地上最強のブログ

しばいてくぞ

私の読書歴⑦~『耳は済ました』『指を飛ばせば』『罪と羆』『モルグ街の達人』『アンタの日記』『バットマン対レインマン』『バットマン対ピーターマン』『地雷を呼んだらサヨウナラ』『ナチュラル・骨・キラーズ』、スピノザウルス著『エ〇チか』~

夕陽のいじわる

夕陽のいじわる

渡辺麻友

  • 発売日: 2013/01/23
  • メディア: MP3 ダウンロード

 

前回の記事から

  • 「世界文学全集を買いました!」 ←アホなんか?きたねえもんの話すんな。
    やれ全集、やれ〇〇事典、やれ豪華本、やれ装丁がどない、やれ初版本、やれサイン入り、やれ「自筆原稿」、すべてなにもかも全部、ゴミの話でしかない。それらはそれらに書いてある情報に意味があるのであって、それらがそういった紙の束である必要がないのならそれらが生産される必要も意味もまったく無い。出版社は今後PDF出版社になってくれ。早よKindleに駆逐されろ。
    ま、こんなこと言われても理解できんだろう。そもそもが好きなような奴は定義ニヨリ旧時代でオツム止まっている奴なんだからな。「作家」(←小説家の間違い)の使ってた筆から排煙筒からその住居から調度品まで神聖視するような低知能サルなんだからな。それらは、アインシュタインの脳と同じ意味、つまり同じ無意味しか、無い。
    本を有り難がる者のぎっしり本棚壁面囲繞部屋を何個見てきたことかだが、こういうのってほんと 無言の自己紹介の手の込んだ自慢だよな。ただのコレクション披歴。テレビに映るのなら見たことあるだろ、某研究者の背景の本棚と居並ぶ本のこれみよがし。見てください、私ってこんなに博識なんです。私ってこんなに知識に囲まれてるんです。私のバックグラウンドはこのように保証されているんです。いかに私が立派な人士か分かるでしょう?そう本棚に語らせる、チンケでいじましい連中。本の山が心の拠り所、本の山を映して相手を威圧、それで安心する。そんな奴ら。
    言っとくが、このように本と結婚して本に囲繞されていないと学術や言論ができないワケでも何でもない。例えば、自分の全書棚がこれだ:
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    が、所有している本はこれ以外に無く、これ以外に必要なく、これらもクソ邪魔でしかなく、さっさと捨ててしまいたいだけだ(断捨離のハナシはしてない。そんな趣味もない。もちろん、物に囲まれて安心するという病気でもない。どっちも、アホ)。
  • 収集ということだが、そういえば、どっかで聞く話、コレクションを死後配偶者に捨てられましたという話があるが、ふつうは笑い話だろう。喜劇として受け取られるだろう。いや実に、喜劇なのである、大事なものなどというのは。びっしり並んだ本などというものは。みんな、実はそう感じれるのである。そう、誰だって、実は、自分が大事にしているものが本当は無意味なもんではないのかとゾッと予感しているのであり、一度は考えたことがあるのである。ただ、信じているものを護持墨守する信仰心にかけては全生物中トップクラスの(恥ずかしい)能力を示すサルだ。無意味を熟考できる個体など居ない。疑問は握り潰すのみ。ストロングゼロ飲もうぜ!!
  • 仮に、意図的なコレクションではなくて、集めているという訳ではないがどうしても集まってしまった身の回り品というものが勿論あるが、こういった物も、思い切って手放すことが出来ないものだ。それが、もしかしたら後に必要になるかも知れないというのなら、まだいい。後に必要になる場面が算段ついているのなら、取っておくのももっともだ。捨ててしまって後悔ということが確かにあるから、それは防ぎたい。捨てて あーもったいないことした!とはなりたくない。しかし、モノ持ちというものの大方は、そのようなものではない。そのように考えがあって捨てられないというようなものでは到底ない。ただ単に、気持ちの上で 手放すのが忍びないから、捨てられないのだろう。ほとんどの場合、そういうただの感情で物品が溢れ返っているだろう。
    つまり、将来使う可能性という予算や資金を見据えた意味でのではなくてただの情緒的なものとしての 「もったいない」迷信。これは、事実や現実に即した(無)行動根拠ではない。必要がなく、しかも大抵の場合本当に使われず 死後や蒸発後に業者処分でもされる、そういうような物にしがみついているのである。いや、「ついてる」というような能動的なものではない。それは、ただただ捨てることが・見切ることが・忘れてしまうことができないというもの、ただの無能力・ただの無考え・ただのナントナク・ただの感情・ただの意味不明執着にすぎない。
    そう、広く知られた「埋没費用」の心理とも類縁の、ただただ愚かとしか判定されない、無根拠でヒトリヨガリで「身勝手」な現状維持だ。言葉ヅラだけカッコいいだけ、「現状維持」と書いて「アホ」と読んだほうが分かりやすい。おまえがソレを手放せないのは、気持ちの問題だけのこと。それが大事なのは、気持ちだけの問題。
    例えばホームレスなら、ゴミに見えるものを取っているようでも、何かしら生存につなげれる道具になりうるものだから取っているということのほうがありそうだ。生存がかかっている人には、一見ゴミはゴミではない。一方、使う予定が無く、あっても買い替える予算が有るのにゴミ同然の家具日用品を取っているのは、ただの愚かだ。
    本書には、どっかのクソ漫画に出てくるボロ毛布なり、幼時から手放せないきたねえ添寝用ぬいぐるみか何かが例に出てくるが、こういうのに関して、一見何の好悪もないか或いはあたたかい眼かで見ているかのような者がいたとしても、あからさまに侮蔑を示してはいないというだけで、内心の心底では呆れている。いや嘘つかんでいい。お前らのクソ建前クソ公式声明は聞いとらん。

次回の記事に続く