地上最強のブログ

しばいてくぞ

おまえの思ってるのはニーチェではない (4)

 

前回の記事から

んな文章がすぐに見つかるのだが、やはり何の気なしに2年ほど前の断片群(1881年)を一瞥してみよう。

Wie kalt und fremd sind uns bisher die Welten, welche die Wissenschaft entdeckte! Wie verschieden ist z.B. der Leib, wie wir ihn empfinden, sehen, fühlen, fürchten, bewundern und der „Leib“ wie ihn der Anatom uns lehrt! Die Pflanze, die Nahrung, der Berg und was uns nur die Wissenschaft zeigt — alles ist eine wildfremde eben entdeckte neue Welt, der größte Widerspruch mit unserer Empfindung! Und doch soll allmählich „die Wahrheit“ sich in unseren Traum verketten und — wir sollen einmal wahrer träumen! — — — —

(Nietzsche, 1881,14[2])

 

(現に見えている世界と科学が見せる世界とは全く異なっているもので、例えばごく日常的に体験して感じてしている自分の体など、科学が解剖すれば日常のイメージと全く異なるものになる。体以外にもどんな外界の事物も物体も、科学で見ると想像を絶する新奇不可解なものになるものだ。それでもそっちのほうが世界の真実の姿なのだろうが、或いはそれとも、科学が見せる世界のほうもまたそれはそれで幻想、日常とはまた別の幻想なのかも知れないがな。)

Diese ganze Welt, die uns wirklich etwas angeht, in der unsere Bedürfnisse Begierden Freuden Hoffnungen Farben Linien Phantasien Gebete und Flüche wurzeln — diese ganze Welt haben wir Menschen geschaffen — und haben es vergessen, so daß wir nachträglich noch einen eigenen Schöpfer für alles das erdachten, oder uns mit dem Probleme des Woher? zerquälten. Wie die Sprache das Urgedicht eines Volkes ist, so ist die ganze anschauliche empfundene Welt die Urdichtung der Menschheit, und schon die Thiere haben hier angefangen zu dichten. Das erben wir alles auf einmal, wie als ob es die Realität selber sei.

(Nietzsche, 1881,14[8])

 

(人生の悲喜こもごもの一切合切をやるこの世界、この世界様であるが、元からあった訳でも何でもなくて総てその「人」が造ったものである。造っといて造ったことを忘れているのである。忘れた上で創造主だとか宇宙の始まりだとかホザいているのである。神話などの口承文学に世界の始まり話があるが、いやまさしく今のこの世界が創作された文学なのである。そんな創作は人間だけじゃなくて他の生き物もやっている。そんな世界文学というのを或る日突如という形で継承するものだから元から有ったものに思えてしまうのである。)

科学が捉えた世界・環境・自然界は、人間が日々捉えているものとは、全く違う。「見え」などすべて電磁波だ

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ちなみにの話だが、ニーチェがよく「遠近法」と言うがこれもいみじいもので、各人各個体の各パースペクティブが存在するのみであって、これらは絵画的遠近法とはまったく違うものである。遠近法絵画の風景こそ人間がまったく見ていない風景であり、遠近法近代が否定した稚拙なはずの画法の像、昔ながらの伝統的絵画にこそ日常の視覚風景は近いだろう。それは客観的ではなく、遠近法的ではなくただに遠近的であり、世界の像では断じてまったくない。

上の上の引用文中最後の文でまだちょっと科学世界観に反発否認しているが、実際'80年代以前には、世界捏造生体vs.世界という態度が煮え切っておらず、文系チックな幼稚な発言も散見される。1880年初頭の断片群から:

Grundsatz: in der gesamten Geschichte der Menschheit bisher kein Zweck, keine vernünftige geheime Leitung, kein Instinkt, sondern Zufall, Zufall, Zufall — und mancher günstige. Diese sind ins Licht zu setzen. Wir dürfen kein falsches Vertrauen haben und am allerwenigsten uns weiter auf den Zufall verlassen. Derselbe ist in den meisten Fällen ein sinnloser Zerstörer.

(Nietzsche, 1880,1[63])

 

(人類は今までに一度たりとも目的を持ったことがなく何かを企図したことがなく本質を持ったことがない。全歴史がひたすら、ただ何となく進んできただけだった。こういったことをハッキリさせたい。ただ何となく偶然たまたまというのを断じてやめにしたいものだ。そんな生き方をしていたら破滅的なだけだ。)

と認識しながらも、このように幼稚に反発しているものであるが、こういった確信に抗えるものでもないのであろう。すぐ近くの断片に曰く:

Willkürliche Handlungen — das ist eigentlich ein negativer Begriff — Handlungen welche nicht unwillkürlich, nicht automatisch, ohne Zwecke verlaufen. Das Positive, was man dabei empfindet, ist ein Irrthum. „Unwillkürlich“ das ist eigentlich der positive Begriff. Streng genommen, sind willkürliche Handlungen zwei unwillkürliche, welche zeitlich aneinander schließen, eine Gehirnbewegung, welcher eine Muskelbewegung nachfolgt, ohne ihre Wirkung zu sein.

(Nietzsche, 1880,1[66])

 

(随意運動というのは、非不随意運動の運動の言い間違いである。自由な行為というのは、随意でなく・自動的でなく・無意図でない行為というだけのものであり、それ以外のものではない。「不随意」のほうが元々なのである。「随意」と言いたいのは分かるが、残念ながらそれは2つの不随意運動を呼び間違えているだけである:脳内過程と、それと何の関係もない筋肉運動、の2つ。)

こういう言い方を「ニヒリズム的」とでも呼びたくなるのかもしれないが、残念ながらこれはそんな大仰思想ではなく、科学の知見であり客観知そのものである。これがまず有って、そこから次に思想的問題やマクロな諸事象にメスを入れていく、という段取りが、ニーチェ思想である。勘違いされているが、科学知はニーチェが時にハマりもしたお飾り的思想遍歴であるのではなくて、こっちが本体で、そこから、もう日本人と呼んでもいいほど本人とは無関係な日本受容ニーチェ・日本人ニーチェカタカナ語としての「ニーチェ」(明治大正のただの名残り)として列島で虚像されているニーチェによる有名な数々のニヒリズム文系思想が出てくるのである。そっちの有名なほうがお飾り的どうでもいいものである。この順番と優先順位と段取りを、二度と間違うな。

この断片はもちろんリベット実験を知っていたかのような例の衝撃的文章と併せて読んでなんぼである。

ちなみにこの年代の断片に、人間が徹頭徹尾頭のドン底からつま先のてっぺんまで社会動物であることを自明の前提として述べる文章:

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Das ganze vergangene Zeitalter ist das der Furcht. Man lernt die Dinge wie sie in anderen Köpfen sind, man lernt, wie sie geschätzt werden, man thut dasselbe in Betreff der Mittel. Man ängstigt sich, abzuweichen, aufzufallen. Unsere Fertigkeiten sind das, was Anderen nutzt und Freude macht. — Unsere größte Freude ist Anderen zu gefallen, unsere beständige Furcht ist, ihnen nicht gefallen zu können. — Dies hat die einsiedlerische Thierheit gebändigt.

(Nietzsche, 1880,1[96])

 

(人類は誕生してからこのかたもっぱら人を畏れ他人に気を遣いながらやってきた。他人が何を知っていてどう思っているかを絶えず気にし、寝ても覚めても他人のために行動するという動物なのである。目立ってしまったり道から逸れたりするのはみんなコワがるのである。各人の能力というのは他人に資するためにあるのである。ヒトの最大の快は他個体に好かれるということであり、ヒトの苦痛とは他人に好かれないということに他ならない。人間は孤住を辞めた動物なのである。)

が有るが、こういったことは、ここで紹介している本やここで紹介している本でも明確に述べられているこ

次回の記事に続く