地上最強のブログ

しばいてくぞ

ニーチェからすればそれは有機体ではない

 

前回の記事から

」か「偽」かとかいう問題ではまったく無かった。生物の生存戦略、ただこれだけだった。この歴史の中でげに現生ヒトの認知様式が出来上がった。それは超複雑かつ超堅牢に構築されたプログラミングであり、日常をすべて絡めとる罠である。その外に出ることは科学でもできない。)

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現生人類とは違っていた隣人たち、そんなヒト亜族というような文言、「ホミニン」を想わせるものがあり、ニーチェが2010年代の話題にも通じていたことが分かる。

「狂」人の扱いに関して述べているのは、20世紀に流行る狂気逸脱クイア等々の議論をすでにとっくにしていることを覗わせる。

人類が人類である/になる時代の大部分を原始時代が占めること、この時にヒューリスティックや知覚様式が確立されていくという議論、どこをどう読んでも、20世紀後半の認知科学の議論そのものである。

ヒトがヒト特有固有の認知構造の中に住み その外部に出ることが無いという話など、バイアスというものの話そのものであり、おそらく パターン認識のような人類永遠の呪いなどもはっきり認識していたのだろう。このような内部閉鎖性内在絶対性の話は、「世界内存在」のような話と瓜二つであるが、もちろんニーチェの語りのほうがずっとおもしろい。

こういった人間などというものがいかにしょぼいものかを最後に確認しておこう。

Das modern-wissenschaftliche Seitenstück zum Glauben an Gott ist der Glaube an das All als Organismus: davor ekelt mir. Also das ganz Seltene, unsäglich Abgeleitete, das Organische, das wir nur auf der Kruste der Erde wahrnehmen, zum Wesentlichen Allgemeinen Ewigen machen! Dies ist immer noch Vermenschung der Natur! Und eine verkappte Vielgötterei in den Monaden, welche zusammen den All-Organism bilden! Mit Voraussicht! Monaden, welche gewisse mögliche mechanische Erfolge wie das Gleichgewicht der Kräfte zu verhindern wissen! Phantasterei! — Wenn das All ein Organismus werden könnte, wäre es einer geworden. Wir müssen es als Ganzes uns gerade so entfernt wie möglich von dem Organischen denken! Ich glaube, selbst unsere chemische Affinität und Cohärenz sind vielleicht spät entwickelte, bestimmten Epochen in Einzelsystemen zugehörige Erscheinungen. Glauben wir an die absolute Nothwendigkeit im All, aber hüten wir uns, von irgend einem Gesetz, sei es selbst ein primitiv mechanisches unserer Erfahrung, zu behaupten, dies herrsche in ihm und sei eine ewige Eigenschaft. — Alle chemischen Qualität können geworden sein und vergehen und wiederkommen. Unzählige „Eigenschaften“ mögen sich entwickelt haben, für die uns, aus unserem Zeit- und Raumwinkel heraus, die Beobachtung nicht möglich ist. Der Wandel einer chemischen Qualität vollzieht sich vielleicht auch jetzt, nur in so feinem Grade, daß er unserer feinsten Nachrechnung entschlüpft.

(Nietzsche, 1881,11[201])

 

(科学が宇宙を1個の有機的生命と見ているが、これは前近代に神を信仰していたのと同種の妄信である。ふざけんなよ、有機体なんてなんぼのもんじゃい、そんなもん地表上のわずかの面積にこびりついているだけの宇宙の例外ではないか。こんなおってもおらんでもどうでもいい些末なもんで永遠の宇宙を勝手に象徴させるアホの頭はどないなっとんじゃ。おい、その擬人論をええかげんにさらせよ。お前らは宇宙を有機体に見立てて偶像崇拝やっとんねん。宇宙有機体を構成するモナドとかいう偶像崇拝やろ。宇宙を構成するモナドが未来を見通して宇宙の停止みたいな何らかの状態を阻止している云々とか、そんなんやろが。たわごとぬかすなよ。仮に宇宙が「有機体」になれるとするなら、もうとっくになっていないとおかしい。そしてそんなわけがない。宇宙の全体性は有機体の全体性と何1つ似ていないまったくの別物である〔後掲引用文参照〕。そもそも有機体の化学特性からしてが宇宙の中にある膨大な化学特性のごく一部にすぎないよな。両者は有しているモノの量が違いすぎるのである。例えば親和性や可干渉性といった有機体特有の化学的特性など、宇宙の歴史の中でごく最近になってから登場してきたものなはずだ。ごく一部のプロセスに備わる特性なはずだ。我々にわかっていることは、広い宇宙のなかのしょっぼい一部片鱗にすぎない。宇宙が有機体みたいな独自のプロセスを備えていたとしてもまあ別にいいが、そこに、ヒトのおつむからコネ繰り出した程度の手前勝手なしょぼプロセスを勝手に帰属させるのはやめておこう。ヒトごときの考えることが宇宙に通用するわけがない。宇宙には数知れぬ化学結合が生じては消えてきたはずだが、そのほとんどが、ヒトの居る宇宙の片隅からは皆目見えない。いや見える範囲内でもほとんどが大して見えていない。物質の中では、今なお、ヒトほどの微細な知覚能力にも観察できない微細な変様が起きているはずだ。)

宇宙や素粒子を生命に喩える或いは生命そのものと見るスピリチュアルが今なお定期的に湧くものだが、19世紀時点でそれに完膚なきまで水を差していたようである。これがニーチェ宇宙論ひいては生命論だ。生命というのは宇宙の中の例外、ごく片隅に生じたどうでもいい偶発事にすぎない。その存在様式は特殊である、その環境全体宇宙全体に拡張していいものでは到底ありえない。

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(ちなみに「Wir müssen es als Ganzes uns gerade so entfernt wie möglich von dem Organischen denken」の「gerade so entfernt wie möglich」が読みにくいが、これは、「可能であるちょうどその限り離れたものとして」と言っており、可能性とは原理上無限なのだから、「無限に離れたものとして」と言っている。なお「uns」は「denken」の補部(complement)に当たる語(いわゆる「再帰」「代名詞」)で、「entfernt」とは無関係。)

宇宙が有機体ではないと主張するのはこの人には決定的に重要である。生命体なのならその外部があることになってしまうから。その内部以外の外が一切無い完全有限でないと、宇宙は永劫に回帰してくれないから。

Das unendlich neue Werden ist ein Widerspruch, es würde eine unendlich wachsende Kraft voraussetzen. Aber wovon sollte sie wachsen! Woher sich ernähren, mit Überschuß ernähren! Die Annahme, das All sei ein Organism, widerstreitet dem Wesen des Organischen.

(Nietzsche, 1881,11[213])

 

(この宇宙の中で今までにまったく無かったものが生じるということは、論理的にありえないことである。まったくなかったものが生じるためには、まったく無かったエネルギーが産出されていないといけないことになる。そんなものを宇宙空間のどこから工面してくるのか。宇宙には宇宙以外のものは無い。その外の何かから何かを引っぱってくることなど、出来ないありえない。そういう事をしているのが有機生命であり、自分にないものを外からひっぱってきて自分に同化しているのであるが、してみると、宇宙は有機的では断固ありえないことになる。)

このように、世界全体は、その中で生きている者たちとは別であり、別の在り方をしているものである。しかしそれが何なのかというと無限に未知のものなのではなくてこの人は大いに語っている。有機的でないのなら無機的で死んでいるのかというと、確かにそうではあるのだが、生きてる死んでるの意味を逆にとらなければならず、物質の死の世界こそ生動しており、生命の表象世界こそすぐ死ぬ錯覚イリュージョンなのである。そしてそれは生命活動的なプロセスそのものであり、宇宙全体の(有限ではある)エネルギーの変転交換力動をこの人は生物をモデルに考えているとしか思えない。ただその〈意味〉もまた、引っくり返して理解しないといけないのだろうが。