地上最強のブログ

しばいてくぞ

私の読書歴④~『美しき水車小屋とそうでもねえ娘』『プロテスタンティズムの電気羊とアンドロイドと機関銃』『バットマン vs. ファインマン』『トレマーズ vs. グーニーズ』『ルサンチマン vs. シンデレラマン』『〇ックスセンス』『A.〇.』『E.〇.』『新約〇書』『〇イドロス』『〇家』『パイドンどん』~

 

前回の記事から

らどうだということにしかならない。上述の事柄の大筋、或いはイイタイコト、訴えようとしている心情、その点に関しては、何ひとつ1ミリたりとも揺らがない。他人の発言や文章というのは、そのイイタイコトを汲み出してきてそこにちゃんとコミットしてこそなんぼだ。そうしてこそ、どないこないウンヌンカンヌン言う権利を持てる。言葉尻をとらまえるバカ(しか今までに見たことがないが)には、言論に参加する資格は無い。「人間」の意味が違うよ?黙っとれバカ。)

 

といったところで、本本紹介シリーズの本命だが、

この本には心底タマゲた。というか、猛省を迫られた。

(『モノ・サピエンス』(9784334033835)のような愚蒙書の迷妄著者は 本書を読んで猛省しろ。)

これまでに、この記事なりこの記事なりこの記事なり等々随所で、人猿という猿人、この、迷信と蒙昧の詰まったオツムで闊歩しているボケ動物のアホでマヌケな生態を指摘しておき、生活上のおよそあらゆる感情や気持ちに関わることのすべて一切合切が何の意味もないものだと定義してきたが、そんな自分でも、定義し足らずだった。考え足らずだった。マヌケの不徹底だった。自分もまだまだキモチの問題に侵されていた。まだまだ感情に騙されていた。この本の中で挙がる例を見るにつけ、自分もこれなら抵抗あったわと猛省しきりだ。「殺人鬼」のカーディガンとかいう偽善臭いネタはどうでもいいとしても、確かにそうだ、国旗ではないにしても例えばフィル・ヒースのポスターで便所床を拭けるだろうかというと断じてムリだ(国旗でなら余裕で拭ける)。鼻ほじったおっさんが触れたナイススティックの触れ部分を除去したら気にせずに食えるだろうか(食えるよ)。嫌悪感しかない行動になぜ嫌悪感を持つのだろうか。負傷ゼロなら足蹴にされても平気でいれるだろうか(殴打は別に平気だが)。自分も確かに、本物と贋作は違うものだと思い込んでいた。「テセウスの船」のことを読んでゾッとした。自分だって、何の疑問もなく、修築している遺跡はニセモンじゃねえかって思ってた。コピーしたファイルよりコピー元のファイルを使うようにしてしまう。動作が悪いとか体ぶつけて痛かったとかする物体に八つ当たりする癖が非常に強く、身の回りの物を蹴ったり叩きつけたり金具で殴ったりしてしきりに壊してきたものだが、これも、物体に悪意があると感じるスーパーセンスを原因とする愚行なのである。物にはいかなる意思や感覚を見てもならないのだが、それがワカッていなかった。

自分も、何が高級で何が低級と決めつけていた。ここここここで記した言語が上等だと思い、例えば英語のような言語を下等な言語だと思っていた(まあそれには実際に間違いがないが)。

確かに、人類が本当の清潔不潔とイメージ上の清潔不潔の区別が付いていないアホたちであって自分なら生化学上可でさえあれば何でも可であって ましてや「菌」がどうのこうの言うアホとは無縁のつもり、そんな心積もりでいたものだが、そうではあったのだが、やはり、イメージ上・気持ちの上でだけで抵抗があるに過ぎないものをまだまだいっぱい引きずっていた。それを思い知らされた。もう洗ってるものがまだ洗えてない気がすることがある。メルマガ等のゴミが届くとアカウントをけがされたような感覚がある。クソ歌手のキモ歌を聴かされたら穢されたような思いになる。最低なことを言うが、動作チェックだとしても製造後1回でも起動・通電されたデバイスは中古と思えて何かイヤだ。

と書いて死語を思い出したが、かつて、男の腐ったような人間のクズどもが「中古」などとホザいていたものだ。この感覚についても、本書では、論じている箇所がある。しかも、確かにその議論の一部(〇〇信仰)は論外なものの、一部は自分も反省しきりなところで、つまり、老いは汚いものであって人体は若くないと価値が落ちると思い込んでいた(し、この感覚はさすがに今も抜けない)。ただそれは他人に関してではなく、他人の老若はぜんぜん関心がなくて、もっぱら自分のことだ。20台 もしかしたら10台からか、自分は、自分がいつか老いることを死ぬよりも嫌がっている。体表等の老化に異常にフォビア というか敵意がある。ただ、それも、愚かなスーパーセンスの産物に過ぎない感覚なのである。

いやいや実に、人間は「菌」を気にしながら手指の皮脂は平気で物にこすり付けるようなバカであるが、こいつらをどんだけ糾弾して追及して自分は超然しているつもりでいても、全然まだまだその愚に浸かっていたのだった。マヌケのアホだったよ。物に傷が付くが病的にイヤだったよ。買った商品に(特に落とすとかして)0.1ミリでも傷が付いたり・いや付いてる可能性があったりするだけで、怒りで燃え上がり憎悪と殺意に満ちて、一日中どころか何週間もそのことをエンエン気にしていたものだ(スマホが割れてる奴なんてのは、自分からしたら、体毛とゴキブリと鼻くそと親指が入ったラーメンを出されて平気で食える奴にしか見えない)。しかしこれも、愚かなのかも知れない。何でも、動きさえすれば、機能しさえすればいいはずだ。額縁に飾っておくかのごとき根性でデバイスを扱うのは、保存用に本をもう1冊買っておく等の、 自分が心底蔑視している愚行と同じ根性ではないか。

全部、考え直した。この本のおかげで。これは、或る意味 人類知識の歴史の分岐点に立つ究極の一冊である。この本をもって、世と人に有るあらゆる気・念・オカルト・けがれ・禊・老若・美醜・縁起・運・魂・ひと・心・悪・聖・本物・霊・視線・信仰・オーラ・礼・神秘・感情・好悪・きよらかさ・すっきり・さっぱり・真っ新等々々々々々の全無意味感性・行動・言動が、完殺された。

すべては、キレイではない。キタナくもない。キレイもキタナいも、錯覚でしかない。

次回の記事に続く

 

立ち直り中

立ち直り中

乃木坂46

  • 発売日: 2015/03/18
  • メディア: MP3 ダウンロード