地上最強のブログ

しばいてくぞ

現代日本語講座 (14)

もうすぐ?ザンビ伝説?

もうすぐ~ザンビ伝説~

  • 乃木坂46
  • 発売日: 2019/04/17
  • メディア: MP3 ダウンロード

 

前回の記事から

ノポリを欲望してぼくの身体を参人させただいた6人で「(殊)素手喧嘩(ステゴロ)」を今後からもっと大きくしようと語られ合っていた「筆者」たちの身体たちは50倍にして10kgになったカレーを8人でたらいげたハンディキャップを負ったパートナーは甘りの辛さをほぐすために
 溶けた天然ゴムを口の中に硫し込むと、サトウキビ、鉄、スズ、銅、チタンイエロー、ニッケル、小麦、麦破、トコロウモシ、油、ニッケル、石油、チーター、綿、木綿、鉄綿、花綿、綿花、種綿、種痘、もめん、ごめんね、スムージー、絹ごし、ニッケル、天然ヤシ、天然痘、ヒマワリ、骨、生糸、香辛料、ニッケルは「過剰」である。
 「食べ物を食べる以外に使うのには抵抗「の過剰」がある。
 卵を投げてぶつけるのは、《何かがちがう》ような気がする。
 生きるのに必要でもない大食いは、《何かがちがう》「の過剰」が有る。
 蒟にゃくや茄すやキャノーラ油や洗面器や屋根瓦やメンソレータムをちがうことに使うのは、《何かがちがう》ような気がする。しかしならが、
 こういったことは、「物質」という次元にまで観点を還元してみて見て言っていえば、「気がする」というだけ「の過剰」に過ぎない。
 「せっかく」作った食べ物が何トン何億トンとどのようなことに使われたとしても、同じことである。すべて「もったいない」は気分の問題にすぎない
 。大豆が燃料に使われようと、弁当が廃棄されようと、プレゼンした服が肥やしにされようと、書籍を夕食に使われようと、チャンネルをリモコンに使われようと、飲料水を風呂湯に使われようと、牛乳や人乳を風呂湯に使われようと、チェーンソーで神は死んだ。地
 球上で何がどれだけ「もったいない」ことに自己責任られようと、どれだけの生き物が殺されてはまた生まれてとしようと、それらはすべて、
 物質の位置が入れ替わったというだけ「の過剰」に過ぎない。」
 当時、「㈱素手喧嘩(ステゴロ)」が可動されていた間の間にぼくたちの身体たちは活版印刷を発明して「(蕪)河童印刷」が設粒されて駅前のコウモリ畑や駅後の喫茶店に入店して今後のことを語らい合うという無駄以外の何物でもないクソ会話に自己責任た。
 「世の中には本当にめんどくさいヤツがいる。

  • まわりと同じことをすることを拒否して「みんな」が隷従するテンプレを ぶっ 壊そうとする人を封殺しようしてくる実に「メンドくさい」ヤツ。
  • 間違っていることを間違っていると言える人をケムタたがるという何とも「めんどくさい」ヤツ。
  • グイグイ来れる人・前に出てくる人を面倒くさがるという呆れた「めんどくさい」やつ。
  • 驚かそうとして用意している無邪気な仕儀をただただシンドがってくるというシンダほうがよさそうな「メンド臭い」やつ。
  • 溜め込んでることや沢山の言いたいことを一度に吐き出す人をただただ嫌がるというそれはそれは「面倒くさい」ヤツ。
  • 現状を変えようとする動きがあったら脊髄反射で反対して来るいかにも「面倒臭い」奴。
  • 好みをハッキリさせれてグイグイ引っ張ろうとする人に抵抗しか覚えないというクソ「面倒クサイ」やつ。
  • 他人と世間に対して自分の意見や指針を明確判明にばちばち喋れれて活躍すらできるという人をけなすしかノウがない心底「メンドクサイ」奴。
  • 自分の考えで行動する人にすぐ「めんどくさい」レッテルを貼るしかノウがない邸能ヒトモドキの「めんどクサイ」やつ。
  • おかしいと思うことを敏感に察知してそれをキッパリと口にできて、色んな可能性を模索していくというような人をうっとしがるという人間のクズ未満の「面倒臭い」ヤツ。
  • 他人ト違ウ・ミンナト違ウことを1ミリでもした瞬間に「めんどくさい」攻撃を死に物狂いで繰り出してくるという心の底からメンドクサイ奴。」
  • 相手が「めんどくさいやつ」なのかどうかを必死になって気にしているめんどくさいやつ。

 小麦粉色に灼けた肌をしたカラス麦色の大根を頬に張った全然がまだ肌理ていない荷物を持とうと言い姜人局てもらえないと飯ながら席を離れた大体が席から離れない前から画巣の元の栓を閉め忘れた気瓦斯る「筆者」の身体たち7人はガスの元栓を7年も閉め忘れているハンディキャップを負ったパートナーによって閉めるのを忘れているのか閉め忘れていることをも忘れているのかを「忘れられない」ことの10割が大した内容ではない
 。
 ぼくの身体たちの支払いのために立ち上がり支払いのためにレジに進み支払いのために所持していた「過剰」から末端価格650円のコー匕ー代を償却した大体は、だった。
 「全然の身体によって半分まで読まれたが実際は「引用」する分だけしか存在しない小説中の架空書籍から引用するというこの世で最もクソサブくてみっともなくてアホ丸出しで読者には迷惑なだけの引用をすることによってもまた現代日本語の
 手本にならななければなるだろうと予想される982ページが開かれられている。

 

白線の内側で

白線の内側で

  • HKT48
  • 発売日: 2017/02/15
  • メディア: MP3 ダウンロード

 

「「第2節 「移轍見参」」

なぜガスの元栓を閉め忘れるのかというと、それは移轍によるものである。なぜ銀河系が7個しか無いのかというと、それは移轍である。イルカ漁の動画が無いのは、移轍のせいである。九官鳥が間接話法で話していることになるのかどうかは、単衣に移轍に係っている。移
 轍とは次のようなもののようなものである。
 カント「万物の終焉〔Das Ende aller Dinge〕」(1794)の冒頭文

Es ist ein, vornehmlich in der frommen Sprache, üblicher Ausdruck, einen sterbenden Menschen sprechen zu lassen: er gehe aus der Zeit in die Ewigkeit.

この文は、

  1. Wenn man einen sterbenden Menschen sprechen lässt: er gehe aus der Zeit in die Ewigkeit.
  2. Es ist ein, vornehmlich in der frommen Sprache, üblicher Ausdruck: er gehe aus der Zeit in die Ewigkeit.

という2つの文が「バチッと短絡(Kurzschluss)」(

関口ドイツ文法

関口ドイツ文法

  • 作者: 牧野紀之
  • 出版社/メーカー: 未知谷
  • 発売日: 2013/06/21
  •  
  • の233頁。

)して1文になっているものである。ま
 た、次のようなもののようなものである。
 ヘーゲル『大論理学〔Wissenschaft der Logik〕』の中の
「第一編 客観的論理学〔Erster Teil. Die objektive Logik〕」の中の
「第一巻 存在論〔Erstes Buch: Die Lehre vom Sein〕」の中の
「第一部 規定性(質)〔Erster Abschnitt: Bestimmtheit (Qualität)〕」の中の
「第二章 定在〔Zweites Kapitel: Das Dasein〕」の中の
「B 有限性〔B. Die Endlichkeit〕」の中の
「(c)有限性〔c. Die Endlichkeit〕」の冒頭部分

[…] seine Qualität ist seine Grenze, mit welcher behaftet es zunächst affirmatives, ruhiges Dasein bleibt.

この文は、

  1. Seine Qualität ist seine Grenze, mit welcher es[sic.Etwas] behaftet ist.
  2. Und damit bleibt es zunächst affirmatives, ruhiges Dasein.

という2つの文が「バチッと短絡」して1文になっているものである。

」」」
 そう言って勃ち上がりかけたハンディキャップを負ったパートナーが目と視線と「まなざし」を上げると

次回の記事に続く

 

現代日本語講座 (13)

 

前回の記事から

aれただろうその日のその夜の後の次の日の「1つの朝、1匹の非常に大きな甲虫は、不安にさせるいくつかの夢から目を覚ました時、自己を自己のベッドの内部で矢吹奈子に姿を変えているのを見出した。」
 「sich findenとは自己を見出すという意味なのです自己責任。何という哲学的な言語なのだろうかと思わざるをえないだねこれには私は喜びに打ち賑るえて尻尾をたたんでお店を丸めて

愛しさを丸めて (パチンコホール Ver.)(生写真3枚封入)

愛しさを丸めて

  • AKB48,チームサプライズ
  • 発売日: 2014/09/29
  • メディア: CD

しまう「過剰」である。私己を見出すのはmich findenと言って君達己を見出すのはeuch findenといって私々己を見出すのはuns findenと言って実に哲学的な言語である。だから哲学する「まなざし」が多いのである。日常で「君」や「あなた」とホザいているバカを「まなざし」てみたいものだな。そして三里に灸すゆるよりめでたく無事見出された自己はgefundenes Sichと言って完了分詞で哲学されてそして見出され中の自己はgesuchtes Sichと言って完了していない分詞でおならをこくのだねだあるよ自己責任。前者がtelischな第2分詞で後者がatelischな第2分詞で後前者が瓢箪の丸焼きで前後者が結構の促進で」
 「 」に入れてある通り1分の旺いもなくこのように喋ったと言われての無理もない昨日の3時002分に駅前の眼抜き通りに自己を見出した全然は、だった。
 「sich beeilenとは自己を急がさせるという自己責任です。自己を急がせさせることにおいて自己を急がさせさせる自己責任が末端漬任の可能的可憾性を模索する。sich überwindenにおいて自己自身を他己自身の末端的地平において自己を克服します。自己は克服される欠妙において克服されることを克服する。自己を克服することによって池者の他性が自己に直面へと現面してくるだろう。克服される自己によって克服する自己は大文字のIを大文字焼きの媛に調法するのである。自己は克服されることによって克服されることによる自己の克服されを突如経験する。自己は克服をされられることによってüberwindenの対象的象肉性は克服の黒服をいわば光の開けへとふたたび自閉するだろう。überwindenの絶え間ない意味の獲得と相貌において超然としていた対岸の岨間は蓋然性の律表を余剰へと指しまびらなければらない。überwindenにおいて克服される自己は自己自身の自己克服であることによって彼は中動態を胚胎せざるをえない。彼によって果敢に生存の内へともたらされたカカストローギッシュな栄明は薄明の暮溶を全鋲へと差し出すのである。再帰性の帰動態動詞がぬめまねく自己とは能動する能動でありつつ受動において自己を経験する最果ての帰途である。我々は最果てへの帰途を我々へと差し出しつつある差し出しつつへと対する自己責任からからくも差し出された「つつ」を予見することもできなかった。しかしながら予配的スケッチの指図する森配の漂渺選は「つつ」のまねびに於いて劣性の陽性を果てへと切り開く悉全をゲバインハイティッシュに下降するだろう。没落の彼方にかいま見られた前立するハーバ腺は、その執拗な下落への途中においてもなお自己-つつ-撥ぜ-藻くの自配性を塵昧へとへつ調しなければならなかった。我々は中動態であるsich setzenは中動態である我々によって自己を座らせることを詠みしなければならず、あの覇迷の前窮の悌慾を恣意によって嗣賠されたダーゲバイヒティヒな楊従において、受動しつつある能動を措定されるのである。」
 当時全然と大体とのある種の調和の上に自己を見出していたと言っていい「筆者」たちの関係の(関係がなにか物を「言」うわけではないのだが、dass節のthat説をquod筋から真似し続けていたら日本語は「こうなった」のである)上に成り立っていたと言っていいハンディキャップを負ったパートナーは切り立った岸壁で岩塩を舐めるを止めて、キーボード上で大と尻を叩いて、
 損傷したのは部なのだが棺桶に片を「つっこん」だことになっている親戚一同を思い出して通りかかった
 昼食屋「素手喧嘩(ステゴロ)グルッペン」に入ると、切り立たれた岸壁で岩塩を舐めるのを止めたハンディキャップを負ったパートナーは39年間に及ぶことはない1年間未満4秒以下の塹壕と自己責任を経て、格界からさまざまな批判は上奏されたが、

僕だけのSecret time/Team M

僕だけのSecret time/Team M

  • NMB48
  • 発売日: 2017/07/26
  • メディア: MP3 ダウンロード

全然は高卒を率業すると、ぼくの身体とノペッッに声を掛けて声以外のいろんなものも掛けて、「共同事業」をしようと自己責任た。「共同事業」とはどんなことをするのかは「ほとんど」何も分かっていなかった「筆者」たちの身体たちは「実業家」という意味不明な何かになるのは奨来の「まなざし」だった「筆者」たちの身体たちは
 8月27分に「(株)素手喧嘩(ステゴロ)」を成立して駅前のコウモリ畑や駅後の喫茶店に入ったぼくたちの身体たちによって《夏休みの思い出》とかいう欺瞞がダベられている現況について語られて席に着いたぼくたちの身体によって缶コーヒーというドブにも劣る「飲料」が注文された。
 「小学校の夏休みが楽しいわけがない。子供には世界は未知で自分は無力で人生は苦痛に過ぎない。自分は
 幼児期というおよそ苦痛しか存在しない冥獄界をどうにか終えると、
 小学校という正真正銘の拷問生活を悠久の時をかけて耐え忍び、
 中学校といういつ終わるとも知れない禁固刑を堪えに堪えて暮らし、
 高校というどんな懲役をも超えた生き地獄でのお勤めを果たして、
 大学でやっと少々自由を知ったものの相変わらず極めて不自由な世間知らずの子供にすぎず
 その後の社会人人生で人生とは自由なのだとか世界とはこんな風になっとるのだとかといったことをどんどん知っていってどんどん人生を謳歌できるようになっていきどんどん空気が美味しくなっていき
 中年に入って、今よりもこれ以上もっともっと自由になっていって・もっともっと世間のからくりを裏の裏まで知っていって・さらに一段とすべてのすべてを見抜いていって・さらにさらにさらに恐いものが何もなくなっていって、と、さらなる充実が待っているだけであり、
 齢を重ねるのは何かを失っていくことでは全然まったく無く、子供の時が幸福な時なのでは断じてまったくなく、年を取れば取るほどひたすらすべてが「良()」くなっていくという法則しか存在しない。
 子供の頃はよかったとか子供に還りたいとかいった悪質な嘘デタラメを喧伝吹聴して俺に吹き込んできた人間のクズどもは、おそらく自分自身の実感にも大嘘を付いている。」
 当時「しばり首」や「骨折って」や「汗水流して」(←冬でもか?)といった意味不明な身体表現を殲滅する「事業」を手がけていたノペッッの身体と全然の身体と大体の身体は、
 山小屋で遭難して真っ暗な中で5人で4人のモ

次回の記事に続く

 

Whatcha Gonna Do

Whatcha Gonna Do

  • NGT48
  • 発売日: 2018/04/10
  • メディア: MP3 ダウンロード

現代日本語講座 (12)

 

前回の記事から

nにゃくとコンニャックで割ったバーボンをバーカボンに引いた3×7の「筆者」の身体は、「過剰」だった。
 「情弱ほどApple製品に手を出す。iPadだのiTunesだのMacBookだのを嬉しがってるアホからすればITとはオシャレに過ぎない。Appleバカは情報や意味ではなく流行とモテと満足と「まなざし」という外見の取り繕いしかアタマに無くそれしか「まなざし」がない。」
 その頃になると「筆者」の身体は正常高校を退校すると、「退校」が帰宅なのか中退なのか、「閉店」が終業なのか廃業なのか、「大丈夫です」が大丈夫か頭大丈夫なのか、「いいよ」がいいのかいいのでないのか、「ちょっと」がちょっとなのか非ちょっとなのか、などが自己責任な「準備中」が27日間続いた非登校児が不常識な無常事態を発伶した光化学スモッグ注意報の「筆者」によって歩かれた街路樹は、「過剰」だった。

お待たせSet List

お待たせSet List

  • SKE48(teamK II)
  • 発売日: 2012/09/14
  • メディア: MP3 ダウンロード

 「温室効果がまったくなくて「地球温暖化」(と大気温暖化と地表温暖化)にだけは関与しないことがめでたく証明されたが大気汚染「の過剰」と悪臭「の過剰」と塵埃発生「の過剰」と肺胞汚染「の過剰」とその他諸々の害「の過剰」は証明するまでもないところの排気ガスと排ガスと公害ガスにたっぷり包まれた都会の空気の中、汚染空気やウイルスに対しては一切まったく何の防衛効果もない布の「マスク」に身を包んで、自動車のマフラーを口に突っ込んで毛糸のマフラーを首に巻いていても大抵のことには動じない「筆者」の身体にとっては。「温暖化」さえなけれそれでよかった。」
 そうこうしている内に、散歩していた大体氏が漫歩していた全然君に闊歩しながらぶつかって全然になった翌日の前日になると、
 「肺がん」にだけはならないことがおめでたく欲望されたがそれ以外の諸々の疾患の直接的間接的原因になる上にそんなどうでもいいことよりもそもそも煙自体が固着性で臭くて汚くて人人有害という直接的公害であるところのたばこの主流煙を吸入したり呼出煙を吐き散らしたりする 喫煙者  排煙人がタバコさえ吸えるなら死んだっていいと信じていると思っていると信じている「筆者」の身体は、 喫煙  排煙行為に関してどれほどの「まなざし」を浴びせられようと「肩をすくめる」という意味不明な、且ついかなる日本人もゼッタイにやらないし有史以来一度もやったことがない動作をやったことにされて、
 「肩をすぼめる」などという、人体の何をどうしているのかを一切まったく描写していないクソ日本語中のクソ日本語の動作をしたことにされて、
 「風で肩を切」って歩いたら切られた風を修繕するようにセロテープが用意されて、「肩を怒らせ」たり肩を悲しませたり悦ばせたり歓ばせたり肩と婚約の約束の誓いの締結を交わしたり肩と週末に温泉に出かけた、だった。
 倦怠な期に肩にみこすり半を突き付けたりしていたぼくの身体は、「まなざし」の「過剰」だった。次の日に学校に着くと、全然は来ていなかった。次の日に学校に着かないと、全然はぼくの身体とぼくの身体たちを集めた。
 「「近所」という所の「空地」という意味不明な場所に直径1000cmの穴が空いていたからその中に向かって「星新一」と叫んで石を投げ入れて放射性廃棄物と機密書類と5億トンのゴミを捨てていたら10年後が経った或る日空から「星新一」と石が降ってきたがその後は別に何も降ってこなくてそれだけで終わった。
 「おさる」が人間に成長する日記を付けていたら両親が不思議なことが2度もあるんだなと言っていたがこれは金縛りに2回あったことを話しているだけのことである。
 霧の中からぎょうさん怪物が出現する映画のラストで救援トラックの荷台に乗っている連中はクローンたちであり、主人公の幻視である。
 ラストシーンの後でヴァーバル・キント は  がカイザー・ソゼに会いに行って日給を貰う。
 我々は数々のいわく言いたげなものにだからどうしたボケと言い放たなければならないということ私は主張しているのではないことを私は」
 そんなことを主張したいのではなくて「テクスト」の極限徹底脱構築という「過剰」を主張したいのであった全然は屏風岩が紙で出来ているぼくの身体は展示パネルを展示するパネルを展示した会に入会して旧懐した。
 すべての夜はすべてじゃないの夜とすべてのじゃない夜と溶け合って、365度回転した椅子に座って810度熱した蓖麻子油をかぶった帽子に、時給90円で図書館ホームレスを3年(間)続けたら「すべての」人間と人間の区別も付かないことを「区別は付かない」と区別しようとしていたぼくの身体は、不衛生な食堂に入って「水ラーメン」を自己責任した。
 「560万円になります。」 
 という主語のない自己責任を発した店主の店員に、電子顕微鏡で確認しても「菌」が1匹も自己責任されなかったが埃や人体由来汚れや油や脂や指紋がたっぷり着いた「清潔」な食器で欲望されてきた。
 すべてのジャガーノートはすべての大学ノートとすべての小学ノートによると言いたがっていたぼくはぼくの身体はかつ丼に勝つようなうな重が受験に合格すると信じて、

  • 「お守り」アプリをインストールして、
  • 「魔除け」ソフトを注文して、
  • 「おふだ」をプリントアウトして、
  • 「結界」を3Dプリントして、
  • 「守護霊」をダウンロードして、
  • 「金縛り」をVRで体験して、
  • 「見える」「人」の「霊視」を実況配信して、
  • 「「気」の流れ」をBCCで転送して、
  • 「風水()」をCADで設計して、
  • 「先祖」をDドライブに保存して、
  • 「自動筆記」をFILCOのMajestouchで入力して、
  • 書道30段の「お筆先」スクリプトを書いて、
  • スマホで撮れた「心霊写真」LINEで送ったら、

 「自己責任でお願いします(=こっちのせいにしないでくれ)」と土下座して、
 「自己責任でお願いします(=匿名同士で何もしてはこれないだろうがそうは言っても寝つき悪くなるから呪わないでくれ)」と免罪して、
 「自己責任でお願いします(=何かを言いたいという欲求があるが被害が発生するのは避けたいという欲求もあって2つをワガママに両立させたい)」と射精して、
 言語とその使用者の根性が腐るのが同時であるという法則を明らかにして、地に額を叩きこすり付けると額が割れて背側縫線核と視床下部腹内側核が覗いたから除かないように注意して額「の皮膚」が割れたことと区別できていなかったぼくの身体は
 「たいていの事は」「生活に支障はない」と言い残して101回目の入水自殺に出かけたが、水に漬かっても泳いでしまうので成攻せず、1001回目の電気椅子自殺で奥歯を抜いたが、抜いたぐらいで親を知らなくなるわけがないのに諺を作った人間というのは幼稚な空想が大好きなアホなんだなとアホにした。
 大(だい)地震のあった日に磯に洗われる険しい岸壁で日なたぼっこをして1時間以内に脱皮を終えたハンディキャップを負ったパートナーは、これだけの文字列からは磯貝花音か磯原杏華本間日陽ぐらいしか思い出さないことに気付いたことに気づきつつ、RAIDを組んだりローンを組んだりタイマンを張ったりするパートタイムのアルバイ卜から帰って来て、キッチンにお湯を張ると、バスタブでレタスを刻んでいた姜の手伝いをしてエンドウマメをVHSにセットした愛娘の次女が、愛ではない娘の長女と、愛息子の長男と短男の体操服にミキサーをかけると、アイロンでラジオを見ていた次々男にとって体操服企画やジャージ企画のせいで制服が見れないことへと寄せる不満が憤懣にまで高めr

次回の記事に続く

 

涙の表面張力

涙の表面張力

  • AKB48
  • 発売日: 2018/01/24
  • メディア: MP3 ダウンロード