地上最強のブログ

しばいてくぞ

nichtの意味 (否定すんな)

 

前回の記事から 

という知見を得てその後テキストに取り組んでいっても結局不可解な位置のnichtに出くわす。それの解決にもなるかも知れないつもりで更なる知見。

47の素敵な街へ(チーム8)

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その話に関して否定一般のこと。否定自体は中身ゼロである。¬XとはXが有ってのみ成り立っている。¬XはXに有らせてもらっている何らかのゼロである。¬に至ってはゼロよりもゼロ。《〇〇の否定》だとまだナニカではあるように見えなくもないが、否定それ自体などは純粋無にして無いよりも無いやつ。また、¬XとしたところでA自体が変化する訳ではない。「¬X」と言って「X」を「猩々」に変えれはしない。これが、有に対する否定の惨めさ。詳しくはスコラ学参照。

突然宣言するが表現者というのがあって表現者で居ている時の限りは有である。有そのものである(その限り以外の時は聞いてない)。表現者と言ってるのは、表現ということをしたい側、その全部全員のこと。収入ノタメという生き方に収まらない者であってしまっている人間全員併せてをこう呼ぶ(収まっている奴なら、いくら表現者の世界に居ても、実はただのサラリーマン)。つまり、《活》《計》《きるため》とかいう、「生」とか言うしょーもないモノに回収できないモノでやっていきたい(いかないと気が済まない)連中。クリエーターから思想家から職工から〇〇講師からユーチューバーから俳優からレスラーから平行棒から〇〇革命から兵法からInsta画像からン億絵画からレナート・グリーンから為替株式投機からデザイナーからソエリムから洞窟から沢屋から極地から〇〇一周から放浪から刀匠からショーバスケから〇〇詩人から街頭絵描きから〇〇スピーチから武術から教会建築からスタジオ美術からフーガ技法から毛筆硬筆からアカデメイアから「〇〇教育」から陶芸からメーカーからグラフィティから〇〇作りから〇〇壊しから等々々々々なんでもいいから、全員全部。こっちの表現者の側が、アリアリと有る存在者側。こっち側 vs 文句つける側。有そのものの前者に空虚空無のを付け続けてるのが「一般人」。前者は常に少数側で、後者が常に大多数側。人間を2つに分ける方法は100兆8900億個有るが、今書いた分け方以上に世界に有意義な分け方は無い。何故かという、世界が表象としての世界だから。この図式自体は正鵠正克にして一点の曇り偽りも無い宇宙の真理。ただ、否定の性状をもうちょい明かす。(なおこの記事下段参照。)

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なお、確認するのもバカバカしいほど自明な事実を一応念の為に確認しておくが、表現者とは表現行為している限りのモノであって、それ以外の時のその人がどんなであるかは、まったく完全に、どうでもいい。その表現者がどんな顔をしているかはどうでもいい。どんな車に乗ってるか・何人と付き合ってるか・何年生まれか・どこ育ちか・どこの州出身か・どこの国出身か・兄弟姉妹が何人いるか・今どこ住まいか・反〇か親〇か嫌〇かマル暴か・右寄りか左寄りか原理主義者か応用主義者か・還元主義的か酸化主義的か・行動主義か内観主義か・誰より上か誰より下か・誰よりも高く跳べ・どんなスキャンダルしたか・どんなファン対応か・事務所がどこか・休暇がハワイか国内か・月間スケジュールは・将来目標は・血液型は・出身校は・星座は・好きな食べ物は・髪型は・愛用のブランドは・猫の名前は・最近のニュースは、等々、一切合切が、全然まったくどうでもいい、誰が知る必要も無いことである。「親」など、クソかけらも関係ない。家系なぞ、クソごみ未満の無価値。パフォーマンスに使った道具も、どうでもいい。バットの材質と安打率には関係が無い。指揮者の態度も棒も、演奏の好し悪しとは無関係。画家の道具も、小説家の机も、学者の書棚も、ブロガーのクソMacも、お前のゴミクソAppleも、量子力学が使う望遠鏡も、博物学者が使ってた溶媒も、進化論者が乗ってた船の名も、ゲノム解析陣が使った試料も、プレーヤーのラケットもシューズもウェアも、その他その他何もかも、この人たちが世に問うていた・いるもの、その《パフォーマンス》、表に出ているモノ、表-現した内容とは、一切全く只のひとっかけらも関係ない事柄、表現を受容する側が金輪際全然まったく0.1ミリも知らなくていい事柄である。小説家が出馬しなくていい。芸人がオピニオン喋らなくていい。首相の趣味なぞ聞いてない。タレントの健康なぞ聞いてない。アルピニストの思想なぞ聞いてない。開発者漫画家制作スタッフ社員の苦労なぞ聞いてない。誰といつどんな結婚をしたかなど、存在しなくていい情報。俳優の私生活など1文字も書かれなくていい。総じて「裏話」なぞ聞いてない。ランナーの日課なぞ聞いてない。力士の風呂なぞ聞いてない。監督の厳しさなぞ聞いてない。職匠のこだわりなぞ聞いてない。パティシエの前職なぞ聞いてない。横断ヨットの名称なぞ聞いてない。そのオリンピアンがデカかオキシかトレンかHGHか「ベンチ何kg」かなぞ、気にしてるお前には、なんの関係も無い。「年収」などその表現者の表現と何の関係もない。その他その他。なお、この話に関して脊髄反射でゆうてくるのが丸わかりの稚拙幼稚反論に関してだが、この記事の後半を読め。さらに何よりもこの記事の後半。
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スキャンダラスに行こう!

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例えば3足す4は7でないと言うとなぜアプリオリにおかしいと思うのか。否定は確かに絶無のゼロで、やる奴も中身ゼロだが、「ではない」がもう一歩で「ではなくて」だということも思い出したい。nichtにはその後のsondernが控えている。でこのその後は、無ってわけではない。し、「ではなく」云々を言う気だったのなら、否定してたのも、アホではないくなる。否定が生きる。ここで早計に飛び付くなよ。否定して、而して次に、sondern〇〇〇なんだよ、となっていたら、じゃあ何も悪くない、とは言ってない。第1、〇〇〇が否定されたものよりも目に見えてクソうんこだったら、結局否定クソが別クソになったに過ぎない。世の中には、実に本当に摩訶不思議、天地神明 竜陣剣、聞いて不思議見てしばくぞ、どんな何にでもケチを付け出す奴が湧くのである。ごく一例を挙げると、例えば、フルトヴェングラーがわからないという奴が、実に存在するのである…。フルトヴェングラーを聴いて何も感じることが出来ないとか不満があるとかいうぐらいなのだから、(こんな非人とは話したことがないから知らないが、)こいつのお気に召す演奏とはそれはさぞかし驚天動地の前代未聞、終わる世界の時の門なのだろうと予想されるのだが、予想などしなくても答えは分かってる。こいつは、よくそんなものを聴いて楽しいなと呆れるしかないモノを出してくるのである。こいつの感性で生きるぐらいなら生きてないほうがマシだと思わせるような奴、そういうのが一定数かならず湧く。つまり、こういうときの否定は、sondern〇〇〇がゼロよりももっとゼロのクソ中クソにしかなっていない。第2、別にsondern〇〇〇が明示されてなくてもいい。否定言っててそれが否定だけになってなくてsondern〇〇〇が見えててしかもその内容まで見えてる、というような事が実現出来ていたら、それでいい。という事もある。で、否定「3足す4は7でない」がアプリオリにおかしく見えるのは、sondern〇〇〇が存在しないから。

まだ有る。この記事で書いたが、否定は否定と同時に焦点化をやる。どんな否定も「でない」と言ってしまうのである。主題化の助詞でもあるから、否定は被否定者の主題化をするとすら言えてしまう。

nichtの焦点化を考察しているのが

Der Duden in 12 Banden: 4 - Die Grammatik

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の第1429項~(918頁~)。以下ここ参照。一言の、

Die Negationspartikel nicht steht am linken Rand ihres Fokus.
(nichtは焦点化した連中の直前に置く)

という定義が分かりやすい。一見すると部分否定の話である。文例Max Stirner: Der Einzige und sein Eigentumから引用。

Nicht, wie Ich das allgemein Menschliche realisiere, braucht meine Aufgabe zu sein, sondern wie Ich Mir selbst genüge.

Nur gegen ein Heiliges gibt es Verbrecher; Du gegen Mich kannst nie ein Verbrecher sein, sondern nur ein Gegner.

焦点化した連中の左に来ている。この焦点化の及ぶ範囲が右側のどこまでかは一義的には決まらない。

dass jenes Verfahren des Zugreifens nicht verächtlich sei, sondern die reine Tat des mit sich einigen Egoisten bekunde.

部分否定と言って「語」否定なんかをぼっけーっと期待しとったらいかん。↑ の位置にnichtが有ったら、それが直右の「語」だけに限られて「nicht verächtlich sei」となってこれに続くのが「sondern lobeswürdig [sei]」等に限られて来る、というわけでは全然ない。逆に、

Der Staat bekümmert sich nicht um Mich und das Meine, sondern um Sich und das Seine: […]

など、否定文が全文否定の形にもなっているから、全文が否定されているとして、例えば「sondern die Staatsgewalt übt über das Volk darin nur Macht aus.」が付くということもありうるのだが、実際は否定範囲が全文ではないのである。

なお部分否定nichtに必要な注意があって、まず否定疑似物(920頁)。

[…] dass man nicht bloss gegen Gott, sondern ebenso gegen andere Ideen, […]

といったnicht nur/allein/bloß – sondern auch結構だがこれは単なる接続詞であってundの拡大版に過ぎない。接続詞に分類している第1759項(1092頁)が同類にsowohl – wie/als (auch)結構やgeschweige denn結構等を挙げている(そうすると、他にもnicht anders – als等々と、本来のnichtではないものがまだまだある)。次に、

dass nicht alle sich ihrer Sache annehmen und sich über sie miteinander verständigen.

[…] dem Egoisten hat nur seine Geschichte Wert, weil er nur sich entwickeln will, nicht die Menschheits-Idee, nicht den Plan Gottes, nicht die Absichten der Vorsehung, nicht die Freiheit u. dgl.

とsondern以下を明示しないものも勿論あって、2つ目の例だと、前文で明示してある。(それにしてもこんな内容の『唯一者』を「研究」してる連中(の特にとりわけ日本人)の研究のお花畑満開ぶり、その市民臭く・道徳臭く・行儀臭く・よいこちゃん臭いことといったらびっくりだぞ。どんな奴でもどんなものに対してでも出来るのが「研究」だ。ってか研究だけに限らず、何かについて述べた物、批評・評言・レビュー・評価・コメント・感想すべて何もかも、対象とは1ミリも関わっていない。それ自体、と、それについての(ただの)言葉、とは、全然全く別宇宙の別物なのである。)

さて上で見た「部分否定」の例で「全文否定」と紛らわしいのがあった。いいだろうか。いわゆる部分否定というのが

Nicht dieser Baum, sondern meine Gewalt oder Verfügung über ihn ist die meinige.

である一方で、

Allein nicht das Ich ist Alles, sondern das Ich zerstört Alles, […]

がいわゆる全文否定。プラスsondern付き。「部分」的に否定された「部分」にsondernが付くとだけ考えているわけにいかない。何否定だろうと、言われてはない所のsondern〇〇〇が付いているのでないか。上で見た否定の本義「ではなく」をやってなんぼである。やってないと、ゼロを・無を・中身スッカラカンしてることになる、何もしてないことになる(ウェブ上書きこみ)。否定がゼロでなく中身を持てるのは、否定たる否定部分「ではない」によるのではなくて、「でなく-nicht」「-sondern」じゃあ何なのかを出すという事による。だから否定が部分か全体かという分け方が意味がない。前回記事の例を見てみよう。

[…] braucht er [der Proletarier] für sein »Nichts« den Staatsschutz nicht.

これなども、「sondern es ist der Besitzende, der ihn braucht, um nicht um seine Güter von dem Nichtbesitzenden gebracht zu werden.」等といった「-sondern」以下を付けることも出来る。

[Du] gehst der Sache nicht auf den Grund, kurz bewältigst sie nicht vollständig.

なども、「sondern über dir hängt immer noch die Wolke Beschränktheit.」などと、「ではなく」のエリア、否定-無でない有のエリアに延ばして捉えることが出来る。

エリアK

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この2つのケースでは確かにnichtの右側に(ほぼ)何も来てはいないが、この2つの文は今参照しているDudenによると、

  • Es ist nicht der Fall, dass er für sein »Nichts« den Staatsschutz braucht.
  • Es ist nicht der Fall, dass du der Sache auf den Grund gehst, kurz sie vollständig bewältigst.

ということである。Dudenの目的と別でこの書き換えUmschreibungsprobe)を利用すると、

  • Es ist nicht der Fall, dass er für sein »Nichts« den Staatsschutz braucht.
  • Es ist nicht der Fall, dass du der Sache auf den Grund gehst, kurz sie vollständig bewältigst.

ということになる。