地上最強のブログ

しばいてくぞ

日記ブログ、始めました (5)

 

前回の記事から

かない。

まず、現実に対して自分をどうしても過大評価してしまう(別に「評価」という意識的なこともしていないのだが)罠のほうが、レイク・ウォビゴン効果を始めとする優位錯覚illusory superiority)に近いものである。

実際に出会う環境や人間とは、想像できるものではない。それよりもさらに、実際の場面で自分には何ができないかを想像することなど、できない。そう、他人の中に何が有るのかをついぞ知ることが出来ないのと平行的とも言うべきか、自分の中に何が無いのかを知ることもついぞ出来ない。おまけに、

これらのことを自覚することができない

そして、今現時点から見ているその限りではなんとなくソレを出来てしまっている自分が思い描かれるばかりで、ソレを逸することも能わないことも失うこともどうしても想像ができないというコマった弱点に関しては、これは

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画錯誤(planning fallacy)の一種であると言える。よく科学では能力というもののことを「課題」「解決」力などという、人間のくだらん側面を《測定》したがっているようなどうにも説教臭い気っ色の悪い言葉で呼ぶのだが、とにかくこの「課題」というもの、いっそ原語カナ開きで「タスク」と呼んだらそんなに説教臭くもなく特殊状況的にも聞こえないだろうが、これをする時間を見積もるに当たって、エラい短めに見積もってしまうのである。リンク先に見る通り、何日かかるでしょうかと出題してエラい短めに見積もりよるというのが知られた実験だが、日数でも秒数でも、年数のようなさすがに茫漠としすぎているスパン未満なら、何に於いてもこの話はありうる。そう、19:33の今時点、ページの手直しが20時には終わってる気がするのである。ところが終わると20:15過ぎ。なんでだろう?1分で着替えているはずが、必ず6分はかかる。週末に読み終えてるという明確な予感があった3冊が、10日後にまだ手も付けていない。毎日毎日、この調子だと今日は23:00には床に就いてしまっているなどうしようかな♡と思って、やっと朝4時に就寝している。

確かに、受注納品の業者だったりタスク取り組み型の生活姿勢だったりしたら、こういった拙い見積もりはあまりしないような気もするが、そんなことテキトーに想像で言ってたらいかん。言ったやろ、想像ってものがそもそも間違ってしかいないのである。時間にゆとりのある人々は、自分を律することに特別長けていたり、時間の見積もりとは錯覚しやすいものだという明察を得ていたりするのでは別になくて、1日で出来ることを2週間ばかりお時間いただきますと喋るようにするという業務習慣が身に付いているだけなのである。休暇の予定関係でしゃべらせたら、もうヘマな見積もりをし出すだろう。

そう、この話も現在の話に関係が有る。事柄Aに従事しているか関係している人は事柄Aに長じているのだろうと漠然とテキトーに想像することは誰にでもできるし誰でもすぐにやる。何となくの想像、これほどた易く出来てしまう無責任なものも、無いものだ。冷たい対応をする人は人格まで凍っているような気がする。その人の特定場面で現れているだけの限定的行動を見て、その人はその行動に即した内面でもまたあるのだろうとか、その人はそういう人なのだろうとか決めつけてしまうこと、これはこの記事で見た勘違いがまさにそうであるところの、

ハートのスープ

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対応バイアス

correspondence bias)という錯覚要因である。

とはいえ、ハナシはこのバイアスに限ったことではなくて、なんとなく想像してしまうこと全般を問題にしている。想像と漫

次回の記事に続く