地上最強のブログ

しばいてくぞ

誰も言わんこと (1)

誰も触れようとしなかったりおざなりにしてたりする脳科学上の知見や事実を掘り下げて論じてゆく

考える脳 考えるコンピューター

考える脳 考えるコンピューター

だが、軽そうな装丁とまったく裏腹に強烈にクリティカルな議論をしていること、ここここでアフィ貼った『言語が違えば、世界も違って見えるわけ』(9784772695336)を思い出させるものがあるが、とにかく、今後この本には一生影響されるだろう。例えば「共感覚」的なものであるとか、ここでアフィ貼った『意識は傍観者である』(9784152092922)で描かれる通常の受容器-感覚が入れ替わる現象など、神秘でもカッコいいものでもスゲーことでも何でもなくて脳の構造上起きて当ったり前のことであることが、本書の60頁~を読めば分かる。その話を展開する136頁~など瞠目開眼モノの悟達明鏡モノである。

例えば『脳科学より心理学』(9784887598829)などのような本が言いたいことはそれはそれで分かるが、脳の構造とプロセスから上掲書ほど説得的に心理を説明できるのなら、脳研究が心理の理解にやはり多大な意味を持つことになる。例えば脳のプロセスがシーケンシャルであると言うが、これほどハッとする知見もなく、与えらえた情報に対して頭から尻へと順番愚直にしか取り組めないような認知バイアスをそっくりそのまま説明している。他にも、行動に関しては多くを述べないという姿勢でいながら、新皮質において情報受容からのボトムアップと「予測」というトップダウンを相互に擦り合わせていることの描写など、運動の習熟や技能の修練や、総じて身体運動の日常と事実を余すところなく解明している。

 

もうさんざん言ってきたが、誰でも喋ってることを喋るアホも、喋られてることを他の奴と同じ口調と感情と論旨で論じるオウム返しバカ(オウムはバカではないが)も、総じて他人と同じことをするカスというのは要らない。そういうクソ言論は本ブログはやらない。自分が思ってたことを相も変わらず確証させてほしくて昨日読み最近読み去年も読んだのとおんなじ内容の記事ページサイト動画に飛びつくアホが期待できる何も本ブログは提供しない。

というブログだが、たまにはニュースから始めてみよう。現在、またはここ数年、またはここ数万年、知ったことや学んだことを自分の中だけに閉じ込めて自分内の私秘空間内だけで楽しんでそれで事足れりああ満足という奇病が流行しています。これに罹患した病人は、本を読んで知ったことを人に話さなくても平気でいられ、感動した楽曲や人々などのことを誰かに伝えなくても、自分が考えてみたことや自分の考えや主張を他人に聞かせなくても、自分が経験してきた理解してきた有益な知を人と共有しなくても、総じて共有によって「みんな」を高めみんなに資するということをしなくても、何もツラくなくむずかゆくなく勿体ないと思わず意に介さないように、なってしまう。人間が他者に開かれた・開かれることができる存在だという数千年間思想と哲学と文学とが繰り返してきた命題から、人間が社会性霊長類であるという事実から、を挙げるまでもなく、他人と交わっていないほど人はヒトとしては病気であり、伝えたい欲が減退しているほど心が末期ガンである。こんな、自分だけの中で完結満足ハイ終わり自足自慰という異常者が、いまや、と言うかいまなお、見渡す限りゴロゴロうじゃうじゃ居る。テクノロジーが、書物や書写という汚ならしい世界からデジタル媒体の世界へ移行させてくれるように、そういった、ただただイイことしかないIT技術/産業というものが、自分を発信する手段の提供という点でもただただ功績を上げており、実にこういった異常者が駆逐されていくことが願わしいのだが、いかがだろうか。ところで、人間というのは今の今だに嬉々としてレコードに針を落とすような骨董趣味の懐古阿呆でいられるもので、そんなに新しいものがイヤなのならレンジを捨てて囲炉裏を焚いてスマホを捨てて手紙()を出してテレビを捨てて山奥に暮らしたらいいのだが、それはともかく、趣味も知識も縁故者の内輪で交歓して済んで満足していられた時代、炉端と井戸と汲み取り便所の時代はとっくに終わっており、その時代に住みたい異常心理の唐変木ならまだしも、自分が持っているものを自分内部や狭い所に閉じ込めておく根性は、進化論や地動説に抗っていた根性と同質のものであると覚悟しておけ。とっとと現代に生きんかい!!

 

何かを評価したり判断したりする時に《〇〇による》だとか《何に使うかで…》だとか《〇〇によって違う》だとか《まずはモノを見てみないと》だとか《あなたが何をしたいかによって》だとかをホザくバカがいるが、こういう、相手が何を求めているのかも・今の文脈で何を言わないといけないのかも分からず、回答でも何でもなく中身も何もないトートロジーをまず口にしたがり書きたがるバカというのは、喋られると迷惑なだけのバカである。しゃべるなボケ。《それはケースバイケースで》…当たり前だよバカ。そんなこと分かりきってるわ。こういうアホというのは、例えばどんなPC部品を買えばいいかという質問に対して《それは用途によって…》と無内容無意味な紋切り型を繰り返す分かりきった当たり前のことをホザくなバカ。こういうことをホザきたがるアホというのは、「自己責任」とホザくアホとアタマが同じで、つまり相手のほうでトラブルが生じるのが自分のクソ良心に痛苦しいものだから逃げを打って一般的注意事項を述べたがるのであって、ゆめゆめ老婆心によってそうしているのではないのだが(というか老婆心というのがそもそもこういう逃げ打ちのクソ根性なのだがまあ老婆に失礼だから日本語変えろ)、とにもかくにもアホすぎるものだから、自分の中でそういう心理が起きてそうしているのであるということもわかっていず、何がしかいっぱしなことを言えていると永遠に誤解する。

ちがう。アドバイスを求める者は、断言してもらいたいのである。「一概には言えない…」じゃなくて、一概にズバっと言ってほしいのである。お前が自分で勝手に正確で誤りのない客観的知識を話さなきゃと思案している一方で、聴者のほうは、主観的に確信させてもらいたがっているのであり、知ではなく信を欲求しているのである。そうであるから、よしんば発言が半分ぐらい嘘になろうとも、ぜんぜん構わないのである。それが嘘らしかろうとすら気付いていても、求める者は、それが聞きたいのであり、それを聞いて満足して帰るのである。(こいつに反省力があるなら、発言内容がいい加減でも、あとあと自分で気付くだろうし、なければ、どんだけ熟考し抜かれ慎重を極めた発言であっても、その価値を感知せずたいていは歪め倒す。何をしゃべってやっても結局は相手のオツム次第なのである。そこまで言葉を吟味彫琢しても仕方がない。発言でも記事でも論文でも何でもそうだ。完成するまで内にためこんでおくなバカ。半端物でもいいからとにかく出せ。とっとと出せ。「publish or perish」なぞ当たり前のことなのであって考えさせられるような言葉ではない。お前は発信というものをカン違いしている。この記事読んどけ。)あくまで確言してもらいたいのであり断定してもらいたいのであって、お前が自分自身だけのために工面している慎重な態度などというクソ未満のクソには何の用もないのである。

さらに、慎重な検討や足取りが要求されるような場面でも、〇〇ニヨッテ~デスカラ…留保は無駄口でしかない。なぜかというと、ニヨッテチガウなんてことは当たり前だからである。言うまでもないことで聞かされるまでもないことで字数稼ぎの邪悪な原稿料稼ぎでしかないからである。それでもなぜそれをアホは口にしたがり字に書きたがるのかというと、心配だからである。自分が、心配だからである。但し書きというのはえてしてこういうもので、事柄の客観性の確保のために喋っているのでも、読者に配慮して書いているのでもない。自分を慰撫するために書いているのである。ぜんぶ自分だけのためなのである。そうであるから、〇〇ニヨッテ~デスカラ的…な(的なであって他にいろんな文言がある。自分で思いつけ。この文例にだけコダわることをするなよ)断りを入れる奴というのは、誠実な書

君のために僕は…

君のために僕は…

  • AKB48
  • 発売日: 2013/12/11
  • メディア: MP3 ダウンロード

き手述べ手「回答」者であるのではなくて、我が身かわいいだけの不誠実な欺瞞者であり、公開自慰をしている犯罪者なのである。こんな奴らに注意しろよ。

 

何事にせよ、「気分が」「悪く」「なる」ような事があったり聞いたり見たりして「気分が悪」くなっている場合に「気持ち」の「いい」話や映像や体験などで紛らわそう解消しようとするアホというのは、空腹の者にボディーブローくらわせて食欲をなくならせて解決したと思えているアホと同等のアホである。ここでもここでも述べたが、頭隠して尻隠さない動物とはヒトのことなのであって、鳥などのせいにしてはならない。(それにそんなことをするダチョウなどいない。それはプリニウスによる創作である。プリニウスに失礼だ。)誰でも知ってることだろうが動物において見られる醜い点や悪い点というのは人間のそれを投映しているだけのものにすぎず、それ以外の何物でもない。

ところで、ここここで述べたことと関係するが、肉食や食肉や畜産を否定または批判する人々を必死であざ笑っているゴミどもは、なぜそうするのかというと、自分が肉を食べたいからである。自分が実際に肉を食べていて、自分なら秒も耐えられない生き地獄の苦痛を数十億の動物が被っていることを弁明し正当化したいからである。そのためにベラベラベラベラ肉の必要性だの生き物を殺す必然だのをエラソーに引用と口真似で説いているが、それは、自分を弁明しているだけなのである、孫々々引きぐらいで。つまりこいつは殺生史のことも動物観のことも畜産業のことも必

次回の記事に続く