地上最強のブログ

しばいてくぞ

余の訪園録 (1)

 

宗教は禁止から成る。数あるカルト信仰の中でも大規模なものに、【押しつけてはならない】とか【おしつけがましいのはダメいけない】というカルトを信奉している狂信者集団がある。ゾンビに備えるよりも喫煙者に備えるよりもこのカルト教団に備えるほうが急務である。そのぐらい、この危険集団は世界中に工作員を送り込んでいて信者を獲得していて史上まれに見る勢力拡大に成功している。押しつけということをしてはならないという精神異常戒律には何の一般性も根拠も無いのだが、このカルト教義が押し付けられてきたために、数知れないコミュニケーションやチャンスが抹殺され、ありえたはずの無数のつながりが虐殺され、人生がもっと上向きだったはずの個人たちの志が惨殺されてきた。その数、80,00000,00億ダースにのぼるとの説もある。(なお、ダースや「グロス」という原始的な12進法風習をいまだに堅持し時に誇示すらしている土人が、同じくヤードやフィートやポンドといった原始的な単位を堅持して世界標準から退行して不便の因をバラまいており、そうかと思うとこの言語風習になんと追従し出すというどこぞの列島土人があるが、今後別の記事でこの問題を改めて取り上げないだろう。)

この狂信者集団が狂執的・妄執的に布教に努めてきたせいで、地球上の結構な人口と列島上のほとんどの人口が戒律に縛られることになっ

僕は知っている

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  • 発売日: 2015/03/31
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た。そうして、イイものがあるから与えたいだとか、感動や感興を分かち合いたいだとか、待っているだけじゃなくて行動したいだとか、他の人にも新奇なものに触れて豊かな心になってもらいたいだとかいったごく普通の遣り取りや願望が、【押しつけダメ】教の禁圧に遭った。列島の至る所で、《自分を出してはいけないんだ…》とか《他人とはそのまんっまにしておかなければならないものなんだ…》とか言った諦念と絶望が漂うことになった。そうして、ヒトの1個体1個体が誰かもかれも一辺倒ひとしなみに神聖ニシテ侵スヘカラス(heilig und unverletzlich)「人」「様」であるという、竹槍防空壕時代のファシズムが蔓延することになった。やがて、たとえ信徒でなくても十字系の物を所有したり手を合わせたりするほどまで信教が根付くように、そのように、信徒でなくても「おしつけはダメ」と信じ主張するようにまでなったしまった。そこまで事態が悪化してしまった。さらに、自分1人の救済のための行動と他人を想っての行動とが外見上違いが無いようになってしまうように、そのように、押シツケテハイケマセン教のドグマが人権や身体不可侵という法治国家原則と容易に混同されてしまうようになる。古来より国家と結託した宗教が最高の力を持つのなら、近来に軍も治安維持力も国民管理体制も完備した近代国家の原則と寄り添ってしまったカルトは、史上最高の力を持つことになってしまう。こうして、列島は、《決しておしつけがましことをしてはいけません》という前代未聞の閉塞感に包まれることとなった。挙げ句のはてには、無睾の市民(辜丸ではない)たちが市街戦を繰り広げ出す有様を呈する。すなわち、人付き合い上《こっちのほうからあなたに興味持ち出したのじゃないからね》合戦を繰り広げるという内戦状態に入った。このように外患誘致ものの悪質なカルトが瀰漫、列島「を含む」(←„including“の誤訳)列島と列島を含む列島を含む全世界の一部を含む全世界の一部において、人が人とどっこいぶつかり合うコミュニケーションが断じてできなくなるという陰惨極まりないバイオハザードに突入したのである。ちんちんかゆなってきた。

 

この記事で触れた総意誤認効果だが、一組織や一集団や一党がこれによってタチが悪い場面よりも1個人(やまたは連れ立っている数人)という単位がこれによってタチが悪い場面のほうがはるかによくあることで普遍的であり注目に値する。だから、一般的に問題となるのは、ひとり総意誤認効果てめえだけの世界みんなも共有錯覚、ともいうべきものだ。自分が逼迫していれば群衆が悪意の塊に見えてくるとかいうよく挙げられる平凡な例よりも、自分が気分がよければみんなもハッピーに違いないとノボせ上がるアホのほうが問題だろう。電車内でイヤホンから音ダダ漏れの人間のクズなど丁度まさにこの状態であるということが往々にしてある。別にそうではなくてただ自分だけ快適なら周りの迷惑などどうでもいいから音漏れしてますという人間のクズも人間のクズだが、自分の気分のよさに浸りこんでこんなに自分がハイなのだから周囲の人が不愉快なワケがないと(明示的にはまったく意識しないでだが)確信している人間のクズも十全に人間のクズである。世の中には、自分が幸せなら何事も許されるし皆も寛容だろうと信じ切ってじゃんっじゃん迷惑をバラまき散らす呆れ果てたオツム未熟児青少年及び中高年がうじゃうじゃしているが、オツムの未発達のまま、ひとり創意誤認効果のままカラダだけ大人になってしまったヒトモドキである。

いま1990年スタンフォード大学に於けるElizabeth Newtonの実験ググるならこの人名と「Tappers & Listeners: Curse of Knowledge」でググる)を引拠しよう。内

靴紐の結び方

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容は日本語ならここここここなんかで読めるから確認したらええ。自分にだけ聞こえているモノを眼前の相手に自分のノリだけで伝えることが出来ないという実験である。具体的には有名曲を指コンコン拍子取りで伝えて当てさせる。当てれる訳がないのだが当てさせ側が当てさせれると自信たっぷりな点がミソ。カレーにショーユ入れるとミソ。上掲ブログどもみたいに伝えることの難しさを実験したものと安易安直に捉えても意味がなくて自分なりに捉えるのだが、これは結局自分の中だけのことが自分の中だけのことなのにそれを他人がたやすく共有してくれるというオメデタイ確信を突いたものである。イヤホンごしにノッてる阿呆にはその曲はよくよく聴こえていてそいつにはその曲の味わいが自明だが、そんなもん聴こえてへん他人には、こいつのウレシがりもろとも、存在すらしていない。何をウレシがっとんねんアホかお前、イヤホンうるさいねんコ〇すぞとしか思わない。お前の中お前の内面お前の内心お前の出来事お前の人生など、残念ながらどこまで行っても、他人には、存在未満のクソカスにすぎない。それをわきまえて生きような。これは、翻って、自分の中になんぼ溜め込んで自分にとってどれほど強いものにしたとしても自分の想いなぞはそれだけのモノなのであって外に出さない限りは無同然であるという問題、これの話でもあるのだが、利と害が反対で、今は、てめえの中だけに尽きる快楽を他人において確信するなよボケという問題である。こういうおつむパッパッラパッーが、大声と奇声で騒ぎ、ポイ捨てし、傍若無人に迷惑を垂れ流す。とはいえ、文系バカがウレシそうに勘違いしているのと違って特定国民の「公共」心やモラル意識の有無や発達度や涵養の問題でもない。上記実験が合州国でやったものであることに注意しろ。公共の場パッパラパー阿呆可能性に文化風土国民の別などない。自分と他人がチガうというケジメが欠如しているのは脳のデフォルトの問題なのであって、人間の基本のそもそもが、他人には自分の中など分からないということが分からないという未成熟状態なのである。そいつが属するのが列島か欧米かの違いなぞ、本当はクソどうでもいい。「公共」とかそのテの類の社会論社会学談義を読経している連中の話には、普遍性が欠けている。

 

さてこのテの大人乳幼児の反対が、上で書いた押しつけダメ教の信者に見えるかも知れない。かたや他人と自分のケジメも知らない連中、かたや他人は他人で自分は自分だからその神聖なる他人様内には何があってもあがってはいけないと気チガっている連中、どちらも極端だなこいつはいけねえや、とも言える見える。

全然違うよバカ。前者は書いた通りのものだが、後者もまた前者の仲間である。後者が上述のカルトを編み出したのは、他人自分べったり一体が本当は好きで憧れだからである。本当は他人自分区別など水臭いことしたくないのである。が、人生のどっかの或る時にその欲求が拒絶されて「傷付いた」(←世界一汚い言葉)のである。弱い奴というのは一度傷付くと被害者妄想で過敏反応するようになる。もう二度と他人とは関わるまい!ということ。

逆もある(し、こっちのほうが圧倒的大多数)。たった一度かそこら、けっこうグイグイくる人に遭遇したのである。そこで自分の領界・自分のワールドが侵犯されるような気がしたのである。そこでもう怯えきってしまって、トラウマになってしまってもうて、そうして、押し付け断じてダメダメよ!の狂信に走ってしまったのである。何のことはない、自分が無く心の弱い奴なのである。問題はテメエが弱いという点にある。自分が弱いなら、押しつけ問題1個仮に解

次回の記事に続く

 

オキドキ

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