地上最強のブログ

しばいてくぞ

とっとと現代に生きんかい!! (3)

 

前回の記事から

  • Officeソフトは代用品で十分ということはない。所詮Officeのほうが機能がケタ外れに充実してる。またインターフェース等が2003が一番よくてその後からだんだん不親切になってきてると(ホザくアホがおったのである。もうソースもないが)いう事実はまったく無い。そう訴えているアホの脳内に因習バイアスが有るのみ。
  • Windowsも同様で、「7」を郷愁し固陋しているバカどもが「10」との比較で挙げる諸点は、すべて因習バイアスによるヒステリー或いは情緒の愁訴にすぎず、聞くべき1片の事実も喋られてない。
  • 「先生」と称号の付く者やそう呼ばれる者がオツムの働きがよいのではない
  • 背広とかを着てるから仕事能力や職業「柄」が保証されるのではない。
  • ただし、人間は自分の(周囲の人のではない)いま着ているもの・いま付けている飾り・今している髪型に大いに影響される。その日の格好で性格が左右されるわ不思議やわと思うなら、何をあたりまえのこと言うとんねんというものだ。自分で思っている思っていないより遥かに以上に自分を見ているのである。
  • 生徒が今上げている成果成績から将来の能力を予見することは出来ないし将来その分野にどのように取り組むようになっているか亦はいないかを想像することも出来ない。(いかなる予想も外れるし、当たったとしてもそれはそんな気がするだけのこと。と言うか当たったり外れたりするのでもない。「未来」に関して出来る何かというのが存在しない。というのは、未来とは金輪際無いものだから。《無いよりももっと無い》のが未来。)したがって、初年クラス初級初歩学級初心者コースでめざましい伸びを見せ「優」やA+しか与えようがない優秀者が15年後に勿論この分野で華開いているかどうか、或いはサボっていてダラしなくて叱り飛ばしたくなるし相手にしたくもなくなる劣等生が15年後に勿論その分野と無関係な道を歩んでいるかどうか、誰にも一切まったく何とも言えない。反対に優秀性がこの分野を忘れ去っていたり、劣等生がこの分野を極めてしまっていたり、そんなこといくらでもありうる。早熟の天才が後年無能力と失意の不遇に転落することなどザラにあって、成功した天才だけが記憶され伝記化されるだけの話である。また、劣等生だった者が後年どんだけ栄転するかを追跡調査するようなことも、特に誰もしない。予見も期待も排して各石が各様に転んで行くものだと割り切って教育に臨むしかなく、実際大方の教員がそうしている。

といった例を挙げて、挙げたい例の1万000兆分の1でもないのだが、こういったカン違い・誤謬・錯覚も、つまるところは人類が原始時代の名残りを引きずっていることに原因が有る。

原始時代には、ひたすら自然から取れるものに依存して暮らす。そこから食べ、飲み、そこで寝る。「自然」のものが有難く感じるのは当然だろう。ここでおおよそ200,0000年間ほど生きてきたサルに、ここ200年や20年で出来た人工物がなじめようはずもない。しかしそれは、畢竟、馴染むかなじまんかの問題にすぎない。人工物や自然物がブツそれ自体として良かったり悪かったりするのではない

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また、ひたすら外敵や災害に脅かされている原始人は、安全と安心の確保に腐心することになる。その「安全」も計測し定量し検査したものではない。何が安全かは、【どれだけ多数の者がどれだけ長い期間それを続けてきたか】、どれだけソレが因習であるか、から判断するしかない。こんなことしか出来なかったサルには、長らく馴染んだもの、すべからく「昔から」のものが即ちヨイもので好ましいものに決まっている。そこに思考や査定などは無い。ヒューリスティックがすべてだ。こんなんだっただから、現代、計測し定量し検査された安全であっても、昔からの実感にそぐわない保証の付けられた安全なら、断固信用できないのであり、そうして、リスク計算をなんぼでも見誤ってのけて、集団ヒステリーと流言蜚語になんぼでも走ってのけるのである。サルには統計見解は通じない。「無難」こそ全能だ。そうだから、「古」いものがひたすらイイモノで至高価値となる。新しいものは、ナニがあるかわからん。この見たこともない魚には何の毒が入っているかわからん。この見たこともない住居の建て方には何の保証も無い。etc.。こいつらが、古いものや懐古されるもの以外を認めることなんか、ある訳ないよな。

また、このおさるの穴居時代には、有用で有益であるものはイコール採れにくいものであり・見つかりにくいものであり・少ないものであり・取り合いになるものであり・困難なものであった。たしかに当時は、事実上もまたそうだった。実際は「そうだった」ほどではないにしても、そういう傾向はまず有っただろう。ということで、極度に有益で有用なものが安価に大量に供給される時代になっても、このおサルには未だにそれが信用できないのであり、安いもの=安っぽいものという幼稚極まりない愚考を平気でするのであり、相変わらず希少なものをばかみたいに有難がる(←呪物崇拝と言います。ロレックスとか)のであり、競売やセールや賭け事などの勝負事で勝ったという感覚がブツの価値を高めるのである。つい今月、第3世代Ryzenの取り合いやってたよな。後で買ったほうが安いのに、今必要なわけでもないのに、勝って手に入れるということにコダワるのである。そこに何の根拠もなくても、肌に染み付いた原始時代感覚しか根拠がなくても、自ら進んでマーケティングのカモになりたがるのである。

モノが光ればキレーという感覚も、原始時代発症。夜景、宝石、電飾、夜景、天の川、ネオン、花火、夜景、夜景 … このうっとりしている奴ら、服を着た原始人であります。光というものが希少でしかも重要だった焚火と蛍雪の時代に、ピカピカ=イイ=ステキという感覚が肌と皮膚と大脳皮質に染み付いてしまったのである。「見てごらん」「きれい…!」←サルが喋ってます。

そしてなぜ、あいつもこいつもステレオタイプなのか。ソノ物にはソウいう価値!と決め付けられた判断しか出来ないのか。1つのラベルしか貼れないのか。Aは低俗でバカバカしくて安っぽくてBは人生の本当の意味だと世間が決めたらそれに盲従隷従臣従爆乳するのか。それは、お前が

原始人をやめようとしないからであり、お前が

まだ人間ではないから

である。原始時代には対象物に固定ラベルを貼るのが重要だった。森の木の実に食ベレルというラベレルを貼るのが重要だった。それ以外は重要ではない。果実など・動物など・森林など、食べれるか使えるかのレッテルで十分。他を考えても仕方がない。動物は知るものでも権利認定するものでも抱っこするものでもなくて、毒アル・襲ッテクル・飼エルとか、そんなんだけ見とったらええもんだった。レッテル貼りとステレオタイプという野生を生き抜く武器。確かにそれは最重要ではあった。どんだけステレオタイプがバカとアホのためのものとは言っても、根拠もなくこんなものがこれほどまでに宿業として埋め込まれているわけがない。他人はみんなこの木の実を食ってあんじょうやってる。じゃあ自分もそうしたらええ。それだけをしとったらええ。そんな中で、他人と同じことをして同じ物を同じように捉えていたら、それはもう大正解ではないか。オリジナリティなんぞまっぴら御免だわな。

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ただそれでも、洞窟画を描く人々が居た。ところで、洞窟画が「芸術」だと言うのは子供が「哲学」者だと言うのと同じぐらいアホ丸出しのナンセンスだから、今後口が裂けても尻が割れてもそれをホザくなよ。

この記事にアフィ貼ってる本なんかに書いてるように、動物ですら遊ぶ。カラスの滑り台。まして人類なら、遊ぶのが特性だとさんざん自慢してきただけに、原始時代でも遊びに遊んでいただろう。生存という死にもの狂いの目先主要関心事に束縛されない、そこからは説明も導出もできない、余剰にしてプラスアルファの行動を、多いにしていただろう。

当時ですら、そうだ。まして今なら、生存のためにバイアスとヒューリスティクを全身全霊働かす必要がひとっかけらも無い現代なら、なおさらそうだ。事物の解釈にはアソビがある。いやアソビだらけだ。レッテルなど何の必要もない。人有りて気付いた。我、余暇がある。貨幣が蓄えれる。鑑賞が出来る。生から逸脱できる。しとっても死にゃせん。木の実は食べるだけではない。食べなくてもいい。描いてもいい。穴に入れてもいい。CPUで焼肉やってもいい。何を以ってどんな仕方でどれぐらいの規模で無駄をやっても・資源を浪費しても・世界で遊んでも、いい。木の実の意味は可食に限らないと判ったが、我々はむしろ意味に縛られなくてすらいい。意味を創ってもいい。生存なんかほっといてもいい。近所にスーパーあるしうちには水道電気きとる。それどころか、現代人ともなると、何と驚くなかれ、無意味を生きてもいい…。愚かで生存不向きで退行志向で思考が全部に満足しないと前に進めないほどぶきっちょでもいい;やがて哲学者と呼ばれるだけだ。便器あれば、小しなくてもいい。美術館に展示してもいい。すべてのものが「ファジー」なのである。あれもこれもどいつもこいつも飛ぶ矢の無限中間点のどれかであるしどれでもありうるのである、無限に。「ごはんで遊んではいけません!」いやごはんで遊んでいいほぼ唯一の動物なのである人間は。防空頭巾と空襲警報の時代は忘れて!今はフードファイターとユーチューバーの時代、バックパッカーとアンヘレス詣の時代、ローションピラミッドと核ミサイルの時代やねん。人間はムダなことすんねん!無駄なことこそすんねん!決められたこと以外をすんねん!事物Aをほぼ無限n数の相で見れるねん!!!低俗で庶民的とされているものになんぼでも真実あるし、お高く留まっている諸々がただのクソでありうるし、有難いものが有難くなくていい。カネが人生のすべてのお前、それこそ低俗な現代日本小説の登場人物、原始時代に帰れ。

 

ところでさんざん「原始」〇〇と言って書いているが、バカにしてこの語を使っているのではない。ここでも、原始人の感性に合わせてこの語を使っている、つまりこの語が「ゲンシ」とドスがきいているから、語の音感が影響するほどに原始人とは低能だから、そういう読み手への効果を考えてゲンシゲンシゲンシゲンシと書いて蹴っているのである。

ぐぐたすの空

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