地上最強のブログ

しばいてくぞ

「やさしさ」という治安維持法の特高憲兵はおまえ自身だ(空気のせいにすんな)

 

ポリティカル・コレクトネス」というのがあって、「テクニカル・ノックアウト」を言い間違えたものだが、意味は、ぽりぽりしたものを収集するということである。

わがままコレクション

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  • AKB48
  • 発売日: 2013/12/11
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或る国民が気持ち悪くなるというのは、すべてがナヨナヨしていくということである。

そこでは、極力相手を傷つけない(かの)ような仕草やふるまいや 特に言葉が奨励され、むしろ要求され、それどころか強制され、はたまたマニュアル化され、クソにも談合される。

どれだけ他人に干渉せず他人の領域を侵害せず他人に関わりを求めなかったかの自慢大会が年中24時間おまえの中で開催される

(そういえば不図思い出したが、そういう身を引いた姿勢でいること、辞退辞去していることを異常に好む国民がいて、就任するとか昇進するとか襲名するとかいうのを異常に恐怖して、〇〇長やリーダーの役を固辞するのが己と人生の最上究極美徳と思い込み、それを自慢しないという自慢を繰り出してくる奴がいるものだが、これは、本当にそうであるのではなくてそう演じているだけであり、自分が演じているということを分かってすらもいないアホにすぎない。例えばこんなん:

選択の科学

選択の科学

 

←こいつの顔は本の内容には関係がない

にも実証をもって書いてあることだが、人間は、自分の自由にふるまえる領域が広いほど、自分の主体でもって行動できているほど快を覚え健康に直結すらするものなのであり、従って、人の上に立つとかエラい立場に就くとかいうことをしたくない人類なんて存在しないのである。お前の謙虚自慢はもう結構。)

何をするにも言うにも、とげとげしているものは絶対悪とされ、ひたすら柔弱で軟体にしていなければならず、そうしていないと通報される;殺害されるよりも怖い。そう、怖いぶんには構わない。悲しいぶんには構わない。怯えている市民、かわいそうな虫も殺さぬ人様、ひたすら被害者の無辜の民という立場を取れれば、勝ちとなる。診断書を取り原告になり被害届けを出せれば、マウントポジション完了。

そう、この国では、怒ったり・憎んだりしてはならず、怖がったり・悲しんだりしなければならないのであり、「ぶっ殺すぞお前」と言いたいときには「残念です」と言わなければならず、「小便を飛び散らすなボケ」「掃除するほうの身にもなってみろ」と言うためには、「一歩前へ」と無力に呼びかけたり、それどころか、謝礼を述べたりしなければならない(!!!!!!!!)のである。わかるだろうか、例えば宅に強盗が押し入ってきたら、抵抗したら傷害罪が適用される恐れがあるから、「いつもきれいに使っていただきありがとうございます」と言っておいたほうがいいわけである。

そうして、ヘンな奴が車両進行を邪魔したら、「お客さま対応」と報告する。(ちなみに、客が「客に向かって!!」等と激昂したら、それは口喧嘩に勝ちたがっているだけでそんな言葉を発しているだけなのであって、自分を本当に神と思っているわけではなくそもそもそんなワケがないのだが、アホはこういうのを真に受けるのだろう。アホは、真に受けてはいけないことを真に受け、傾聴しないといけないところですべてを聞き逃す)。

こういった異常穏当病の表現歪曲のなかで何よりも最もゲロくそヘド気持ちの悪いのが、「自」というのを避けて「自」などと言うようにしているバカどもとアホどもであり、こいつらはもはや国語冒涜罪を犯した言語犯罪者である。気持ち悪いにもほどがあるぞ。

この国民のようなものになってくると、当然ながら、例えば手と手のつながりといったようなナヨナヨ文化の極致を示す行動が大好きなわけだから、すんごく手に偏愛し「手」を異常に論じてそれを現代思想とひょう榜したりする(そもそも上半身偏愛動物だ)のだが、そういった風の1つとして、釣り銭や商品などを手渡しするように強制するというのがある。

こういった、礼儀だかおてもなしだかいう気持ちの悪い風習のない地域では、釣り銭など、レジ台に投げて渡す(実際は、アホどもが著書で昔の中国として紹介しているのと違って、「投げ」たりはしない。投げたりなんかしたら大ごとだろがボケ。「落とす」の間違い)。

爽快で気持ちのいい対応だが、これが、列島国民には、信じられない対応だということになる。そう、お客様には、当然、手のひらから手のひらに渡さないといけない。それはもちろんそうだ。ただ、キモ客の生あたたかい肌が付くのだけはイヤだから、レシートブロック。

だったら手渡しなどしなければいい話なのだが、そうもいかない。空気に支配されているから、「やさし」くしないといけないという空気に、「やさしさ」という治安維持法に支配されているから、誰も、おかしいと言えない。そんなん言ったら ころさr…もとい、通報され、減給され、密告される。チクリ大好き国民は根回し国民。

つまり、宗教的信念(なわけないだろ)でそうしているだけなのである。だから、事実に基づいている面などない。事実に基づけば、手渡しなど、汚いだけだ。現金も、汚いだけだ。しかし、現金を崇めたてまつり、手を信仰していれば、生化学的清潔不潔など何も見えず聞こえず、キレーキタナイといった観念に生きることしかできなくなる。現金という観念が絶対神となる。スマホ決済の後進国たることをむしろ誇りとするだろう。

Summer side(セレクション16)

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  • 発売日: 2015/05/20
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(周知の通り、事態は、COVID-19禍下で改善の方向に向かっているようになってはいるだろうが、それは、国民が合理性に目覚めたからでも何でもなくて、空気が変わっただけのことである。これまでに1万年間 唾液ウイルス細菌まき散らし続けてたバカ人間たちがマスクをするようになって公衆衛生が改善の方向に向かっているのも、人々に知識が行き渡ったのではなくて、空気が変わっただけのことである。現に、路上喫煙のクズどもは一向に絶えない。もちろん、マスクヅラが宇宙最ブサイクにクソ醜悪だという知識も問題も、誰も感じず考えない。目から下が全部ノッペリ、ぬぼーーっとした阿呆ヅラ。ああ気持ち悪。)

空気と実感、観念と本音の境界薄皮が レシートだ。あれは手よりももっと気持ち悪い。支配に対する必死のささやかな抵抗なのだから。

そして、こやつらは、「空気」というものが存在していると信じ、それをえんえんと論じ続け、それが意味のあるものだと思い込む。

かつて地上のどこかに「エーテル」という迷信があった。「空気」の実在を信仰し真面目に議論している迷信国民は、それを嗤うことができない。「場」だとか「空気」だとか「気」だとか本気でホザけている国民には、何の迷信もオカルトも嗤えない。「霊媒」のほうがまだマシならい。

「空気」なんかあるわけなだろボケ。第3物のせいにすんな。ひとのせいにすんな。お前の行動がモンダイなんだろが。

しかし、バカは、「空気」のせいにすれば、気が済む。「日本人」のせいにすれば、「文化」がどうのと言い出せば、「右」だの「左」だののせいにすれば、そういう言葉(ただのコトバ)を使いさえすれば、何かを言った気になれる、バカだから。

ぜんぶ、一切中身のない空虚語。略して、空気という。

次回の記事に続く

 

君はラムネ

君はラムネ 

SKE48

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