地上最強のブログ

しばいてくぞ

冠詞監視中 (2)

 

前回の記事から

さて青空がテーマになってる曲であるが、これが結構あって、

誰かが投げたボール

誰かが投げたボール

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  • 発売日: 2014/08/27
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そんでDudenの説明を聞くと、名詞句が有ったらそこには性数格を詳細に表示できる語句(Hauptmerkmalträger)が居て、左端の語句である。例えば

Zwischen hart-en Eichendielen
Rammstein, Spieluhr

など。残りが そうでもねえ語句(Nebenmerkmalträger)である

Zwischen hart-en Eichendiel-en
Rammstein, Spieluhr

なお、語句の例として、RammsteinSpieluhrという、(冠詞+)形容詞+名詞の組み合わせが多い楽曲から引用する。

Conveyor(横山Team K)

Conveyor

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  • 発売日: 2015/01/21
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勿論、コトは言語=生き物、つまりザ・横着者にして確率(論)的傾向的存在者である。このような原則が余すところなく一貫されることなど自然言語にはまず無い。今知っておきたいのは、

  • HauptmerkmalträgerNebenmerkmalträgerによって可能な限り性数格を表示しようとするということと、
  • Hauptmerkmalträgerがあれば表示情報量が比較的は多いということ

とである。また下の「Mensch」などNebenmerkmalträgerとして「単数・1格」まで表示してしまっているが、Hauptmerkmalträgerが性情報を加えつつ表示をヨリ判明にしている、と考える。

Ein klein-er Mensch stirbt nur zum [zu d-em] Schein

Rammstein, Spieluhr

D-as klein-e Herz stand still für Stunde-n

Rammstein, Spieluhr

2行目に有る名詞句を見ると、Nebenmerkmalträgerの「Herz」が「単数・1格/4格インド・ヨーロッパ語族全体なはずだが主格と対格が必ず同形)」まで情報を表示している一方で、左端の定冠詞が「中性」という情報を加えつつヨリ判明な表示をしている。左端の語句が「強変化」で性数格表示をすると、次に来るのが-en語尾のみただし、単数・非斜格だけ-e語尾(男性以外は主格対格同形!)。これがなぜかと言って、「無標〔unmarkiert〕」だからなのかと推定している。

(ちなみに、ドイツ語では複数が無標で単数が有標であるなどとして例として「fahren」(不定形と同形)vs.「fährt」を持ち出す話が有るが、何を言うとんだというものである。不定形がイコール基本形というのがそもそも勘違いなのは措いても、ここで見ているように現代ドイツ語で動詞の複数活用と不定形が同形なのはたまたま偶然のことである。また、名詞に関しても„Frauenzimmer“や„Kindergarten“のように複合語で複数を使うのがデフォルトだから複数が無標だなどという例証もどきも有るが、都合のいいサンプルに偏っているだけだ。こんなこと言ってると、„Mannschaft“や„scharweise“や„Kindheitstrauma“といった膨大な反証にどう答える気なのだろうか。)

2行目に有るもう1個の名詞句を見ると、名詞句「Stunden」が名詞だけから成っていて性数格表示力が弱い(性・格が不明)。

1行目に有る名詞句を見ると、冠詞が不定冠詞、もとい不定冠詞である。不定冠詞は男性中性の1格のみ(中性は1/4同形!)無語尾である。屈折語尾が無くて性数格表示出来ていない。このように左端の語句が性数格表示不手際なら、右隣の語句がやる。例えば、普段性数格表示やる冠詞が左端に居なかったら、形容詞がやる(klein-es Herz)。今はこのケースになっていて、「単数・1格」までしか情報が無い„Mensch“の性数格を形容詞が(ヨリ判明に)表示している。

ところで、形容詞だけは、左隣のと同じ屈折変化を続ける(ein klein-er, nur zum Schein gestorben-er Mensch)。

(そろそろ気付いてるだろう。シナリオ通りに運びはしない。形容詞とも冠詞ともつき兼ねるander-, beid-, einig-, etlich-, folgend-, jed-, kein-, manch-, sämtlich-, solch-, viel-, wenig-といった連中が他の冠詞・形容詞と引っ付く際に数々のバリエーションを繰り広げる。ドイツ語の特徴の1つ(は合成語ではないからな)に、バリエーション地獄が有る。英米語でこういう現象が幾らあってもそれは当たり前だ。使用地域の規模と使用人口の規模が全く違う。古代語でそれが当たり前なのも言うまでも無い。ドイツ語という地球限定的な近現代言語が異形態を大発達させているのが注目すべきことなのである。そういうような言語は他にかなり有るはずで、もっと規模的に限定されていて閉ざされてさえいるのにも関わらず文法異常発達しているはずだ。有名どころならナバホ語(ナ・デネ語族/南部アサバスカ諸語)だろう。)

そして、本シリーズの主題であるこういった句:

Es wird verscharrt in nass-em Sand
Rammstein, Spieluhr

Der kalte Mond in voll-er Pracht
Rammstein, Spieluhr

だが、本来は何らかの冠詞が必要である。なぜ冠詞を落としているのか。推測できるのが、形容詞で性数格が表示されているから、というもの。

ただそれなら「d-ie (ein-e) voll-e Pracht」って構造も同じ話でないか、なぜ前置詞+形容詞の時にだけこうなるのか。これも推測でしかないが、「die (eine) volle Pracht」なら長さが許容できるが、「in der (einer) vollen Pracht」だと長すぎる。言語の経済性が絡んでるのでないか。性数格が表示される限りの最少の量の発話にしようとしているのでないか。しかしそうすると今度は、「im nassen Sand」にしたらいいことじゃないのかと言えてしまう。そこは、前回記事で見たように、冠詞を落とした前置詞+形容詞+名詞の句という構造が属性「文語」を表示するから、という別の回答がありうるだろう。とまで暫定的に考え てみ た。

以上の話からすると手落ちに見える名詞句が見つかる:

Und kein__ Engel steigt herab
Rammstein, Spieluhr

Aus Gottes [dem] Acker diese Melodie
Rammstein, Spieluhr

こういったものはいくらでも有る。

一体名詞句は性数格表示をしたいのかしたくないのか…。いや、こういうのが、言語なのである。「ein kleiner Mensch」がむしろ表示し過ぎている一方で、表示してなさ過ぎる「kein Engel」がある。非整然と・横着に・いい加減に・極めて偏って(極端な音素数!極端な類別詞数!煩雑な名詞クラス!「証拠性」!

危機言語―言語の消滅でわれわれは何を失うのか (地球研ライブラリー)

危機言語―言語の消滅でわれわれは何を失うのか (地球研ライブラリー)

  • 作者: ニコラスエヴァンズ,Nicholas Evans,大西正幸,長田俊樹,森若葉
  • 出版社/メーカー: 京都大学学術出版会
  • 発売日: 2013/02/01
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  • マツェス語(Matsés)(タカナ・パノ語族)の証拠性136頁

)・完璧な設計と程遠く出来ている。弁別性を目指そうとしながら随所で経済性に足を引っ張られ、説明不可能な箇所で異常多様化にこだわり抜き、と思えば、神の見落としとしか言えないヌケサクを示し、と、どこまでも不完全な、何らかの必然性なんぞとは無関係にしか見えないような形態進化をする。まさしく生命体。言語とは有機体としか言えない。だから言語=有機体説という旧時代の遺物を復古させるべきなのであるzurückgreifen。そしてそれは、言語には興味甚大だが話者には興味皆無、人間などという夾雑物は捨象する、「社会(最広義)」なんぞ知ったこっちゃあるか、という姿勢だから、「言語」を独立した1個物として、separated・isoliertで捉えるから、でもある。