地上最強のブログ

しばいてくぞ

1億円になります

 

そんなこと言われて本当に払ってまうユーチューバーなり、カネなんかおもちゃにできるユーチューバーなりが居る昨今、いい時代だ。いい時代と言えば、さんざん言ってきた(しここにアフィ貼ってるような本読む前から独自に思ってたこと)だが、不況〇〇停滞改憲〇離れ暗い(らしい)時代笑止高齢年金不安教育現場企業不正なんやかんやなんやかんや何を言っても、現代(の特にこの国)は人類史上最もイイ時代であり便宜便利の恩恵(恩恵ゆうても作ってる人おるからのものなワケやがな、YouTubeアップしてる人たちおるからこそのものであるごとく)輝き照りわたる神の国到来した時代である。別の時代(・別の国)に生まれたかった思たら完全にマチガってる。とはいえこんぐらいの認識は流石にあるもので、似たこと言っているのが見つかることもある

 

この記事この記事などで言ったことだが、どいつも特定のフレーズが大好きである。言論には、こいつはこういう語り口調をしたいがためだけに喋り出しやがったんじゃないのかとしか見えないバカがあって、喋るというより喋りに喋らされているだけ、この議論にはこの言い方という文体確認をひたすらしているだけ(になり、文章に中身が無いようになってしまう)でしかないような奴だが、「ような奴」というより100人が文章書けば9999人がこんな奴なのだが、こういうのは言論や知的(だとして)な場に限ったことではなくて、コイツこれ言いたかっただけやろと思わせるような特定フレーズ特定語彙愛好バカがどこにでも湧くものだ。「湧くもの」だというより物を言う時の75兆%がこんなんばっかりなのだが、故に心当たりあるだろう。心当たりしかないだろう。決して、頭を絞ってる人々の話ではない。特にブルーカラーな場では、ひたすらおんなじ語彙しか飛び交わない。発声発音して気持ちいい語彙で毛づくろいし合っている集団にしかなっていない。(自分自身が長らく居た場なんでな、よう分かっとんねん。)

(言論て言うと、このシリーズなんかも読んどきゃええが、ジャルゴミュニケーションの例として、例えば、バカがバカの1つ覚えで、「(〇〇の)想像力」(←キモ!!)とホザく。なんやねん「想像」の「力」て。サブいわボケ。また、「統一的に」(←意味不明)とホザく。《個々別々別個やったはずのものが全部つながったものとして》て言われへんのかボケ。また、「まなざし」(←ゲロきも!!!!)とホザく。すぐ「~性」と書きたがるバカ、すぐ「基本的に」と言う奴よりずっとキモい。似た奴に、ゴテゴテ虚仮脅し漢語2~3個を「の」でつなぐバカというのが有る。もっとキモい奴に、性的語彙を言ったもん勝ちのボケがおる。その他、「コンテクストにおいて」「(〇〇の)痕跡」「~の身ぶり」「モードの文化史」「挑発するジェンダー「自己責任で」「させていただきます」「こんなこと書いたら怒られる」、あと85445372342例ぐらいある。ほんまキモいよな。ちなみに、言論界知識界で、共有されたクソ言い回しや通じ合うジャルゴンを一切使わず聞いた風な口をまったく利かず自分の言葉でしゃべろうとして出来ていた人、として自分に思い出せるのは、梅棹忠夫ぐらいしかない。)

大体こういうのは微妙に知られている語句がよくて、コトワザや成句や〇〇知恵的な言い回しでは少々ダサく、自分らうちの流通語(労働者の「段取り」とか)なり、今が旬の語彙(「コンプラ」とか)なり、とりあえずゆっときゃええ気がする中身ゼロ語(「独断と偏見」(←きも!!!!))なり、よくあるのがイマドキノ若者ハコンナ言葉知ランダロウナと中年以後がウレシがって繰り出しているようなボキャブラリー(「あぶく銭」だとか)。

こういう決まり文句というのは、文字通り、言えば「決」まる。「想像力(ドヤァ」。「ラジカルな主張において(ドヤァ」。「アイデンティティ(ドヤァ」。

どうしてどうして

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話が何がどうで理解が出来てるか伝わったかということはどうでもよく、その語に落ち着きたいというだけ。言って気が済むだけ。聞いてほっと安心できるだけ。その語が出たら、周知で親近の先生様的なペーペルコルン的なでっかいおっちゃんが御降臨なさって場を和で包んでくれる、そんな気分。ただの気分。思考も反省も知識も知性も、なにも無い。そんなんを全部拒絶するんが、親しまれた語彙、流行りの語句、仲間内フレーズ、【言ったら何もかんもわかってもらえる】この一言、というものだ。

だから、だからそれで何が言いたいのか何を言おうとしているのかという、寄りかかれるような語、言ったら《決まった》ような感じのする語、これを言えばミンナワカッテクレル的必殺語彙を言ったとき、言おうとしたとき、言っているとき、知の働きが鈍磨している、ってか死滅している、そのときには何も考えていない、ホモサピエンスを一旦停止している、ということを言いたいわけだ。大変気い付けなあかんことが分かるだろ。

そしてここで何とも間抜けな不均衡が生じる。というのは、結局言葉を発しているほうが大した考えもなく半ば自動的に(よりも実際はもっと悪いが)しゃべくっているだけだというのにこれに対して聞いているほう読まされている読者のほうがその言葉その文章その言い回しを言葉の額面通りまじっめに受け取ってしまうということである。《あいつにね、〇〇〇って言われたんですよ》《著者は〇〇〇と述べているが、これは》とかなんとか。そうやって一所懸命相手の文言をその文言のままに受領して拝受たてまつっている間抜けなお前、言

次回の記事に続く

 

昔の彼氏のお兄ちゃんとつき合うということ

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