地上最強のブログ

しばいてくぞ

ニーチェ人類学~群棲動物としてのヒトの爬虫類脳~

 

前回の記事から

ちがっている。「キャラクター」など存在しない。「人物」など何の意味もない。その「人」に何を期待してもしなくても、お前は間違っている。「特定」「の」これこれの「人」など存在しない。人人人、バカと人類は余りにも「人」にしがみついてきすぎた。ラベルを貼られた人と、ラベルを貼ることと、ラベルと、そもそも「人」、すべてが間違っているこれらの間違いに、どっぷり浸かりすぎた、これに慣れすぎた。

しかし天動説の期間だってたいがい長かった。誤りは誤りである。長く続いてきたのだろうと、そこから目を覚ませるのなら、とっとと捨て去ってしまえばいいものだ。なんぼ信じ難く受け容れがたくとも、(おまえがイメージしているような意味での)「人」だの「性格」だのいうものは、金輪際存在しないのである。

と、これぐらいのことを、上掲断片は述べている。再度言うが、決してマンガ台詞的な心象を持って理解をしないように。そんなのは学界のニーチェ理解でありつまり完全誤解である。

ノエルの夜

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それにしてもこれもまた面白い断片で、何がしかはピリッとしたことを述べている。例えば神はバイアスが無い(ohne […] Vorurtheile)と言う。そうか、神の無慈悲とは無バイアスのことでもあるのか。そういう否定神学

さて人人人人の「人」キチガイぶりを糾弾する文章を見て来ているのだが、1人体単位の1「個人」に固執し執着する習性がどのような発生史を持つものなのかと、ヒトの原始生活からヒトの特性を釈義するタイプの文章をここでも見ておきたい。

Unsere Triebe und Leidenschaften sind ungeheuere Zeiträume hindurch in Gesellschafts- und Geschlechtsverbänden gezüchtet worden (vorher wohl in Affen-Heerden): so sind sie als sociale Triebe und Leidenschaften stärker als individuelle, auch jetzt noch. Man haßt mehr, plötzlicher, unschuldiger (Unschuld ist den ältest vererbten Gefühlen zu eigen) als Patriot als als Individuum; man opfert schneller sich für die Familie als für sich: oder für eine Kirche, Partei. Ehre ist das stärkste Gefühl für Viele d.h. ihre Schätzung ihrer selber ordnet sich der Schätzung Anderer unter und begehrt von dort seine Sanktion. — Dieser nicht individuelle Egoismus ist das Ältere, Ursprünglichere; daher so viel Unterordnung, Pietät (wie bei den Chinesen) Gedankenlosigkeit über das eigene Wesen und Wohl, es liegt das Wohl der Gruppe uns mehr am Herzen. Daher die Leichtigkeit der Kriege: hier fällt der Mensch in sein älteres Wesen zurück. — Die Zelle ist zunächst mehr Glied als Individuum; das Individuum wird im Verlauf der Entwicklung immer complicirter, immer mehr Gliedergruppe, Gesellschaft. Der freie Mensch ist ein Staat und eine Gesellschaft von Individuen. — Die Entwicklung der Heerden-Thiere und gesellschaftlichen Pflanzen ist eine ganz andere als die der einzeln lebenden. — Einzeln lebende Menschen, wenn sie nicht zu Grunde gehen, entwickeln sich zu Gesellschaften, eine Menge von Arbeitsgebieten wird entwickelt, und viel Kampf der Triebe um Nahrung Raum Zeit ebenfalls. Die Selbstregulirung ist nicht mit Einem Male da. Ja, im Ganzen ist der Mensch ein Wesen, welches nothwendig zu Grunde geht, weil es sie noch nicht erreicht hat. Wir sterben alle zu jung aus tausend Fehlern und Unwissenheiten der Praxis. — Der freieste Mensch hat das größte Machtgefühl über sich, das größte Wissen über sich, die größte Ordnung im nothwendigen Kampfe seiner Kräfte, die verhältnißmäßig größte Unabhängigkeit seiner einzelnen Kräfte, den verhältnißmäßig größten Kampf in sich: er ist das zwieträchtigste Wesen und das wechselreichste und das langlebendste und das überreich begehrende, sich nährende, das am meisten von sich ausscheidende und sich erneuernde.

(Nietzsche, 1881,11[130])

 

(人類史の99%をかけて造られた「爬虫類脳」はこの間の暮らし即ち集団生活や集団主義生活に調律されている。ヒトの前には今度は群居性のサルだったものだ。そんなヒトの原始的衝動というのは当然集団性のものであり、私事的個人的に働くときには弱まってしまう。自分ひとりが怒るのよりも誰かやみんなのために怒るほうがずっと突発的爆発的だしずっと強く怒るししかも大義名分(いかにも原初的な集団感情)が有る。自分個人が怒っているときよりも所属社会集団を背負っているときのほうがずっと「ぶち」」ぎれるものである。そういうのの最たるものが「面子」などである、もう見るからに集団感情そのものだ。ここでは自分とはまず持って集団ありきのものであり集団の中での自分というのが自分のすべてとなる。こういった社会的原初感情、個人主義ならざる我執とも言うもの、これこそがヒトの基本的なほうの感情や衝動なのであって、「個」「人」というもののほうが非基本的である。世界中の社会集団を見てもこのことが如実に看て取れる。個人が集団に尽くし帰依しつくす形の徳こそが何よりの徳とされてきた。集団が先だ。対抗する相手も集団だ。集団対集団、当然ヒト種は戦争に走りやすい。そういうサルなんだから。どっちの意味でも「細胞」と言ったらそれは構成素(員)であって個的なものではない。それは個的なものとして始まりつつも、時間がたてば、個的なものでなくなっていくのであり、全体に順化し吸収され全体となっていくのである。そうすると、これぞ1個の人間なりと言えるものは実は国家とか社会全体とかに当たる。実に、動物であれ植物であれこういった群居性の生物というのは、孤立性の生物とは似ても似つかない生態をしている。ヒトは社会化せずに孤立して生存するようなことができない。ヒト種が生存していると社会が成立するのが必定である。その社会の内部では分業が進み階層化して行き階級闘争が行われ競争社会になっていくのだが、こういった社会がうまく調整されることは実は非常に稀である。と言うかヒト社会はいまだ調整機構を完成させたことがなく、人類が曲がりなりにも生存しているのは本当はありえないことなのである。

奇跡という名のストーリー

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そもそも個々体の寿命も実は短すぎる。どの人も早く死にすぎている。いまだにエラーや人体未解明に基づくミスが多すぎて、個体が正常に維持されていないのである。だから、最も成功している個体となるとどのようなものなのかと言うと、自分の欲求や欲望を抑えるにも叶えるにも最も長けている、つまり自分に関する需要と供給を特手特に熟知していて生活の質が最適化されている個体、だということになる。多様性に富んでいるほど個体の寿命は延びる。それは節制に努めている個体というよりも、自分の飼育や給餌や排泄や代謝に長けている個体である。)

どうだろうか、ニーチェと言って「超人」思想だとか「永劫回帰」に耐える英雄だとかを安直にイメージしている無知からしたら、この人がこんなことを述べていた人なのだとは想像もつかなかったことだろう。おまえは顔洗ってちんぽシゴいて出直してこい。書いてある通り、孤立性動物とはっきり異なった上で人間は群棲動物であり集団動物である。集団が人間であり集団が自己である。集団こそ人なのである。何度もくり返し口を酸っぱくして恥垢を溜めこんで言うが、「個」「人」を凝視しとったらあかんのであり個人単位で人間というものを考えとったらあか

次回の記事に続く