地上最強のブログ

しばいてくぞ

原始人の現代 (2)

 

前回の記事から

とが少なくない。最後に、ほとんどの人間が自分の見栄えを精確に把握していない。

こうして、コトは例の損失回避にもつながっていく。なぜ、不必要にも、現実に何らそぐわないマイナスな事を虚妄するのか。なぜ、勝手に恐怖とその妄想的対象を、何なら怪獣サイズにまで、膨らませてしまうのか。対人場面で勿体なくも自分をサゲてしまいチャンスを逃してしまうのか。損をするのが異常にコワいのか。

転がった鐘を鳴らせ!

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ここまでに書いてきたことすべての根源をここで明かす。我々は、原始時代に生きてしまっているのである。そこでは、自分の身を、かわいいかわいい自分ちゃんのカラダちゃんを、過酷な環境と外敵から守ってあげてかわいいかわいいする(現代でも大方の奴がやっとるがな)のに必死の死にかけもの狂いだった。どこから何の猛獣が襲ってくるかわからないのだし、野生では切り傷1つ捻挫1つで生存に関わるのだから、身に及ぶ危険に異常神経質にもなろうものである。木の実1つ失うだけでカロリー源を失うのだから、そりゃ損失にばかり敏感になるわいな。逆に財貨の貯蓄法などは無く、ゆえに受益は常に大したことがなく、考えても仕方がないことである。欲求対象などどうせチカラで得るのだから好く見られているとか好かれているとかいう方面など考えても仕方がない。一方、狭小な社会集団内では嫌われるのが致命的なのだから、こっちに神経トガらしたほうがずっといい。自分1人が生きていくのに・自己身体を生存させるのに汲々としているのが関の山なのだから、何であってもそりゃまず自分に引き付ける。他人にはどうかとか他の可能性とか考えてるヒマも無い。たしかに分業は有った。生存に直接はつながらない〇〇だけをやってりゃええで食糧は他の者が工面したるでとしてもらえる層も有ったはずだ。何がしか余暇も文化も、原始段階なりにカツカツのものとはいえ有るには有った(それが現代社会におけるものよりも「豊か」であるとか「叡智」あるとか言うのは、現代への単純反感による空想ノスタルジーに過ぎない。そんなに当時がイイのなら全部ひっくるめて当時だぞ。お前30台で死ねるんか?腹膜炎や糖尿病やなったら祈祷師呼ぶんか?さなきだに、エアコン効いたアームチェアふんぞり返って画面に映った「太古」。おめでてーよバカ)。しかしそれでも、現代ほど保障も補償も保証も無い。転職先も無い。セーフティ云々も無い。謀略もクーデターも簡単だ。人生にはリスクが充満している。そりゃ、自分病にもなりますわ。君の気持は痛いほど分かるよ …

しかし現在はちがうだろが

現代社会では、衣食住が、どんなだ?医療が、どんなだ?可能性やチャンスが、どんなだ?安全が、どんなだ?人々の交通網交流網交際網が、どんなだ?通信は?技術は?言うまでもないよりも言うまでもないよりもなお言うまでもないよな。お前が知りすぎているぐらい知っていることだ。では、知っているレベルから、感じるレベルに行こか。どんだけ、自分病でなくても生きていけるしそうでないほうが人生豊かになるか、感じろ。一歩外に出た時の便宜、電源入れた時のディスプレイ、スーパーとAmazonに並ぶ世界中の富。これに関しては多言は要しない。というのも、

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繁栄 明日を切り拓くための人類10万年史

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ということで、以上へん鱗だけを一瞥してきた自分病というのは、とっくにそこから快癒していなければいけないがしかし誰も気にも留めずどっぷり亀頭の先まで漬かっている人類の宿業なのである。そして人類のデフォルトの病気である数々の認知欠陥が、自分病と関わっていたりそれの一種だったりするようなのである。

では現代原始人の生態をもうほんのちょっと見ましょう。この原始人たちが収監されている地球動物園の別のコーナーに移ります。

例えば、有名人や成功者と知り合いたいと思う奴は居ても、知り合いが有名になったり成功したりするのを喜べる奴はいない(スリ寄るだけなら「喜」んでいるわけではない)。能力あると認める人を知人にしたいことはあっても、知人が能力あることを認めれることは無い。マジで、無い。仕事ができる人が来るのはまだ許せれても、来た人が仕事ができるのは許せない。全職場の日常風景。

こういったような、人間猿の、明らかにやめとったほうがいい社会行動、明らかに失くしてったほうがいいと誰もがどこかで思っている(思っていない重症バカには話してない)が何とも出来ていない悪質な種内攻撃intraspecific aggression)の原動力が、嫉妬である。

この記事で書いたが、嫉妬というのは、「やきもち」だとか「ねたみ」だとか「やっかみ」だとか「そねみ」だとか「ジェラシー」だとかいう、人生に何の用もないクソどうでもいい話題とはまったく無関係の別物であり、そんな、恋愛関係とかのこの世で最もクソどうでもいいクソ関係に限定のせんまい話題とはまったくの別物であり、そうではなく、歯周病よりもルサンチマンよりも全人類が罹患していて次の瞬間にでも治療しなければならないのに誰もかれもがほったらかしにしているところの、同情よりもデカダンよりも電マよりもローターよりも人類とお前を終わらせてる終わってる諸悪の根源である。

クズどもがデキる人の足を引っ張り続け、ゴミどもが可能性の湧出を圧殺しと、第1~第5世界のすみずみで刻一刻と人類が加担している普遍的犯罪、歴史上最多数の人間をコロしてきた大虐殺、すなわち否定拒否否認排斥いった大犯罪にして巨悪の巨チン、これを突き動かし突き貫いているものが、嫉妬である。

もしお前が誰かに文句を付け出したら、それは嫉妬である。もしお前が何かをしない言い訳をしていたら、それは嫉妬である。もしコンナ筈デハナイ人生になってるなら、それは嫉妬してきた所為である。もしお前が誹謗中傷だけはするがてめえの成した事は皆無というクズなのなら、嫉妬病末期である。もしも生まれ変わったら(絶対)君にもう一度逢いたい(神様)。もしお前が惜しい交友関係を失くしていたら、嫉妬してたからそうなったのである。もしお前が言論上の集団リンチに加わっていたら、それは嫉妬によってそうしている。もしお前がコメ欄に書き込みたくなったら、それは嫉妬である。「ホラたかしちゃん!ちゃんと嫉妬病を治しておかないと、歯医者さんに連れて行くわよ!」もしお前が自分の中に1ミリでも老害を見たら、それは嫉妬である。もしお前が「潔く」「身を」「引」いたら、それは嫉妬である。もしお前が自分とこの(や或いは一般的な)「先生」や「先輩」を尊重するように要求し出したら、それは嫉妬である。もしお前が1ミリでも元気な人や積極的な人に1ナノだけでもカチンと来たら、それは嫉妬である。もしお前が人間への攻撃(最も広い意味に取れ。できるよな)を欲求したら、それはすべからく嫉妬に因るものである。

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といった嫉妬というものだが、一言でいうと【自分以外の個体に起きる評価増加への反応】とでもなろう。悪魔でこれが基礎であって、ヤキモチやジェラシーという意味でのものは【自分以外の個体たちの間に起きる評価増加への反応】という派生物である。ただの派生物を勝手に「嫉妬」と呼ぶなよボケども。著作権侵害で訟えるぞ。なお【自分以外の個体に起きる受益増加への反応】だと羨望、【自分以外の個体に起きる戦力増加への反応】だと敵愾心、【自分以外の個体に起きる能力増加への反応】だと対抗心、などなど。嫉妬の親類もなんぼでも居る。すべて、嫉妬である。実体は、神である。カツオは、桑原みずきである。推しは、松岡菜摘である。どれにせよ、自分ちゃんが愛しいが故の反応である。飽くまで自分のプロパティが増加しすべてが自分に関与し自分が中心で回ってないと気が済まないものだから、自分個体以外の同種個体に何かの増大が起きると、敵対心が起きてしまう。自動的自分機に作動する反応システムである。無意識的であり、ゆえに原始的である。他人にいいねが貯まると潰そうという気になる、野生生活にのみ相応しい心的作動システムだが、現代社会で現代社会の服を着て暮らすには不要にして百害ある不良システムである。

「自分」「の身」(というマンガ臭い言い方も上記「サバイバル」的な言説と同じで素朴で低レベルで妄想的で幼稚なのである)がすべてのすべてだった原始野生生活の時にこれに合わせてカスタマイズしてしまったというシステムは、現代には、はっきり言って、要らない。人畜公害の人人有害、文化と人生とお前を破損させるバグでしかない。自分宮からの脱出こそが人類進化に他ならない。人類への進化ではない。そんなんはもう終わっとる。じゃなくて人類とお前は毎日絶え間なく進化しているのである。遺伝情報がではなくて社会環境が。そこに調律した心の人工的新システムが。これを人呼んで文化という。人を呼ぶわよ。

 

種内攻撃と言えば、ここに基礎論を書きこの記事で叩き潰しておいたヒトザル種内攻撃の【悪人は1人がいい】という行動(behavior, Verhalten)だが、これも見るからに原始的行動だ。上記リンク先には書いてないが、古来からネット時代まで続けて来ている「犯人探し」という種内私刑などを想起してもらいたい。

何か自分に(であって、〇〇にではない。お前は自分のために〇〇を気にしとんねん、あくまでお前の〇〇やねん)気に入らんことが周囲か近場か或いは遠いどこかで起きると、どの人類も、血まなこの必死にもの狂いで、誰がワルイかを嗅いで回り探して腐りほじくってさらす。犯人を血祭りに揚げて油で上げて村八分にしてバッシングにして芯の芯まで殺し尽くし・焼き尽くし・奪い尽くしてやろうとの集団ヒステリーに燃え上がる。こう書いてる2010年代末頃にも、心当たりのある事件が1000個ぐらいあっただろ。

いいか、島流しも国外追放も、むかしの旧習で歴史の事柄だとお前らに笑えることではない。それをお前らはやっている。「特定」などと呼びながら。精神構造は昔から・いや大昔から・いや太古から・いやいや900万年前から変わっていない。誰も原始ヒト猿を笑えない、お前が立派なそれなのだから。

どの人類も、磔刑が大々々々好きなのである。誰もが、お前もが、ゴルゴタの丘ショーが見たいのである。人間というキラーエイプが「犯人」殺戮ショーを見たいから人の子を磔刑にしたのである。あれはヒトとお前らの欲情を射精させるためのショーなのである。そう、犯人をハリツケにしたいのである。異端者を火あぶりにしたいのである。悪というのが、よく分析したら一枚岩でもなく、よく分析したら一個人によるものではなく、よく分析したら「悪」でもなく、よく分析したら自分こそ血に飢えた悪だったとしても、アホどもの気は済まない。世間という殺人鬼が正義という細菌兵器を落としたくてうずうずしているのである。

こんな悪夢のような社会が、「現代」の衣を着た、実態原始社会だ。

何人の独裁者を(てめえの観念内部で)懲らしめても・何十人の歴史人物を抹殺しても・何百人の政治家を揶揄しても・何千人の悪の首領を排しても・何万人の反〇〇親〇〇を処刑しても・何十万人の〇〇〇〇人をジェノサイドしても・何百万人を投獄しても・何千万人のワルイ奴ラをこの世から消しても・何人の者を「警察」「に突き出」しても・何人を無視しても・何人を追い出しても・何人を落としても、自分の不満となるモノが人生と地上から一向に無くならないことに、気付きながら気付かない。

そう、「誰」かをどないかしても、まったくの無駄であり、するべきことではないのである。そうしてて効果が多少は有ってたような小規模人口密度、そんな村落時代・穴居時代・原始時代は、とうに終わっている。そうしてて効果だけは有ろうが何の理解も無い幼稚時代は、現代ではないのであり、そして、現代の社会構造や生活文化にヒトが至るものでありそういう運命であるのなら、定義ニヨリ、人間に属することでもないのである。

しかし!!!!原始人には現代語は通じない。

次回の記事に続く

 

へなちょこサポート(Team 8)

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