地上最強のブログ

しばいてくぞ

誰も言わんこと (4)

 

前回の記事から

つこの上なくもてはやされているスターたちである。モヤシに栄光あれ万々歳。こんな奴なら、「人と」「距離」「取」りたいだろう。年中人と距離取ることばっか念慮しているだろう。カワイソウナ自分ちゃんを他人という毒牙から守るために、他人菌が近寄ってきたら、私ハソウハ思ワナイナの抗体を放出するのである。自分が話している相手がこんな奴だったら、たまったもんじゃない。迷惑な奴らだ。どうせ人が苦手なのなら外出を控えてください。他 

さゆりんご募集中

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方、しっかりと自分がありさえすれば、どんなことを言ってこられても平気であり終始泰然自若である。否定なんかする気にもならん。時間の無駄で感情のムダ。何でも言ってみろ或いはしてみろ、聞いてはやるし付き合ってもやる。それを後でどう判断するかは全部こっちが決める。全権がこちらに有る。何もコワくない。侵害される自分ちゃんなどというチンカスは飼ってません。

 

この記事この記事で言っているが、嘘をつくとか虚言癖とかいったことは、何も知らんアホは人生一大事の問題のように大騒ぎするものだが、人間が日夜刻一刻犯している認知上のエラーや自己欺瞞や数々の誤謬などに比べたら、その悪質さが数等数千等見劣りするものにすぎず、人間が抱えている無数の有害なバカぶりと性癖からしたら、別に大したものではないのであり、まあつきたいだけ嘘でも何でもついたらいいのである。とりわけ、騙す騙される云々のことに関しては、騙されるほうの明らかな落ち度(のほとんどが、スケベ心の「もうひと儲け」欲求と、異常レベルに達している平和ボケに因る)が議論に入っていない限りは、被害者根性の垂れ流しにしかならず、しゃべってもしゃべっても永遠に無駄である。つまり、虚言とは、根絶せねばならない悪の巣窟などでは到底ないし、それどころか、少々落ち着いて見てみれば、仕方がないにもほどがあるほどに仕方のないヒト種典型行動にすぎないのである。(そして、自分というものが確固としてあれば、虚言する人など、ものの数ではなく、何なら人畜無害ですらある。こんな無害な連中をそんなに責めるなバカ。)

では見てみよう。まず、この記事とこの記事中で貼ってるリンクの記事で詳論していることだが、ふつう人類というのは類の一構成員として他の構成員と相補い合いながら生存をまっとうしていく一個体だと自覚していることなどまったくなくて、1匹1匹が、自分こそ誰よりも何もかも知り尽くしている世の精通者と思い込んでおり、何に関してもどこの誰よりも一枚上手にやってのけると信じ込んでおり、世の中のことで自分よりも広く深く通じている者はいないと疑っておらず、何をやらしてもらっても周囲の誰よりも巧みに成し遂げれて喝采を得るのさと信じ切っており、たとえ自分自体に自信がない奴でも自分の周囲家族縁者友人が卓越なる優秀した特別人種だと虚心から確信し切っており、とにかく、自分こそ世界でいちばん物知りで有能で力持ちで実はモテモテで幸せでしかも人を幸せにしている天使で神人で救世主だと信じたがっていて確言されたがっていて太鼓判押されたがっていて拍手に包まれたがっていてウズウズしており、他人と接するときの態度ときたら、基本的にはどこのどやつであっても、自分はあなたより上なんですよと証明したがって、逐一ここぞここぞと機を見つけてはマウントしてきよって、ありもしない尾羽のディスプレイに必死にあけ狂う、そんな、誇示と自己顕示と自分確証のバケモノなのである。

こんなことを言われて、何てことを言い出すんだ何て一面的で狭量な経験から偏狭なことを断言し出すんだ、と思ったとしたら、バカ、お前は、お前のごく毎日ふっつーの日常ちゃんの場面の1つ1つとそしてお前自身のふるまいをアタマ冷やして今一度観察して見ろ、我々はこのようにしかなっていないぞ。そう、ごく素直に、きみは大したものだね大したものを持っているね私はそれを素直に嘆賞し何の衒いもなく一歩引くよところできみも私の言うこと持ってるものできるものを素直に評価してくれてそれは自分にはないものだと明言して認めれるのだねだったらなおさらこちらもきみのことを素直に…というような遣り取りが成立したことなど実はないし今後することもないし誰にも成立させれない。我々が、何か一言いえば、何か一アクションとれば、いやいや自分だってこんなん知ってるよ自分こそこんなに知ってるよ自分ならこんなことできるよと肩肘押し合いへし合いして他人を落として自分が上に立とうとしている自分ガ一番ナンダ教の狂信者だからである。勘違いしてはいかんが、どこのどんな一見謙虚や恭順や慎ましさの雰囲気を示しているかのごとくの連中であってもすべからくすべて総じてこのようなのであって、こいつらは紛らわしく有害な偽装をしているだけなのであって、内心では常に24億時間他人ニ勝ッテタイ星人の化身にして申し子なのであって、この記事で書いたようにちょっとつついたったらたちまちボロを出しよるのである。おいヨダレ拭けよ、お前は、他人より自分が上と証明したがってる欲望で垂涎ダラダラになってるぞ、勝ちたい勝ちたい出し抜きたい誉められたいの欲情で我慢汁ダクダクになってるぞ、みっともないぞバカ。

カン違いしてはならないが、そしてカン違いしているバカしかいないようだが、こういった他人にマウンティングしてくるマウントしてくる行動というのは、一部の者がやっているだけの限られた行動なのではなく、全人類が800億兆年間やってきてお前とお前とお前が全地上であまねく繰り返し続けているところの最普遍的で最頻出的で最広分布的な行動でありふるまいであり言動であり欲求なのであって、《マウントしてくる奴が》うんぬんとホザき呆れているつもりのまさにお前こそが行住日夜坐臥呼吸のたびごとにやっていることなのである。それはお前がそういうサルだからだ

こういった傾向が嵩じると、もはや出会う誰にも自分の引けらかしと誇示をしないと気が済まなくもなる。いくら滑稽でも、その道の高等者高名者に駆け出しの素人が滔々と説いている絵があるものだ。どこにでもいるだろう。実力ある音楽家に、自分の音楽思想を語り出すバカがいるだろう。金を稼げている人に、金儲けのヒントを(!)しゃべりだすアホがいるだろう。職業運転者に、運転のテクニックを授けたがるボケがいるだろう。服飾関係者に、自分のファッション観を聞かせたがるマヌケがいるだろう。ボディメイクを知り尽くした人に、食事や運動のアドバイスを(!)し出すピエロがいるだろう。教員に、自分の教師観を語りだす生徒(!!)がいるだろう。環境専門家に、環境のことを聞くのではなく自分がもっぱらしゃべるというカスがいるだろう。事務職員に、事務業の苦労をしゃべり出す事務員で

バラの儀式公演07 Hell Or Heaven 一般発売ver.(Dvd付)

Hell Or Heaven

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も何でもない門外漢がいるだろう。営業職30年のディーラーに、営業のeの字もやったことないお気楽な客が営業ってこんなとこがこんなに大変なんでしょわかりますよとホザき出すことだってあるだろう。医師に、医療について説き出すバ患者がいるだろう。今登ってきた山道の険しさや特徴を、その山に通じるベテランに事細かに語り出し、そんなことそのベテランはよく知ってるとそばに居る人に諌止されてもなお喋り続けるアホガキがいる。実際に自分がやってしまったことだ。ウエイトトレーニングの通だと知った上でそれに興味あるという話しかけ方で話しかけてきたかと思うと何と自分の有酸素運動という、運動でも何でもないクズ運動モドキ)について自分ばっかりが喋り出すという意味不明がいる。実際に自分がやられたことだ。こうして、ベテランに素人が説教するという果てしなくオメデタイ絵もヒト種に於いては成り立ってしまうのであり、そんな珍行動をさらけ出すのがこの動物なのである。自分ナンバーワン病。

さてこのようであるから、通常は古今東西太古永遠未来永劫にわたって、人間と人間の会話や対話やコミュニケーションというものは、特に、集団決定モノ会議モノ議事モノにおける事情しがらみ力関係事務的必要事項等の社会的夾雑物を排した、お互いの人間性が裸になったふっつーの何気ない場面でならなおさらだが、なにがしか交換であるとか交歓であるとか交流であるとか高め合いであるとか、総じて「対」話であるといったことなど絶えてなく、何か言うごとにそれにカブせて自分のが上だよと示してくるバカとその相手のバカとによる阿呆船痴呆放言集にしかならない。ここここここで書いた平然繕いバカ同士によるどこ吹く風合戦にしかならない。そうであるから、どれだけ何を持ち出しても、素直に驚いたり感心したりなどしない。さすがに新情報だろうと言ってみて興味を引けそうと思っても、言った途端、そんなこと知ってたよというツラをされ、「流さ」れてしまい、それよりそのことなら自分はもっと…というマウンティングをされてしまう。こんなんだから、人間はいかなる奴も実は他人の「自己」「顕」「示」「欲」だか何だかに心底から辟易しているのであるが、しかし人間は話相手が人間しかいないという悲劇に見舞われているので、仕方なく今日もバカたちと付き合いに行くのである。そうするしかないのである。斯く、日常とはクズなのである。さてこのようであるから、中には、お前らが意地でも驚かんのなら驚くしか他反応のしようがないこと言ったるわと自暴に走る者も出てくる。いい加減にされせボケどもと鉄槌を下したくなっているわけである。『セブン』のジョン・ドゥーが言っているように肩を叩いて話聞かないから金槌でどついたることにするわけである。どうするかと言うと、あほみたいな、そして自分でもあほみたいと重々わかっている、とんでもなくデカい話をし出すのである。具体的に何を言うのかは、何の興味もないから知らないが、例えば、時給が数千円のバイトを最近ちょろっとしたといったぐらいでは相手は動じない(ふりをする)し耳を貸さない(ふりをする)しすぐに自分だって自分だってと来よるから、もうそんなこともできないように、出鼻を挫くつもりで、宝くじ2億円当たったとか言い出すのかもしれない。他人よりちょっと上の位置のことぐらい話していても馬耳東風に流されるだけだから、いっそ超有名人と会ったとか友達だとか言い出すかもしれない。(他、例が5兆個ぐらいあるから、各自思い付け。)おわかりいただけただろうか、これが、世に時々いる、大ぼら吹きや嘘つきと呼ばれている人々の中で起きていることである。なんでそんなすっとんだ誇大なことを言い出すのか、なぜ年中嘘を「吐」いて嘘を膨らませ続けるのか、「息をするように」「嘘を」…… 云々とホザいているだけで理解を閉ざしているだけでだただ中傷しているだけのアホどもボケどもには、自分自身がそうであるところの自己誇示猿のメカニズムを自省する能力もないのである。そ

次回の記事に続く