまいクソちっちゃっこい用法など、嫉妬のシの字もパの字も言い表していない。

わかったらてめえのその汚い本性をビオレで洗ってプルトニウムで乾かしてメタンジエノンで洗浄して尻の穴に突っ込んで奥歯がたがた磨いとけ。

(ちなみにいささかオツムの足りない人種に関してのみ全然ならず知的交流遣り取り交換の場でも行動が低級な動機に依るものたること多々である。よく、《疑問に思う》というのが有る。こやつは意を奮って手を挙げて問い質す:我曰く、それはなぜそのようであるのか、なぜそのような事況になってしまっているのか、何故人生はかくのごとくであってしまっているのか、なぜあなたはそのように考えるというのか、なぜ人々は掻く掻くのように振る舞うというのか、何故パンツが食い込みチンポジがずれるのか、云々。《客観的妥当性》を求める真摯な姿勢だ。だろうか?いや大方は、おれさ、なんかおまえが気に食わないんだよね、という動機で、発言している。が、気に食わないとかいけ好かないとか公然と言うわけには勿論いかないし、何より、自分がそんな卑しくもイヤラしい動機で場に臨み出席し公聴しているだなどとは自分自身で思いたくない。だから、言論のカモフラージュを被せる。しかしその実、

お前はケンカに勝ちたがっているだけだ

。もちろん当たり前だがこのことは【その正体実は卑近】問題のごく一例にすぎず、朝起きて出かけて帰ってきてシコって寝るまでにお前が他人と遣り取りする言葉、特にヒートしている時の言葉というのが、9999%こういうものである。お前は、公正・合法・ルール・マナー・「おとな」「として」・「人」と「人」・常識・ジョーシキ・「社会」等々々々々々の一見客観的一般的訴えにかこつけて、その実、なんか気にくわねー好きになれねーぎゃふんと言わしてーヤツをやっつけて自分が勝ったという確認をしたいだけなのである。それは、人間理性のすることではない。)

大人列車

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  • HKT48
  • 発売日: 2015/03/04

 

いささか尾籠になってきたことだしここまでで貯まったゲロと糞便に、下水とドブを足してお口直ししておこう。ここここここで書いた、映像における吹き替えという、字が読めない人のために有る、いや字が読めない人のためにも無くていいところの文化のクズ、単なる言語しょう害者育成プログラムでしかないところの外語受容法だが、この池沼園お遊戯をふつふつと彷彿させるドブきもい外語受容法が他にあって、それは、(西)洋書(洋書とは言ってない)などの外語本の邦訳で原語を表記するのに何故かカタカナにしてルビを振るという、人間はどこまでバカになれるのか・どこまで意味不明な行動を取れるのかということを証すためだけに有るとしか言えない翻訳法のことである。いいだろうか。この、邦訳本で原語を表記する上で当原語をなぜなのか片仮名にしてしまってルビとして振るという処置をしているゲロ糞ドブ下痢反吐キモい本、この無数無量大数のゴミに関してなら、焚書というものに理が有るだろう。このクソ処置をする著者出版業者に対しては、ツァーリボンバで懲らしめても、社会正義もとい文化正義がまだ行使し足りないぐらいである。とどのつまり、原語をカタカナにしてルビ振ってるクソ本を絶版全廃しろ

てなことを書いて勿論バ家畜人のようなサブいだけで0.001ナノミリも面白くない本のクズのようなクズのことを念頭に置いているのではない。ちなみに言っておくが、ここで示しているように名声名誉に包まれている世の古典名著のほとんどが付き合う価値の無い紙くずであるのだが、それと似たことだが、ロクに物を知らん(よりももっと悪いことに自分のオツムを使わない)池沼低能をどきどきわくわく嬉しがらせてきたあの奇書このトンデモ本の何もかも一切すべてが、0.0000001素粒子ミリほどもスゴくも何ともない見かけ倒しのハリボテである。例えば奔放なる空想力などとホザかれるが、空想など書いてたらなんぼでも次から次から湧いてくるものであって、なんら大したもんではない。ヤプーだの夢野臭作だのその他その他の奇書だの何だのといったきっしょいクズをアホがもてはやすのは、日常とフツーの生の中から体験を引き出せない無能のボンクラが大麻やガンシャやかく醒剤やインド旅行に頼って逃げるのと同じようなミジメったらしい話で、ぶっ飛んでいる(かのように見えるだけで誰にでも思い付く幼稚な)空想を読んでいたら世界や人生の答えか何かに出会えるとカン違いしているからであり、それよりももっとありそうな事は、真実正味ぶっ飛んでてハイになれる思考や思索といったものが出来ない無能不能なものだからそんなにムズカしくはない安易な読み物に頼って逃げて溜飲を下げているのである。奇書を有難がってウェブ上で喧伝するアホのボンクラには眉唾を吐いとけ。読んだら本当にぶっ飛ぶような真実真正ヤバい内容の本というのは言うまでもなくスピノザ倫理学』やプラトンパルメニデス』などであるが、アホはオツムが使えず字が読めないのだから、言ってもしょうがない。