地上最強のブログ

しばいてくぞ

現代のナチ言語(Lingua Tertii Imperii, enim lingua Iaponica)

 

前回の記事から

その空気や「左」「右」や〇〇人に自分は含まれない。身の回りの人たち身近なあの人この人も含まれない。どこの誰なのかわからない顔の見えない漠然誰かのことを言っているだけ。自分たちはカシコくて無謬でクレバースマートで不可侵神聖、どこかの誰かがアホで愚かで迷惑で混雑渋滞の元で中核でウヨでバヨエーンダイヤキュート。

大人への道

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アホのおつむの中ではこうなる。こいつらが人にレッテルを張り出したr…ではなくて、こいつらが口を開き字を書きとし出したら、すべのからく何が何でも、ゼッタイに一言も聞かなくていい。そこには何の中身も絶対に無く絶対空虚無なのだから。こいつらからは何も聞かなくていい。Yahoo!ニュースはじめコメント欄に書いている全バカ。

こんな動物です、ぼくらは。キモいでしょ。うちゅうじんさん、はよ絶滅させてください。

どれだけキモいかというと、さすがに賛同を得られあるあるとうなづく者もいるだろうが、業務のスタッフとかが、場所を指すときに、指で指してはならず(「指」すのに)、なんと、その方向に手のひらを向けて押す動作をさせられるということであり、そしてこいつらがこのゲロキモクズウジカスゴミ動作をすすんでヨロコんでしているというのがある。

これだけは、さすがに気持ち悪すぎる。ここまで筆致を抑えていた自分も、これだけはさすがに心頭滅却に憎悪のたけをふんたらかんたrxし;jぼいxdrとぇr;ぜjrf:g;ldxf……フーフー…。

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あれは、いくらなんでも、気持ちが悪いにもほどがある。国民がすぐ「メス化」したがったり、カマくさかったりナヨかったり、いちいち軟弱ゲロへどきしょいのはもうわかってきたが、あの動作の気持ち悪さだけは、これが思い付けるほどの病的平和主義病は、さすがにない。ここまでいくと、ちょっと考えものだ。

指で差すのが直示的で強すぎるから、いかにも差していて指示性が露骨だから、トガっていて差し出がましくてトゲトゲしているから、それを柔和化無難化するため、そのために、手で物を差すというわけなのだが、そんなよ、一体よ、たかが指で指すことすらよ、そんなことすらトゲトゲしいと感じないといかんことなのか?一体、どこまで気持ち悪い奴らなんだ?

もちろん、指で差す奴も不愉快ではあり、指祈ったろかお前コラとしか思えないもので、ベターなのとして、手のひらを上に向けて手刀の先で指し示すというあの動作で、これをしていればいいではないかとも思うものだが、しかしもっと考えてみると、指し示す動作をする必要があんまなくないかとも思う。上の動作はキモいがあんま見ない。指差しも見ない、手刀も。そう、対象は、その場所は、言葉で叙述すればいいことだ。言葉が貧寒だから 指し示す補助が必要になるんじゃないのか。指したがる奴は頭が悪いのであろう。

ということで、ここナヨキショ文化では、母語を捨ててナヨゲロキショ語に改宗しなければ生きていけない。例えば、「自業自得」という母語を捨てて「自己責任」というクソゲロ語を習得しなければならない。(本ブログでは扱うのは名詞だけになってしまうが、文章全体で見てもコトは同じで、近年とみにゲロヘド気色悪くなっていっている。日々ナヨナヨナヨナヨしたカマ臭い文章がネット中に湧いている。シナシナヘナヘナしてなくて雄渾でありさえすればどんな文章でもキモくはないのだが、そういうのは絶滅するのだろう。)

自分は今までには関係したことが無いが、「内容証明」が来たら、気持ち悪さで発狂するんだろうな(何でこっちが狂わなあかんねんボケ)。「内容証明」という意味不明な宇宙最もまわりくどい語が言いたいことは、「お前を訴訟で抹殺してやる」ということだ。宣戦布告だ。だったらそう言えばいいことだ。抹殺宣言もオブラードに包まないと気が済まないのか。その言動は、侵攻に際して〇〇事件をでっち上げ まず大義名分を創作する軍部とそっくりだな。攻撃する者は美辞麗句をつくろう。今から権力に収監される者は 丁重な電話で慇懃に話しかけられる。「ちょっとお越しねがえないでしょうか(さあ 〇ったろか)」。

孤独な星空

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そう、ナヨキショ語の役割と本質は、敵意や害意を隠すというものである。もちろん隠れてなどいずその意味などみんな知ってるのだからドマヌケな隠蔽にすぎないのだが、それをしないと、マヌケな本人も、マヌケなみんなも、一丸となって気が済まないのである。共同体が成員を殺す時代、火炙りと死刑の時代は終わってはおらず、人類社会に生まれたら 身体の被監禁・被損壊・被収容・被管理は覚悟していざるをえないが、それを表現する言葉だけは、それを指す語だけは、何とかどうにかして、野蛮の風味を払拭しようとする。

指しているものは同じだ。それは無くなりも変わりもしない。差別語が無くなっても世界は毫も変わらない。むしろそこで隠蔽ということがなされてしまうことが 現代思想が問題視していることだ(多分な、現代思想なんて1行も読んだことないから知らんけど)。

対象は対象のまんまで、そこに加えられる何に関しても別に何もしないで、それを指す言葉だけをひたすら洗浄して身綺麗にとりつくろう、それがポリポリカルコレクネストなのなら、一体、第三帝国言語(Lingua Tertii Imperii)と何が違うのだろうか

どっちも同じこと、 ピラト 人類が手を洗っているだけだ。

第三帝国言語、実例を見てみると(日本語版のほうはバカ直訳バカpedia)、現代のLTIが見劣りしないことが分かる。というか、両者の違いがわからない。

現代のLTIでも、↑ のリンク先に見る通り、

  • すぐ大げさな言葉を使う。すぐ「号泣」させ「乱」射させ「大」「爆」笑必死。年中続く「閉店セール」から、セールス文句に過ぎない「〇〇限定〇〇」。コンテンツをクリックさせるために大げさな語で煽ることなどを思い出す。例えば、野生動物の動画のタイトルにやたらと「巨大」などの大げさ語を入れたがる;ありふれたサイズの動物しか映らないのに。(ただこれは、大げさにしてなるべく煽りを入れないと バカな視聴者どもがクリックしないからである。製作者は大変だ。)
  • 技術系や電子系、すぐITの用語を転用したがる。書名に「2.0」「3.0」と付けたがるバカ。仏教4.31。そして 本家LTI同様、間違った意味で使う。映画の「リブート」はOSのとはまるで違う。ヒトからは「電波」は出ない!!!
  • 科学の語彙を使いたがる。とりあえず「エントロピー」とか「前頭前野」とか言っとけばいい。
  • 現代人も伝統的宗教の用語がむちゃくちゃ大好きだ。本家のLTIとは比べ物にならん。一宗教にとどまらず各大宗教から語彙を転用しよる。福音だの神だの解脱だのニルヴァーナだの「道」だの。そして宗教儀礼を模すのも大好きだよな。これらは専門筋よりもサブカルチャーや大衆文化で顕著だ。宗教も典礼聖典も、ポップなんだよな。

次回の記事に続く