地上最強のブログ

しばいてくぞ

韻について ~quae tardis mora noctibus obstet~

 

韻とは脚韻のことではなくてリズムのことである。ということを論じていく。

リズムというのを決めるのが(音節の)モーラというものであり、日本語だとそれが考えやすい。

なおこれはラテン語の「モラ〔mŏra〕」を英語が勝手に「モーラ」と呼んだのをカタカナ読みしたものである。勝手に長さを変えたものとして、他に、「ナチュラル」のnātūrālis、「モジュール」のmodŭlus、「モード」のmŏdus、「デリート」のdēlētiō(「デ」系は全部間違い)等々々が有る。古典語の音節長短には専門人がすでに無知なもので、例えば嬉しそうに「ア・プリオリ」などと書いて自分はラテン語知ってますよヅラしてる阿呆など居そうだが、これが、「アー・プリオーレā priōre〕」を間違った「アー・プリオーリー〔ā priōrī〕」をさらに近代欧米言語の現地民が「a prĭorĭ」と間違って読んでいるものを無反省に拝領したものだということを考えも付かない。他にも、嬉しそうにカタカナを書いて自分はラテン語知ってますよヅラしてるが長短大間違いしとる、という例が無量千万。

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なぜこんなことを注記するかというと、古典語韻文の原理が日本語韻文のと同じでモーラ基盤なので(古典ラテン語が音節強弱入ってるし近代西洋言語も音節長短が重要なのだがそれらは措く)、こんなん我々一番間違ってたらいかんことなのである。だから、正しくは「ドーラーイーバ」「エーレーベータ」なのであって、勝手に長音記号を取ってはならない。「ヴィエトナム」じゃなくて「越南」だし、差別語「ベトコン」が平気で使える特定日本人は「ヒトモドキ」と呼ばれても文句言えない。

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で、モーラだが、日本語の韻文がモーラを韻律原理にしている。「575(77)」等のことだが、そういう「文字」数ではなくて、「五モーラ・七モーラ・五モーラ(七モーラ・七モーラ)」と考えよ。類似品で57調・75調があるが、他にも44調・55調・66調・77調・88調・45調・84調等が有る

66調の韻文としては、↓が思いっ切りそうである。

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歌うときに調整して「いーつも暇な」「ダイナーーー」「かーわいいて」とモーラ数を揃えるから、完全な6モーラ進行になる。6モーラで1まとまり、それを繰り返しつづけて進んで行くという進行。これが韻文。この「まとまり」を「Periode」と言ってもいる。このように同じ数のモーラ   同じ量のまとまりが繰り返し周期(Periode)し続けるというのが韻文・詩歌。

Periodeをマーキングするために行(line, Vers)に分けたり行頭大文字にしたりする。詩が行に分かれているのはダテではなくて、1行で1Periodeを表しているのである。逆ではない。事柄の根本にリズムPeriodeがまず存在してて、それを見えやすくするために改行やら何やらの書面上の手段が有るのである。改行してたら詩な訳ではない。

ようさん改行したら詩っぽい、詩ができたー^p^というのは明治以来連綿続く蒙昧勘違いなのだが、しかしそれにしても、もともと31モーラ・311まとまりを表している自分らの韻文をひたすら「字」によって考えるという、物事の本質とそれの表示方便をすぐ取り違えたがる国民であってみれば、現在のぽえむ^q^状況も理解出来なくなくもないだろう。

現在詩らしいものと言えば、改行いっぱいのものだろう(元祖池沼・宮沢賢治の子供たちの時代)。詞らしいものと言えば、脚韻が有るものだろう。前者では改行の元々の意味が失くなっており、後者はPeriode進行のリズム技芸という本来の韻文規定が失われた上での代償である(次々回参考)。無数の文学案内・有象無象のブログで脚韻をぱしろへんだす解説やっとるが、これが詩の死体だということになど思いもよらない。

今の例なら6モーラ1Periodeの進行、それを言うために判るために「Periode」てゆうてく。これが詩学では特に何を指しているかかはどうでもいい。元の古典ギリシャ語詩の時点ではイコール行ではないのだが、それは、同一まとまりが不定量周期し続ける訳ではないOdeという詩型での話。同一まとまりが不定量周期し続けるのではあるタイプ、特に、作り方規則が「行」にだけ有ってあとは不定というタイプ(上記「〇〇調」が全部そう)だと、イコール行である。このリンク先の「Hexameter」で作るから、そうであるからこそ、叙事詩は、不定量延々と拡がり・たゆたい・開け続けて行ける(これの第3章と付録6で参照しているHermann Fränkelなどヘクサメタを「或る意味スタンザ〔Miniaturstrophe〕」と言っている。

Dichtung und Philosophie des fruehen Griechentums

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  •  
  • の34・36頁

)。延々と長大に続くからだから叙事詩であるのではなくて、延々と長大に続いて行ける韻律で作ってあって、その効果結果として延々と長大に続いてしまったものを、叙事詩と呼んでいる。この順で考えろ。(ヘクサメタに引きかえ、『神喜劇』のテルツァ・リーマなりニーベルンゲン詩節なり楽園ブランクバースなりは、劣化叙事詩韻律によるパチもん「叙事詩」。)で、Odeのほうだが、特定数行で締め切ったまとまりを作る韻律である。ちゃんと言うと、同一形式の2~3行+1行、或いは異形態の3行+1行、等々、による4行1まとまり。

Odeというのは古典ギリシャ語韻文の詩型であり、この詩型を韻律ごと自言語で実現しているのはドイツ語詩だけである。ドイツ語詩以外のいかなる「ode」「頌歌」「オード」「頌詩」も、勝手にこう名乗ってるだけの、しかし古典の原物とかけ離れた、似非物である。特に英(語!!)詩の「オード」なぞ、でたらめ「ode」を流布させるのに尽力してきた詐称揃いである(本当は受容側の無知蒙昧に責任があるんだがな)。ここで無知がホザいとるのにお前たちはダマされるが、キーツシェリーなんぞ「ode」自称詐称者である。なまじっか本物に似てるだけに余計タチが悪い。ほれオーデの形式。「ode」自他称しとる紛い物と似てでもおるか!!!! このリンク先で挙がっているサッポー・ホラティウスクロプシュトック(Friedrich Gottlieb Klopstock, 1724–1803)プラーテン伯(August Graf von Platen-Hallermünde, 1796–1835)ヴァインヘーバー(Josef Weinheber, 1892–1945)が肩並ぶのであって、他言語の似非物は論外も論外。がんばってせいぜい近付けるのが関の山。もういっこぐらいこのリンクも合わせて(以上のリンク先に見る3つが代表Ode)、古典Ode再現に成功してるのがドイツ語詩だけだと分かっただろ。

ただしドイツ語詩でも看板詐称作品が多数有る。自称もしてるのかどうかは知らん興味ないがシラーの「歓喜の歌」やゲーテの「プロメテウス」はOdeではない。 ここにも書いたことだが、ドロステ=ヒュルスホフ(Annette von Droste-Hülshoff, 1797–1848)の「医者の遺言〔des Arztes Vermächtnis〕」がなぜか「叙事詩〔Versepos〕」と呼ばれているが内容・形式とも叙事詩らしい点が1ミリも無い。戯曲韻律のホラー短篇。まして、リルケの自称「悲歌」と自称「ソネット」など、カレーをハヤシライスと呼んでるに等しい。

リンク先で図式見たらイメージだけでも出来るだろうしそれで十分だが、つまりOdeというのは和歌・俳諧と同じ閉じた韻律である。その点ソネットもそういうものである。(という順で並べるのもおかしくて、歴史古さから言うと、サッポー・アルカイオス・アルキロコスが紀元前600年代の人たち、『古事記』が710年代、ソネットが1250年代以前成立、数百年後に俳諧成立。Ode2600以上歳 > 和歌1X00歳 > ソネット約800歳 > 俳諧もっと若い。以上Wikiped)和歌・俳諧は周期し続けている構造を取っているとは言い難い。31モーラ1Periodeで閉じていると言える。ソネットは、4行4行の具体編と3行3行の抽象編というルールからして、完結閉じた全体性でしかありえなく、Periodeが連なり続けていく世界でない。しかも行数が違う以上「連」=スタンザ(Strophe)構成ではない。ソネットの「連」や「スタンザ」と口にしてる字に書いてる奴は韻律を何も知っていない。それが詩研究者の99%だという事からも、いかに、詩を知ってない奴が詩をやっているのかが分かるだろう。なお連歌やSonettenkranzの話はしてない。

次回の記事に続く

 

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