地上最強のブログ

しばいてくぞ

カクテルパーティーの効果

 

前回の記事から

定学問が定立する特定状況に限定された話なのでは全くない。日々の四六時中自分に受け容れられない膨大な情報にさらされながらその中で自分に反応できるものにだけピクッ!それな!と反応しているヒトのボンクラ行動を普遍的に記述しているタームである。そう考えろ。

旅の途中(宮澤佐江と仲間たち)

旅の途中(宮澤佐江と仲間たち)

  • SKE48
  • 発売日: 2016/03/30
  • メディア: MP3 ダウンロード

しかしこれがこの動物、おまえと私の常態で全容だ。いや動物ならまだいいほうだ。そうでなく、動物ならでわの何かを残してはいるだけで動物にすらもう達してもいない劣等生物、生きていく上で必要なものさえ失ってしまっている末期生物である。

唐突だが電車でたまに死ぬほど寝てるバカが居るものだ。頭を手すりにぶつけても何度もつついても脳溢血状態かのように熟睡しているキンモいバカ。しかし目を転じると教室にもよく居る。冬期で室内が底冷えさえしていても、自分が今当てられていて眠気など来ようはずがなくてさえも、それでもウトウトし出せるような、そんな気の緩みきったバカ。よくそこまで緊張感の無い人生を送れるなというバカ。こんなん動物なら失格も失格、そんなに一日中どこでもそこでも神経が弛緩しきっていたら、即刻狩られ殺され奪われるだけだ。よく平和ボケと言うが、それも進みに進みきった末期症状である。もう緊張や気の張りや対人場面なんてものを忘れきっているようだ。どんだけボッケーとアホ丸出しで人生おくってても襲い来る獣も無いという中で神経が甘え腐りきって鈍麻もとい消失してしもとんのだろう。

ところで、これを見るにつけ、犯罪や暴力の被害に遭う側の落ち度という話なども思い出すもので、この被害者ってある程度こいつが自身が悪いのちゃうかとかそういう話や問題がたまに出てきたり紙面や映像で見かけるものだが、こういうことってそういったたまに見つかるような特殊ケース特殊論題なのではなくてヒト動物に普遍的な落ち度なんじゃないのだろうか。基本的にこいつらは致命的に緊張感を失っているのではないだろうか。上で車内熟睡バカを「たまに」とは書いたが、いや実はほぼ誰もがそうじゃないのだろうか。ちょっと睡眠不足にでもなればたちまち他生体たちの前でヘーキで人事不省になれるほど、そこまでドマヌケな生き物なんじゃないのだろうか。少なくともそういう体たらく個体が大多数を占める種なのではないのだろうか。

そういえば「びっくりした」がるアホがおるもので、もうアホ未満のアホ、アホを超えたアホである。ちょっと目の前に人が立ってると「びっくりしたー!!」、ちょと目を上げて人がいると「びっくりしたー!!」、ちょっと戸を開けて人がいると「びっくりしたー!!」、ちょっと角を曲がって人がいると「びっくりしたー!!」。ちょっとちんこの皮が剥けたら「びっくりしたー!!」。あのな、お前をわざわざ驚かすために居るんではないぞボケアホ。こういう奴がアホなのは、上記リンク先記事に書いたことによってでもそうであるが、他に、異常に気が緩んでるからすぐ不意を食らうのであるという意味でもそうである。そう、異常に緊張感が無い。異常に油断している。異常に平和日常にボケてて平和社会にオンブしている。異常に身の周りに神経を使っていない。異常に知覚が鈍磨している。これは、どっかの国民が異常に「やさしい」人を過大キ〇ガイ要求していることなどを思い出させる。こいつらには世界は一片の注意も拮抗も緊張もあってはいけないのである。世界と人類が一切自分に危害を加えて来てはならないのである。世界と人類が完全絶対平和の愛とファシズムと「やさし」さ窒素で充満していないと気が済まないのである。そんな感覚の中で生きてりゃそりゃ気も張らんわ。そりゃ周りに注意もせんわ。なんせ、こいつらの特にヒドいのになると、何と、真後ろに人が歩いてても気付かない。そんなん、かすかでも足音とか(ヒトの聴覚は実はとんでもなく鋭い)視界の隅の違和感とかでどうやっても気付く。気付かんほうがムリだ。ところが、ボッケー!ポッサー!と生きてるのである。そしてやっと後ろに気付いて「びっくりしたー!!」。しばくぞ。

恋を急げ/Team M

恋を急げ/Team M 

  • NMB48
  • 発売日: 2017/07/26
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(この特定国民は、年末になると「火の用心」などと奇声を上げながら騒音公害をまき散らしたり、世界に冠たる醜悪で不様でアホ丸出しの巨大看板巨大垂れ幕でアホ丸出しの五七五(七七)でアホ啓発をしたり、もはや問題になっているほどの通報したい放題社会だったりするのだが、こういった公的傾向と見事に反比例して、実際事実生身の個々人の生活態度や危機感のほうはボケにボケ倒しているのである。)

という末期的症状的で極端(だが人類全員)な奴を例示していて思い付くが、上で述べた自分の中から一歩も出れないバカも、上に書いたような程度のものではない。こいつらももっと極端にバカである。

立場を逆にして相手に喋っているほうを見てみると、確かにこちら側に有る落ち度も相当なもので、自分の喋りが相手の知覚野にどのように映じているかをついつい忘れてしまうものだ。自分の知覚野にだけ映っているもの・自分の今の状態の中で自分だけが感覚しているもの・自分の視界の中で自分だけが注視しているもの・自分の文脈体系背景の中でこ

次回の記事に続く