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しばいてくぞ

バック・トゥ・ザ・フューチャーの逆

あの先の未来まで

あの先の未来まで劇場盤

  • SKE48(キャラメルキャッツ)
  • 発売日:2017/2/22
  • メディア: MP3

 

バック・トゥ・ザ・フューチャーの逆が叙事詩。そういう、フォワード・トゥ・ザ・パストが叙事詩である。と言ったゲーテの考察を記録しとく。

あらゆるドイツ語著作家ゲーテはダントツ一番興味ないし・しょうもないし・どうでもいいのだが、以下の考察だけはなかなかイケる。ということであって、この人が偉大だから記事にするのではないし、この人は別に偉大でも何でもない。アホどもよ、勘違いするなよ。

(以下、こっから引用しとるさかいな)。

1797年4月19日シラー宛書簡

叙事詩のストーリーって、未来過去現在を行ったり来たりしますな。って言うかね、後ろに下がるっていのが、是叙事詩なんすよ。遅れさえすれば叙事詩。戯曲だったら勿論そんなんあったら展開妨害しますね。〔改行〕遅れってのが生じるようにせんといかんのです。これ断固す。ホメロスなんて遅延だらけでしょ。自分も遅延だらけの叙事詩書くつもりすしね。で、ということはすよ、ラストに向かってすっ飛んでく内容だったら、叙事詩失格。それかただの歴史物。
(Eine Haupteigenschaft des epischen Gedichts ist daß es immer vor und zurück geht, daher sind alle retardirende Motive episch. Es dürfen aber keine eigentliche Hindernisse seyn, welche eigentlich in's Drama gehören. / Sollte dieses Erforderniß des Retardirens, welches durch die beyden Homerischen Gedichte überschwenglich erfüllt wird, und welches auch in dem Plan des meinigen lag, wirklich wesentlich und nicht zu erlassen seyn, so würden alle Plane, die grade hin nach dem Ende zu schreiten, völlig zu verwerfen oder als eine subordinirte historische Gattung anzusehen seyn.)

1797年4月22日シラー宛書簡

遅延の法則なんすけど、上位の法則がありましてね、つまり、良作ってのはラストを判らして来るもの、て法則です。判らし方が上手いことで読者の気を引いとくんです。だから内容じゃないす。先が気になる内容だったらそれはいかんのです。ラストがそこらじゅうに転がってるんです。〔改行〕オデュッセイアなんてひたすら後に向かって進行してますけど、その代わり、これはハッピーエンドよって何十回も言ってあるようなもんなんです。ラストさんざん告知してるから、後退して遅延してそれで別にいい、てことなるんです。自分のヘルマンドロテアなんか、ラスト見え見えだからおもろいんす。後に下がってくストーリー、新ジャンルすよ。〔改行〕よってどれだけ長い挿話部分を書いてしてそれを真ん中に持って来てしてもいい。オデュッセイアがそうですし、悪くない具合になってますね。こんな挿話なんてのは戯曲でやったら、ひたすら前に進むのが戯曲なんですから、とんでもないことなります。逆に挿話がストーリーにしっかり絡んでるんなら最高の戯曲です。
(Ich suchte das Gesetz der Retardation unter ein höheres unterzuordnen, und da scheint es unter dem zu stehen, welches gebietet: daß man von einem guten Gedicht den Ausgang wissen könne, ja wissen müsse und daß eigentlich das Wie blos das Interesse machen dürfe. Dadurch erhält die Neugierde gar keinen Antheil an einem solchen Werke und sein Zweck kann, wie Sie sagen, in jedem Puncte seiner Bewegung liegen. / Die Odysse ist in ihren kleinsten Theilen beynah retardirend, dafür wird aber auch vielleicht funfzigmal versichert und betheuert daß die Sache einen glücklichen Ausgang haben werde. So viele den Ausgang anticipirende Vorbedeutungen und Weissagungen stellen, wie mich dünkt, das Gleichgewicht gegen die ewige Retardation wieder her. In meinem Herrmann bringt die Eigenschaft des Plans den besondern Reiz hervor daß alles ausgemacht und fertig scheint und durch die retrograde Bewegung gleichsam wieder ein neues Gedicht angeht. / So hat auch das epische Gedicht den großen Vortheil daß seine Expositon, sie mag noch so lang seyn, den Dichter gar nicht genirt, ja daß er sie in die Mitte des Werks bringen kann, wie in der Odyssee sehr künstlich geschehen ist. Denn auch diese retrograde Bewegung ist wohlthätig; aber eben deßhalb dünkt mich macht die Exposition dem Dramatiker viel zu schaffen, weil man von ihm ein ewiges Fortschreiten fordert und ich würde das den besten dramatischen Stoff nennen wo die Exposition schon ein Theil der Entwicklung ist.)

1797年4月26日シラー宛書簡

人間が盲滅法になってて世界に対して無力そのものてのが悲劇ていうジャンルです。主人公が視野狭窄状態。思考なんてどこにもない(脇役にしか無い)。主人公ボロボロ。〔改行〕一方叙事詩だと思考が俄然モノ言います。オデュッセイアすね。イリアスだと情熱の氷づけ。アルゴー船はあんなん冒険活劇です。叙事詩ではない。
(Im Trauerspiel kann und soll das Schicksal, oder welches einerley ist, die entschiedne Natur des Menschen, die ihn blind da oder dorthin führt, walten und herrschen, sie muß ihn niemals zu seinem Zweck, sondern immer von seinem Zweck abführen, der Held darf seines Verstandes nicht mächtig seyn, der Verstand darf gar nicht in die Tragödie entriren als bey Nebenpersonen zur Desavantage des Haupthelden u.s.w. / Im Epos ist es grade umgekehrt, blos der Verstand, wie in der Odyssee, oder eine zweckmäßige Leidenschaft, wie in der Ilias, sind epische Agentien. Der Zug der Argonauten als ein Abentheuer ist nicht episch.)

1797年12月23日シラー宛書簡

後退てのは叙事詩だけの特徴です。〔中略〕イリアスヘクトルが死んだ所とギリシャ軍が帰還始める所のこの間にもう1個ぐらい叙事詩があり得るかどうか。あり得ないすね。だってまず、この時点だと後に進めれる話がもう何もありません。前に進むのみです。〔改行〕それに、過去に向かってく語りをしようにもキャラクター1人1人に焦点当てるしかなくなります。スケールこそデカくても結局私事になってしまう。(1. Daß kein ausschließlich episches Motiv, das heißt kein retrogradirendes, […] nämlich zu untersuchen: ob nicht zwischen Hektors Tod und der Abfahrt der Griechen von der Troianischen Küste, noch ein episches Gedicht inne liege? oder nicht? ich vermuthe fast das letzte und zwar aus folgenden Ursachen: / 1. Weil sich nichts retrogradirendes mehr findet, sondern alles unaufhaltsam vorwärts schreitet. / 2. Weil alle noch einigermaßen retardirende Vorfälle das Interesse auf mehrere Menschen zerstreuen und, obgleich in einer großen Masse, doch Privatschicksalen ähnlich seyn.)

 

というように、物語を始めたら、それを時間軸上未来方向に語り進めていく事をなかなかか全然しないで、今の話の前にはこんな話が・背景が・状況が・文脈が・一族たちの歴史が・神々たちの思惑が有って、さてそれの前にはこんな … とどんどんどんどん時間軸上後ろに後ろに下がっていく、これを„retardi[e]rend“, „retrogradi[e]rend“と言っている。そうやって下がって行きながらテキスト自体は前に進んでいるのだから、あたかも未来に戻るの反対で過去に進む、と言うことになる。これが叙事詩の形式であって、少なくともこの19世紀直前頃のゲーテからしたらこのようになっていないと如何な詩作品も叙事詩でも何でもないのである。引用に見るように結構この態度が厳しくて、とにかく創作でも知識でも人付き合いでも何でも鷹揚に受け容れてしまうゲーテ、その作品が外見的普遍性という最悪の無個性に汚れている(訳がないが)ように見えてしまうぐらい大海原のようなゲーテ、にしては、珍しくごりごりリゴリズムな姿勢であり、態度が決然とハッキリとしていて非常に好ましい(勘違いしてはいかんが普遍性とは最強に癖が強い独自性独尊個性からのみ可能となる。)。だから世に「叙事詩」と呼ばれているものがごまんと有り無数の作品作者がこぞって叙事詩を自称し他称しているが、このretardierendretrogradierendなストーリー進行が厳格に一貫していない作品はお前が勝手に言ってるだけだボケ叙事詩モドキということになる。と言うより、叙事詩(Epos, Epopöe)というのは特定の言語規則で書いたものを専ら言うのであって、第2叙事詩『ヘルマンとドロテア』の後のと前のを合わせたゲーテ3叙事詩はこの言語規則で書いてあるから叙事詩なのであり本人もそのつもりなのであって、この言語規則で書いてはいないゲーテの作品はすべて叙事詩ではないし本人も別にそう思ってはいないのである。『ファオスト』等を叙事詩呼ばわりしてるのは後世のアホたちの手前勝手なのである。(特に日本人がそうである。日本人の叙事詩の定義、どころか認識、どころか理解と来たら、全く無いも同然であり、その「叙事詩」談義は下校小学生のミニパーティー以下未満の次元である、と言おうとしたがこれだとマジで小学生に大変失礼であり、例えるなら、大正昭和大学生の寮内アホ談義風景に例えるのが丁度いいだろう。まったく、20世紀には三高だとかバンカラだとか闘争だとか下宿だとかコクリコ坂だとか書生だとかいった気色の悪い学生風景が日本には存在していたのである。とはいえ、20世紀の終わり頃にも、騒擾せる学生たちというのがどうしても居て、特に、私立聖蘭高校、開久高校、小松大工業高校、鈴蘭男子高校霞ヶ浦学園などが有名である。 

Make noise

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あと、20世紀日本というと、副流煙地獄でもあったが、喫煙人のほうは21世紀にも未だ健在である。もちろんタバコに目がないのは分からなくもなく、私もマヨネーズで煮込んだりケチャップで炒めたりして週に4杯はタバコを食べたるなどしてタバコを愛するようにしてはいるのだが、とはいえ喫煙者の愛し方と来たら到底そんなものでなく、タバコを額縁に飾ってそれを見て手淫できる程だし、タバコを想う余り一睡も出来ない夜が4兆年続いたり、タバコに当てた恋文PDFファイルが900GBに達したり、タバコにモテようとしてグランドジョラス北壁からパラシュートを試みたり、タバコの実家まで馬に乗ってヘリで駆け付けたり、タバコと入籍して挙式会場を予約したり、タバコのために労災保険と生命保険と煙草保険に加入して老後を迎えたり、タバコが若いツバメと駆け落ちしたら涙を濡らす夜を600年間送ったり、といった具合である。)というか文学ジャンルのEpikとは最も狭義にはヘクサメタ韻律で書いたものしかそうと言えない(だから古代ローマラテン語ネイティブたちが古典ギリシャ語という異言語の韻律規則に自言語を整形していたのである、ウェルギリウスたち皆そう)のだからダンテ喜劇にせよ『ニーベルングの禍』にせよ作品形式上は叙事詩ではないし、これらはまた内容的にも戯曲でしかない。後退運動なんか全然してへん。こういった作品が実際には叙事詩ではないのだから、自称他称「叙事詩」どもの有象無象が如何に叙事詩でも何でもないか推して知れるものだろう(例えば、ここにも書いたことだが、ドロステ=ヒュルスホフ(Annette von Droste-Hülshoff, 1797–1848)の「医者の遺言〔des Arztes Vermächtnis〕」がなぜか「叙事詩〔Versepos〕」と呼ばれているが内容・形式とも叙事詩らしい点が1ミリも無い)。語りが過去に向かっているものだけが叙事詩と言うと言い過ぎで後退だけしてると作品にならんのはそれはそうだが、要するに大事なのは、後退をどんだけしているかという点でその作品がどれだけ叙事詩かということが決まるそんな定量決定要因が理解できるということであり、上の引用にあるようにこういった叙事詩遅延をするなら必ず結末があっちゃこっちゃで見えるような案配にしなあかんそれが出来てないとまた叙事詩ではないラストびっくりやってると非叙事詩ということである。そして気付かれた向きもあるだろうが、物事を始めたら前に進めずに後ろが・過去が・過ぎたものが・起源が・始源が・全ての始めが・始めよりも始めが気になってそっちにばっか向かってしまう、これ、哲学の方法・態度である。勉強の前に掃除ばっかしてまう。

 

未来とは? 劇場盤

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