地上最強のブログ

しばいてくぞ

余の訪園録 (8)

 

前回の記事から

般化してしまい、あたかも世間全体が敵に回ったかのような錯覚に陥る。自分に対するニーズは世間数十億人の各人で各様にばらっばらなのであって、誰に何を言われたとしても、そいつのすぐ隣の者ですら全く別のことを言うかもしれず、自分がどう見られるどういう人間なのかというのは本当は極めて判断しづらいものである。しかしそうやって自分を慎重に定義していって世人と慎重に関係していくという手間のかかる生き方がメンドーなものだから、いっぺん〇〇と言われ見られたらハイ自分は〇〇なんだと短絡してしまい、考える労と価値を捨ててしまうのである。こうして例えば不良は不良になる。いっぺんそいつに徹底的に想起させてみたら、ヒネくれるに至る原因となる人物が本当はたった2~3人かも知れないのである。冷静に分析したら、「困った」「子」たちというのはその淵源がしょーもないものでアッサリ解決可能なもの、何ともしょーもない誤解をしているだけのものかも知れないのである。社会問題ともなる「学校」の児童たち「荒れる」少年少女たち、こやつらは、そない1人1人が番組組めるほどの不遇な環境に育ったのではなく、ただ単に認知のショートカットを起こしているだけだったりするはずだ。ただ、一貫性の原理という性向に従うから、実情がどうであれ、一度不良やり出して一定期間経ったら簡単には辞めれない。何のことはない、子供というのはバイアスや認知欠陥や短絡思考におそろしく弱くこ

春の光 近づいた夏

春の光 近づいた夏

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れらの奴隷なのであるから、こいつらの問題は多くが「意」や「情」にかかわるものではなくて「知」に関わるものなのである。世の少年少女もの不良もの児童問題ものの漫画ルポ小説映画の1つ残らずすべてがこのことを知っていず、ただ盲目的のめくら滅法にこやつらの荒れる模様を描いて無造作に提示しているだけであるこやつらの問題は「愛情」不足なのではなくて認識不足なのである。知らんかっただろ。さてしかしながら、よしんば敵はわずか数人だったかもしれなくても、八つ当たられる者となるとこれは何十人にのぼる。短絡的な一般化というもののせいで、解決したいのは飽くまで顔も名もある具体的個人数人だというのに、《世間全部が敵》と敵が抽象化されているから、実害が及ぶのがその数人にとどまらない、ばかりか大抵はその数人などすでにどこにもいず無関係の何十人がとばっちるを受けるのみとなる。これが不良や悪者や犯罪者の内実だ。認知エラーを起こしているだけ。こういった話は大々的な暴動や為政者による弾圧にまで通じることであって、人は、抽象的観念世界に住んでいるほど暴力的になるのであり、そして、おそらく、極度に具体的に考える人は極度に平和的である。)

いいか、まず喋ってる生き物からしてがその喋りに関して極めて稚拙にして無能である。次にそいつの喋り内容が取材者が聞き出さなければならない事柄からテンデ的外れであることもいくらでもある。あと言っとくと、インタビューやヒアリング(といったクソゲロ気色の悪い糞カタカナ語もどうにかならんか)に応じてしゃべくってるそいつ、そいつはそもそも喋りや語りのプロではない。そのそいつが、「口」を使って文章を発することに有能でも何でもなく、思っていることと裏腹のことばっかしかどうしても喋れてません、しかもそのことが本人の意識にのぼっていません、てな者だったとしたら、そのインタビューは一体何をやっとったんかということになる。

はっきり言って、《当事者なのだから、そいつが喋るのなら、そりゃ真正なのであろう》という思い込みは、この記事でも触れたハロー効果の一種に因るものであり、ただただ思い込みであるにすぎない。

 

たしかに、本シリーズはもちろんこの記事などをはじめとして本ブログ全体で言葉というものの空虚さ無意味さその真の下心を暴いているものの、その言葉というのが現実の場面では効力を大いに持っていることこれは然りである。そんなことはわかりきっている。《実際は言葉に一喜一憂するではないか…》などと指摘してもらわくても、言葉というものが普段なにをもたらしているかなど十全に承知しているし、言っとくが、例えばJohn A. Bargh, Mark Chen, Lara Burrow: Automaticity of Social Behavior: Direct Effects of Trait Construct and Stereotype Activation on Action(Journal of Personality and Social Psychology 71/2 (1996), 230–244)によって明らかになっているフロリダ効果のようなものをはじめとして語彙刺激によるプライミングなんかについてもよくよく知っている自分など、言葉のチカラなんてものは人並み以上にわかっている。本ブログがやりたいのは、言葉というのは実は虚しいんだよという事実の発見ではなく(事実はそうではない)て、そうなのだと判ったほうがいいよという認識の奨励である。言葉は実はそこで「鍛え」られ「研ぎ澄まされ」「豊か」になればいいものなのではなくて、徹底的にバカにできるようになったほうがいいものなのである。こいつと精魂込めて付き合うよりもこいつからとっとと解放されるほうが正しいのである。

 

さて、何を言ってもどっから見ても、当園の動物たちは、自分たちが視野狭窄し認知偏向したバカであることを、心のドン底から好きこのんでいる。

この動物の120000%が、エレベーターに乗ると階ボタンを押してから「閉」ボタンを押す。扉を閉めるほうが急がなあかんことであって、扉が閉まっている数秒の間に階ボタンを押したらいい話なのに、なぜなのか、真っ先に階ボタンを押したがる。おまえは急いでいるのかいないのかどっちなんだ。そして「閉」ボタンを連打するバカが湧き、ついには、「閉」ボタンを押さないバカが湧く。つまり、エレベーターに乗るという簡っっ単な行動1つ取っても、自分が何をしているのか・何をしたいのか・何に何をしているのか、この移動箱が何なのか、等を1秒1刹那でも考えることをせずできず、1ピコ秒考えたらそうする筈だという行動をいささかも取れないのである。

こんなにも何も考えず、いつもやってる習慣による無意味行動を繰り返すのである、一生。どんな頭の悪すぎる行動も、それがそうするものでそうしてきたものであるなら、その行動をとり続けるのである。クルマで運動施設に着いてたかが2~3階までエレベーターで移動する身障者かと思うと、何十分~1時間以上ベルトコンベアを必死に漕ぎ出す(+聴覚を殺し迷惑を垂れ流すくそイヤホン付き)のである。一体なにがしたいんだ?

汗をかけば必ず「顔」を拭く。顔を拭いたらそれで気が済むというアホ、頭隠して云々を揶揄される動物と同じ未満である。まず、顔など拭いても意味がないしデメリットしかない。人体のなかで最も長時間風雨風化にさらされている顔の表皮というのは、極力触らず洗わずにおいて湿潤と皮脂と菌と精と液に保護させておくのが、本当はベストである。拭けば保護フィルムが取れてしまっているのである。一方汗かいて拭いたらいいのは脇の下に限る。心配でも1時間に1回、何なら2時間に1回でもいいから、暑熱下などで小まめに脇の下の汗を布で拭いてみると、びっくりするぐらい臭い防止できることが分かる。タオルは乾いてるものふっつーのものでぜんぜん結構で、ただ時々拭くだけ。こうしとくと、拭くのサボったら半日で悪臭雑巾が出来上がるのに対して、朝から晩まで歩き回ったとしても、少々汗ばんだシャツの数時間後ぐらい程度の匂いに収まってしまうのであ

ユングやフロイトの場合

ユングやフロイトの場合

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る。脇の下はほったらかしておいて激臭にクッサくなっていながら顔面のほうは後生大事にふきふきしているそこのあなたバカ、一体なにがしたいんだ?(わかったら明日から店のおしぼりで手じゃなくて脇の下を拭こうな。)

例えば5万円でゴミ袋入りのゴミを買わされたとしたら誰しも憤然とするだろうが、5万円をスロットやルーレットに注いでも何も不快感損失感を知覚(すら)しない。ゴミ袋にはまだ何か入っているかもしれないが、賭博に費やした時間は空虚の絶対空無でしかない。そんなことも、考えてみない。《みんなやってるしそれはやるものだしそれはなにかいいものなのだろう》というフンワ~ばっくぜーんとした胎児未満のイメージがあるのみ。一体カジノやパチンコというモノに於いて自分が経営側から何をされているのであるのか、これらが人類にどれだけ不要の宇宙デブリであるのか、ということを一生80年間のあいだ一切まったく認識せず反省せず思考しない。

 

人類における斯ような種々の痴愚ぶり愚昧ぶり、自分の体のこととなると安定の平常運転を見せてくれる。

本や新聞などで《私の一日》を紹介する時には、決まって必ず、睡眠時間が6~7時間を切っていることを示すという見栄張りをやりだす。《25:00就寝、7:00起床♡》といった具合に。短時間睡眠がカッコいいとい

次回の記事に続く