地上最強のブログ

しばいてくぞ

タブレットは人間が使うものではない

Diese Dinge kennt ihr als Gedanken, aber eure Gedanken sind nicht eure Erlebnisse, sondern das Nachklingen von denen Anderer: wie wenn euer Zimmer zittert, wenn ein Wagen vorüberfährt. Ich aber sitze im Wagen, und oft bin ich der Wagen selber.

(Nietzsche, 1880,6[448])

 

(何かいっぱしのこと考えれてるつもりなら、言っておくが、それは、おまえ自身の実力でおまえ独自で考えれていることではないからな。ゆうたらお前らは、クルマが通ったらガタガタする小屋に住んどるわけだ。一方こちとらそのクルマの運転手、もといクルマだからな。

ニーチェ

 

前回更新からだいぶ間が空いたと思うが、それにしても「思」うて日本語は頭が悪いよな。お前が「思」ったところでだからなんやねんボケ。おまえの「思」いなんぞ聞いとらんわボケ。ひとりで勝手に「思」っとけバカ。

同じく、一瞬でも不確かなら即ググるという指先だけの作業ひとつをしようとせずに思い出そうとするバカというのが居て(というのが居てと言うよりお前ら全員のことだからな)、人類の記憶力のような出来損ないにはうろ覚え記憶改変しか出来ずフォールスメモリーなんてものもあるという初歩的なことも知らないバカが、今日も、思い出そうとし、不確かなことをしゃべくる。バカが相槌を打ち、そうだよねこんなんだよねと取り留めなし中身なし意味なしのボケ端会議を繰り広げる。クリ拡げとけ。

思い出そうとするなバカ。お前の「思います」なんてダベるなボケ。ヒトごときお前ごときのオツムにはイイカゲンとデタラメと感想と印象と願望しか詰まっとらんのだよ。

今回のシリーズだが、ブログ等のネット文章は、段落という意識も方法も欠落している現代日本語文章をもっと悪くしたもので、ようさん書いてるように見せるためだけに・マウススクロール量を稼ぐためだけにバ改行またバ改行していくものだから、それを真似て見ることにしよう(←これを真似「てみる」ことに「する」と書いたらキッショイよな。「てみる」バカ、キモいんだよバカ。何が「してみる」だ、アホかお前は)。

そうして、どこからどこまでが話題のまとまりなのかが分からないクソ文面にしてみよう(このシリーズでとっくにやってることだが)。

 

Party is over

Party is over

AKB48

  • 発売日: 2013/12/11
  • メディア: MP3 ダウンロード

 

スマホはコンテンツを閲覧するにも操作をするにも動ける範囲が極めて狭く小さく、非常に限られた狭小なデバイスなもので、ウェブページのスマホ用画面というのは、ほぼどれも、まともな人間の見るものではない。というか人間の見るものではない。あれは、ヒト似のサルが見て満足するものだ。こんな情報量過少の画面を見て満足できるようなオツム退行種が見るためのものだ。

特にヒドいのがAmazonスマホ用画面(Amazonアプリと同じ画面)、こんなページでよく商品の確認や吟味ができる奴がおるな、一体どういう感覚器官した異常人ならこんなページ表示で満足に閲覧できるのだ、と言わざるを得ないゴミクソな代物である。まあ開いてみろ、わかるわ。

ようするに、ものすごく頭が悪そうなのである。(「要するに」を「ようするに」と書いても 頭が悪そうに見えるよな。「見える」を「みえる」と書いてもそこまで悪そうには見えんよな。これ何なんだろな。)

とはいえスマホは最高に消費欲を充足させる最高の商品ではある。ガジェット欲がどっくんどっくんに満足できる淫猥極まる製品だ。審美欲をどぼどぼに満たすスマホというものは、陶磁器や単車自動車自転車やスポーツ用品やモンベルアルパインやゼロポイントや腕時計や靴と同じく、是必竟耽美品なのであって、これらが見て愛でるものであるのと同じように見て眼出るものに他ならず、不細工なカバーや醜悪なバンカーリングを付けるアホが持っていいものではない。これが分かってないバカだらけだから、カバーやバンカーリングやコンドームを付けるのが当然かのようになってしまう。

フェーラリやフェラガモチオに防水シートをかけて乗り回したり肩にかけて闊歩したりするのと同じことだ。見た目も彫琢しぬいてあるデバイスやウェアやシューズやザックやラケットやクラブやポン刀を梱包用段ボール箱に入れて使うのと同じことだ。お前は、腕時計にぺろぺろの保護ビニールを張り付けてる奴を見たらどう思う?それが、スマホにカバーやバンカーリングを付ける邸能のアホのバカたちである。わかったか。(似た愚行に、オープンカーの幌という世にもぶっさいくな台無しがある。もうさしとけ。)

そんなスマホで思い出したが、タブレットという、帯に短く襷(←ではない)に長いを地で行く存在価値ゼロのゴミ商品がある。あのな、タブレットてな、何に使うねん?どうせ小さいねやったらスマホでええ話や。ハイエンドならネット閲覧速度等だとPC並みか以上だ。どうせ出来ること限られて狭小なのなら、スマホでええ話や。

一方広く効率的に作業したいなら、PC、最悪でもノーパソを使えや。ノーパソはPCではないのであってそれを詐称した子供の玩具にすぎんが、それでもタブレットで出来ることとは雲泥の差がある。雲にも泥にも失礼なぐらいな。

そんなタブレットどうしようもないアホとなるとこれで動画を見たがりこれに動画再生性能を要求し出すというウンコ製品、こいつがこんなんなのにそれでも存在させられている価値、と言うか存在させられている意味となると、おそらく、消費者の質の低下に対処するというところであろう。例えば、書籍や辞書などがそうだが、字が小さいとホザくアホがうじゃうじゃ湧くようになっている。そんな風に消費者が質が低下しているという事態、こいつらにわがままを許したらバカクレームがはびこり出したという現代の事態、そんな事態を反映しているのが、タブレットなどという、赤ちゃん用の商品であろう。これは、乳幼児にこそ向いている商品である。赤ん坊が使うオモチャ、これがタブレットだ。

直感的インタフェース、そう、指で字を押さないと字を打てないヒト似ザル、画面に指で触わらないと何もできないという未だに触覚の中に生きているヒト似ザル、こいつらに向けて作っているのが、タブレットだ。スマホは陶磁器だ。間違えんな。

すなわち、はいはいしている赤ん坊が玩具にきゃっきゃ喜ぶように、それと全く同じように、お前はiPadに喜んでいるのである。わかった?おまえ、ものすごく頭が悪そうだぞ。

うむ、これが銀行等の店舗で使われている意味を考えても示唆的である。消費者に優しくするために、消費者という、「やさしく」されないと発狂し訴訟し暴行に走る真正キ〇〇イどもを慰撫するために、「お客様」にはタブレットでご案内さしあげるのである。

あれは、店舗が客を赤子として扱っている絵なのである。わかったかコラ。

わかったら全人類は明日から帳面と鉛筆の生活に戻ろう。しかもその鉛筆というものは(見たことも触ったこともないのだが)どうやら舐めて使うものらしい。みんなが触わったタブレットをみんなが触わるように、みんなで鉛筆をべろべろ舐め合ったらいいんじゃないのかな。

次回の記事に続く

 

愛する人

愛する人

AKB48

  • 発売日: 2020/03/18
  • メディア: MP3 ダウンロード