地上最強のブログ

しばいてくぞ

ショーペンハウアーはつづく

キャラバンは眠らない

キャラバンは眠らない

  • 乃木坂46
  • 発売日: 2019/04/17
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前回の記事から

明はDudenほうがスッキリしている。この人さらに(同頁で)「Hast du der Kinder mehr?」が「Hast du Kinder mehr?」とも言えるとし、この「Kinderは二格に代る無格である」と言っている。いやこれはさすがにムリがありすぎないだろうか。たしかにこれなんかもググると「„Wir haben ja schon seit langer Zeit eine Bewegung dahin, dass Kinder mehr gesehen werden, dass die Bedürfnisse mehr gesehen werden“, sagt Mierau.」などと書いてあるのがヒットする(「Deutschlandfunk Kultur」の中の「Zum Tod von Jesper Juul / Kinder haben Bedürfnisse, und Eltern dürfen Fehler machen / Susanne Mierau im Gespräch mit Axel Rahmlow」(INTERVIEW | Beitrag vom 26.07.2019)より。なお当ページの閲覧日などというムダクズ情報は記さない)。しかしこの「Kinder」は「無格」なのだろうか。いや、すぐ隣に「die Bedürfnisse」と1格があるのだし、1格だろう。だから「Kinder mehr」は「二格に代る無格」+「名詞としてのmehr」よりは単に名詞+副詞だろう。だから橋本の挙げた例(そもそも出典非明示だし、作っただけ?)も、「二格に代る無格」を証示しているものとは見れないだろう。

と脱線したところでショーペンハウアーに戻ってくるのだが、

Sogar bei ziemlich gleichem Grade der Bildung gleicht die Konversation zwischen einem großen Geiste und einem gewöhnlichen Kopfe der gemeinschaftlichen Reise eines Mannes, der auf einem muthigen Rosse sitzt, mit einem Fußgänger. Beiden wird sie bald höchst lästig und auf die Länge unmöglich. Auf eine kurze Strecke kann zwar der Reiter absitzen, um mit dem Andern zu gehn; wiewohl auch dann ihm die Ungeduld seines Pferdes viel zu schaffen machen wird. —

(Schopenhauer, Die Welt als Wille und Vorstellung Bd.2 (1844), S. 147)

 

(いやたとえ組成なり素性なりほぼ全く同じ人間であったとしても、かたや器デカい人かたや凡々人だとしたら、何を話してみたところで、かたや快急かたや鈍行というちぐはぐペースになってしまう。なんぼ頑張ってもいつかは話が成り立たんくなる。そんな両人がまともに口を利き合えるのなんてほんの刹那時間、しかも、非凡のほうが相手のボケぶりをたいがい我慢したってのことである。)

告白の順番

告白の順番

  • 乃木坂46
  • 発売日: 2019/10/01
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と言っており、等しからざる者同士がムリしてくっつこうとしてみてもイイことなんも無いぞと警告している。そういう訳なのだから、自分と位が違うなと思った相手と付き合おうとしたり意思疎通図ったりするものではない。こいつはチガうなと・この人はチガうなと思ったら、やめておけ。うまくいくことなどない。別の言い方をすると、自分が考えたことあるレベルの所まで考えたことのない奴になんぼ伝えようとしても何も伝わらんのであり、伝わったような反応が得られたように見えても、そいつがそいつの狭量狭小低俗粗雑未熟未発達饂飩蕎麦拉麺理解の中で勝手に理解しているだけなのであり、つまり何も理解などしていずそんな気分になっているだけなのであり、アホというのは、どんな高等なもの精細なもの入念なもの深刻なもの普遍的なものでも、自分のアホ生活のアホ水準のアホ見え方に勝手に下げてしまうものであり、勝手にてめえの空想に飛び立ってしまうものである。そんな奴を相手にしていて何になる。(←というのを読むとアホは、そーだよなー!そうそう!!と分かった気になり、さもウレシがり、てめえのアホ  理解  空想でひとりヨガってひとり合点する。お前は何も分かってないよバカ。)

さて見てきている本第15章が終わりに差し掛かっているのだが、別にそんなことはどうでもよくて、とにかくさらに読んでいってみよう。これが最後の段落:

Das Publikum aber könnte durch nichts so fehr gefördert werden, als durch die Erkenntniß jener intellektuellen Aristokratie der Natur. Vermöge einer solchen würde es begreifen, daß zwar, wo es sich um Thatsachen handelt, also etwan aus Experimenten, Reisen, Codices, Geschichtsbüchern und Chroniken referirt werden soll, der normale Kopf ausreicht; hingegen wo es sich bloß um Gedanken handelt, zumal um solche, zu welchen der Stoff, die Data, Jedem vorliegen, wo es also eigentlich nur darauf ankommt, den Andern vorzudenken, entschiedene Ueberlegenheit, angeborne Eminenz, welche nur die Natur und höchst selten verleiht, unerläßlich erfordert ist, und Keiner Gehör verdient, der nicht sogleich Proben derselben ablegt.

(Schopenhauer, Die Welt als Wille und Vorstellung Bd.2 (1844), S. 147)

 

(さて俺らの客向けのことを言っておくと、オツムには位階があり序列がある、それは書籍人口のタメにこそなれ悪いものではない。何があったこんなんがあった系のただ事実をかき集めるだけのジャンル(歴史系なり旅行系なり手記系なりな)に付き合うのなら、ボンクラでも本は書けるし読める。他方、事実がすでにかき集まっている所で抽象思考を繰り広げるというジャンルに取り組むのなら、他人よりも上に上に先に先に前に前に考えてゆく作業をすることになる。ボンクラには足元にも足裏にも及ばない著述だ。誰とも一線を画すズバぬけたモノが無いと到底やっていけない界隈だ。そんなんできるの、何億人に数人もいない。)

ということで、最後の叙述では読者向けの言葉を記している。世には、引用文中で言っているようなゴミ本が溢れ返っている。ブ〇〇〇フ古〇〇場の書棚を見てウンザリしない者もな

次回の記事に続く

 

つづく

つづく

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