地上最強のブログ

しばいてくぞ

石器時代の動画

進化してねえじゃん

進化してねえじゃん

AKB48

  • 発売日: 2016/08/31
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Wichtiger. — Man nimmt die unerklärte dunkle Sache wichtiger, als die erklärte helle.

(Nietzsche, Menschliches, Allzumenschliches I, IX/532)

 

(ハッキリ分かるものよりも、よくわからないもののほうが、大したものなのだろうと錯覚してもらえる。

ニーチェ

 

おまえと私とあなたと撲とすべての人間がアタマの中が完全に原始人であり、人類全員がいまだに旧石器時代の中に居て、その習性と生態が原始生活に適合したものでしかなく、自分たちが築いた社会や生活がまったく自分たちのものになっていないような、そんな哀れなサルである。そして原始の穴居暮らし野原暮らしのときに、そこでの野生性活去勢就活に合わせていまの全人類の物の感じ方や見方や考え方が全部作られたのであり、今のどこの誰が感じる如何なる何事も・誰が望むどんな何物も、このときのこんな暮らし、すなわち現代では地上のどこにもただの1秒間たりとも存在せずゼッタイに体験しないこんな暮らしをする上でのみふさわしいものなのである。それっだけのもの。

だから、現代にまったくふさわしくないモノを外部はおろか内部にこそ埋め込んだ上で我々は超高度技術の現代都市文明に暮らしてしまっているということになる。ということをしっかり自覚しておかないと、自分の中の原始人に自分の人生を持って行かれる。つまり、いま人類とお前に本当にできるしやったらいいことに目が開かれず、そんなんやったら原始時代に暮らしたらええやろがと言われるしかないような生き方をしてしまうことになる。現代文明の中で本当にできる事のほとんどをろくすっぽ理解できずに終わる。或いは、今実現はしてなくても皆が関心をもてば実現できるようにもなろうはずのモノたちも、実現がしないか遅れるかしてしまう。

ということはほぼ誰も特に考えないし考えに入ったこともまずない。誰もかれも、もうここが原始時代の荒野や岩山や洞穴や森林ではないということを皆目分かっていない。その時代には、情報を受け取る受け口が他のヒト個体だけだった。何かを知るとか何かを得るとかするには、「自力」()で出来ることというとんでもなく効率悪い手段を別にすれば、ヒト個体と顔を合わせて話すにシクはなかった。

言いたいことが分かっただろう。現代人類が、数々の効率的・超効率的な通信手段や通信媒体をここまで発達させておきながらいまだなお穴居生活人よろしく村落社会よろしく顔を合わせて声を聞くという情報受容手段にキチ〇イのようにこだわってこの手段を使いたがり使わせたがるのは、こいつらが原始時代から一歩も出ていないからである。

しかし、情報は情報にすぎない。どんな媒体で与えられても同じことであって、わっざわざ「人」が登壇あそばせて黒板から白墨粉をまき散らせて唾飛沫を飛び散らせてえっちらおっちら白板に書いて消して粉にまみれてなんてことをして、そんなことをして発信しなければならない絶対の必然性などどこにも無い。ところが、授業や講義というものをしたがる。こんな旧時代の非効率な通信手段に頑迷に固執し、挙げ句の果てには、SkypeだのZoomだのと、呆れたことにオンライン上でまで人面と人声を会わせたがる。なるほど、教室内・講堂内・職場内・道場内・工場内・家屋内等での直接対「面」の情報提供や教授といった形態、こういったアナログ方法しか技術的に可能でなかった(または、ないとしか思い込めなかった)電信以前の時代ならまだ分からんでもないし、現在でもこの方法が主流である学校などの場面ではこの方法を続けていけばいいわけなのだ(それに対して雇用が発生してるんだから!!)が、ところが他人に情報を送信するための技術がここまで発達した時代、顔や声に捉われない方法をなんぼでも模索したらいいしタイガイできるという時代に、そして雇用とかの必要上対面教授をしないといけないわけでもない身であったとしても、人間というこの馬鹿ザルは、何とカメラを使ってネット上でまでテメエの顔と相手の顔を会わせたがるのである。石油で牛車を走らせるような愚行だ。

・を出す・ヒトの・―情報に対する無駄で不潔で猥雑な不純夾雑物でしかない。しかし、原始人はとにかく顔を求め顔に会いたがり顔を見ると安心し顔が喋っていさえすれば何かそこにカケガエのない意味があると錯覚したがる。アホでないなら理解しよう、顔は顔にすぎない。そこには何の意味も貼り付いていない。お前は、グルーミング猿たる顔ミル猿なんだよバーカ。

言うまでもなく、SiriなりAlexaなりGoogleのHomeやアシスタントなり、すべて同じ穴の愚だ(視覚障害者等の文脈を持ち出すなよ、いちいち言わすな)。こんな バカにもほどがある音声手段がバカみたいに好き好まれるのは、声を出して聞いてとしたくてたまらんからだ(それが「手っ取り早い」とか「ラク」とか云々言うのは後づけ)。Siriに向かってウレシそうに話しかけてる奴、ほんとみっともないよな。こんなものは要らない!!!Ich kann ja Sätze schreiben!!!!!

ここで、口で喋ったほうが速く広範囲に情報を発信することが出来ると脊髄反射でホザき返してくるアホは、あらゆる脊髄反射反論バカ同様、何も考えないで物を言っている。口で喋るのが本当に効率的だとおまえは計測や測定でもしたのか、統計でも取ったのか。調査でもしたのか。自分一身に限っても本当にそうだったか実測したというのかいや一瞬でも内省だけでもしてみたのか。お前は、物事の是非や当否を事実に即して見ているのではなくて、自分がやっていることだからいいように言っているだけではないのか。自分がそれまでにやってきて、自分がそれまでに守ってきて、自分が所有していて、自分が身を置いていて、自分がコミットしていて、するもの、自分の事柄だから、そうだからそれをいいように言おうとしているだけだ、ヒトザルっちゅうのは。そして「理由」や「根拠」なんてものははっきり言って無限に思い付く。聞くだけ無駄の「作話」にすぎない。おまえは、はたしてそれが本当に合っているのかを一旦突き放してつらつらと考えてみたことがない。1つ言っておいてやろう、1音ずつしか入ってこずしかも選択性のほぼ無い聴覚情報受容と、情報の集塊を一挙に受容できてしかも知覚を自由に選択できるという視覚情報受容と、どっちが効率的か、せめて想像ぐらいできるだろ。ただでさえヒトの認知の最大の欠陥が情報を順ぐりにしか処理できないことであるというのに、この上情報の入ってき方まで愚直の順ぐりにしてしまったら、最悪に遅滞した非効率な情報受容になってしまう。

したがって、ブログで「書」けばいいのにすぐ動画で「話」そうとしたがるボケどもの、静止画アップというクズつべ動画と並ぶ、ひたすらしゃべっているだけというゴミクズ動画なども迷惑であるのだが、ただこれは、収益目的がまず第一でやってよるものでもあるし、顔を売るとか他の色んな目的があるんだろう。自分は書くのが苦手と思い込んで決めつけているのかも知れん。それは要するに書いて発信するのを・書くことを厭ってめんどくさがっているだけなのだがな。まあ色んな事情があるだろう。どうでもいい。ここまで読んだところで、おまえは、音声だと活字にない感情を伝える、動画はそのためのものだ、現にラジオや演説が政治的に煽情することがー云々とかのハナシを思い出す。(言うまでもなく、ラジオ放送や演説や講演といった情報伝達も効率上は悪しき旧弊でしかなく、その存在意味は、情緒関連のものしかない。よく考えてみろ、本当にそれしかないから。)(あと、緊急通報的なものとかを引き合いに出す者もいるだろう。うむ、冷静に書いていられない局面というのが有り、訓練すれば書くことも十分速いがほとんどの者がそれはせずしかし自分のお口ちゃんは動くもので、非常時の本能的なとっさの叫び的な救助要請は口からの声こそが何よりの頼りである、うむなるほど、非常時的で本能的で原初的で原始的な表出、まさしくそれはシステム1的なモノだな。してみると書くことはシステム2に対応するわけだが、そうかもしれないな。速いだけが取り柄だが多く情報が不正確で且つ少なすぎるシステム1思考はまさに発声的であり口が喋るときにこそなかんずく活性化するものだろう。一方、時間はかかる(ただし訓練すればそんなことなくなる)が情報密度がケタ違いでしかも客観性や事実性を備えるシステム2思考は書くという行為をしている時に比較的そこそこ働いているはずだろう。そんなアナロジーもおもろいな。ただし書くときにもシステム1は十分活性化している模様、だからどこの誰もロクなことを書けない。)

まさにそれだ。人面と人声をアホほど求めるのは、情を求めているからだ。ビデオ通話等などというアホの極み、こんなものまで作って売って買って使ってする、ここまでして顔を見て「肉」「声」を聴きたがるのは、ここまでヒトザルが必死になって音声+顔面通信にこだわるのは、感情を満たしてほしいから/満たしたらなあかんからである。正しく言うと、声を使った媒体では、可能的最大効率的に情報を交換しているのではなくて、ほぼもっぱら情緒を交感しているだけなのである。そして肉声の機能は(本来は)それに尽きるものである。むしろその点ではまだ代替も無い。ボカロではまだまだクズすぎる。歌謡なり、こういった世界なり、情がものを言う局面では、声にも存在価値が残る。同じく顔も。顔が作品の一部である限りは。つまりコトはむしろ表現の問題であって学習の問題ではなく、知ではなく情緒、知識ではなくオカルト、客観性じゃなくて(自分の)快が問題になっている。(そしてむしろこれこそが今までの人類史上の教授法の本質だったのだろう。知識を、感情とバイアスのセットで伝える。だから技能や学術に「〇〇流」「〇〇派」が生じケンカし合うという異常事態が起きてきた。したがって、知識が純度高くなければならないほど、顔がしゃべって伝える方法だと不適切だということになる。それは常に知識に余計な色を付けてしまう。記憶を文脈化してしまう。)

ごめんね ジュエル

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  • 発売日: 2013/12/11
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そしてヒトには知識や客観性よりも情緒や自分個人の満足(つまり自分の中の原始人の欲情)のほうがずっとはるかに比較を絶して大事だから、歴史もそういう道を辿ってきた。これまでの古今東西あらゆる情報提供の場で、効率的に広範囲に精確に情報を伝達することが真剣に考察分析され そのための方途が血道を上げて模索されたということは特になく(と敢えて断言しておく)、そうでなく、ひたすら、師が弟子に、先生が子弟に、親方が徒弟に、教祖が人々に、口から声ときったねえ唾を発して伝えることばかりが最優先されてきた。多少とも反省力のあるほうだった古代ギリシャでも同じで、マンツーマンで話すことこそ至高とプラトンが定義してしまっていた。対面・口授、こんな原始石器猿の情報伝達手段を誰も疑ったことがなかった。そうして、例えば電報よりも電話のほうがずっと発達してきた。具体的にどんな技術史があるのか全く知らないし恐らく知らなくても次に書くことは当たっているだろうが、電報の技術開発よりも電話のほうがずっと優先されてきただろう、電話に開発が偏っていて電報がろくに発達しなかったのだろう、おそらくそんなこったろう。想像で言うし誰も検証も考証もできない。し、そんなんも結局バイアスがかかる。少なくとも、誰もが電話が大々々々好きで、自分のような電話恐怖症の電話根絶党のマイノリティー、世界に3~4人もいない日向3期生ぐらいの少数者を想える者などどこにも居ない。誰もが、話すことが病的に大好きで、話すことに関しては自分はエキスパートでプロフェッショナルだと思い込んでいる。電話をかけたがる野蛮人

これも実におかしいことだ。当然だが人類の9億9千9十ぱーせんとが話すことの専門家ではない。そんな訓練を受けているわけでもないのに、自分は闊達に申し分なく話せれると思っている。「話」「せばわかる」とホザく(けばわかるの間違いだ!!!!)。話してそれが伝わると思い込む。声を発して、何か言って、それでどない。その構造をツユ疑うことがない。そうして、教壇に立てる立たせれると思う。教えることが出来ると思う。聞いて確かに教われると思い込む。講習や演習に「参加」すれば何かを得られると信じ込む。そして、カメラの前でしゃべってみようとし出す。んなバカな。ハナシなのだから、出した音は訂正はできないし、情報が線状シーケンシャルに入ってくるのだから整理もしずらいし、対面なのだから多かれ少なかれ緊張やアガりやイシキやといったもの、認知資源を無駄に枯渇させてくる妨害物がある。練って推敲して構成してしゃべれることなどなく、でっかいマラをしゃぶれることなどなく、感情を抜いてしゃべることなど出来ず(言うまでもなく無表情に喋っても無表情という感情がたっぷり入る、もういちいちこんな注記させるなや)、ツマリやヨドミや等々の無駄も非常に多い(編集動画ならまだジャンプカットが出来るが、この気遣いもないボケアップ者もごまんと居る)。これら喋り話しの欠陥ぜんぶのそのまんま裏返しが、書くこと読むことことの長所となる。書くことでも滅多に誰もエキスパートではないが、それでも、伝達が精確になるように努力し周到を期すことはできる。拙いものが出来ても、読むほうには、吟味して整理しながら受容する自由があるから、結局それ相当の伝達が成立する。

アホは、「手っ取り早い」とホザく(めんどくさがっているだけなんだが)。すぐ電話したがる。会議を(オンラインでまで!)開いたら何とかなると思い込む。「寄り合い」やっていたムラ社会から何の進歩もない。バカはすぐ「会」いたがる。「飲」めば何かわかると妄念する。おう、わかるんだろう、情緒はな。感情は交感するだろう、それなりには。しかしそれは合意ではなく説得ではなく、論理的な納得が形成されるわけではない。客観性や事実性の交換は特に無い。そしてそれは感情が顔を出す場面では決して達成されない。声を出し声を聞かされると、感情という知性の邪魔が発生し、すべてを台無しにする。アホは、この感情面を勘違いしつつ、対面と肉声には書写物にないプラスアルファがなにか必ず有るんだと思い込む。それには自信があるだろう。実は何の根拠も無かったとしても。その得体不明の自信、そいつが、おまえの中の原始人だ。そう、おまえの中の「感情」と原始人脳はおまえ自身をはるかに凌駕している。おまえはこの最強のバカに確信洗脳され、今日も、会って話そうとし、できないなら、メールが有るのにPDF添付mp3配信が出来るというのに、まずもってビデオ通信オンライン会議をしようとする。今日も、バカ人類が、バカづらと間抜け声でへたくそ極まりないボケ発話を突き合わせる

オンラインのリアルタイムでと言うなら、精確で余計な感情やイシキなくしかも混雑なく(しかも完全に記録に残る)最も理想的な通信手段はチャットである。そうかぁ?と思ったら、今のチャットが未発達すぎると理解してみろ。今のですら 使ったらわかるが電話の5億倍効率的であるというのに、まさしく人類(←バカと読む)が声媒体にばっか頼ることによって、すぐ電話しようとしてくさることによって、その分だけ使われていないことによって、発達が滞っているのではないのか。結局これも、大勢力の原始人たち、顔キチ声ガイ勢力に圧迫されてしまっているメディアなのではないのか。

人類というアホは確かに上述の歴史の中でも印刷を発明し郵便制度を整えメールを完備してきた。が、話したい聞きたいという原始の呪いに足を引っ張られているぶんだけ、視覚による通信の発達が遅れているはずだ、今の水準でもだ。今と違う歴史があったはずだ。いつの世も、オワってるものがオワってるものだと理解できないバカたちが進歩の足を引っ張ってきたものである。

 

と書いてきて主張していることは、もうはっきり言うと、対面や通話や会議などにコダワる傾向を暫定的に見直して行ったほうがいいとかいったようなそんなヌルいオルタナティブ提案的なものではない。上述した例外を除いて人間の生身がわっざわざ登場することにナンかしら特別意味のあるような可能性が情報伝達に関してはほとんど全くなくこんなもの金輪際登場せんでええぞコラあほんだらということである。だから今現れている多数の場面で顔などというゴミが現れなくてよい(どんな場面かというと、上掲リンク先の記事を読め)。そして「人」の「声」から知識を得るという事も全面的になくなったほうがいい。誰でも納得いく例を挙げると、例えばニュースなどだが、そもそも音声など無駄そのものであって字で十分(自分などFirefoxの最高の神アドオンVideo Speed Controller(つべだけでなくどんなストリーミングにでも使える)を入れて3倍台速で聞いている、世の中の人間全員が喋るのが余りにも遅すぎる)なのだが、特にヒドいのが、事件や事故などそのものを映している映像がないときに、今現時点は別になんにも無い「現場」を撮っただけの映像や、関係のある省庁の建物を撮っただけ(!)のカス映像や、その他、関係があることはあるがその絵自体は別に見せられても何も得ることがないというお茶濁し映像を流しながらひたすらキャスターが読んでるという視聴者を愚弄したクズゴミ以下のカス映像、そして外語話者の外語音声を愚弄するバカそうでバカそうで仕方ない音声「吹き替え」、これを思い出せ。最悪最低なクソ例を挙げると、SNS投稿等々の《ネットの声》という(!)、これを、そもそも全文表示してあるというのに、いちいちわざわざ読み上げるというのが流行っている。ほんとによ、これだけは心底やめてくれ。1言2言の中身ゼロの反射反応レベルの便所落書きをだ、国民市民の代表的な意見的に・《人々の反応》的に大げさに引用してきて、それをバイトか誰かのドマヌケな声がバカみたいに律義に読み上げているのである。番組制作者は国民をアホ集団としか思ってないのか?こういったようなものを見るにつけ、視聴覚メディアという愚の中の愚にこだわりこれをアリガタがるのが如何に愚であることか、多少はワカルだろう。

 

ところで、動画と言えば、スマホタブレットで動画を見たがる信じ難いアホが居て、スマホタブレットに動画再生能力を要求するという呆れも果て返り果てたアホのバカなのだが、何を考えてんだろうか。フルハイビジョンの秀麗映像を無理やりちっちゃっこい画面で見て何が楽しいんだろうか。そんな、自分にもデバイスの運命にも苦行にしかなってない愚行をやっていて、おかしいことに気付かないのだろうか。お前もうこれからドールハウスの弁当食えや。「今回のiPadは動画が…」←しゃべんなバカ。

 

BLACK FLOWER

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