地上最強のブログ

しばいてくぞ

この世に無難は要りません

Vertreter der Wahrheit. — Nicht wenn es gefährlich ist, die Wahrheit zu sagen, findet sie am seltensten Vertreter, sondern wenn es langweilig ist.

(Nietzsche, Menschliches, Allzumenschliches I, IX/506)

 

(誰も話題にしなくなるのは、言ってはいけない事だからではなくて、おもしろくも何ともないからである。

ニーチェ

 

この記事で見ている確証バイアスをあぶり出す数列の実験だが、他の数々の実験がそうであるようにこの実験もけっこう多義的で、もっと他の認知欠陥をおびき出しはじき出ししばき出す。しばいてみよう。

余談から先にしておくと、この実験で誤答するのには「リンダ問題」(←アホみたいな名称だな)が知られる連言錯誤も絡んでいる。問題を出してきよるぐらいなのだ、数が単に増えていくだけだなどという答えなはずがあるまい、なにかしらの或る増え方で増えていくはずだ、とプラスアルファしてしまうという誤謬。

花火は終わらない

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余談これで終わりで本題だが、この実験を、この実験をやる時の対面式ではなくて、一堂に会した多人数の前でやると、たちまち、上記バイアスとはまた別のものを見出す実験になる。例えば教室で学生相手という状況など。学生というのが大部分が他人と違うことやそう見られることを極度に恐怖する精神異常であるという点でも(オリジナリティと気骨にあふれる可能性たちではないからな、幻想もつなよ)、この状況想定が都合がいい。もちろん今学生を例示したのは単なる一例にしていち例にすぎなく、以下より学生の話はまったくしていない。勘違いするなよ。

さてそれでは、ありきたりにも「2・4・6」を呈示しよう。法則を当てるまでの手順を説明しよう()。で、例を出してくださいと言うと、どう返ってくだろうか。まず、偶数倍数漸増の数列が返ってくるだろう。それも「2・4・6」から大きく外れないように安直にも1ケタのが。そしてその例ばっかり出して来るだろう。そして誤答するだろう。

となった時、どう解釈(実験とは解釈されるものであり研究に対して意味が色々であり、それは哲学上挙示例(思考実験とかいうアホをええ気にさせるキモ名称が有るがこれは想像実験または実験想像の誤りである)も同様である)するかだが、確証に凝り固まっているというほどカッコいいものでもないことがほとんどだろう。では何なのかというと、今の状況設定で被験者が偶数倍数漸増の(1ケタの)数列を出して来るのが何のゆえなのかというと、大方は、ヘンな例を作ってみんなに見られるのが恥ずかしいからである

そんなバカな?いや、無難大好き人間の無難安直愛好フェチぶりフェラチぶりを舐めとったらあかんよ。ナメんな。こいつらは自分が恥をかかない・目立たない・ヘンに思われない為にならどんなくだらない人生でも環境でも交遊でも授業でも諸手を挙げてうんこをもらして血ヘドを吐いて大歓迎するんだぞ。無難でありきたりで退屈で無刺激で無味無臭という自分ワールドを固守死守することに血道をあげる一種の化物なんだぞ。無難教安直安全派の教義に盾つく異端を粛清するためにこいつらは史上最多数の人間と表現者を殺してきたんだぞ。常識人や一般人というのはこのような(自分と他人の)殺戮に明け暮れるモンスターなのであって、「一般」や「ふつう」とは凶器や殺意の別名、またはキチガ〇の別名である。

本当は、246を見た時点で、135も思いついたかも知れず、いやいや123も102030も624も246789も思い付いていたかも知れない。ただ、ああみんなに見られてるなあという脅迫観念の強迫でアタマがぱんぱんになっていて、246と見たらパっと思い付くのは偶数ということだよな増えてるってことだよなみんなもまずそう思うよなよし自分もそう言っておこう、と(無)思考過程する。そして何回例を作らせても一緒だ。こいつ及び集合物「みんな」が一丸となって、偶数デ増エテイク24681012…の思い付きに飛びついて凝り固まって、もう他のこと何も考えなくなり、安全無難派のおつとめを果たしている自分をことほぎ、よーわからん実験はよ終わってくれんかなと天に祈る。他の者を当てても同じだ。むしろ、1人目が首尾よく偶数漸増例ばっかを出してくれたらこちらとしてはシメたもので、2人目以降などなおさらますますもって偶数漸増例しか出さなくなること請け合いである。それは、あくまで、まちがいない法則はコレだという確信を強めているからではなくて、1人が↑こうすると、自分1人が変わったことをするのがなおさらますますもって恥ずかしくなるからである

アホとは、ここまでアホなのである。わかったか。

(なお、他の心理学実験をやったとしても、例えば「アッシュの同調実験」をやったとしても、そこで炙り出せる感情が同調圧力とは限らず、自分1人だけ周りと違うことを答えるのが恥ずかしいという感情であることもあるだろう。)

() 炙り出せるものがまだ有る。説明の際に、「例を出してもらって合っていたら合っていると言います。合っていなかったら合っていないと言います」といったようなことを言うだろう。言うというのがミソで、こうやって字にしているのを読んだらそうでもないだろうがこの「」内を口で言われただけだと、間違いなく、「合っていなかったら合っていないと言います」を聞き飛ばしよるだろう。聞き飛ばすんだよお前は!!!そうして、確信内容がそうではないことを確認することをこそ今問われているという場面で、ヨリ大事なほうである後半を聞き逃してしまうのであり、否定こそされてみようという肝要ポイントに注意が行かなくなるのである。脳裏で、「合っていたら合っていると言うのだから、当然、合っていなかったら合っていないと言うに決まっているではないか。何をわかりきったことを。後半になど注意する必要なし。右の耳穴から左の耳穴に抜けておけ」と瞬時に注意抑圧をすることによって。そう、どうしても、正Aを聞いたら負Aを聞かなくなる。どうしても、順番バイアスにより正Aのほうからしゃべってしまうから、誰もかれもどこでもかしこでもそうするから、この習慣の力によってもまた、肯定側イエス側その通り側のほうにしか注意が向かなくなる。習慣全体で社会全体で確証バイアス傾向を助長する。ところで、このように、聞いてわかることを聞いたら、時として勝手に補完や拡張をしてしまって言われてもないことを創作してしまったりするし、この記事で書いた方舟問題のように、明白に眼前にある誤りを看過してしまったりする。アーアーアー ソウイウコトナ ハイハイハイハイハイ アレナ 知ッテル知ッテル知ッテル……こうして知能は働きを停止する。学生は内職し出す。見つかるものも見つからず、ありえたはずの成長も認識もしないで帰ってしまう。バカは話を聞かない

 

ところでこういう事を言う(上記リンク先諸記事も読め)と、いや誰しも他人と違った生き方なんてしてたら社会が成り立たなくなるよ云々系の脊髄反射アホ発言(つまり中身がまったく無いただの空気振動または視覚内物体)を繰り出すボケのアホが必ず湧くが、空無空虚にもいちおう答えてはおいてやると、お前は自分が何時代に居てお前の回りに何があるのかも存じ上げていないほどのアホバカなのか、と言うことになる。お前はマンモスを狩って木の実を集めてる穴居ピテクスか?お前は、どこの古墳時代から物を言ってるシュメール人なんだ?

現代とは、誰でもが他人とちがった生き方(にしか快も答えも意味も無い、歴史知れ)ができる時代である。(ちなみにそのことを考える上で

ORIGINALS 誰もが「人と違うこと」ができる時代 (単行本)

ORIGINALS 誰もが「人と違うこと」ができる時代 (単行本)

という本がぜんぜん何の関係もないのだが、それは商魂によるアホ邦題のせいであり、この本はそういう内容としてではなく極めて面白い。)ネットがありデバイスがある。その点では、先進国に生まれてるかどうかも2010年代にはあんま関係ない。どんな日常とルーティンと無味乾燥と職場往復に埋没した生活なようでも、単なる労働力・国家のコマに終わらないで自分を持てるし、発信できるし、表現者たれる。上述心配バカよ、今を見ろ。お前と我々はどこに生きてると思っとんだ。そして、たとえ表現者たるところまで独自のスタイルで生きていなくても全くよくて、ただ、他人と同じことしか出来ない無難安直の迷妄暗愚人間でいないことが、誰にでもできる。世界のなにがどないなってんのかの情報に容易にアクセスでき、なんぼでも啓蒙されうる。他人と同じことしか出来ないしゃべれない無難安直の迷妄暗愚人間になって表現者を殺すというこれまでの歴史上の人類活動テロ活動から手を引くことが出来る。叩いてるのは集団ヒステリーだと分かる啓蒙されうる。体制支持してんのは伝統固執バイアスだと目が開かれうる。ちょっとググれば、安価な本を読めば、ちょっと動画を観れば、すぐ近所の集会に出かけたら、色んなスタイルと表現が有り意見と意識が有り、オルタナティブが有ること、これが、容易に理解できる。

これほどの文明水準でいまだなお信念と懐古とバイアスと無知の奴隷なら、そんなアホは流石に救いようがない。