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しばいてくぞ

YouTubeはこれを見ろ!

教えてMommy

教えてMommy

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  • 発売日: 2014/08/27
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勘違いしてはならないが YouTubeは教養サイトである。

YouTube「と」他の動画サイトなど並ばない。それは「と」の文法まちがいだ。

例えば Classical Music/ /Reference Recordingのコンテンツ。他にも無数のクラシック演奏アップチャンネルがある。Addiobelpassatoのコンテンツなど誰でも一度は開いているだろう。

 

(ユーチューブと言えば、余談だが、実はかなり参考になるガジェットレビューをやっている「青木歌音 / Kanon Aoki」氏がGalaxy S20 5Gレビュー動画内で言っている通りDRAMメモリはデバイスの脳である。あと どこぞの馬の骨チャンネルの中でショップの店員が断言している通り、グラボも脳である(それにしてもこの動画、PC部品の話でひたすら意味の無いバカたとえをベラベラベラベラやってくさっとるな)。もちろんストレージも脳であり、キャッシュも脳であり、VRMも脳であり、グリスも脳であり、クーラーも脳であり、ケースも脳であり、はんだも脳であり、あんたも脳であり、EUも脳であり、首もも脳である。のう、せやろ?墺脳

ちなみに「青木歌音」氏の動画の9:57~を見ても分かる通り、背景ぼかしが意味があるのは動く映像であって、画像や写真ではない。ポートレートモードを充実してくれても何の意味もない。静止画は なるべくいっぱい情報を提示していてこそなんぼのものだ;背景を殺した画像には意味がない。それをやって感銘受けるのは動画であり、背景がぼやけていってオオいいなと思わせるのは動いてる映像に限る

あと、2:02でまだ「脳みそ」ゆうてるGalaxy Note 10+のレビュー動画で「S」と「Note」の違いを述べているが、こんなにうまいこと言っているのは見たことがない。)

 

かつて日本の某有名番組たちには、海外(イコール欧米、特に米)の番組を流(して後出演者がコメントとトーク)すだけの、ヨコのものをタテにするだけのものがあった(し今もあるのだろう)ものだが、YouTubeの時代、そんな子供騙しは完全にオワった。そんなもん、自分でつべに見に行ける。こんな時代になおテレビ局にダマされていては、アホ以下の未満であり、アホというよりサル、サルというよりヒトである。

以下のチャンネルたちの優良動画たち、邦テレビ局がいかにもヨコタテしそうな非常によく出来た見応え最高の動画である。

 

まず、

を挙げる。「警察24時」系の内容だが、そっちよりもっと迫真でナマで緊張溢れる内容になっている。題に見るように若者がメインだからドイツ社会の特に若い諸相を見ることが出来る。(「ホーム」から類似チャンネルにリンクできる。)

これは、ラジオ・テレビジョン・ルクセンブルク(Radio Télévision Luxembourg)傘下のテレビ局・RTL IIがやっているシリーズDie Straßencopsの公式チャンネルである(のだろう)。

こういうものとしては、プロジーベンザット1メディア(P7S1)持ちの放送局Kabel einsの「Achtung Kontrolle! – Einsatz für die Ordnungshüter」のチャンネル:

のほうがデカい。持ち会社はRTLグループのほうがProSiebenSat.1 Mediaよりもデカイい。

どっちも映像は面白い。

 

次に、

を挙げる。第2ドイツテレビ(Zweite Deutsche Fernsehen (ZDF))のTerra Xプロジェクトの公式チャンネルで、Terra Xにはまだ他につべ公式チャンネルがあるが、Natur & Geschichteが映像としては最も見ごたえがあるコンテンツ揃いであろう。主なコンテンツは、題を見ての通り 自然系と歴史もの。

人新世特集のDas Zeitalter des Menschen? | 4K UHD | Dirk Steffensなどは別として 基本「再現ドラマ」系の映像であり それは子供だましではあるのだが、しかしここまでの高水準映像なら、別にいいだろう。それにしても こんなもんテキトーに吹き替えといて流しておけばお茶の間の視聴率かっさらえるんだろうな。そのぐらい高品質の映像作品だ。(なお、(日本語)吹き替えとは 字の読めない人のためのものだから、字が読めるなら、YouTubeの字幕機能を使いましょう。)横のものをたてにしたらいいんだよな、テレビって。

実に、海外(イコール欧米、特に米)の番組や論文や小説やどこぞ馬の骨の発言、こういったものの出典媒体をただ紹介するだけ、ヨコのものをタテにするだけで内容としてしまうような子供ダマシ制作が横行してきたものだが、思い出せば、雑誌「Newton」などがまさにそれだ。

雑誌「ニュートン」…… NatureScience辺りからただ最近のトピック♡を引用紹介するだけ、「宇宙」だの「DNA」だのいったマンネリ話題を繰り返す長年のマンネリ、そして何の刺激もない激ダサいだけの糞イラスト、こういう子供騙し媒体が、日本では、有難がられるものである。いったい何億回アインシュタインのアホ面を見せられないかんのじゃ!!
科学に無知な者ほど「Newton」などを有難がるものだが、「科学」の雰囲気を嗅いでたいんだろな。「科学」「をやった」気になりたいんだろうな。遺伝(子)や量子や深海や「人類」に関する知識を得た気になりたいんだろうな。

雑誌「Newton(ニュートン)」にはポピュラーサイエンスの水準もない。「週刊 恐竜サウルス!」のほうがはるかに上等だ。「科学」のフリは科学の無知をヨロコバせる。

このクズ雑誌がいま尚健在で、Amazonのおすすめ欄に大量に出てくるという嫌がらせを繰り返している現状、科学立国だな。

 

ドイツ語番組公式チャンネルではGalileoが断トツ最大手だが、ARTEdeもかなりな大手だ。 DER SPIEGELに次ぐ大手チャンネル。

(教養系ではTopWeltGalileoに次ぐかと思わせる大手チャンネルだが、静止画が少なくなく、悪質である。)

これは、アルテ(ARTE (Association Relative à la Télévision Européenne))のドイツ語の公式チャンネル。

社会系のドキュメント映像。

 

↑は絵的にはそないに見応えないが、教養系の映像が並んだそこそこ大手の

など よく出来た映像が多い。北ドイツ放送(NDR (Norddeutsche Rundfunk))の公式チャンネルで、農業系のコンテンツが特に見ていられる。ただ 720p画質はやめてもらいたい。

NDR

のほうが面白い(やはり720p画質ばっかだが)。環境系ヘルス系食品系で、「Die Tricks」シリーズ始め 市場の闇を暴いている。Jo Hillerってイケメンだよな

 

西(部)ドイツ放送(協会)(Westdeutsche Rundfunk Köln (WDR))のMediathekであるQuarksの公式チャンネル

もデカいめのチャンネルで、テーマも長さもかなりバラバラの動画のどれも大体面白い、と言うか飽きさせないようにシッカリ作ってある。実写映像に限定せずアニメーションも使って見やすくするタイプ。ヘルス系の話題が目に見えて多いが、それ以外の話題が本当に雑多。

退屈せず見ていたいなら特にこのチャンネルがいい。短いのを観てればしんどくもない。

 

南西ドイツ放送(Südwestrundfunk)の公式チャンネル

も一応挙げておこう。まあ地味だ。上述NDR Ratgeber風のドキュメンタリーなどは見応えがあるだろう。堅実である。少林寺体験

 

バイエルン放送の公式のチャンネル

も堅実な教養番組づくしだ。

 

さて、何よりも、

を是非知っておきたい。長編のドキュメンタリーが目もくらむような大迫力映像である。

ここ数ヵ月で 数10秒~数分の動画を大量に上げているから過去動画のほうになっかなか辿り着かないが、いま挙げた動画からリンクして行けば分かるように、他局と一味も二味も違ったスペクタクル映像である。

そういったものとしては、スイスのAxpo社のチャンネル

Pumpspeicherwerk Limmern: Ein Projekt nimmt Gestalt anも相当なものだ。

次回の記事に続く

 

ひな壇では僕の魅力は生きないんだ/難波鉄砲隊其之参

ひな壇では僕の魅力は生きないんだ

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休みを取るので親を殺します

 

職場で休みを取るときの口実に親族の不幸を使うところから 親族の誰かを死なすとか殺すかとか言うそんな職場会話あるあるだが、現代日本限定の風景と思っていた(思ってるだろ?)ら、そうでもない。何と19世紀のドイツ文学作品にそんな表現が出てくるのである。初出もってかれたな。

TWO ROSES

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この記事で見たハインリッヒ・ザイデル(Heinrich Seidel, 1842–1906)だが、その小説、こういった特徴に近い特徴に因り読みにくくなっている文章がおもしろいのみならず、内容も、後世を先取りするような徹底的日常系というものが、一等おもしろくて仕方がないもので、そういった小説の1つに、そんな表現が出てくる。

(後世を先取りと言えば岩波文庫『黒い蜘蛛』のゴットヘルフ(Jeremias Gotthelf, 1797–1854)などにもそういう所があって、この作品などがまさにそうで、読んで分かる通り、2000年代前後というごく近年のホラー映画の描写手法や進行手法に、これをそのまま文字にしたかのように、ソックリ酷似している。とにかく、徹頭徹尾、最近のモンスターパニックやゾンビホラーを観ている感覚でしか読めない、そんなすんごい文体である。それのみならず、Die Wassernoth im Emmental (1838)における洪水の描写など、災害パニック映画そのっものそれズバリ、もうそれの脚本予定原作にしか見えないような、そんなに現代映画に通じる文体になっている。こちらは翻訳がないから、いつか紹介しなければならない。)

どんな作品かと言うと、虚言「癖」(←黙れ)と言うのもバカらしいような天然虚言のHans Hinderlichという人物に関する作品だが、登場するのがやっと後半、前半がAbendrothという人物に関する話で、そちらも無類に面白く、例えば台風の日に外出してガス灯の柱(„Laternenpfahl“)に手で掴まって体が浮いて地面と水平になって旗のようになるという描写など、やはりまた後世に通じるようなマンガな描写である。

テキスト化もされていてHTMLで読めるが、しかしそこはやはり原典原物を(Google Booksから)挙げておく:

Seidel, Heinrich: Hans Hinderlich (1881). In: Gesammelte Schriften von H. S. Bd. 3. Neues von Leberecht Hühnchen und anderen Sonderlingen. Leipzig: A[ugust] G[ottlob] Liebeskind, 1893. S. 237–255.

ここからだが、話そのものが無類に面白いので、大きめに切り取ってこよう(248~251頁):

Hans Hinderlich betrachtete seine Anstellung bei irgend einer Bahn vor allen Dingen als eine Gelegenheit Urlaub zu bekommen, womit in diesem Falle freie Fahrt auf allen Eisenbahnen Deutschlands verknüpft war. Da dringende Familienangelegenheiten bekanntlich der beste Grund sind, welchen man in Urlaubsgesuchen vorschützen kann, so war er um dergleichen nicht im Geringsten verlegen. Er brachte zunächst seinen Vater um, dann seine Mutter und schonte schliesslich auch seine Geschwister nicht. Da er seinen Vater in Breslau, seine Mutter in Königsberg, seinen Bruder in Hamburg und seine Schwester in Stuttgart draufgehen liess, so bekam er durch diese auffallende Familiensterblichkeit ein schönes Stück von Deutschland zu sehen. Als er einsah, dass die Sache anfing, eintönig zu werden, schien er in Besorgnisse zu gerathen über den Fortbestand seines Geschlechtes und nahm, so bald es anging, Urlaub, um sich zu verheirathen. Er beantragte dafür acht Tage, allein, da ihm die Antwort ward, fünf Tage seien für diesen Zweck vollkommen ausreichend, so begnügte er sich auch damit, und nachdem er auf dem Bureau eine ausschweifende Schilderung von der Schönheit, den Tugenden und dem Reichthum seiner Zukünftigen entworfen hatte, reiste er ab, diesmal nach Halberstadt. Nach Ablauf des Urlaubes kehrte er ziemlich niedergeschlagen wieder zurück, erzählte eine romanhafte Geschichte von unliebsamen Entdeckungen, welche er gemacht hatte, die er mit reichlichen Tiraden über die Falschheit der Weiber ausschmückte und gestand, dass aus der Sache nichts geworden sei. Jedoch schien ihn dies nicht abgeschreckt zu haben, denn nach einer Weile begehrte und erhielt er wiederum Urlaub zum Zweck seiner Verheirathung mit einer Braut, welche er sich – auf welche geheimnissvolle Weise, ist nie aufgeklärt worden – unterdess in dem entfernten Prag angeschafft haben wollte. Da auch dies nicht zum Ziele führte und er nach einiger Zeit zum dritten Male ein Gesuch einreichte, für denselben Zweck, der diesmal in Hildesheim erfüllt werden sollte, riss auch seiner langmüthigen Ober-Behörde die Geduld und er bekam das Gesuch zwar genehmigt zurück, jedoch mit der Randbemerkung, es sei im höchsten Grade wünschenswerth, dass diesmal aus der Sache etwas werde. Aber, siehe da es gelang ihm wiederum nicht.

Genaue Nachforschungen, welche wir späterhin anstellten, haben ergeben, dass er innerhalb des, an den verschiedensten Anstellungen reichen, Zeitraums von zehn Jahren zum Zweck der Erlangung von Urlaub seinen Vater sieben Mal, seine Mutter vier Mal, seinen Bruder und seine Schwester je drei Mal umgebracht hatte, und dass trotzdem diese ganze Verwandtschaft frisch und munter war und sich einer zufriedenstellenden Gesundheit erfreute. Den Versuch, eine Lebensgefährtin zu gewinnen, hatte er in dieser Zeit acht Mal angestellt.

 

ママのドレス

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(さて作品タイトルの人物の出番だが、まあそれはそれはな人だ。例えば職業だが、鉄道関係に就きでもしたらそれすなわち旅行したい放題という意味でしかない。そのための休みを申請するには、世間でよくある手口が親族の不幸というものだが、もちろんこの人には 何のためらいもなく常套手段である。おとんに死んでもらったら次はおかん、もちろん兄弟姉妹にもなんぼでも死んでもらう。没地を木浦市花蓮港庁・神戸三宮・淡路島にしておいて、盛大に観光三昧。やがて親族が減って行って申請口実に事欠き出すと、今度は家系存亡のためと花嫁探しを始める。ソレニハ1週間ハイタダキタク存ジマス。しかし回答としてはそんなに要る訳がないとのこと、そう来たらそれはそれで納得。出発前には、向こうの方がどんだけ気立てイイべっ嬪さんでおうち資産家であるかをさもウキウキと弁じ立てることをしっかり忘れない。今回エンジョイした旅先は 信州安曇野市だ!!帰ってきたらどうするかと言うと、この件は騙されていたんですなどと意気阻喪を演じ、女なんてのは本当にもう本当にだめ本当に信用できない云々を云々し出し、要するに成果ゼロを報告するだけである。よっしゃ!!もちろん実際にめげているわけではなくて、ほとぼり冷める頃にまた同じ理由で休みを申請し出すわけだ。今度のお相手方は遠方もはるばる満州国哈爾浜市で見つけて来たそうだ、どうやってかは言うわけがないが。これも勿論成果なしに終わり、またしてもお見合いで休暇申請、行き先は倉敷である…。ここまで申請を受理してきた窓口もさすがにちょっと待ってくれとなり、受理こそはされたものの、いつも成果がないのにそうやって休暇を取られるのはさすがにちょっと … とチクリされた。とはいえ、成果ゼロで帰ってくるのである。

小生と佐右衛門で調べたのだが、結局、10年間ぐらい職を転々々々としていた時期に、休暇申請として殺した父親が都合7人、母親が4人、兄弟姉妹が6人にのぼっている。もちろんすべて嘘で、全員ぴんぴんしている。お見合い(嘘)した相手は8人だ!!)

というように、軽妙で滑稽な文章が光る名品である。

それにしても、考えてみたら、10年もあったら 上記数字ぐらい家族を殺して有給を取っている者ぐらい、現代の日本でもどこかには居そうだがな。非正規雇用転々ならなおさら。

なお、下線で示した部分などが笑い所(他にもまだまだあるよ、自分で見つけよう)で、例えば、よくあるカン違いした翻訳なら、「なんらかの~でありさえすれば〔irgend ein[ ]〕」「この場合には〔in diesem Falle〕」「~付きである〔verknüpft〕」「ほんのこれっぽっちも〔nicht im Geringsten〕」「天に召されていただいた〔draufgehen liess〕」「たっぷりと〔ein schönes Stück〕」などといった日本語にして、読んでるほうもさぞ面白がるのだろう。サブいだけのア翻訳だな。

 

逃げ水(Type C)(DVD付)

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句分離覚書

絶望の後で

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前回の記事から

独和大辞典コンパクト版 〔第2版〕

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の「nicht」の項の2・ii)(2011年版の1630頁)、部分否定の説明で、「否定すべき成分を文頭に置いて」としながら、

So etwas tun Deutsche nicht. そんなことドイツ人はしない.

という例文を挙げている。

一見奇妙ではあるが、文頭かそこに近い語句が有題化の「は」が付いている語句であるという構文上の特徴と、否定(~ナイ)とは常にデナイという否定であるという否定の意味本義を考えあわせれば、なるほど判らない語順ではない。ソンナコト………ナイ。特におかしくない語順なのである。

しかし本当は[nicht so etwas]という塊が欲しい、こうであってほしいだろう。しかし、前記事に見たように、句は分離する:

  • Geld habe ich heute keines.
  • So etwas tun Deutsche nicht.

ということ。元は[kein Geld]であり[nicht so etwas]であったワケだ。

謎の部分否定構文を、このように句分離という点で見てみた。

 

Brunchはブルーベリー

Brunchはブルーベリー

 

ところでG・トラクル(Georg Trakl, 1887–1914)Verklärter Herbst

Gewaltig endet so das Jahr (/ Mit goldnem Wein und Frucht der Gärten.)

という文がある。この「so」がよう分からん。

まず、「gewaltig」と一緒に「endet」に係ることはできないだろう。むしろ「gewaltig」に係ることしかできないはずだ。副詞に係る副詞。つまり

  • Geld habe ich heute keines.
  • Gewaltig endet so das Jahr […]

という句の分離が起きているのでないか。

ただ、そうだとするなら、[so gewaltig]だとするなら、soにそこまでアクセントが付いていないことになる。ところが、韻文の説明は省くがこの詩行では „so“がHebungという位置に来ており、がっつりアクセントが有ることになってしまっている。そんな強い„so“は単独で動詞に係ったほうがいい(So endet ……)。

つまりこの行は

Gewaltig endet + so endet

だということになる。「パワフルに・そのように、師走になりました」。翁。

wer…der…文なりwenn…so…文なりに似ている。

これは、pleonastischである。。二重完了なども想わせるが、それとは違う。二重完了には現在明確な役割と意味が有る一方で、wenn…so…文の「so」や似非パワフルな「so」は無くてまったく構わないものである。自転車を競輪する。

(ちなみに賭博競走の中で、競艇はガソリンとエンジンの仕事、競馬はただの動物虐待、競輪のみ人間が自力を使っている、知ってたか?)