前回からラムシュタインの
- Rammstein
- 発売日: 2004/11/16
- メディア: CD
収録「ダライ・ラマ〔Dalai Lama〕」の話に入っている。この作品は、飛行機の墜落前の光景を描いているのだが、他の曲と同様問題づくしの内容であり、何を唄っているものなのかが分かっていず解釈のみ色々ある。まず題が「ダライ・ラマ」である。ここを見ると、現ダライ・ラマ(14世)が飛行機嫌いであるからそれに掛けていると言ってる。ここなどテキトーな空想が書いてあるが、当アルバムの隠しトラックの事を言ってはいる。はっきり言って題名の謎は解けなくて諦めるのだが、隠しトラックついて見ると、これは例えばこことかあっちゃこっちゃで言われていることであり、日本航空123便(ボーイング747SR-46)墜落事故のフライトレコーダーの墜落時の音声である。(こうやって再生する。もう1個貼るとこうやって。)なお、収録アルバムのジャケットもフライトレコーダーなのだが、この写真(?)までもが123便のものだとはどこにも誰にも述べられていない。↑ に貼った日本語のページで、この写真(?)までもが123便のものだとホザいているが、こういう、錯誤記憶を平気で書くやつが、ネットに誤情報を蔓延させる。
さて、隠しトラックとジャケット写真から勘案して、Dalai Lamaが専らひたすら日航ジャンボ墜落を描いたものだと解釈する。ところで、1985年に日本を震撼させ、数々の作品が書かれた(ここにも書いたがあの大労作作品の「御巣鷹山篇」
などがそう)この事故は、今なお震撼させ続けていると言って過言でない。
よってDalai Lamaが専らひたすら日航ジャンボ墜落を描いているという方向の話でも十二分に重みが有るのだが、ググってすぐ見つかる手近の解釈を一旦見よう。(なおウェブ上典拠を以下のように示さねばならない事についてこの記事を見られよ)
ThE-WeB-MaTRIXの Noch eine Interpretation: Rammstein - Dalai Lamaを見ると、スレ主が「仏教」を持ち出す(6. Okt 2004, 09:36)と、他の者が、ダライ・ラマが仏陀の輪廻転生した者だと言い出して、2人が涅槃に入るのでなく人の救済に努める、作中の子供は死んでもダライ・ラマに生まれ変わりうる、と素っ頓狂な事を言い出す(6. Okt 2004, 14:17 )。
gutefrageのrammstein - dalai lama , um was gehts?を見ると、飛行機が社会の象徴であり子がそこから脱するように誘われるが父が許さず殺害すると書く(09.11.[20]11, 05:00:31)と、4年後に、「内的子供〔Inneres Kind〕」を持ち出す書き込みが出る(16.01.[20]16, 10:13:20)。父がこの内的子供と一緒に居て、飛行機とは夢のことで、内的子供が母を探している。しかし飛行機=夢が墜落に向かい、そうなるまいと父=Egoがトラウマ的分裂を招来、云々。で、個人体験を交えて、お花畑を咲かせる。
Llyric InterpretationsのRammstein Song Meaningsの Dalai Lama Meaningを見ると、飛行機恐怖症云々よりむしろダライ・ラマのような人物でも立ち向かい難い物(作中の風神)があると考えるべきだと言い(Jun 26th, 2014 6:31am)、父がダライ・ラマで子がチベット国民なのは確実なのだが中国からの分離に失敗して国民を見捨てて米国に亡命するのを描いていると考えるなんてのはあり得ない、ラムシュタインが政情を安直にネタにする訳がない、AmerikaやMoskauを考えよ、と言う(Nov 4th, 2017 11:23am)、といった発言がある。
GRINのAnalyse zu einem poetischen Text. "Dalai Lama" von Rammstein(2014)というのが詩解釈教科書のようなもので、Dalai Lamaの韻律構造を丁寧に追って、飛行機恐怖症(Flugangst)にも触れつつ、作品の文言を綿密に見るが、それだけのものに過ぎなくはある。ただ、„Sturm“, „Gewitter“と言っており、飛行機が乱気流に巻き込まれていることを考えている。実際、日航ジャンボ墜落も定説では乱気流が墜落の原因の1つとされている。
そして次回からDalai Lama = 日航ジャンボ墜落という解釈をして行く。それに、題名の謎も追わない。ここでも書いたように、作品てのはむしろタイトルと内容が乖離しているほうが面白い・妙味がある。いや、
ラムシュタインのこの曲がなぜ「ダライ・ラマ〔Dalai Lama〕」という名前をしているのかというのは、今後永遠に謎であるし、謎でなければならない。もしこれが判ったら、これに何らかの説明がついてしまったら、話が陳腐になる。この、疾風怒濤にして且つ静穏なる偉大を湛えた、メタル曲の極上最高傑作が、「ダライ・ラマ〔Dalai Lama〕」という題をしているということ、その何とも言えなさを味わうこと、こんなカッコ付け方がある事を認識するということ、が肝要であり、それ以外には、何も言ってはならない。