地上最強のブログ

しばいてくぞ

年末年始に休みたがる霊長類

喰ったらヤバいいきもの

喰ったらヤバいいきもの

  • 平坂 寛
  • 発売日: 2017/07/07
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

衝撃的な内容だが、(おそらく)平坂氏の自伝部分を除いて、Monsters Pro Shop上の氏の記事のごく一部の抜粋を載せているだけであり、画像も本だから激ショボい。このサイトを読んだほうがいい。
(後記:2021年7月4日にやっと知ったが、YouTubeチャンネルもある。そりゃ映像のほうがずっとイイ。映像でないと伝わらんような壮絶な内容だ。)

 

 

 

前回の記事から

それはこのヒト種という口頭猿類の一種

夏よ、急げ!

夏よ、急げ!

SKE48

  • 発売日: 2017/02/22
  • メディア: MP3 ダウンロード

の生物特性だから仕方のないことなのだろうか。例えば群生動物ではなくて孤生動物が知能を持つまでに進化していたら、ネコやコアラが進化してディノサウロイドになっていたら、今とだいぶ異なった社会様相を呈していたのだろうか、そこでは「誰」も他人とつながる病に罹患せずに済んでいたのだろうか。

アホならすぐそんなこと想像するだろう。そもそもネコ科もステテコサウルスも孤生動物ではないのだが、それは措いても、ディメトロドン→デルタテリジウム→現生人類という進化の道筋(嘘)で顕著に保たれてきた強固な群生性質を抜きにしてはヒトはヒトにならない。こいつらの知能は考える悪しだのアリステンレス的な感傷だのいったもののために有るのではなく、群居生態を延長したものなのであって、高度で複雑な思考や知能というのは高度で複雑な社会生活のためのものに他にならないからだ。

ヒトの知能の話をする時に 今の今だに 机上の空論的に何をできるかの話をし出して 知能だの天才だのを物を書く(だけの)連中に限定するというバカのアホが湧いてくさるもので、近刊だと例えば『コネクトーム 脳の配線はどのように「わたし」をつくり出すのか』(9784794221650)みたいなアタマでっかち机上偏重本だが、もうこういう風な人間理解はええかげんやめていこうというもので、

ヒトの知能(脳)の真の真価は

対人コミュニケーション

身体運動パフォーマンス

この2点に限る

、これをゼッタイ忘れんな。〇〇理論だのノーベル人種差別賞(賞みたいなクズなど、もらったら焼いたったらええねん(←YouTube史上最爽快動画・「CABHEY RIDE ON!!」氏のユーチューブから貰った銀の盾でステーキを焼く))だのいったオツムでっかちの・アタマの肥満化した・室内に閉じこもった不健康な連中の脳内シコシコになど脳の本当の価値は無い。

だから現生人類に進化しうるのは本当はアリなのだが、本当はナシだろう。想像というのは全く何の意味も無いものであって、そんな、ドミノの牌を交換するみたいに進化の一部を他で置き換えることなんて出来ない。そもそも何かを何かで置き換えることなど 塵一つに至るまで出来ない。アホが都合よく想像しているのと違って宇宙とそこで流れた時間の間の全部のものはびっしり密着連関していて、そこに有るものはそこにしか有れないものでしかない。サルでなく他の生物が … なんて言い出したら、それに隣接する諸々の生物や物体や条件や環境、次にそれに隣接する諸々の生物や物体や条件や環境、次にそれに … 以下無限の全部を取り換えねばならず、宇宙全部を取り換えねばならないことになる。ヒト以外にヒト知能の生物はいない。考えても無駄。だから空想や小説やSFはすべて一切合切ムダのゴミのクズでしかない。

それはいいとして、人類には群れや集団というのが存在本質そのものだという話だったが、他人と違いたいというファッションが有るから、どうしても、(ココロがコドモなほど、)確固として自存自律せる我なり 誰にも依存していないオリジナリティの塊のインフルエンザの「個」「人」なりといったものを虚妄してしまい(オリジナルなんて無いわボケ)、その「人」だの「人物」だの、「人間」などという単位が存在するかのように錯誤してしまうものだが、そんな都合よくぽつんと孤立した人間など、どこにも居ない(などと改めて言われでもしたら、そんなことはよく分かってるよあああの話ねとお前はホザき出すが、いや おまえは分かっていない)。我有りな人間など存在しない。何をどうがんばってもエゴに突き進むことがむしろできなくてできなくて仕方ないような他存生物なのである。

だから、自分よりもまず他人が大好きなわけなのである。他人が何を見ているか・他人が何をしようとしているか・他人が今どう動いたかを24億時間全身全霊で気にして敏感に肌身に受けて、他人様の御意思・他人殿のご志向・他人殿下のおぼせ・他人陛下の挙動に自分を合わせ律し隷属し低俗する、これがこのサルなのであり、生物としてまるっと変わりでもせん限り永遠にこうなのである。

世には、やれお互いを監視し合っているだとか息苦しい世相だとか監視国家だとかムラ社会だとかパンツのしみだとか知った顔でホザく 何も知ってない人間拡声器が溢れ返っているが、事態の本質を分かっていないバカがどれだけいるか、いやそんな者しか居ないようだなということの証左になっている。監視したりひとを気にしたりすることが、おまえらと人類と私は、そもそも元々、大大大の大大大好きなのである。元々、隣のサルを注視して暮らすのが好きで好きでたまらんのである、この種は。視線だとか他人地獄だとか「まなざし」(←キモ!!!!)だとか「統治」(←は?)だとかなんかそんなんを現代思想だとかなんかそんなんがホザき出したら、一切まったく聞かんでいい。ただ単にヒト猿が好きでたまらんことをしているだけのことを確認しているだけのことだ。近代が進行して人の存在本質が変わることなど(文系のオツムの中以外では)無い:群れの規模が変わるだけだ。「ネット」の問題もそこ(だけ)に尽きる。

ちなみに、この話で言うと、今のオープンソースの時代に、プライバシー云々にそんなに意味があるだろうかと考える。やれ特定だの個人情報だのいうのは、それをもとにして加害に及ぶ連中がおるから問題なのであって、むしろたったそれだけその一点だけが問題なのであって、それを除けば一体何が問題として残るのだろうか。それを措いて考えれば、その問題がもしクリアできたとするなら、一体何を秘すことがあるというのだろうか。

純粋に「知」の観点から言えば、公的私的どちらにも限らずありとしあらゆる事実のすべてが知の情報である。一般公開物だけに限らず、私人の住所氏名貯金日記的事柄の一切が、何かなにがしかは人類全体の知に資する情報である──悪用用の「情報」などというものとはまったく違って。

つまり、仮定無犯罪社会では自分のすべて合切を公開したほうがいいに決まっている。何を隠したくて何が恥ずかしいというのだろうか。おまえの裸はそんなに値打ちあんのか?

いや反対に、値打ちというものは、価値や性能や能力というものは、秘していては何にもならず腐っていくだけであり期限切れが待っているだけ、オープンソースの過程でのみ向上していく。Linuxを例にさんざんほうぼうで言われ認識されていることだが、物事は、企業秘密にしておくよりも世間に公開して共同の知による協働に掛けたほうが超絶効率よく向上する。情報とは、他人に晒け出して切磋琢磨に掛けたほうがいいものでしかない。秘めとくことに意味のあるものなど存在しない、市場戦略でもない限り。

私〇〇とは、あくまでどこまでも、悪事や犯罪とのカラミにおいて意味を持つものでしかない。それがそれ自体で価値があったりそれ自体で何かであったりできることなどない。それは、法的係争物でしかない。実は、そこ以外の場では、ひたすらもっぱら、邪魔なものでしかない。そこ以外では、私物私秘個人匿名云々かんぬんといったものは、知と人類の阻害でしかない

ということで、群れの成員がしていることが気になってたまらずそれに同調するのが存在の本質から大好きたまらんサルだ。何をしたいかしていたいかも、他の群れ成員の行動で決まる。例えば、休むことになっている時に休みたがる。12時からという意味不明な時間の昼休みとかいう意味皆無な決まりで休むのが大好きだ。他人が休んでいると自分も休まないと気が済まず、他人が働いている時に働いていないと不安で死ぬのである、この哀れなサルは。普通は逆だろう、他人が休んでる時こそ働いて、他人が休日でごった返す時こそ雌伏して、他人が働いてる時にマイペースでおったほうが楽しいはずだ。しかし、このサルは、確かにエゴはエゴで、他人がどんな目に逢ってようと、何大虐殺が何大畜産が世にあろうとほったらかしに出来るエゴのバケモノではあるのだが、かといって、身近なこと生活のこと自分一身のことになると、他人他人他人の他人様畏敬他人様崇拝の他人様教の中でしか暮らさなくなる。もはや宗教(宗教に失礼!!)なのだが、誰もおかしいと気付かない。だから、サンガニチだのオーミソカだのいう意味絶無な宗教的風習を守らないと、不安で死ぬのである。年末年始にいろいろな業務が一斉停止されることで生活実害になるのだが、バカな風習を人類は世の終わりまで辞めない。

動物が、笹しか食べなかろうが、牙が伸びすぎようが、シロアリを食ってようが、托卵をされていようが・交尾までが迂遠だろうが、どんな定向進化を遂げていようがどんな不合理な生態をしていようが、ヒトの生態ほどおかしくはない。それをネタにどんだけヒトザルが嗤っていようが、自分たち自身の生態を想えば、何も嗤えない。なんたって、正月盆暮れに休みたいという奇妙きっかいな欲求のあるキチガイ動物なのだから。死んだら葬式を挙げてほしいなどという不合理甚だしいことを欲求する意味不明動物なのだから。思い出(の品)を保存だとか・家族を築きたいだとか・名誉を授かりたいだとか・国境越えをしたいだとか・墓に入りたいだとか・家族と過ごしたいだとか・〇〇の墓に入りたいだとか・畳の上で死にたいだとかいった、生物としてカンゼンにオワってる意味不明欲求・意味不明行動に比べたら、もはや、核兵器を作ったり戦争をしたりすることのほうが よっぽどか正常で非不合理であるように見えて来るぐらいだ(見えるとしか言ってないからな)。

 

タネ

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