指示代名詞というのがあって、コレをコレとして強く指示し【このもの】【このやつ】【こんのこいつこのやろう】という強い指し示しをするのだが、ほとんど定冠詞と形が同じなので、これをこれとして認識することがなかなかできず、学習者がとりわけ確実に無視してくさらす項目である。
実際は「強」さは別にたいして関係なくて、人称代名詞と文法的ふるまい文法的仕事が別なものとして有るというふうに認識したい。
Des Staates Betragen ist Gewalttätigkeit, und seine Gewalt nennt er »Recht«, die des Einzelnen »Verbrechen«.
(Max Stirner: Der Einzige und sein Eigentum)
(国家様の野郎がなぜ存在するのかと言うと、個人を殺しにかかるためだ。それをこの野郎様は「法律」とか「人権」とか称している。いっぽう俺らがそんなことをしたら、「犯罪」と言われる。)
Neben ihr stand ihr Mann! Und sie sah an seinem Gesichtsausdruck: Er hatte den unten erkannt.
- die des Einzelnen=die Gewalttätigkeit des Einzelnen
- * sie des Einzelnen=die Gewalttätigkeit des Einzelnen
- den unten
- * ihn unten
人称代名詞には規定語句をくっつけれない。(もちろん前置形容語句はどっちもくっつけれない。)とはいえこれは現代に限ったことで、かつては人称代名詞に規定語句を後置することも出来ていた。現代ではむりな文法も19世紀以前は可能だった。
現代では定冠詞とほぼ同じ形だが、そうなり出すのが19世紀からで、この時と以前には、定冠詞+selb-が指示代名詞だった。
そしてこれが、古典ギリシャ語に似ている。(どちらも、指示形容詞にも使える。)
- derselbe:αὑτός/ταὐτός (ὁ αὐτός)
- dieselbe:αὑτή/ταὐτή (ἡ αὐτή)
- dasselbe:ταὐτόν/ταὐτό (τὸ αὐτό)
ギリシャ語のほうも定冠詞+「同」と言っている。ギリシャ語をマネたのだろうか。ただ単に印欧語族の特徴的ふるまいなのだろうか(ラテン語の「idem」)。ググっても、両者の関係を論じている文章は出ない。
似た話、dass副文なども、(中世)ラテン語のquod副文を真似ているはずだ。そして後者が古典ギリシャ語のὅτι副文を真似ているはずだ。
- daß
- quod
- ὅτι
これらの関係を誰かさっさと論じてくれ。当たり前だが、これに類するものが他のさまざまな言語にいくらでもあるなどという話は聞いていない。ギリシャラテンドイツの言語の関係ぐらい知っとるだろ。
不定冠詞には複数形がある?!
- ein-の複数がwelch-
- so ein-の複数がsolch-
また、定冠詞付きの名詞も、solch-でうけます。
- 作者: 橋本文夫
- 出版社/メーカー: 三修社
- 発売日: 2002/03/15
の136頁:
solcherを定冠詞のついた名詞の代りに用いることもある。
但しそれは余り感心しない。
として、
Der Feind bemächtigte sich der Brücke und sprengte solche in die luft.
という文を挙げている。これに関して、
solcheはdie Brückeの代りであるが,この場合は指示代名詞dieselbeまたは人称代名詞sieを用いる方が正しい。
と述べている。
この文はググっても出ない。このようなsolch-用法に今までに一度も遭遇したことがない。
(後日、2022年2月26日(の深夜、27日ということ)に、シラーのMerkwürdiges Beispiel einer weiblichen Racheに
Hier mietete sie nicht weit von der Pfarrkirche eine schlechte Wohnung in einem ehrbaren Bürgershause und ließ solche auf das sparsamste möblieren.
というのを見つけた。あるにはあった。この「solche」は「die Wohnung」。ふつうならsieまたはdieselbeを用いる。)
ドイツ語で名詞語頭を大文字にするが、他の言語に類例が無いらしい。これで読書速度が影響を受けるという話がある。これのリンクが切れても、「großschreibung schnell lesen」でググりゃいい。
ただ、古典語やってると、大文字を滅多に使わないほうがかっこよく見えてくる。
つまり小文字主義がイカす(←死語)。
例えば、Zeitschrift für deutsches Altertum und deutsche Literaturという学術誌など、小文字で印刷する体裁。19世紀のなら確実に見れるから開いてみてくれ。見ての通り、段落冒頭や固有名などは大文字。
徹底しているものとして知っているものが
konkrete poesie: deutschsprachige autoren. anthologie
- 発売日: 2018/10/01
- メディア: ペーパーバック
大文字をまったく使っていない。作品がではなく序文とあとがきがだ。 ここまで大文字を駆逐している印刷物は見たことがない。他にないだろうか。St・ゲオルゲ。
そもそも、名詞語頭などの大文字をやめる小文字主義がドイツ語で行われているのはどこに起源があってどういった方面がすることなのだろうか、皆目知らなく、ググって出ない。
と書いた後日に、Kleinschreibungでググったらいいことが判明、兄グリムなども小文字主義だったとか書いてある。
ここからリンクすると、名詞語頭大文字をし出したのがバロックからだということがわかる。
小文字主義の著作:
- シュライヒャーの『インド・ゲルマン諸語比較文法要綱』
- ヨハン・ハインリヒ・フォス(Johann Heinrich Voß, 1751–1826)の イリアス翻訳初版(1793)第1~12歌
- 同第13~24歌
- オデュッセイア翻訳第2版(1793)第1~12歌
- 同第13~24歌
- J・E・ヴェッセリー(Joseph Eduard Wessely, 1826–1895)の『Das Grundprincip des deutschen Rhythmus auf der Höhe des neunzehnten Jahrhunderts』(Leipzig: Theodor Oswald Weigel, 1868)