地上最強のブログ

しばいてくぞ

現代日本語講座 (16)

Letzte Klugheit. Er fürchtet den Neid der Götter und der Guten: er versteht sich darauf, sein Verdienst durch seine Thorheiten in Frage zu stellen und dergestalt wieder gut zu machen.

(Nietzsche, 1881,12[212])

 

(どうせアホどもからは理解されないのだから だったらアホを演じてしまおう というわけだ。

ニーチェ

 

前回の記事から

ーは語られたことが「 」内で語られようと別にナレーターが語っているようなものだし語られた内容の順番が後前しようと大して変わらんなと登場人物に欲望させたことにすることによって高度1万メートルから獲物に向かって滑空するハンディキャップを負ったパートナーがバッファローの内臓に頭を突っ込んでいるのをやめて「まなざし」を上げてグラスに腰の案配を注いでぼくの身体の「まなざし」の前に置いた。
 「鍵盤を叩く強さなどのタッチの質感が音調という出力に直接反映されるピアノなどと違うキーボードがどのように「叩」かれようがPC側としてはどうでもいいことであることは、である。強く叩いた分だけ字が濃くなったりする「過剰」ではない。外部デバイスはO
 S等に指示を入力をすることが目的だからこの「過剰」が果たせればそれでいいのであって形もどうでもいいのであって別にキーを「叩」くことによって入力が果たされずともよくて例えばすべての入力が人声や人肌や人体温や人磁力でするものだというPCの歴史が存在していたとしても
 おかしくないし出力される結果はキーボードによるそれと同じことでありPC側にとってはあくまでどうでもいいものである。打鍵とは鍵盤タッチとは違って出力=結果そのものとは無関係でありどうでもいいものである或る意味錯覚である。「過剰」である。
 すべて「手ごたえ」や感触というのはこういうものである。乗用物体がエンジン音を響かせることに意味はない。それは目的「移動」に対する不随物・虚飾・おまけに過ぎない。別に無くてもブツが動くならそれでいい。「過剰」である。
 フードに付いているファーも無意味だがそもそも防寒具におけるいかなる起毛も無意味である。目的「遮寒」が達成されることが目的であって「毛」的な質感など本来は必要ない。「過剰」である。
 すべて世にある数多無数の物品がこういうものである。「過剰」である。現象もそうである。ご飯は炊けて旨ければそれでいいのであってグツグツ言う必要も別にないし湯気を吹く必要も無い。ご飯の意味と目的は味と栄養だ。
 そして気付くのだがこのような何かの実体と錯覚されているがその実意味や目的とは何の関係もない 不随物 無駄のクソごみの多くが特にである。冷静に検討していけばこの世界の中で鳴っているほんとどの音のほとんどが存在しなくていいウルサいだけの迷惑公害だと明らかになる だろう
 そういった無駄で無意味で要らない存在しなくていい「過剰」の最たるやつが「声」というものであり会話というものである。これらの外部デバイスが入力するものは情報であり出力するものは意味であるがそれをするものが摂食用口腔器官を用いた空気振動でなければならない絶対的必然性はどこにも無い。
 ここをよく聞いとけよおのれら。
 進めて言えば、この世界には会話など存在しなくてよいということが明らかになる。その理由は上記リンク先記事とその中のリンク先記事でさんざん書いていることだからそれを読めというものだが、とにかく、人と「会

蒸発した水分

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う」だとか「話す」だとか「顔を合わす」だとか「人と」「付き合う」だとかいった、非効率で・ぶざまで・原始的で・姑息で・因習的で・封建的で・差別的で・反社会的で・カルト的で・不衛生で・優生学的で・反革命的で・プチブル的で・人民の敵で・へそで・ごまで・納豆で・ひじきで・チャーシューな、この、「おでん」などという反吐クソ不味い 食べ物 ゲロは、すみやかにこの世から消えたほうがいい。「過剰」である。

 「 」の中に入れてあるのだから間違いなく天地神妙に誓って一字一句たがわず()本当にこのように喋ってのけた土足の「まなざし」の前に置かれたソファーにぶら下がって鈎爪を嘴で手入れしているハンディキャップを負ったパートナーがポン刀にポンポンやるのを済ませて愛用のイングラムM11とH&K MP5の手入れを自己責任るとカムチャツカオオヒグマの「ポンポン」と遊ぶために外に出かけカムチャツカオオヒグマの「ポンポン」と遊ばないために外に出かけた大体が爆竹や爆松にわさびを付けていたと書いている書き「手」は「手」ではなくてキーボーとWin10で書いていることを言ったぼくの身体は、過剰だった。
 「まずそもそもの「大」「前提」からがして「おでん」は臭いが臭い。漁貝類のすり身なでらはの梟さだ。そしてゲロ不味い。不愉快な、人権を侵害する自己責任だ。
 次に、……ですから我々の悲劇は、どう思われているかを思いすぎるということにあるようなのです、賢明なるヘロトクロスよ。
 L4 我々は、我々自身にとってその人が我々をどのように考えたり評価したりしているかをたえず気にしなければならず、またそのように気にすることが至極もっともであるような相手の意見のみならず、おおおヘパマイモスよ、
 L5 さらにまた、通りすがりの我々のことなど一瞥した以上のことはなにもしらないような人の意見までも大いに気に悩むのです。そうして、この人がこの人自身の時間に帰った時に我々についてどのように人々に話し、市場に出てあらぬことを吹いて回り、どのように職場や校内でしゃべってくさりやがり、どのようにコメ欄に書き込んでくさらしやがってこますのかを、しじゅう気にしていなければならないのです。
 L6 それは例えば、プンポメイオスよ、どのような人々だろうか。私のきみが思うと思っていると思っていると思っていると思っていると思うところでは、例えば、
 L7 パンテオンの前に集まっては僭主の評判をうわさしている人々だろうか、それとも、市場でたまごを売って手に入れた銀で香油を注いでいる人々だろうか、それとも、ムセイオンの前でちんちんを膨らませている人々だろうか、それとも、性的対象になりようがないコンテンツを性的対象とするような、ケジメも区別も何もできない見下げ果てたヒトモドキの邸能どもだろうか。
 L8 それは、おおモモクレスよ、わたしは言います、まことにそれは、あの「匿名」のこのゴミクズどもです、この、「スペース」ですらないデブリの大便製造機どもです。
 L9 それならば、ウパイパトスよ、言ってはくれないだろうか、人々が我々に対して何か意見を持ったり、称賛しようとしたり、はげしく憎んだりするような時、これらは、おおくが、我々のことをよく知っていない虚しい言いがかりのようなものであると。
 L10 そのことに、ドボマトスよ、わたしは同意するでしょう。
 L11 それならば、我々自身についてそのような人々が思うところのことを思い悩むのも、あるいは思うことすら、無用の骨折り損であり、一種の錯覚ではないだろうか。
 L12 だからそないゆうとるやないけさっきから。
 M01 それならば、さらに進めてわたしが次のように言ったらどうだろうか、ウパンパストスよ、第1に、人々が我々について何を言い立てようとも、また我々についてどうのような像をこしらえようとも、それはそいつ「の中」で勝手に妄念しているだけのクソにすぎないと。
 M02 言われなければならないことが言われたと、わしたは言うでし

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ょう。
 M03 第7に、そうであるから、ッパドスよ、たとえ我々についていくぶん多くのことを知っていて、我々に近しい立場にある人々が我々のことを何か言ったり思ったりしたとしても、それもまた、我々自身ではない者が不十分な知識に基づいてホザいていることにすぎないと、そう言ったとしたら、どうであろうか。
 M04 おっしゃることに反対することを見出すことはできません、ギンヌンガガプよ。
 M05 それならば、ポンポンよ、どうだろうか、たとえ肉親や〇〇「先生」といった我々について十分な知識を持っていると考えられている人々が我々についていっぱしの口を聞いてくさりやがったところで、それもまた、どこまでいっても十分な知識に基づいて物を言えているとは言えないのではないだろうか。
 M06 かずこさんや、ごはんはまだかいの。
 M07 おじいちゃん、ごはんはさっき、塩辛ご飯9合5kg(6000kcal)と激辛地獄ラーメン7kgと炙りマヨチーズ10395kcalとステーキ5kg(15000kcal)とかけるチーズハンバーグ丼8㎏(10941kcal)を食べたでしょう。」
 「群れで協力してイワシの群れを囲い込んだハンディキャップを負ったパートナーがバショウカジキの眼球を嘴でほじくっているところを悪いんだがと言う私はこうやって手を上げるよ、ほれ、セメントが獲れた。反対の車線から変更が散歩してきたんだ。誰にだって言わせやしない。おいらは欧米人なんだい。欧米人は翻訳小説で「おいらは」「なんだい」って喋らされるんだい。日本語字幕や吹き替えで「それはまだ秘密さ」式に糞タメ口で喋らされるのさ。それはまだ僕には言えないね、お楽しみってとこさ。(←例のクソ吹き替えイントネーションで読む)」
 「町」とかいう意味不明などこかから帰ってきた土足になった大体は、おっさんやじじいが試着しまくった手指脂まみれの「おろしたて」の「背広」が、「広」いだけで薄っぺらい広背筋が張り付いた背中と、人体で最もショボい筋肉である腹筋による腹部に
 張り付いたけられたハンディキャップを負ったパートナーを散歩に連れて行った
 「筆者」の土足の身体は、立ち止まりかけてから立ち止まると、暖簾の前をくぐっていたにちがいなかtt

次回の記事に続く