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しばいてくぞ

計算と言語 (1)

忘却と美学

忘却と美学

  • 乃木坂46
  • 発売日: 2017/05/24
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たまにはタイトルが内容と違ってるフザけたブログでもやってみよう。それも、書籍でよくあるような、本の中の1章・1節・1文・1言だけを題名にするという詐欺商法にあやかって、以下に書く内容の一部の話だけをこのシリーズのタイトルにしてみよう。

騙されたらあかんよ。

 

この記事この記事やその他ほうぼうで論じているように、我々が事実や論理に客観的純知的に向かえることなどなく知というものにおいて常に感情的で情緒的であり党派的で偏向的であり、知識や情報というものを如何なる内容かという点から受容することなどなくどのような人に由来するものかという点をもっぱら気にしそこから取捨選択するのであるなら、知識や言論や言葉や思考というのは、何トイウではなくてひたすら誰ノが問題になっているということになる。論とは・知とは・学とは・理とは・法とは、【何】ではなくて〈誰〉ばかりが問題になってしまっている。そんな所に有るものは知的関係ではなく力関係のみであり、コトは救いようなく情緒的で感情的で非客観的でイデオロギーまみれある。

そうすると、知の営みというものやそういうものと思われているものも、その大部分が、或る社会動物の少々大規模なしかし所詮グルーミングやマウンティングに過ぎないことになる。したがって、ここでも触れているように会話というものが知的関係行為としては甚だ幼稚臭く無意義であるとしたところで、会話と違ってもっと高等であるはずの言語的構築大思想超絶形而上学さえもまた結局ヒトザルの石器時代・神権時代・蒙昧迷信時代・権威封建時代の延長にすぎないことになる。

↑と書いたことも、少々「意訳」(←など無い)が過ぎるが実際はさる大企業家の日記の翻訳なのですと言っておけば、お前もなるほどと聞く気になるだろう。有名人の名でこのブログをやってでもいたら読者ももうちょっとは寄り付き、更新だけチェックして過去記事に目もくれないカス読者など消えるだろう。逆に、高名な著作者の知られざる文章をこれは私が書きましたと言って公表しても、誰も読まないし、読んでもゴミ箱に捨てるだけだ;どれだけ面白くてもだ。誰が書いても中身は同じでもだ。なぜなら、お前は知の値打ちを「誰」でしか判断できないから。そうして、行為や物品やパフォーマンスの良し悪しも、「誰」でしか判断できないから。この延長で、我々はひたすら好ましい者とだけ交際し、人生を貧寒にしてしまう。

 

ここで言ったように現代生活上のさまざまな問題や疾病や人災の原因を、原始時代以来変わらぬヒトの機能・原始時代荒野生活に合わして作られてある認知構造に求める議論が一般的に有るのだが、たまたま読んどいた

など思い切りそういう観点で話をしている本だが、それは今はいいとして、それにしてもこのテの本、特に、著名で大御所の中高年男性の日本人の著作に必ずある(←利用可能性ヒューリスティック)ことだが、まず紹介している概念の独自な応用や興味深い掘り下げがまったく一切なく何とも安直でどーでもいい世間話をえんえんしているという点もさることながら、反省力が高くてこういう本を出せているのではなくてただ知識を列挙しているだけなんだということを証示するかのように、書いてある人間欠陥に自分自身が陥っている。こいつは代表性ヒューリスティックを紹介しているが、まさに紹介しているだけであって、それの真価をろくに知らずそれを自分自身に向けてみることもしていないほどに反省力が低いようで、出してくる話出してくる話がいちいちクソありきたりのステレオタイプで、まさに代表性ヒューリスティックの見本になっている。例えばといって全ページがそうなのだが例えば、こいつも、《働く人》となるとネクタイ締めた営業マンしか思い付かないのである。その他の他ジャンルの無数の本でそうであるごとく。もちろん日本でホワイトカラーに極端な人口偏向などないのだから、この、《社会人》《職業》《働く》でネクタイ・Yシャツ・スーツ・スラックス・マスク・ほおかむり・風呂敷の「サラリーマン」(←オフィス勤務または営業マンの間違い)ばっかりを想起するのは、タワケた偏向である。しかも世界で言えばブルーカラーのほうが圧倒的に多い。この本の著者が推奨するように合理的に

あうんのキス(白組)

あうんのキス(白組)

  • SKE48
  • 発売日: 2012/05/16
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考えるなんてことをするまでもなく、職業人イコール「サラリーマン」(←オフィス勤務または営業マンの間違い)というのがド間抜けな偏向例示なのはすぐに分かることである。しかしこの世の日本のどこのどいつもこの勘違いの虜である。

とは言っても例示とか比喩とか言うのはほぼ常にヒューリスティックで口から飛び出た頭の悪い放言である。思い付く例のうち50000000分の数例だけを挙げてみよう。

  • 「水を得た魚のように」←魚は水中に居るのが常態だ。特別なことをしている訳ではない。《大気圧と地球引力を得た人間のように》と言っているに等しい。ってかな、むしろ水を得ていない魚のほうにこそ注目しろよ。
  • カモシカのような足」←だけに限らんが四足歩行動物の脚はみな筋肉隆々にしていと優雅だぞ。あれが、お前らがうれしがってる世にも醜悪なサイギャップという奇形の見本に、どうやったら見えるんだ?もうちょっと物事を観察しろ、或いは一瞬ぐらいググれバカ
  • 「暴れ馬のような(・に)」←攻撃的に狂乱する行動を取らない動物のほうがむしろほとんど存在しない。お前の言いたいことは「暴れグッピー」でも「暴れニワトリ」でも通じる。
  • 「〇〇の回し者じゃありませんが」←別に評価したからといってそれだけですぐにお前を「回し者」(という語の意味は知らんが)だと思うわけないだろバカ。
  • 「ヤ〇ザまがいの…」←しかしそれは同時に理詰めで能弁饒舌で法治権力だよりで利得利潤第一主義で書類主義で…ということでもある。また一般人に「ヤ〇ザまがい」が幾らでも居ることから、もはやカ〇ギまがいのヤ〇ザとヤ〇ザまがいのカタ〇を区別できるのかどうかも言えない。
  • 「そんな年寄じみた…」←実際に年寄りに類型化される行動や様相や態度がどれだけ非年寄りにもまた出現しどれだけの個体数の年寄りに出現しないかの統計でも取ってんのか?と言って取ってるわけがないしお前はそんなことすらも考えもしない。よし、以下、「子供じみた」「女の子みたい」等すべて禁止な。

次回の記事に続く

 

ホワイトデーには…

ホワイトデーには…

  • AKB48
  • 発売日: 2013/12/11
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