地上最強のブログ

しばいてくぞ

オン・ザ・ブルシット (3)

Nicht zur Erkenntniss vorausbestimmt. — Es giebt eine gar nicht seltene blöde Demüthigkeit, mit der behaftet man ein für alle Mal nicht zum Jünger der Erkenntniss taugt. Nämlich: in dem Augenblick, wo ein Mensch dieser Art etwas Auffälliges wahrnimmt, dreht er sich gleichsam auf dem Fusse um und sagt sich: „Du hast dich getäuscht! Wo hast du deine Sinne gehabt! Diess darf nicht die Wahrheit sein!“ — und nun, statt noch einmal schärfer hinzusehen und hinzuhören, läuft er wie eingeschüchtert dem auffälligen Dinge aus dem Wege und sucht es sich so schnell wie möglich aus dem Kopfe zu schlagen. Sein innerlicher Kanon nämlich lautet: „Ich will Nichts sehen, was der üblichen Meinung über die Dinge widerspricht! Bin ich dazu gemacht, neue Wahrheiten zu entdecken? Es giebt schon der alten zu viele.“

(Nietzsche, Die fröhliche Wissenschaft, I/25)

 

(お前の確証バイアスは努力して克服しないとどうにもならんからな。誰もかれもどんだけ認知病に掛かっているかというのは、日常の場面から例示したらわかるだろう。多少小マシなおつむでも、自分の確信ワールドを脅かすものならごく些細なものであっても拒絶反応を示しよるものだ(まして凡俗人なぞ)。何カチガウものを見たり聞いたりしてしまう、その瞬間お前は、見なかったこと聞かなかったことにして、全力で逃げ出す。違う違う違う違う違うと必死のガクブルwww ヨダレ拭けよ。そうだな、お前の思っていることに反するものはこれ恐怖の対象だよな。コワイよな、人猿ちゃんよ。お前の中のお前は自分会議を急慮開催、お前のコワがるそのそれを断じて受け入れないように必死に決議、もう新しい情報は受け付けられません、もう倉庫に荷物は入りません云々との作話をブラーブラーやり出す。

ニーチェ

 

前回の記事から

っている。何十年も前のカビの生えたアナグロ趣味アナロクでもない趣味やオールディーズや「大人の」ドウタラや〇〇年風✖✖や「伝説」や「往年の」や「変わらぬ」や等々に半生も半世紀も固着し続けている「ファン」たちの「趣味」、これこそ、好き嫌い感性の最も歪みきった腐りきったタマりきった濁りきった諦念と無(気)力と言い訳と経年疲労の最醜悪の汚物の糞物であり、そもそも感性でも感覚でも趣味でも好みでも評価でも判断でもなくこいつらは人間でもない。人間ならてめえの愚かさに気づくオツムがあるからなせめて。

いつか

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いいか、自分のクルマや音響やレンズや血統書付きやファン球団や4番アイアンや往年の名器についてマンガの吹き出しでやってるみたいに語れている者(そんな者どこにも居ないが居るとして)は、それに最も愛着を持っている状態から4億光年ぐらい離れているのである。お前はお前の愛しいソレについてしんみりと語り或いは黙し確信しているだろう、全く自信がないからだ。

呆れただろうが、バカとは常に呆れるほどのバカなのである。1つ呆れてもらおう。尊敬しながら一向に真似てこないバカというのが有る。分らんでもないかも知れない。うむ、そうだよな、感心はした、一目は置いてる、リスペクトは感じる、だからって同じことをする気にはなんねーよな。ただそれは、かたや聞いてる聴衆や記者でかたや聞かれてる人士、なぐらい離れてたらのことだろう。しかるに、自分が取り組んでいる当のその分野で出会った見掛けたスッゲー人をスッゲーと見つめ想いながらさりとて自分の取り組みのほうは是別段なにも変えず我関せず我と我が道を行きますという奴、これではバカだろう。が、よく居るよな。とにかくその人のスゴさは分かる感じるヒシヒシ来る意識しないことは出来ないのでありながら、あくまで自分自身のやることは今までやってきたことから別に寸毫も変えないという奴。さんざん感心関心しよったんだからさあどうすんのかと思ったらあいっかわらずテメエの勘違いと間違い知識による今まで通りのマンネリの繰り返しに今日も足をのばすだけの奴。感心したのなら、その人がお前のその分野でスゴいのなら、その人の方法のほうがお前のよりも正しいのだから、素直に自分もその方法を取ったらいいことだ。少なくとも取り入れるぐらいのことは出来るだろう。ってかさっさとその人に助言してもらいに行ったらいいではないか。しかし、バカは、そうしない。今日も、その人や実はその人のみならず数々の人が、自分こそそれを得たくてたまらんところの成果を達成していてしかも自分と全然違う方法に因ってそうなっていてということをぜんぶ知ってか感じてはいながら、それでも、自分の今までの(クソ)方法を変えることだけはできない。これは自分にあっているんだという無根拠意味不明の言い訳だけはできる。そうして、自分を否定すること変えることだけは、ついに出来ない。今までが間違ってたという認識と、あのスゲー人、2つに挟まれた認知的不協和で、バカは、何も考えないようにする!!!!

 

これがバカだ!

一体何がしたいのだろうかというものだが、他方で、一体何が言いたいのだろうかというバカにも事欠いていない。どんな話をしてもいいが例えばこんなん:よく、清廉潔白にたたかった自分(・ひたすら可哀想だった自分ちゃん) vs. 理解の彼方から襲い掛かってきたファビョり狂人という形で被害談を書き連ねる奴があるが、十中八九、事実を相当曲げている。おそらく、自分も法的常識的にいくらかはアウトだったのだろう。相手がそこまで逆上するほどの挑発をしていたのだろう。むしろ最初に無常識厚顔無恥だったのは自分なのだろう。その後も事態を収めることをよく考えた対応など別にしていずただ火油を注いでいたのだろう。むしろ相手の急所に攻めていたのだろう。むしろどう見てもおかしかったのは自分だったのだろう、後から考えたら。環視衆人だって自分には冷ややかな目だったのだろう。何なら自分こそその文章で責め立てているファビョ人だったのだろう。しかしそうは書けないから、自分絶対正義=絶対無辜被害者 vs. 常識も理解も寛容もない狂人との公式をデッチ上げるしかない。… おそらく、ネット上書き込みのほぼすべてがこうなっている。報告してるほうの奴のがキ〇ガイなのだろう。あとついでに言っとくと、これは友人のことですがと話す奴は全部自分のことだ。

といった事実の改変による書き込みはもちろん、例の、存在していた歴史ごと宇宙から消えていい掲示板サイト上の大人子供たちの無数糞数のバカ創作もそうだが、話を作るバカ、こいつは何がしたいのだろうか。創作ですと断って書く創作もアホだが実話ヅラして創作連ねるアホなど、どんだけアホでマヌケでみっともないのか分からないのだろうか。それなのにこいつら書き喋りたがる。何がこいつらにそうさせるのか。それは、この記事この記事で述べていることだが、人間は何かを喋っていなければ死ぬ(本当に思い込んでいる)動物で、事実が自分の失点や弱さやダサさや犯罪や非常識に不利なのならその事実を変えてでも、もとい事実様にちょっと席ずらしてもらってでも何かはベラベラやっていたい、という動物だからである。そ

プロムの恋人/白組

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うして、バカは、こうであってほしいこうだったらよかったのにワールドをべらべらべらべら書きしゃべるのである。変えようのないイヤな現実に対して何も出来ないならクソは垂れておくのである。《ささやかな抵抗》はしておくのである。

もちろんこんなことは本人どもは知るヨシもない。そんなことは考えもしないし、考えもしないよりももっと考えない。バカに考えなどないというより、あるもないもすらもない。ただひたすら外界から情報や刺激や知覚内容や…といったことも分からないだろうから、ただひたすら外界から何やかやがぼんわーと入って来て、ぼんわーっとしてるだけのノッタリ坊のボンクラが、受け取ったぼんわーをぼんわーと返す、そんなような深海クラゲ生態が、バカの一生のすべてだ(クラゲに失礼だ)。今自分がしているこれが何であるか、現時点のこのコレがナ☆ニ☆で☆あ☆る☆かというニューロン発火シナプス結合をバカ様の脳様に期待することなど、未来永劫できない。

だからバカはひたすら同じことをホザく。ひたすら他人と同じことをホザいてひたすら今までと同じことをホザいて、それで0.00001ミリの疑問も持たない。

《メモリは作業する机です》……もうわかったって!!!そんなにその定型句を繰り返しホザいて何が楽しいんだ??!!!こっちはそのクソ喩えを何回読まされないかんのだ?!ゆっとくが最終的にはCPUがまったく脳ではないようにメモリも机ではないし広さを有するものでもない。しかもおそらく「作業机」はメモリの雰囲気を伝えるものですらない。しかしバカはそんなことは考えない。ア

次回の記事に続く