地上最強のブログ

しばいてくぞ

落ち着けバカ

Das war ein stolzer Mensch! „Lieber sterben als einen Wohlthäter haben“ — sprach’s und sprang ins Wasser. Eine halbe Stunde später hatte er eine Wohlthäter und lebte: ein armer Arbeiter war ihm nachgesprungen und hinderte ihn zu sterben.

(Nietzsche, 1881,12[203])

 

(もう誰も信じられないと自殺をこころみたところ、同じぐらい誰も信じられなくておかしくない境遇の人に救助されて自殺を邪魔されてしまったという人が居る。

ニーチェ

 

落ち着かそうとしてくるバカ、お前が落ち着け。
そして落ち着けてるなら、なぜお前が落ち着けていて相手がそうでないのかを一度は考えてみろ。
お前が他人ではないように、他人もまたお前ではない。知らんかったのか?

 

夕陽を見ているか?

夕陽を見ているか?

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この記事でサンプルだけ示したことだが、アタマの愚鈍なアホというのは、あれとこれとこれとあれの区別という行為ができない。世界や人間や用件、総じてアタマで今考えて描いているモノがのっぺりいっしょくたに見えてしまっており、問題を切り分けるということが出来ずにおり、1つに見えてる問題が実は3つだったんだとかもっと局所的な事だったんだとかいう理解に至らず、難事が洪水や山塊のように勝手に思えてしまって勝手にテンパって勝手に事態を悪化させて勝手に悲観し出して、揚げ句には、難事や厄介や失点や誤植や飛躍や誤解が実はそういうものなのではなくて単にてめえの誤理解ボケ脳の故なのであるということにトンと思い至らず、やがて、ちんちんをかいてしまう。

本日コ〇すのはこのバカだ。

それは、思考停止してしまうバカ。人間はヘッドライトに硬直して轢かれる動物を憐れむが、しかし自分こそ哀れなもので、認知項目が或る程度以上の量逼迫して来ると、なんか高度な皮質野とかそこら辺、つまり前頭前野とか井沢とか田中とかなんかそこらへんのスイッチがゆうたら切れるのである。オツムが停止してまうのである。

例えば災難が2~3~4~5個ぐらい立て続くと、もうどうなってもいいわ・どうでもいいわ・好きなようにせえよとヤケクソになってしまう。犯人や組織の要求に呑まれるだけの傀儡とかになって行って破滅とかへと真っ逆さましてしまう。実はこの時には個々の被害1個1個は独立していて互いに無関係な別物たちなのかも知れないのに、一枚岩の悪意の巨塊しか感じなくなってしまっている。何個かの災難で受害が条件付けられてしまうのである。一名、学習性無力感。人間にはね、こんなとんでもない認知欠陥が有るんだよ。

(ここまでの所とここから下、用語が不正確かもしれない。「学習性XXXトハソウイウ意味デハナクテ....」。そんなことは、どうでもいい。ハナシが分かれば・言いたいことが伝われば、それでいいのである。本ブログ全体がこの方針だ。覚えとけ。)

また、正常性バイアスも関与することが有る。これは何故か天災やテロに関してしか使われず論じられないタームだが、そんなバカな話あるかというもので、帰属の基本的エラーと同様人生の事象全般に渡って応用できるモノである。正常性バイアス、自分が暴力や災禍の竜巻に巻き込まれているまさにそんな時にこそ目を塞ぎ心を閉ざし耳をかっぽじって体を縮こめてカタクなに《嵐はすぎる》《嵐でもねえし》《まだ日常許容範囲内》と自分を丸め込む、そんな信じがたい防衛機制が有るのである。リンチやDVを受けているマル害の状態がまさにこれであると言わんといかんだろう。

さて敵が一枚岩に見えると、一部の「あいつら」から徐々に「世間」、ひいては「この世界」、しまいには「生」の何もかもが、自分をコ〇しに来てる悪鬼に思え出し、思いを何年間何十年間も温め発酵させてしまう。ペシミズム・不条理思想・反体制文学、とかが成る。が、この記事に書いたように、おもっくそ錯覚である。または脳の錯誤にして認知エラー。回りにカスしか居ないなら、引っ越しとけ。それで変わらんなら、世界中がそうか確かめて来い(案外そうやったりしてな)。

ええように書いたったが、ふつう多くは、こういう認知欠陥が牙を向き害を成して来よるのである。

(そのことだが、或る層を一枚岩に見る習慣が付いて、その所属員全員が〇〇予備軍に思える、「偏見」が生じている、という話が取沙汰されることが有る(し漫画とかが大好きなテーマだ)が、クソどうでもいい。DQNはほんまに十把一絡げに〇〇予備軍であり(加)害物である。まとめたったらええねん。それだけの事しよんねん。)

問題はフツー人同士だ。アホは、或る人が2~3気に障ると、年中そればっかやる「困った」人だとの判を押し出す。これには、人間というのは中に人格や性格という固定物が固着しているものなのだという無知蒙昧の迷信も関わる。人は人が多様で多面体で毎日変わる「現象」だと見ることが出来ない。その人が別のことを言い出す・別様たりうるという可能性を想うことをサボり、押した判貼ったラベルで見る以外のことをしない。(まあ、実際何年何十年も欠点も趣味も言動も変わらん真実のバカがいるしな…。)相手も自分もともどもシャットアウトしてしまうのである。よく言う《第一印象ですべて決まる》というのは、決まってたらいかんのであり、決まってしまう思考停止を肯定してしまっているのであり、ヒトとはアホですそれ以上にはなれませんと宣言してしまっているのである。しかも、自分を除外しながらな。自分だけは第一印象を引きずらないクレバーだよと誤認しながらな(そうと思ってもないなら、もっと重症のアホだ)。

車輪が軋むように君が泣く

車輪が軋むように君が泣く

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このようなアホ、つまり人類の9999億パーセントだが、こいつは次に、(あくまで)例えば(の話だが)、論展開や文書にこう文句を付ける:「全体に」「とても」まずいもので、誤植も「いっぱい」あって、「多方面から」反感を買うもので、不明瞭な「箇所が少なくなく」、不親切な内容だという「印象」を受ける(←語彙文言はたっだのサンプルです、あくまで自分で思いつけ心当たれ!!!たのむから!!!!)。そう、見ての通り、およそ具体的具体例具体性ということを一切サボった、感想文未満の痴呆発言である。こういうアホ群に特に多い。で、このアホに付き合って我々自省してみる。しかし誤植は8点しかなかった。うち6点が指摘側の無知と不注意による非誤植だった。マズい「箇所」も要するに7個しかないのだが、2段落だけ入れ替えると全体と整合して無問題になった。その他その他、攻撃された割には大した拙劣ではなかった…アレ?と、まずなるだろう。しかし!!!「全体」に「多方面から」「少なくな」いという砲火を受け、我々はビビる。斯界全体から睨まれているような気がしてくる。自分がいかにも能力が低くて「まだまだ」なのだと卑屈にさせられてしまう。越えるべき要塞も障害も果てしなく高く絶望的である。

こうやって、指摘する側・審査する側・論評する側・一言述べる側・「先生」という生き物が、日夜世界中で「下」の若い「これから」の連中に脅迫罪を行使する。《君はもっと人とうまくやっていかないと》《人から嫌われるよ》《そんなこと書いているとハジかれるよ》《自分を押さえないと》《そんなんじゃどこでもやっていけないよ》…等々、すべて、お前が思っているだけのことだ。勝手に国民全体や人類全体を敵に仕立てるな。おまえこそその脅迫罪をやめておけ。

同じように、《うちでは》とホザく。いやお前だけのことだ。おまえ所属組織全体がそう思っているかのように言うその虚偽申告をやめろ。お客様のことはうちのほうでも・ぼくらのほうでも・こちらとしましても……と言っているそいつ1人以外の者がぜんぜん関知してなかったり全然ちがう意見だったりすることなどザラだ。ダマされるな。バックの組織をチラつかせてくるそいつは、チンピラとやってること同じだ。

アホはものを考えず脊髄反射と脳内「みんな」辞典にシャベらされるだけだからすぐ「人」とホザき「みんな」とホザき「うち」とホザく。特に「人」をやられると、ああ自分は人間一般とやっていけないものなんだ…という絶望を吹き込まれるに十分である:「人ニキラワレルヨ」。わかるか、お前の人生に対する威力妨害罪が行使されているんだよ。その「先生」その「〇員」その「方」はおまえに対して犯罪者なんだよ。わかったら二度と名誉名声地位あるボンクラどもを尊敬しないようにな。そしてとにかく、そいつがチラつかす一味からどんだけ拒否されようと、大したことではない。そうなっても、人間など他にあと77億人いる。そして、もし、《基本的に》どこでも拒否されがちでモメがちで嫌われがちであったとしも、気にするな。どんなに自分がどこでもダメでも、思い出を探ると実はどこかで誰かに好かれてるページが有るはずである。なるほど君が100人中1人からやっと好かれ、あの好漢人気者八方美人たちが10人中9人から好かれる。しかし、その「〇〇人中」に注意せよ。現代はこれが一生の間で30ぐらいで止まってしまう村落の時代ではない。移動も通信も「出会い」も自由な、トンデモ時代である。つまりは、「ウン10億人中」でしか有り得ない。仮に、自分がまずうまくやっていける人間がこの世でわずか1000万人に1人しか居ないのだとしても、それでも実に770人がこの世のどこかに居るという勘定になる。そう、ヘタに自暴自棄ってしまう前に、まず、分母のデカさに気付け。お前が、アホたちのアホ組織にへばりついてんと、アホ仲間のアホ交遊にグダってんと、とっとと見切りをつけて触手をアンテナをガンガン拡げていけば、分子もまた増えまくるのみだ。トモダチ?吐いて捨てるほどできるだろう。吐いて捨てとけ。

さて、以上すべて、お前は、心当たりがあるはずだ。経験あるはずだ。イヤな思いをしているはずだ。読んできて、自分こそ!と膝を打って亀頭を揉んでいるはずだ。… それでもお前は、自分がされたこと・自分がされた乱暴なまとめと一絡げ・自分に押された烙印・自分がされてきた拒絶と何なら村八分、を、ぽっかーんと鼻ほじって忘れ去ってしまい、お前の後人たち後輩たち生徒たちに、繰り返すのである。人類とはどこまでアホなんですか?

 

本ブログ全部がパロディーで実演で物真似で冗談であるように↑も実演だが、つまりそういうこった。嫌なことというのは、どうしても、増殖させ複数化し全体化し盛ってしまい悲観に突っ走ってしまうのである。上に「例えば災難が2~3~4~5個ぐらい立て続くと」と書いたが、こういうのもほとんどが、悲観とパニックで勝手に増やしているのである。勝手に分割せんかったら災難など元は2個ぐらいだったはずだ。こういったことの心的機構はこの記事の頭に貼ってるアフィの本読めば分かることだが、サボってんとここでも書いとくと、ようするにマイナスなもの・イヤなもの・痛いもの・ワルいもの・失うものにこそ過敏で(一方イイコト側の事象や幸福はいとも速やかに忘れる模様)こればっかり気にしてしまい膨らませてしまうのである。なるべくイヤなことが無い>>>>>いくつかのイイコトが有るという心の構造をしてしまっているのである。損失回避なんかこういうものである。

ホメるか叱るか♡ なぞではない。ヒトは元々の精神構造からして、誉めるよりも貶すほうを遥かにするのであり、文句のほうがいくらでも出てくるものであり、前や未来を向くよりも後ろと悔いを向くものであり(だからヒトには哲学が成立する、違う脳なら成立していない)、イイモノをもたらすよりもワルイモノを削減するほうに必死になってしまうものであり、賞賛よりもひたすら反省(会)するものであり、ハッピーエンドは記憶に残らんが悲劇は常に心を揺さぶり、儲かった1万円よりも失くした千円を思う時間が1兆倍多く(むしろ前者は忘れる、イイことは、忘れる)、用事が数個も重なれば勝手にてんやわんやになり、レジに何人か並べば勝手にパニくり、電車の乗客が修羅どもに見える。

こういった精神構造のままに、てめえのしょっぼい観察と・てめえのサボった考察と・てめえのどうしょうもない邸能から「見え」(たとして)たマズイモノを勝手に増殖させ、勝手に複数化し、勝手に全体化し、勝手に「みんな」化し、勝手に「これからも」化し、判決におびえるあわれな子羊にぶつけてくるのが、この記事で問題にしたボケどもであり、お前たちであり、私である。