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しばいてくぞ

歴史の捏造

捏造された歴史というのは存在しない、歴史に虚構も事実も無い。何であっても、「歴史」というモノそのものが、捏ぞうであり創作でありフィクションであり虚構でありオメデタイ《お話》だからだ。

「歴史」という物語の発生機序についてはこの記事で述べているから、本記事では、出来上がっていて受容されている「歴史」について、その嘘ぶりを述べよう。

一瞬考えてみよう、自分が生きてきた中で色んな人に会って知り合っただろうが、その中の人物Xが特色xによって際立っているとする。その際、xに近く似ている特色が、Xの知人たちにもまた有るだろうこと、これは想像に難くない。Xの知人Yもxを思わせる技を持っているかも知れない。Xがxを示すようになったのが知人Kの影響かも知れない。実はお前の知らない知人FこそがX本人以上にx的かも知れない。いかようにでもテキトーに思い浮かべたらいいが、とになく現実ならこのようになっていること、理解に難くない。…… だったら歴史上の「人物」もそうだろが。

「神は死んだ」をウレシそうに引用してくるマヌケが後を絶たないが、あの「神」を生物的に「死」なせてしまうという発想、その言説、これは、別に、お前が知ってるあの人1人だけが言ったことではない。とっくに17世紀にJ・リスト(Johann Rist, 1607–1667)がそんなことを詠んでいる(„Gott selbst ligt tot,“)ことや、有名なヘーゲルの先例のことなどがここに書いてあるが、他にも、シュティルナーがそういうようなことを言ってる。などと列挙してみたところで、大したことではない。今の4人などこの言説を発した人のごく一部にすぎまい。まして、発しはせず思ってただけの人もカウントしたら、何百人もの人が「神は死んだ」と、あの人に先んじてとっくに「言」ってたことになる。いいか、まず覚えろ:スゴいことを言った人はその人だけが言ったのではない。歴史上にも、x保持者が何人も居る。この手のバカ1つ覚えで、我思うウンタラが有るが、これも本当にあの動物実験だけが言ったのだと思うか?他にこれを思ってた人がいたかも知れず、他にこれを書いて出版さえしていた人もいるかも知れないではないか、残っていないだけで。ってかそんな問題ではなく、この手の発想なら、大方の人間がどっかでしてるだろ。是が非でもあいつから引用してこなあかんことか?いや、無数のアホ著者たちはなぜ自分が有名人の名前を出してきたがるのかを知ってすらいないだろう。いやいやいや、そんな問題ですらない。あの男がアームチェアで件の還元をするようになったのは、そんなxを抱くようになったのは、Kの影響でありFによる触発でありJを念頭に置いていたものでありZを … に違いないわな。そしたら、我思うドウタラ言説をあの男1人だけに飽きもせずバカ1つ覚えで結びつける意味があんのか?

そう、教科書に載ってる歴史だけが歴史ではないことは、お前にも何となく分かる。仲麻呂空海だけが遣唐使ではないことは、さすがに知っている。記録もあるし、この記録がすべてではないことも、まあ分かるだろ。記録に残らない人が居ることも、記録自体が不十分なものであってしまうことも、言われてみれば一応はわかる。そうだよな、「魔王」といえばシューベルトと授業で聞くだけだが、実際は「魔王」に曲を付けた人が30人以上居るしな。まだまだ居るかもな。「諸子百家」と言いながら5~6人しか出て来ないし多く挙がっても半数にも達してないのはおかしいよな。実際は100人居たのだろうし1万人いたのかも知れない。古代のことだしよう分からんわな。ブッダが主張したことは仏陀だけが主張してたのか?友達のアイデア流用したのちゃうんか?イエスと同じ活動してた人は名前分かってるだけでも何人も居る。その事績は1人の超越的人物・歴史の主人公の所産というより時代と趨勢の産物だ。(という事は、ありとあらゆる「偉人」にかんしてそうである。「偉人」なぞおらん。歴史に主人公など無いし中心人物など無い。絶えざる権力拮抗、周辺者たちとの階層構造、派閥争い、内輪分裂、思惑、牽制、交代劇によって、どんな人物だっていくらでも脱中心化される。)

イエス・キリストは実在したのか? (文春文庫)

イエス・キリストは実在したのか? (文春文庫)
この邦題はクズで、「実在」云々という内容ではない

ホメロスなんか居たのかどうかすら分からん。ということは何100人が何千何万回「ホメロス」と口にして書いてきた2000年以上は何だったのか。聖徳太子なんていたのか?ナポレオンなんて居たのか?途中で入れ替わったんじゃないのか?信長は?書店は?瀧馬は?前期ブルックナーと後期ブルックナーは「同じ」人物か?去年のお前と今のお前は「同じ」か?その「人物」はその「人物」か?

なるほど、アヒルのように見え、アヒルのように泳ぎ、アヒルのように鳴くのなら、それはアヒルである。その人物は1個の人物として居たんだろう。そしてその人物には代表としての資格があるのかもしれない。ニーチェ的な人は数多くいたし、その思想の土壌というべきもの、周囲の人々や環境が有るのはそれはもちろんそうだろうが、とはいえ、著名人とは、頂点を成すものとも言えるかもしれない。いわば、有名な人物がエベレストとなって、そしてその人と共通していたり比肩できたりする諸々の人々が脇々に連なって、全体で、その人を巡るヒマラヤ山系を成す。飽くまで、その人を「をはじめとする」という括りで論じるのが有意義である。このように言えばすっきりするだろうか。これ、本当にそうだろうか?

唐突だが、「モナリザ」という、醜悪で不細工でゲロ反吐にグロくて、気持ち悪いにも程があるような、奇形静物を描いた醜形絵画が有る。で、(勿論こんな低評価は交えずにだが)この作品がアイコン化される過程を述べた先行研究を紹介しながら歴史的評価をされる対象がそう評価される必然性がいかに無いのであるかを論述している文章が

偶然の科学

偶然の科学

  • 作者: ダンカン・ワッツ,Duncan J. Watts,青木創
  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 2012/01/25

の62頁~にあるが、別にこの箇所だけでなく、この超絶名著は全ページ熟読の価値ありだし、本記事の論述に有力な支持を与える内容である。さて、万人が納得している物事は、そうであるがゆえに必然的にもそうであると言えるか?国民が支持してたらその政党は支持されるだけの価値をもまた内包的に有するのか?国民がNSDAPを支持していたら?そう言えば、なぜ総統1人が執拗に個人攻撃されるのだろうか?なぜこの人1人が大人気なのだろうか?あれは、国家と社会全体を見て初めて意味があるような問題だろう。組織というものを見てみろ。総統や将軍や皇帝や社長が1人だけ居ても、総書記や書記長や大統領や監督が1人だけ居ても、ただのおっちゃんだ。(さゆりんや真夏や佑美が1人だけ居ても、たいがい十分だ。)その人の周りを固めるその人「に次ぐ」何人かが居て、この何人か「に次ぐ」何10人かが居て、この何10人か「に次ぐ」何100人かが居て、この何100人か「に次ぐ」何1000人かが居て、その「下」に支持層民衆が居て、全体が組織として巨大な力を発揮して、それで悪名高い歴史的事象を起こせたんだろ?もう認めろよ、お前らが(血)祭り上げているその「人物」は、たんなるアイコンなのである。(ということも分からないアホが、1人をリンチして喜ぶ。この記事で触れた「コンゴ自由国」という最悪の史実だが、日本で知られるようになったらアホどもは何をし出すかというと、所有者レオポルド2世という人物に人身攻撃するのである、それしかしないのである。この史実を取り上げている日本語の数少ない文献である

など、レオポルド2世個人の問題ではまったくないことを説いている。巨大な事象だ。国家全体・国際全体・世界経済全体が絡んでいる。レオポルドはコンゴに来たこともない。収奪してた欧米人が鬼畜生だったわけでもない。アホにはこれが判らない。このことは、地球上に存在したすべての組織暴力に、太平洋戦争に、〇〇事件に、そしてお前に加えられたかもしれない「いじめ」に、言えることである。暴力とは組織であり集団であり構造である。それ以外ではない。)

アイコンに過ぎないし、スローガンにすぎないし、代表にすぎない。これはメタファーと言うもの一般に見られる構造である。怒りとかのメタファーとして「アドレナリン」と言うが、実際はアドレナリンが怒ったり戦ったりするのではない。どころか、これが怒りや戦いに直結するのでもない。これが身体のどこかに作用してその作用が怒りや戦い向きの状態を調整するのだが、これが分泌するのにも、その前・その原因が複数ある。生理過程とはこういうものである。物質aが作用する作用が作用する作用が作用する作用…が知覚可能レベルの「状態」を結果せしめ、また、この物質aに先立つ物質に先立つ物質に先立つ物質に先立つ物質…が有る。ホルモンたちが有るのであり、その反応鎖が有るのであって、その中の1人をピックアップしたところで、大して何も分からない。酩酊という状態に至らしめる生体内合成にも、何個も過程が有る。「アルコール」も「アドレナリン」同様、全体の中から切り取ってきた代表にすぎない。それはアイコンでありラベルであり、事柄すべてを表示すると誤認されているが、実のところは単なる名札であるに過ぎない。筋繊維発達と言える合成を招く作用に作用する作用に作用する作用に…の大元に筋収縮が有るが、収縮も発達も始発駅と終着駅に過ぎない。「タンパク質」「トレーニング」「筋肥大」など、事象の一部から切り取ってきた一面的な名称、ただの名札に過ぎない。我々はアイコンを見ているにすぎない。認知資源が限られている存在だから、こうせざるを得ないのである。事象の構成因子を毎回毎回1個1個ぜんぶ把握するなんてできひん。メタファー動物であらざるを得ないのである(今の例だとメトニミーだがな)。ただ、それを自覚することは出来る。この自覚すらサボってたらあかんだろ。

さて教科書載ってる「人物」、有象無象の書籍が1億番煎じで言及しているそのそいつ、そいつが、本当には居たところの無数の人々から切り取って来られただけの代表物だということは、ええ加減わかるだろう。人に限らず事績もだ。天下統一にはそれに先立つ統一に先立つ統一に先立つ行軍に先立つ行軍に先立つ行動に先立つ行動に先立つ行動に先立つ…行動があり、その事績を成した人に成させた支持者たち・敵対者たち・影響者たち・先達たち・配下たち・側近たちという周囲が有り、これの周囲が有りこれの周囲が有りこれの周囲が有りこれの…周囲がある。親姉妹があり父兄つがあり母父がある。家族よりも発達に重要な同輩たち(これ:

子育ての大誤解〔新版〕上――重要なのは親じゃない (ハヤカワ文庫NF)

子育ての大誤解〔新版〕上――重要なのは親じゃない (ハヤカワ文庫NF)

  • 作者: ジュディス・リッチ・ハリス,橘玲,石田理恵
  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 2017/08/24

参照)がある。言ってること分かるな?たしかに竜巻の原因に蝶の羽ばたきを求めよと言っているわけではないが、お前と教科書とマンネリ著作が黙殺している分だけ、他の星たちが埋没していっている。数百年後にようやくしかも外国人が発掘してくれるまで埋もれてしまっていた重要人物、こんなんラッキーなほうだろう。黙殺抹殺された星のほうが膨大多量だろう。いや、教科書人物のほうですら、紋切り型ステレオタイプに押し込まれてしまい、他の面が見えなくなる。だから「アマデウス」が衝撃的だったりするのである。こうやって色んなものを見えなくして殺してしまうのが、歴史の製造もとい捏造だ。その理解は、その人物の一面でしかない(キャラクター化するな。現実世界には「キャラクター」など無い)。その人物は、その事象の1代表でしかない。その人物だけをピックアップしたところで、大して何も分からない。

他の星から

他の星から

で、記憶に残り続けているその連中が、残るだけの価値もまた有るのか。いや、そんな保証はどこにもない。なぜ延長物体と思惟霊魂を分けるのがデカルトだけなのか。なぜ心身問題の開拓者然とさせられ続けるのか。存外、こやつの著作が手近に有ったからなのかも知れない。たまたま類書より広まったからなのかも知れない。具体的にはなんも知らん。興味ない。それでいい。言いたいことは次のことだ。

信じられないかもしれないが、人間は、思いつきやすいものだけを思いつく。同時に、よく見かけるものや、よく思いつきやすいもの、よく耳にするもの以外のもの、総じて可能性というものを、考えようとしない。無意識に忌み嫌い、意識から排除する。いいだろうか。まず、それの何がどう良いのかどうかはともかく、接しただけでそれに飛びつき選好してしまう(単純接触効果)。それを思い付くことを繰り返してそれが刷りこまれて行きやがてそれこそが選好されるべきものなのだと誤認していく(利用可能性ヒューリスティック)。特にそれの何がどないかを考えなくてもそれが価値ありお墨付きと決めつけて教科書採録するようになる。最初にどんな蝶羽ばたきが有ったのかは判らない。そんなん誰も覚えてない。コカコーラが・モナリザが・ブラームスがどんな羽ばたき→竜巻を辿ったのかを記録した者など居ないし再現も出来ない。ただ、ヒューリスティックの繰り返しでその評価が定着し喧伝されていったとは確かに言える。嘘も百回言えば(という嘘)のように、評価とは、対象がただ単に接触され、ただ単に想起され、ただ単に何回も知覚され、ただ単に定着し、と物理的物々的単純な強化過程を経るだけで、確立するのである。(いやいや本当にビートルズは素晴らしいんだよとお前は言う。ヘルダーリンは本当に心に響くんだとお前は思い込んでる。そりゃそうだろう。初めから評判を聞いて・初めからそう確信して接したのだから。予言が自己成就しているだけだ。)

お前は頭を絞ってXを選んだのか?勿論そんなことない。友達は選べないよな。たまたま知り合うしかない。そうして、KやFにも、たまたま会わなかった。そんなにたまたまに過ぎないんだから、Xに何のかけがえなさがあると言うんだ?ところが、いざKやFや、JやZを知っても、「やっぱり」Xだと思ってんだろ?そこに何の根拠もないのに。たまたま最初に知ったものにアンカリングされているだけなのに。書き手どもは頭を絞ってハイデッガーを選んだのか?よく聞くネームだという以外の理由があったか?まさか、みんながこの人の話してるからこの人を専攻してるんじゃないだろな(本記事はそこまで程度の低いヒト未満人は相手にしてない)。何年たっても同じものを専攻している奴、趣味にしている奴、アンカリングから抜け出せてないだけだぞ。人類は頭を絞ってイエス仏陀を選んだのか?たまたま残っただけなのでないのか?たまたま残りやすいように後世の知覚群に収まっただけではないのか?

選ばれたものは選ばれるべくして選ばれたのだと、なぜ言える?合格者や優勝者に本当に「その資格」が有ったのか?それとも、合格や優勝という、それ自体は係留・調整ヒューリスティックと単なる慣行によって成されたに過ぎない選択の後になってその選択はまさしくそれ以外では有り得なかったのだ・れっきとした必然性が有ったのだと錯誤されているだけではないのか?(後知恵バイアス)。偉いものはしかるべく理由が有って偉いのだとは、そいつがそう偉くなる前にも思われていたか?

もうはっきり言ってしまおう。なんかの拍子でスポットライトに肩がぶつかりました、照明が舞台上の数千人の1人にたまたま当たりました、そいつが目に入っているのだからというだけの理由でそいつを呼んでしまいました、そいつが目の前にいるのだからそいつは私に選ばれたのだと思われました、そうであるのだからそこには当然それ相当の理由が有るのだと思いこまれました、その理由というのも、人間が弁解動物である以上、次から次に思いつきます、その同じ理由が上記照明当たるどの誰にも実は当てはまるということは考えません(どんな作品だって出し物だって、「匠の技」に見えるし、「ダイナミックス」が溢れているし、「共感できるものがある」し、「時代を映す」鏡だし、「10年に一度」だと言えるし、「技量」あるように見えるし、…バーナム効果によって、何とでも言える)。こうして「人物」が造られる。造られた人物たちが、造られた性格にのっとって、造られた「事件」を起こし、造られた「社会」を構成し、造られた「時代」を代表させられ、造られた因果関係や相関関係を無し、生涯2億秒のうちのコンマ1秒一瞬の一断面を撮っただけのその顔面を掲載され札に刷られ、人生のごく一瞬一部分を像に鋳固められ、大河ドラマに出演する。台本いっちょあがり。

歴史とは恣意である。空想と変わらん。

このように言ったからといって、「歴史」をおもろなくしているのではない。まったく逆だ。ステレオタイプの「歴史」では、おんなじ人物のもう分かりきってる行動でいつもの顛末に至るのを読まされる。そういう窮屈で偏狭なのがお前らの「歴史」だ。口承文芸伝統芸能と同じで、みんなが知り尽くしているスジ書きを辿るだけ。おんなじコミックを何百回も読んでいるだけ。硬直し尽くしていて、見たこともないモノが開かれる可能性や、新鮮さに輝く目新しいものなどが、一切ぜんぜん無い。いつもの古典派3人が居て、ホトトギス鳴かせたい3人が居て、ナントカ浪士が1000兆回目の討ち入りをして、なんとかが対立してかんとかに解消してするだけ。またその話。またビスマルク。また太平洋。またルーズベルト。また恩来。またカエサル。またキリシタン。また革命。また荘園。またダーウィン。またゴッホ。また幕府。また江戸。またその話。またパブロフ。またチョムスキー、もう第二英文法はいらんぞ。またその話。いつまでもその話。これが「歴〇」どもの「歴史」。こいつらが喜んでるお決まりストーリー。いい加減飽きろバカ。… ということであるのだが、実際は、毎度おなじみ相も変らぬそいつ、そいつの周辺には、そいつ並みにおもろいかそいつよりおもろいかも知れない人物が何人もいたのである。その周辺には何百人もいて、その周辺には何千人もいた。物語は、いま固定化してしまっている「歴史」の何千倍も豊穣なのである、本当はな。(ワン)パターン化されてる〇〇「時代」とその変遷も、見方を変えたら、別の世界なのである、本当はな。「歴史」が元・現実なのなら、それは、着ぐるみショーではない。「お約束」の台本芝居ではない。紅白運動会ではない。歴史は、漫画ではない。

もちろん、安直なキャラクターと型の決まった筋道が必要なものもある。物語がそうだ。そしていま言いたいのは、実は歴史((hi)story, Geschichte)は物語ではないと考えたほうがいいということである。歴史の非物語化という営為が現れなければならないのである。それが歴史提供側の案件なのだとしても、受容側もまた、読まされてる「歴史」物語には無量無数の脇役助役モブエキストラが居て、数えきれない傍流支流細流が流れていて、サブキャラがサブサブキャラとサブサブサブキャラとサブサブサブサブサブキャラとサブサブサブ…キャラと数千数万人になって、その出来事の前後の日の前後の日の前後の日の前後の日の前後…の日に、周辺の出来事の周辺の出来事の周辺の出来事の周辺の出来事の周辺…の出来事を形作り、これらすべてが当該出来事に結実していたということぐらい想像できないといけないのであり、しかも、これらをまた無限無数の見方で無限面体的に多面的に見ることが出来なければいけないのであり、そうして、こういった無限数可能性すべてに解消解体されることでその当該事件が「主要」であることも当該人物が「主人公」であることもないのだということを認識できなければならないのである。なるほど「見方」で見るのである以上、常に、一定の見えた物、一定の「面」でしか歴史は捉えられないだろう、それはそうだ。が、それは一定的一過的でしかない。どんな見え方も欽定にして正統にすることをしなくていい。我々が「歴史」と思って対面しているものは勿論ロープレではあるが、それは、マス目なくプログラムなくセーブなきロープレであり、街中の木の1本1本1葉1葉まで触れるようなロープレであり、ロードとコンテニューのたびに展開が無限に異なるロープレである。

学術ブログだからその話で具体的に言っておくと、教科書が放送しテレビが刷り込んでくる事とちがって、学説やアイデアは1人の人によるものではない。(元・)現実には、数かぎりないラマルクやウォレスがいたはずだ。数かぎりないラインホルトやシュルツェがいたはずだ。

ドイツ観念論の哲学〈第1部〉フィヒテ、シェリング、ロマン主義

ドイツ観念論の哲学〈第1部〉フィヒテ、シェリング、ロマン主義

  • 作者: ニコライハルトマン,Nicolai Hartmann,村岡晋一,迫田健一,瀬嶋貞徳,吉田達,平田裕之
  • 出版社/メーカー: 作品社
  • 発売日: 2004/11/01

有名だが「無意識」言説は史上幾多ある。

フロイト先生のウソ (文春文庫)

フロイト先生のウソ (文春文庫)

  • 作者: ロルフデーゲン,Rolf Degen,赤根洋子
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2003/01/10

よく言うように発明や発見などその最たるものだ。電球は1人の人が作ったのではない。飛行機も映写機もそう。衛生処置や細菌対策や麻酔が普及するのには、その社会全体の気運が関与している。アイデアとはそういうものだ。それは人ではなくて人々が作るものだ。もちろん、埋もれた人々がすべて見つかるのではないし、書かれた本のほとんどが残っていないし、地中の遺跡がぜんぶ発掘されても歴史は推定復元の域を出ないし、そんなものは過去というものの性状からして分かりきったことだ。言いたいのは、あくまで、ロープレならざるロープレ、物語ならざる物語。どの人物のどの言説思想をどう捉えるかを自分で決めろ。どのように決めても正解などないし、今正解正統とされている「主流」なぞクソのなかのクソだ。それはバイアスの産物にすぎない。自分までバイアスに引っかかんな。後世のバイアスにより生きのびた有名人たちは、そういうものであるだけに過ぎず、その周辺は、周辺でもないし、傍系でも亜流でもないし、そもそも誰も主役ではないし、「主」も「副」も「その他」も無いし、誰も誰よりもすぐれていない。 

ということでこう言おう:(バイアスで)捏造すんなバカ。実際の「捏造」「事件」など、バイアスの所業に比したら取るに足らぬものである(バカはいつも問題を取り違える)。

 

渚のCHERRY

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  • NMB48 Team BⅡ
  • 発売日: 2017/07/04