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しばいてくぞ

シリーズ欧文訓読の歴史 (1)

 

我が皇国は、特定アジア宗主国として、90,0,00千年前から、特定日本語を、土飼って来た。我々の我々によって訓読と呼ばれる我々が方法の歴史は、8億年前にさか登る。この時、我我の父祖に当たれられるパランロトプス・エチオピクスが、ハロルド・ブルームとブルーム・フィールド、バトラコトキシンとバトラコミュオマキア、殷王朝と骰王朝をこ招いて、印鑑語族に立ち向かう手段として、いや、手段のために、あるいは、手段のうえで、それどころか、手段ということによって、なんならば、手段ということにしておいて、それよりも手段について、それならば手段をめぐって、欧文訓読術を開発し、据え置き貫通型を開発した。かかる発展の歴史によって、我々は、発展家として記憶されるだろうであろう。

まず、ヘーゲルの中国語を確認しよう(以下語句強調は原文)。

而て加て、自律概念対蹠にして然も即且対自有的の謂の、向客体性の重意義が現象する。

論之語

… なぜこんな事になるのだろうか。これはなぜ有り得るのか?なぜ咲いていたのか?

バラの果実

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左様これが欧文訓読なのである。我々は欧米の白文を読む際に、このようにしておる(以下、引用に際して原文に付している記号や着色や返り点はすべて引用者による。いちいち言わすなボケ)

So     erscheint auch für die Objektivität die gedoppelte Bedeutung,
  現象スル  加テ      
客体性ノ             重                  意義
dem selbständigen Begriffe gegenüberzustehen, aber auch
     自律                
概念    対蹠ニシテ                        
das Anundfürsichseiende zu sein.
   即且対自有                 
こっから引用しとるからな

そして我々皇国の民は、皇室=在日二重帝国(Kaiserlich-Koreanisches Reich、通称カーカーニア、または通名カカーニエンの埃高き人民として、誇りの丘」の正規音源発売を求む!!!!人民の敵を総括するに因リ、種々ノ返リ点ヲ是考案セリ。

So erscheintスル auch für die Objektivität die gedoppelte Bedeutung, dem selbständigen Begriffegegenüberzustehen, aberニシテ auch das Anundfürsichseiende zu sein謂ノ.

以上、以下、引用に際しては、糞広告でクソ重く なられ遊ばされている なってさらしてくさってやがる上にページ配分がくそ不便なることによってひたすらクソなゴミ糞サイトの「プロジェクトグーテンベルク(gutenberg.spiegel.de)」ではなくて、それはもうパピーリナックス(使ったことないがな)の如く軽量で網羅的でサイト内検索ボックスが糞という zeno.org様から引用する。

さて次のような読み下し文の基底には、無底の不底における実存のまなざしに示されることによって、次の次のような訓読が、己を開かす-開け-の-自-性のままに、横たわっている。

にして純有、外の如何なる諸規定も無い。其の無規定の直接性に於て其は唯自己に同一であり然も他物に対し異らず、自内亦自外に異差を有しない。

論之語

Seinニシテ, reines Sein, – ohne alleナル weitere Bestimmung. Inニ於テ seiner unbestimmten Unmittelbarkeit ist es nur sich selbst gleich und auch nicht ungleich gegen Anderes, hatナイ keine Verschiedenheit innerhalb seiner noch nach außen.こっから引用しとるからな

我々毛高き二重帝国の民は、このような訓読法によって、自余のあらゆるドイツ語文に立ち向かうことは論を待たない。さてヘーゲルには、生前刊行した著作が4点有り、その内『論之語』が2冊出版だったので、これらを併せて「四書五経」と呼ぶ。 

強制は、彼が其の概念に於いて破壊さるる事自ら強制が強制に依り陽棄さるる事の内に実定的叙述を有し、彼は其故法律的に制限されたる蚤不らず、必然的に、則ち或る第一の強制の或る揚葉である第二の強制として。

右の哲学

Der Zwang hat davon, daß er sichルル in seinem Begriffe zerstört, die乙– reelle Darstellung darin, daß Zwang durch Zwang aufgehoben wirdルル, er ist daher nicht nur bedingtタル rechtlich, sondern notwendig – nämlich als zweiter Zwang, derアル ein Aufheben eines ersten Zwanges ist.こっから引用しとるからな

 

草原の奇跡(チームK Ver.)

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彼の需要のための個人の労働は、全く同じように、彼自身ののとしての諸他のの諸需要の充足であり、そして彼のの充足を其は他のの労働によってのみ到達する。

発展家

Die四– Arbeit des三– Individuums für seine Bedürfnisse ist ebensosehr eine五– Befriedigung der四– Bedürfnisse der三– anderen als seiner eigenen, und die二– Befriedigung der seinigen erreichtスル es nur durch die二– Arbeit der anderen.こっから引用しとるからな

 

個別性のあの現象は存する、就中、其の中で伝達の中に有る熱が現前する諸物体に対して現象する外面的な方途の中にのみ。

走れ!Bicycle

Jene二– Erscheinung der Besonderheit liegt vornehmlich nur in下– der äußerlichen中– Weise, in welcher die三–rme inニアル二– der Mitteilung gegenシテ二– die vorhandenenスル Körper erscheintスル.こっから引用しとるからな

 

夢の鐘

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次に我々は、口直しに、いや耳直しに、むしろ目直しに、しかしながら尻直しに、同志シラーの格調高い四六(フォーティーシックス)駢儷体による日本語を味わうことと余儀たなくされるであろう。

我々或対象崇高称、其表象際我々之感覚的自然其限界、然我々之理性的自然其優越、限界自其自由感、故我々其対肉体的敗雖我々道徳的即理念通自己其上昂。

高い

Erhaben二– nennenスル wir ein Objekt, beiシテ dessen Vorstellung unsre sinnliche Natur ihre Schranken, unsre二– vernünftige Natur aber ihre Überlegenheit, ihre Freiheit vonカラノ一レ Schranken fühltジル; gegenシテ das wir also physisch den kürzern ziehen, über welches wir uns aberドモ moralisch, d.i.ハチ durchジテ Ideen erheben.こっから引用しとるからな

しかしながら、我らの訓読法に耐えざる超越論的危機が押し寄せてくる事実も、またなくなくないのであるが、次号の記事によって、かかるごとき問題の焦眉を、我々は我々の現象学的知覚庭のままに目に食いとどめるだろう。

 

同志ウェーバーの如きは以下の五徳述べおるに有り。

Undシテ mit dem Zerbröckeln der Tradition und dem mehr oder minder durchgreifendenセル Eindringen des freien Erwerbes auch in四– das Innere der sozialen Verbände pflegte nicht eine二– ethische Bejahung undヒニ Prägung dieses Neuen zu erfolgen, sondern es pflegte nur faktisch toleriert, entweder alsトシテ ethisch indifferent oder alsトシテ zwar unerfreulichカラサルト, aber leiderハス unvermeidlichクル, behandelt zu werdenルル.こっから引用しとるからな

而シテ伝統ノ瓦解及ヒ多少ハアレ一貫セル加テ社会諸団体ノ内部ヘノ自由収益ノ貫入ヲ以テ係ル新物ノ一定ノ倫理的ノ賛同並ヒニ印刻カ生スルモ莫ク新物ハ事実上耳容寛ニ倫理的無ばいあす若シクハ好マシカラサルト雖モ避クル能ハストシテ処分サルル也。

プ論

次回の記事に続く

 

舌が「巻」けることは無い

 

薄緑色の信号が「青」と呼ばれいてることなぞどうでもいい。信号機導入経緯から色名称・色知覚上の面倒等といった背景がいくらでもあって、幾らでも仕方がない軽微な誤称に過ぎない。

その他にも、全くどうでもいい目クジラの必要ない事に関して嬉しそうにえんえんゴタゴタ抜かしていることがある(それを清水義範化・東海林さだお症と呼ぶ)が、今問題なのはそれの真逆正反対、完全な誤名称であって目鯨どころかオプティックブラストものだと言うのに ただの誰1人おかしいのに気付いていない糞事がある。「巻き舌」という重度の名称だ。

人体器官「舌」が、物体形状「巻」を実現することなど、無い。自分の口の中のことも分らんのか。

結論言ったんでもう終わってええかな   左様こういった間違い以外の何でもない表現に関しては、特に誰も何も言わず感じず ぼっっっっけーーーーと受け入れているのである。疑問に感じたとしても、せいぜいこんな白痴か、何ならこんなお花畑が関の山だ。これは、疑問にすべきことをいざ議論してみると何故かすっげ痴呆状態を呈するというこの国民の日常茶飯事ではある。し、たった1秒すら物を反省観察することすらしない・できない無能に、依る。そう、あの音を出してる時に自分のお口の中でベロちゃんがどんな状態になっているかすら分からないのである。
知覚しょっか:

舌は、震えているのであって、「巻」けてはいない。

最大限やっても舌は

れるかかめるぐらい

である。「巻」にごく僅かに入りかけた所でそれ以上は進まない。

はい、自分自身のおベロちゃんがどんなんなってるか、分かったか?実際これは「ふるえ音」と言う。学術では、ブツやコトの何がどないなってるのかを極力正確な言語で記述しようとするから、「歯茎ふるえ音」と一応言う。色んな言語に有る。声帯振動の無いのもあるから、日本語であの音が出る時には正しくは「有声歯茎ふるえ音」である。つまりあの、ソクラテスたちや萬田銀次郎たちが口にしていたはずのあの発声は、「ふるえ舌」と呼ぶことになる。

だが待て、歯茎は震えないぞ。実際「口蓋垂ふるえ音」や「両唇ふるえ音」といった名称に比して「歯茎ふるえ音」は誤名称である。と言って原語の時点で間違っている。さすが劣等言語だ。台風に名前を付けたり、イヌに「バウ」と鳴かせたりするだけある(イヌには唇が無いのに)。

なぜ言葉は間違うのか。「綴り」じゃなくて「字」キリル文字だったら「つづ」るのか?書くのか?ゆうてみろや。アラビア文字はどっちやねん?ハングル書き間違えたら「綴り」が間違えたことなるんか?それとも「字」か?じゃ、デーヴァナーガリーは?チベット文字も「つづり」なんか?しまいに西夏文字の「スペリング」とでも言い出しそうだな!!)。「アルファベット」(あいうえおの事)じゃなくて「ローマ字」

なぜ言葉を間違うのか。

  • 歯は磨くのじゃなくて、こする。
  • 飴玉は舐めるのじゃなくて、ねぶる。
  • 「買って読む」と言い出すバカ、買うのか読むのかどっちかにしろ。お前は事象の数を①買わないで読む②買って読まない③買って読む④買わないで読まないと無駄に増やしてんだよ ばかやろう。
  • 応援は呼ぶのじゃなくて、呼んで来させる。
  • 店は開くのじゃなくて、開ける。
  • CPUは「冷える」のじゃなくて「冷める」。CPUを「冷やし」てくれるじゃなくて「冷まし」てくれる。
  • 「角度」じゃなくて「位置」。
  • 「角度」じゃなくて「方向」。
  • 「角度」じゃなくて「体勢」。
  • 「体勢」じゃなくて「体位」。
  • 「集中力」じゃなくて「注意」。
  • 鉛筆は削るのじゃなくて、こそぐ。
  • 目は「小さい」のじゃなくて細い。「切れ長」。
  • 「身長」は「高い」じゃなくて「長い」。身長・身長。
    「背が高い」じゃなくて骨が長い。背が伸びるのじゃなくて骨が長くなる。
  • 車は乗るのじゃなくて、動かす。
  • コーヒーは淹れるのじゃなくて飲む。
  • ハザードは点けるのじゃなくて、焚く。
  • ちんちんはコスるのじゃなくて、抜く。
  • コスパがいい」じゃなくて「安くてイイ」。
    コスパ」とは「費用対効果」なのだから《高くてスゴくイイ》のも《クソ高くてとんでもなくイイ》も、「コスパいい」のである。
  • 耳がいいじゃなくて有毛細胞がいい。
  • 「お鍋にする」。そう、食べるのは具材じゃなくて鍋や「皿」だ。土食なめんな。
  •  こう考えてきたら「巻き舌」も 

あと「ふるえ」と仮名に開くのも気持ち悪いものである。というのは、平仮名を使いたがる奴がほぼ100割気持ち悪いバカだからだ。つまり、自分が人畜無害だとアピールしたがって(或いはただの池沼で)「やさしい」仮名を使うというカマ臭いきっしょい書字(屋号とか題名とか集団名とか選挙候補名とか)がある。と言っても、大正昭和の(足穂や久作といったバカみたいな)文人が奇抜を演出したがってカタカナを乱発シテタノホドキモクハナイトイウ印象ヲ受ケルダロウ(ただし丸山真男の比較級「ヨリ」はご愛敬)。大体コトバノ乱レッテノハ、昔の奴のほうがキモい。「冷蔵庫のケーキ食べ?」「いや食べないよ」。誰がお前の習慣を聞いた。このことばの乱れに比べたら「よろしかったでしょうか」なんか正しいほうだ、よろしさ締結行為に関しての完了のアスペクトを明示できておる。「よろしかったでしょうか」まで進めないのがお前たちである。しかし昔の日本人というのは本当に日本語が出来ないから、例えば夏目漱石という日本人など、「Archaiomelesidonophrunicherata」という、別にたいして長くもない「語」を「一番長い」だなどと書いたのである。「語」と「字」の区別も出来ず、アリストパネスがギリシで書いていたことも知らないのである。こんな無知蒙昧の字書きが教科書で取り入れられているのである。よかったな!さて脱線が長引いたが、「自分が人畜無害だとアピールしたがって「やさしい」仮名を使う」のでない限り仮名の使用は全然まったくキモくない。どんどんやろ。

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わずかな光

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なお注記しておくが、同調バイアスで知覚を歪めないで虚心坦懐に見たら、昭和以前の高名文人たちの作品にはヘタクソで気持ち悪い日本語が充満している(以後はもっとキモいが)。それは、英語とフランス語という印欧語族の成れの果てのダッサい言語、「ユーラシア大陸の西のはずれに発生した産業文明」というだけで日本にも押し寄せて来れたうんこ言語の文学作品に合わせて人造日本語を作り出そうとしていたから、というのが要因の1つである。なお、『金色夜叉』や、冒頭の文が特にキショい山椒魚』に限った話では別になく、教科書級の文豪たちの作品のほぼすべてが何らかの印欧語族作品を下敷きにしている。断言する。それは、この人らが大量に西洋文学を原文で読んでいたからである。決めつける。本邦未公開未邦訳の作品を読みまくっていると、その形式や内容を真似したくなるものである。というか、歴史上のありとあらゆる模倣芸術(ラテン文学然り・色んな擬古主義然り・(マヤ・トルテカ→)アステカ然り)が、本当は、こういう模倣欲求衝動によって生じたのだと推断している。ただ、これらカビの生えた文人たち、時代最先端の文物・流行への反応感度が、その後~現代の小説家群といささか違っている。およそ50~60~70~80年代あたりらへん以後の小説家(自他称「作家」)、いや、というかこのへんの時期以後のほぼあらゆる日本語著作(無数の啓蒙書含めて)の最たる特徴に、異常レトロ病(※本記事最下段が有る。特にポップカルチャーの話になると、こいつらは、実に2000~2010年代でも、戦後焼け野原でアタマが止まっているという有様である。そして文章のクソぶりも加速度的に激キモ化が進行してきていて、90年代以降の小説がすべて、日本語ではない

さて脱線が長引いたが、件の「音声」を客観的正しく表記言表すると、

有声舌端(bzw.前舌)震え音

ということになる。本日より「震え舌」な。ゆうて日本語は1語が5モーラより4モーラのほうが好まれるから「ふるえじた」より「まきじた」のほうが

とはいうものの、人間はまちがった事をし続けるのが大好きで間違った言葉を使い続けるのが大好きなのだから、こんなん書いても何も変えれれれんのだがな。

 


上で書いた異常レトロ病のことだが、いっくらでも例が有る。まず、自分で思いつけ。思い付けるように補助として何か例示しようとしたのだが、本を1冊も持たんからたまたま手元にある図書館借り出しのから例示するが、これは当該病例の非常にマシなほうで、異常レトロ病呼ばわりするのもかわいそうであるほどマシなほうである。

知識の哲学 (哲学教科書シリーズ)

知識の哲学 (哲学教科書シリーズ)

  • 作者: 戸田山和久
  • 出版社/メーカー: 産業図書
  • 発売日: 2002/06/20

2002年の出版物である。こういう啓蒙書では、説明のための喩えのところで当該レトロ病を繰り出してくる。そういうのを見ると:

133頁に「五代」「響子」とあるが、20年前の話だ…。74頁・77頁・82頁だとさらに遡って「終太郎」「あたる」「ラム」「しのぶ」と来とる。あのな、2002年など「らんま」すら終わってるぞ。お前、アタマ大丈夫か?205頁で何やらガンバって「桔梗」「かごめ」と書いているが、本命が80年代なのがすでに露呈してる。

まず冒頭5頁、「ゴールディ・ホーン〔1945~〕」。ふっる…。次の6頁で「Mac OS Xの再インストール」とあるが、これは当時最新とはいえ、アップルがクズである。(しかし、実にPentium 4の頃!!大昔…)

この2002年の時点で著者40台前半なはずだが、40台とはもうレトロ病に老けこむ齢なのか?ただ、随所に軽口俗語を挟んで気を使っている(し、哲学啓蒙書の中ではとびぬけて読みやすく、話が理解しやすい第一級の名文である)ように、ナウぶって「ピカチュー」と書いてみたりもしてる(14頁)。ゆうてもGB初出が90年代後半、古いっちゃ古い。なお、ポケモンとは、54頁で嬉しそうにキャラ名列挙してる「ちびまる子」同様、クソつまらんのにブームがえんえんえんえん一向に終わらない日本の悪質サブカルチャーの1つである。

と言うか飽くまで微妙レトロ病であって、アタマが微妙に古臭いのである。24頁で「田中」「太田」、38頁で「松本」「浜田」と書いてるが、2002年時点ではすでに老舗の人らである。2000年代初ブレイクの人らは、レトロ病者には、思いつかない。

そっちの太田はどうでもいいんで太田奈緒の話しようぜ

しかも冒頭からずーっと通奏低音のように「シュークリーム」。幼時シュークリームが御馳走だったんだろうな。大根かじって進駐軍に菓子ねだってたんだろうな。(ちなみに「通奏低音」のようなクソ比喩を日本語から放逐すべきである。おまえ通奏低音が何なのか知ってんのか?聴いたことあんのか?)

GIVE ME FIVE! (劇場盤)

GIVE ME FIVE! (劇場盤)

95頁で読者が「ビョーク〔1965~〕のCD」を聴かされるのだが、だったらこっちはNENAだ!!

226頁に着くと、ゴレンジャーが待ってる、著者のアタマ、70年代まで巻き戻った!!

231頁できんさんぎんさんが出てきて、何とか90年代までは帰って来れる。

 

タイトルの妙味

 

気になることだが無視してしまうこと、大友『AKIRA』(1984~1993)の各巻にタイトルが付いていて、1巻「鉄雄」、2巻「アキラ I」、3巻「アキラ II」、4巻「ケイ I」、「けいっち」、上西恵、5巻「ケイ II」、6巻「金田」となっている。この巻題名、特にその巻の内容を表している訳ではなくて、主要キャラクターの名前を何となく作品分節単位(ここでは「巻」)のタイトルに冠するという処置である。これもし巻題名が特にその巻の内容を表していたとしたら、愚直でダサい。作品の節目(巻)になぜそのタイトルを付けたのか分からなくもなくなくないが妙なズレ・齟齬を感じる。オシャレがある。これは、格好いい命名法である。

この格好いい命名法、他にも有る。それを収集したいと考えている。が言うといて材料が全く足りん。あと2つしかネタ知らん。(作品分節単位タイトルじゃなくて作品タイトルそのものと内容とのカッコいいズレに関してこの記事参照

(1)ジョイスユリシーズUlysses〕」(1918~1922)ドヤア。かっけーな!しかしな、英語ってのは音声がアホだから、「オデュッセウス」を「ユリシーズ」としか読めないだけだ。他に古典語で言うと「アテネ」が「アシーナ」、「Kratos」が「クレイトス」、「アプロディテ」が「ヴィーニュース」だ。アホ言語だ。「ASUS」は「アースース」だ。間違えんな。左様、英語では、Satanなど「セイテイン」となる。アホすぎて気の毒になってくるようなアホ言語だが、使用者がアホとは言っていない。英語は非論理的な言語だが使用者が多すぎるので非アホも多い。かたや日本語などは論理的な言語だが使用者が1億人以上もいるのでアホも多い。)中身見る気ならんから丸写し(英語興味無いから原語飛ばす)

第一部 テレマキア

第一挿話 テレマコス
第二挿話 ネストル
第三挿話 プロテウス

第二部 ユリシーズの放浪

第四挿話 カリュプソ
第五挿話 食蓮人たち
第六挿話 ハデス
第七挿話 アイオロス
第八挿話 ライストリュゴネス族
第九挿話 スキュレとカリュブディス
第十挿話 さまよう岩々
第十一挿話 セイレン
第十二挿話 キュクロプス
第十三挿話 ナウシカ
第十四挿話 太陽神の牛
第十五挿話 キルケ

第三部 ノストス

第十六挿話 エウマイオス
第十七挿話 イタケ
第十八挿話 ペネロペイア

ということ。各タイトルにこんな意味が込もってる云々の論が有るがそれは分かったから、そういうことじゃなくて、そのタイトルが作品分節単位(「挿話」)の内容そのまま愚直ストレートな看板になってはいない所を見ろ。挿話タイトルのキャラが本当に神話そのままの姿でその挿話に登場する訳がないし、そんなことより、挿話とタイトルがいかにも分かりやすく照応していてタイトルの意味が容易く飲み込めたとしたらそれはもうただにダサダサダサいということを見よう。飲み込めなさ、含んだ余韻、がカッコいいのである。それでもこの作品では作品分節単位とそのタイトルの関係が云々される。アホやなあ。

Plato: Republic X (Aris & Phillips Classical Texts)

Plato: Republic X (Aris & Phillips Classical Texts)

  • 作者: F. S. Halliwell
  • 出版社/メーカー: Aris & Phillips
  • 発売日: 1988/12
  •  
  • Aris & Phillips Classical Textsという注釈が抜群のシリーズで、学習に最も頼もしいものなのだが、ホメロスの巻(ISBN: 9780856686283)がアフィ出んから、別にリンク貼っとく

次に、
(2)ゲーテの『ヘルマンとドロテアの邂逅〔Herrmann und Dorothea〕』(1797)。ここでは作品分節単位が「歌」。(なお、誤解が多いが、「ギョエテ」じゃなくて「ゲーテ」だし、「ヘルダーリン」じゃなくて「ヒョエルデルリーン」だ。間違えんな。)

1. Gesang: Kalliope. Schicksal und Anteil
2. Gesang: Terpsichore. Hermann
3. Gesang: Thalia. Die Bürger
4. Gesang: Euterpe. Mutter und Sohn
5. Gesang: Polyhymnia. Der Weltbürger
6. Gesang: Klio. Das Zeitalter
7. Gesang: Erato. Dorothea
8. Gesang: Melpomene. Hermann und Dorothea
9. Gesang: Urania. Aussicht

各歌にまず芸術9女神の名を冠している。オシャレ杉。それに副題的に登場人物名などを付けているが、別にこの登場人物がこの歌で初登場主活躍する訳でも何でもない。それがええねん。内容のほうは、題名の男女が出会って結ばれるまでの成り行きとその間の社会の世相を映したリアルタイム牧歌劇。訳も付けるとこうだ:

第一歌 カリオペ:アンガージュマン
第二歌 テルプシコラ:勘兵衛
第三歌 タレイア:公民
第四歌 エウテルペ:勘兵衛+おかん
第五歌 ポリュヒュムニア:グローバル
第六歌 クレイオ:御時世
第七歌 エラト:ゆいぽん
第八歌 メルポメネ:勘兵衛×ゆいぽん
第九歌 ウラニア:今後

芸術9女神だが、カリオペが弁論術・叙事詩・学術・思想を、テルプシコラが合唱・舞踊を、タレイアが喜劇・牧歌を、エウテルペが音楽・詩歌を、ポリュヒュムニアが弁論術・頌歌・農耕・パントマイムを、クレイオが歴史・竪琴を、エラトが恋歌・歌謡・舞踊を、メルポメネが合唱・悲劇・悲歌を、ウラニアが天文学占星術を、ゆいぽんが高野祐衣を、ゆうかたんが浅井裕華を、くれにゃんが長久玲奈を、清司麗菜がバラエティーを、西村菜那子がバレエを担当している。これらの女神のこういった役柄が各歌の内容と関係あったりする訳ではない。それがイイ。

バレッタ TypeC

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それは9女神ていうか8福神+1