地上最強のブログ

しばいてくぞ

とっとと現代に生きんかい!!(1)

スコールの間に

スコールの間に

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  • 発売日: 2013/12/11
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よく男と女のウンヌンカンヌンとか「友情」とか「脳」とか「わかりあえ」るとかないとか当たり前ヅラでホザくアホが居て、これに本気の狂気で悩む者まで居て、最終的に命を断ったり箸を割ったりする者もいる(いるとは言ってない)のだが、何をか言わんや、そもそもこんなたった二項に分けてるほうがおかしいのである。なぜおかしいのかは今貼ったリンク先の記事を読めば分かる。実にアホは平然と老若男女だ世代間ドウタラだホザくが、人間がたった数~数十項に分かれるワケがないだろ。「血液型」ドウタラの原始信仰については喋る気にもならん。あと、「脳」系・行動学系・認知系の「男」「女」の相違だ差異だいう神話、作られた与太話だからな。アホは今日も「脳梁」を信じるんだろな。「左脳」「右脳」を信じてた真正アホどもと同様に。

この記事のどっかにリンク貼ったどっかのページに書いてあるように
(↑ はいっ 記事内のどのリンクでしょうか。探してみよう。見つからないと、バケツに立って廊下を持ってもらうから)「性」「別」が実際は何十個にも分けれるということだが、いや別にそんなもんではない。フーコーなら77億に分かれると言うだろう。知らん。フーコーて誰や。いや、それすらもそんなもんでもなくて、性が入れ替わるケースも考えt…いやそういう問題でもない。そんな話すら煎じ詰めればおかしい。分けることすらしなくていい。それは会話上・言語上(=考察上の)の便宜。現実に対-人を生きていく上では、別に分けなくてもいいのであり、分けても大方弊害しか生じないのである(「対-人」局面で「大方」な。小方とか社会集団局面とかなら話別だ。いちいち言わさすなボケ)。お前がたった今接しているその者乃至お前が対峙しているその者がangeblich女か男かそれ故いかな性質だろうかを考え悩んでしてそれでそんなにトクすることあるか?得られるモノあるか?ってか、あったか?よう思い出してみろ。あのな、飛ぶ矢のパラドクスが思考物ではなくてむしろ現実なんだと思え。分類なんてしなくていいし、するならするで無数無限にあると知れだし、どう分類するかはお前が決めることなのであって世間に決めてもらうなバカ。まして、煎じ詰めるはるか以前の老若男女的バカ「分」「類」(ですらない)など、分類ですらない。

そう、てめえで人間をオソマツな分類モドキで分けておいて、そうしててめえで勝手に論じて悩んで論じて悩んで屁をこいてるアホが、人類である。お前さ、そもそもまちがってるよ。

いちおう言っておくと、分けるのが下手くそなのは、言語の所為でも部分的にはある。例えば「美しい」「日本」(←世界で一番マヌケなことば)の言語など、美しすぎるあまり、罵言としてアホとバカとボケとワンタンとチャーシューとチャーシューワンタンしか存在してい

チーム坂(峯岸Team 4)

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  • 発売日: 2014/01/22
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ず、これ以上手札が無いときたもんだのである。つまりこの言語では人間を男と女と老若とアホとバカとボケとメンとの7種類にしか分類できず、人間事象をそれだけにしか分割できないのである。これではあたかも集合の集合であり、チームにビッと集合かけて峠を攻めようものである。

だから、事象が無限の中間項に分かれるしどの項目どの捉え方どのニュアンスどの感性を選ぶかは個人の完全恣意自由であるとは言え、その分だけ語彙を無尽蔵に増やすとなると是どうも能わぬのである。なお、この段落は本記事の終盤に置くべきものだが、読者の便宜をおもんぱかってここに  ブチこんで  置いておいた(すぐに「ぶちこ」みたがり「ブチぬ」きたがり「ブッ」こみたがる気色の悪いアホ、お前らは文章書かなくていいよ)。

さて、冗談はここまでにしないが、以下、補足も交えるとはいえ要するにはこの記事で書いたことを再説するだけだから、左(上)記記事を読んでもらえばいいのであって以下を読む必要はあんまない。それは、類型的価値観という問題、換言すれば、ステレオタイプの好き嫌いや良し悪ししかアタマになく、物事に決まりきった判しか押せずしかもその判を内化してしまえれるほどの地上叢強のアホすべての愚鈍と愚昧を足して750000億をかけたアホ、あまりにアホすぎて呆れ果てることも出来ない極上極下等のバカ、人間であることをそんなに辞めたいのかと果てれ呆れるしかない〇んこ製造機、バカ国代表の痴=愚白痴・ヒトモドキ選手の漬伝子を継ぐすべてのカスども、の問題である。なお、こういった問題を詳論した過去記事としてこんな傑作があるから、左(上)記記事を読んだらいいのであって以下を読む必要はまるっきりない。

本ブログでは数々々色なバカとアホを愛でコ〇していますが、さすがにこの等級の(「レベルの」と言ってやりたくもない)アホのバカとなると数をひそめているっちゃいるものではあり、そこまで粛清に務める要もないっちゃないが、居てるっちゃ居てるアホどもではあるので、一応掃除しておくっちゃおく。

例えば、自分はよく観察しているもので例えば他の人とは違うポイントで笑うんだよとか言っているまたは思っている人が居るだろう。居ることにしろ。もっともなことではあるが、そんなんはむしろ当たり前である。他人と同じポイントで笑ってる奴のほうが、間違っているよりもなお間違っている端的自体的なアホなのであって、そいつらと一線を画したところで、それはフツー水準なのであって、感性や人生のスタートに立ったところに過ぎない。そして上述のようにこれぐらいの人ト違ウ自分や自分ナリノ着眼や、何ならモノゴトノ多様性ヤ事物ノ多感性、をわきまえている人なら、流石に現代ではぼちぼち増えてきている。オルタナティブということを認識することにヒトが慣れ出していることは慣れ出している。と言って特に具体的な何も思い浮かべていずテキトーに書いているだけだからそんなんも居ないのかもしれない。

ちなみに他者論だとか異文化理解だとかいう何も得られないウンコ学が幅を効かすようになっているが、こいつらはこいつらでまた多様性理解の弊害となりかねない。こいつらが用意するいくつかの「項」目をベンキョーしさえすれば自分は多様性に開かれたのだと思ってしまえるからである。いや、その「項」自体を否定するか疑うかせえちゅうとんねん。特に「他者論」系のお花畑開いた観念ゴッコなど、ジャルゴン開陳にしかなっていない。自分以外の他の人間がコンナニモ違いますなと以漢語訳語とバ片仮名語で井戸端会議しているだけ。

まず他人と同じものを見て世間が定める基準で判断するアホは論外のアホである。アホにアホをかけてもアホしか出て来ないが、シバイといたら何か出て来るかも知れん。

  • クラシック音楽はなんだかんだゆうて他の音楽よりも高等なのではないショパン始め東欧中欧ロシア合州国はおろか独墺伊仏中国日本に、要らんくだらんクソ作曲家が海千山千いる。それは、有難いものではない。
    JYURI-JYURI BABY (Team S)

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    • 発売日: 2013/07/17
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  • 花茶能句歌舞などの文化も、有難いものではない。
  • 伝統文化といって、《これぞ文化》と言いたくなる雰囲気をたたえたものである必要は別にないし、風流だ風雅だ嗚呼自分は〇〇人だと感じれるものなのでは別にないし、感じてよいものでもないし、ちんちんがかゆなってきた。
  • また、伝統的でない文化ほど「文化」らしくないのでもない。大衆的で通俗的で商業的で大がかりでエンタメ的なものほど文化や伝統や国民性や風土や芸術の名に値しないのでは全然まっっっったくない。「通俗」?モーツァもチャイコも当時がっつり通俗だったぞ。ってか享受されるものがすべてエンタメだ。
  • ちなみに、何百年も前からあるような気がしているだけの「伝統」の数多くがごく最近「伝統」として造られ捏造されたものだが、そんな話は今はクソどうでもいい。何百何千何万年間何秒間続いていようがそれが「歴史」や「由緒」あるモノであるから・でないからどうどうどうどうであると言うその評価の言説構造自体が間違っているのである。
  • 「四季がある」と感性が豊かになるだか研ぎ澄まされるだかいうことなどない。むしろ、日本でそうなっているように、【この季節にはこの風物】といった決まりきったステレオタイプが支配することになり、感性が鈍磨することにすらなる。夏に熱い鍋が食いたくて真冬にひやむぎが食いたくて正月に37度になったらいかんのか。秋には紅葉を見るのが義務なのか。真冬に盆踊り花火大会したら生態系に悪影響でもあるんか。桜が咲いたらその木の下で飲食するというのは本当に人生の喜びなんか。年末年始に糞テレビ見て餅食わんと死ぬんか。
  • 感性はてめえの力でどうにかするものだ。環境に左右されていていいものではないだろが。(左右されないとは言ってない。いちいち言わさすな。)

次回の記事に続く